第5章
・・・1961年4月11日。
アイヒマン裁判は、エルサレムの地方裁判所で始まった。
四ヶ月に渡る公判の一部始終が、アメリカのテレビ制作会社の手で、四台のビデオカメラにより、収録された。
法廷がビデオカメラで撮影されるのは、先の『ニュルンベルク裁判』『極東軍事裁判(= 東京裁判)』に引き続いてのことである。
350時間の映像を2時間に編集した映画『スペシャリスト』は、中盤で山場を迎える。
ナチスの『ユダヤ人絶滅計画』は、1942年、ベルリン郊外の『ヴァンゼー』で開かれた幹部会議(= 『ヴァンゼー会議(1941年1月)』で、組織化された。
・・・この重要な『ヴァンゼー会議』で、アイヒマンは、何をしたのか?
審問が始まる。
以下、映画『スペシャリスト』より(音声の「文字化」になります。)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
裁判長:
「・・・『ヴァンゼー会議』について、議事録の一節に、こう書いてあります。
『最終的に、さまざまな解決策が論じられた』・・・おぼえていますか?」
アイヒマン:
「おぼえています。」
裁判長:
「・・・何を、議論しましたか?」
アイヒマン:
「さまざまな『殺し方』についてです。」
裁判長:
「殺し方、ですって・・・?」
アイヒマン:
「・・・はい。」
(場内、しばしの沈黙。)
裁判長:
「・・・会議のあと、ハイドリッヒ、ミュラー・・・そして、あなたが残って祝杯をあげたのは、なぜですか?」
アイヒマン:
「祝杯、ですか・・・?」
裁判長:
「あとの二人はわかりますが・・・なぜ、あなたも一緒なんでしょう?」
アイヒマン:
「議事録を作成しなければならなかったのです。ハイドリッヒが書く内容を支持し、彼が要点を列挙したあとは、話は終わりでした。私は、コニャックを二、三杯勧められました。 ・・・それだけです。」
裁判長:
「・・・彼の意見は?」
アイヒマン:
「詳しいことは忘れました。」
裁判長:
「詳細はいいから、全般的には・・・?」
アイヒマン:
「・・・『処刑』『選別』『絶滅』についてです。私は、議事録作成のために席を外しましたが、言葉の端々(はしばし)は聞こえました。部屋があまり大きくなかったですから。」
裁判長:
「この重要な話を・・・あなたは全然おぼえていない、というんですか?」
アイヒマン:
「裁判長、これは、重要な点ではありません。」
裁判長:
「『殺し方』の話は、重要でない、というのですか・・・?」
アイヒマン:
「『殺し方』の話ですか・・・?」
裁判長:
「・・・それがいまの論題です。」
(ふたたび、長い沈黙。)
裁判長:
「・・・ガスによる処刑の話はしましたか?」
アイヒマン:
「いいえ、ガスではありません。」
(会場に、すこし、どよめきが起こる。検察側はこのあと、イスラエルの警察による、アイヒマンの尋問記録の録音テープを聞かせる。アイヒマンはその中で、かつて、キリストを磔にしたローマ帝国の行政官、『ピラト』を引き合いに出す。ヴァンゼー会議のあと、自分はピラトのような満足感を味わった、とアイヒマンは述べていた。)
裁判長:
「・・・私は、ピラトが手を洗ったのは、心の中でそうしたのだと思っていました。」
アイヒマン:
「それは、私も同じです。私は・・・できることはすべてやった、と考えました。私は、権力に操られる『道具』でしかなかった。率直にいえば、『私自身の責任ではない』と、あきらめたのです。 ・・・これが、私の見方です。」
裁判長:
「自分については・・・?」
アイヒマン:
「外の現実はあまり考えず、ただ、自分の『良心』のことだけを。」
裁判長:
「では、1942年にあなたが責任を回避したとき、心の中では同意しなかったのですか・・・?」
アイヒマン:
「・・・『42年』ですって?」
裁判長:
「ヴァンゼー会議です。」
アイヒマン:
「あぁ・・・ヴァンゼー会議ですね。」
裁判長:
「・・・心の中では、『同意』していなかったんですか?」
(アイヒマンは、裁判長の言葉の意味というのか意図がよく理解できない、というように、特別被告席の中で立ったまま、困ったような表情で首を大きく傾け、沈黙してしまった・・・。)