第4章:高橋哲哉教授談(2)
「・・・ベン・グリオン首相をはじめとする指導者たちは、国内的にも、また対外的にも、イスラエル国家のアイデンティティを強烈にアピールする必要性を感じていました。
まず対外的には、パレスチナ難民問題の発生や、アラブ諸国との対立から、イスラエル建国や、その対外政策の正当性を、世界に向かって訴える必要性を感じていました。
また国内的には、建国後十数年を経過して、独立の熱気が薄らぐとともに、ヨーロッパ出身のユダヤ人よりも、中東やアフリカ出身のユダヤ人が多数派を占めるようになり、国としてのまとまり・・・『ナショナル・アイデンティティ』が、揺らぎ始めていました。
中東やアフリカ出身のユダヤ人は、ヨーロッパでの『ユダヤ人迫害』を経験していないだけでなく、ヨーロッパ系ユダヤ人が優位を占めるイスラエル社会の中で、差別されているという不満を持っていました。
国民全体を団結させ、イスラエル社会の統一を、いわば『セメントで固める』ような、強烈な国民的事件が求められていたのです。
こうして、『アイヒマン裁判』は、ナチス戦犯を裁くという、法的な要請と同時に、イスラエル国家の『ナショナル・アイデンティティの構築』という、極めて政治的な要請をも担うものでもあったわけです。」