第9章:高橋哲哉教授とエイアル・シヴァン氏の対談(3)
高橋教授談:
「・・・現代社会はですね、極めて高度にシステム化されて、組織化されているわけで、私たちは日常生活の中で、やはり『ルーチン・ワーク』というものを組織の中でこなすことによって、生活をしているわけですけども、私たち自身が、いわば、『潜在的なアイヒマン』でありうるということを、常に考えなければいけないんだろうと思うんですけれども・・・やはり、日本の社会ではですね、その、組織の一員として働く、ということの価値が、現在でも、非常に高く評価される面があるんですね。
で、そういう・・・いわば『組織の歯車』として行為したので自分には責任がない、という考え方・・・いわば、『歯車理論』とでもいいましょうか、これに対しては、シヴァンさんは、どういうふうにですね、『批判』をされようと思われますか・・・?」
シヴァン氏談:
「・・・いまの質問をなさって、私たちの映画の中心的なテーマに、議論を進めてくださいました。
この映画は、『歴史の映画』ではありません。むしろ、現在の『社会的価値』について考えさせることが、この映画の目的です。
日本の社会が特殊なのではなく、あなたがおっしゃられたことは、近代の社会全体に言えることです。
・・・アイヒマンは、近代社会がつくりだした存在です。現在も、『国家』や『大企業』といったシステムがありますが・・・その中では、仕事も責任も、細分化されています。
そこでは、『責任』は消えてしまい、自分は、単なる『歯車』だ、とみなすことになってしまいます。
・・・最初の『批判』は、『人間が歯車になり得る』という考えを、拒否することです。
私たちは、どのような状況においても、自分の行動について、『判断を下す力を持っている人間だ』と思うべきです。
アイヒマンが信じていた『価値』は、犯罪を犯す要素になり得ることを、考えなければなりません。
・・・彼は、うまい、良い仕事を忠実にしようとしたからこそ、罪を犯したのです。
アイヒマンは、『命令のうしろ』に閉じこもり、『ヒエラルヒー(= ヒエラルキー:階層構造)』の中に、自分を隠しています。
・・・それでも、彼に責任がないわけではないのです。現代社会の『マネージャー』や『官僚』も同じです。
命令に忠実に従うあまり、全く思考を行なっていない人が多いのです。 ・・・『考える』のは、けっして難しいことではありません。
『考える』ということは、自分の行為と、その行為がもたらす『結果』をつなげて考える、ということです。
アイヒマンは、自分の仕事の目的が、『ユダヤ人の虐殺』であることは知っていました。けれども、彼は、自分は『輸送』や『兵站(= 物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持など)の管理』にだけ責任があったと言っています。
・・・最終的な目的と、自分はまったく関係ない、と考えているからです。これが、『現代の問題』なのだと思います。
われわれは、多かれ少なかれ、全員がそれに直面しているのです。」




