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第3章

 1939年。


 第二次大戦が始まると、ナチスは、ドイツ国内やオーストリア、チェコなどから、ユダヤ人の強制移送を始めた。


 当初は、『計画的な移住』といわれたが、やがて、強制収容所への隔離、そして、全ヨーロッパでのユダヤ人の絶滅計画へと変わってゆく。


 調査に始まり、財産の没収、列車による輸送の手配を取り仕切ったのが、ナチス親衛隊のアイヒマン中佐だった。


 ナチスの行なった、ユダヤ人大量虐殺の実態は、終戦後、連合軍の調査によって明かされ、そのすさまじさは世界を震撼しんかんさせた。


 強制収容所で飢えにより死んだ人々。


 横にいる人のしりに喰らいついたまま死んだ人も・・・。


 無数の死者たちが焼かれ、灰になった焼却炉。


 シャワー室では、『チクロンB』などの毒ガスによって、毎日、たくさんの人たちが殺された。


 このおそるべき犯罪は、『ニュルンベルク裁判』でも裁かれたが・・・計画・実行に関わった責任者の多くは、すでに死んでいた。


 そして、アイヒマンは、南米のアルゼンチンに逃亡していた。


 一方、『虐殺の嵐』を生き延びたユダヤ人たちは、ヨーロッパ各地から、中東のパレスチナへと、大挙して移住した。


 ユダヤ人たちは、やがてそこに、『イスラエル』を建国。


 二千年に渡る、民族の悲願・・・『ユダヤ国家の建設』を始める。


 それまで共存してきたパレスチナ人の三分の一にも満たないユダヤ人が、半分以上の土地を接収する国づくり。


 それは、はじめから困難に直面することになる。


 ・・・1948年、アラブ連合軍が、イスラエルに攻め入った。


 イスラエルは、決死の防戦で、これを撃破。


 戦いは、1950年代に入っても再燃し、イスラエルは建国当初から、国家防衛の危機に明け暮れるのである・・・。

 

 こうした戦いの結果生まれたのが、七十万人にも及ぶ、『パレスチナ難民』だった。


 容赦ないイスラエルの姿勢に対して、次第に国際社会の非難が集まりはじめた。


 一方、イスラエルは、着々と軍事力を増強する。


 ・・・そして、建国から十二年がたった、1960年。


 イスラエル初代首相のベン・グリオンは、世界に衝撃的な声明を発表する。


 『アルゼンチンに潜伏せんぷくしていた、ナチスの戦犯アイヒマンを捕らえた。エルサレムで裁判を行なう。』


 翌年に始まった裁判は公開され、世界中に報じられた。

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