新人作家の受難
第1話
十二月十三日(金)二十一時
冷たい雨が二週間降り続いていた。
ネット記事の直しながら雨をドトールでしのいでいたが、二十二時の閉店で追い出された。
外の雨足は強まっていた。容赦ない横なぶりの雨の中、駅から十五分かかる自宅へつく頃には靴は水浸しとなり、鞄の中まで濡れていた。
私は雨を見くびっていたことを後悔した。バスタオルで髪をふき、スウェットに着替え、冷蔵庫からビールを取り出しベッドに寝転がった。ようやく一日の責任から解放され頭を空にできる。
その時、電話がかかってきた。
着信表示は『ノグチ』とあった。
(誰だっけ)
時間は深夜〇時近い。仕事の話だとマズイと反射的に出てしまった。
「夜分に申し訳ございません。山崎水菜さんですか? 今大丈夫ですか?」
「えぇ、まぁ、はい」
「TCTドラマ制作部の野口です……」
声に聞き覚えがあった。野口はTCT(東京中央テレビ)のアシスタントプロデューサーだったはずだ。五年ほど前にTCTでド深夜の三十分ドラマを書いたことがある。源泉引かれて手取り二万円という儚さだったと思うが、それ以来音沙汰はなかった。
「あの、それで、なんでしょうか?」
馴染みの薄い人物からの深夜の電話に私は警戒した。
「すいません、実はちょっと、と言うかとてもヤバイことが起こりまして。あの、これから言うことは絶対誰にも言わないと約束して下さい」
電話の向こうで思案しているような間が空いた。
「実はですね、先生が消えたんです」
不安そうな細い声だ。
「あのぉ、何のことですか」
咄嗟に意味が分からず私は聞き返した。
「つまり先生が跳んだんです」
「お話の要点がよくわからないんですけど、誰が跳んだんですか?」
「淡路先生がどこかに行ってしまったんです。それで山崎さん、どこに居るかご存じないですか?」
「何で私が知ってるんですか」
「山崎さん、淡路十三先生のお弟子さんですよね……」
淡路十三という名は久しぶりに聞いた。
私が大学に時代に通っていたシナリオスクールの講師が淡路だった。当時の淡路は九十年代に早い展開のラブコメディで当て、いくつかの賞を受賞し、雑誌などにインタビューが掲載される売れっ子脚本家だった。講義の内容はライバル作家のダメ出し、自慢話、芸能界の舞台裏など雑談が多く一回一万円とるにしては相当いい加減だった。三か月の講義の締めくくりの課題で私が提出した『父親が引きこもる』話について、淡路は受講者全員の前で褒めちぎってくれた。そのことが傷つくことの多かった当時の私にとっては、たまらなくうれしく、「私もこの先、脚本で食べていけるかも」と勘違いした。その後も連続して講義に通い、そのうちに淡路の原稿の手伝いをするようになっていった。
淡路が受けた仕事のネタ出しから、プロットライター、構成案、挙句は脚本のほとんどを書いて、書き出しと主人公のセリフの語尾だけいじって決定稿になるものもあった。並行して私は各テレビ局の主催するシナリオコンテストにも応募していたが、最初の年に応募したものが三次選考に残ったのが最高位で、先生の指導のもと当たりのフォーマットに変更していくたびに、だんだんと自分が書きたいものが分からなくなり、やがて審査も一次すら突破しなくなっていった。
そんな私を気にして、淡路も局のプロデューサーに紹介してくれたが時期が悪かった。二〇一〇年頃はドラマ不況で各局の放送枠が減っており、私にチャンスが訪れることは無かった。二十五歳も過ぎいい加減なまとめ記事やエロサイトのさくらコメントなど、書ける仕事なら何でも引き受けるフリーランス人生に突入。その中で携帯恋愛ゲームのシナリオが上手く仕事につながり今に至る。夢見たドラマの世界からはだいぶ遠のいたが、文章を書く仕事でようやく実家から自立した生活ができるまでになった。
淡路とは、五年前に別れてからは全く顔を合わせていない。
「弟子じゃないですよ」と私はきっぱり否定した。
「でも何作も共作なさってますよね、ずいぶん仕事を世話したと淡路さんから聞いてますが」
何を勝手なことを、一気に不愉快になった。
「全然世話になっていませんよ、もういいですか切りますよ」
「待って、待って、待って。すいません、ほんとにすいません。僕も大分弱っていまして、暴言をはいて申し訳ございません」
急に野口は下手の口調に変わった。
「暴言とかいうのではないですけど、自宅には連絡しました?」
「帰っていないようです。他にも先生が立ち寄りそうなところには連絡したんですが、どこにもいませんでした。付き合いの長い山崎さんなら心当たりありませんか?」
「ずいぶん会ってませんので、何か分かったら野口さんの携帯に連絡します。今日はもう夜遅いので寝かせてください」
この会話の終了を匂わせた。
「えーっ山崎さん寝られるんですね。いいなぁ、僕なんか三日寝ていなくて、どこにも居場所なくて、それ以上に悩んでいて、本当につらいんですよ!」
何か知らないが急に逆切れられた、この男の情緒はちょっとおかしい。
「あの、愚痴いうのなら切りますよ」
「すいません、とにかく僕の話聞いてもらえますか、淡路先生が今うちの金曜枠をやっていたことはご存じですね」
「はぁ何となく、でも確かもうすぐ最終回ですよね」
今日はもう十二月二週。来週か再来週で十月期のドラマは最終回のはずだ。いくら撮影が押していても脚本はとっくに上がっている時期だ。あとは現場で俳優のセリフ直しとか、打ち上げ日程の調整くらいしか仕事はないはず。脚本料でもめたりはあるかもしれないが、そんなことで関係ない私に深夜に連絡してくるなんて非常識にも程がある。
「淡路先生はいいかげんで気分屋ですが、あっさりした性格なんで、何かトラブルがあったとしても、二、三日したら連絡来ますよ。じゃあ、これで失礼します」
私は今度こそは本気で電話を切ろうとした。
「いや、そういうんじゃなくて本が無いんです」
言っている意味がすぐには分からなかった。
「本ってシナリオのことですか?」
「あたりまえじゃないですか、脚本しかないでしょ。とにかく時間がないんです」
また急にまくしたてられた。この男苦手だ。
「今から局にきてくれませんか? そこで詳しい事情をお話しします。特別にタクシー使用OKもらっていますんで、とにかくすぐに来てくださいお願いします。現金で清算しますんで領収書もらうの忘れないようにしてください」
深夜で電車も無い時間に、「タクシーで来て良いよ」とありがたそうに言うなんて、こっちを確実に見下している。
「いや、でもね野口さん」
「もちろん、謝礼お支払いします」
「……いくらぐらいですか」
「税込みの三万までなら」
「そこまでお願いされたら分かりました。行きます」
シャワーを浴び眠気を覚ますと。目黒通りに出てタクシーを拾った。テレビ局に向かう車内、人通りの少ない通りを見ながら今の状況を考え始めた。
シナリオが無いとはどういうことなのか?
淡路先生が上げた原稿が何らかの理由で没になったか、メールでもらった原稿を間違って削除したか、でもそれで先生の居場所が分からないことがなぜ今緊急問題になるんだろうか?
神経質な顔をしながら、笑うときは子供のような顔になる、白髪交じりの淡路の顔が思い浮かんだ。
ろくなことが無かったとは言え、三年近くは一緒に仕事をしていた淡路の身に何が起こったのかが気になった。
とにかくなるべく話が早く終わることを願いながら局へ向かった。
第2話
西新橋にあるTCTに着いたのは午前一時半を少し過ぎていた。
早朝から深夜まで働いているテレビ局は、こんな時間でも社屋全体が明るい。タクシーが地下駐車場の車寄せに止まると電話をかけてきた野口が待っていた。
「すいません急にお呼びだてして」
さっき電話で話した時の情緒不安定ぶりに比べると、ずいぶんとまともな出迎えだった。久しぶりに会ったが、細身のスーツを着こなし想像よりスマートな印象を持った。
野口は丁寧に自分の名刺を差し挨拶した。肩書はプロデューサーに出世していた。
「山崎さん早速会議室にご案内します。富田もお待ちしてます」
「えっ、富田さんってチーフプロデューサーの?」
「はい、そうです」
「それ事前に言ってほしかったわ」
これは、仕組まれた騙し打ちだ。
富田はTCTのドラマ部門のトップに立つ男で、数々のヒットドラマを出したプロデューサーだ。百キロはありそうな巨漢で黒ぶち眼鏡をかけていた。私が淡路のサブライターをしていた時に、書いたものを見て「エモーションを全く感じない。見たくなるキャラがない、テーマが凡庸、何を書きたいかも伝わらない、いいところが一つもない」とボロボロにけなし、それが今もわたしのトラウマになっている。どんなけ偉かろうが会いたくない人物の一人だ。いると分かっていたら来なかった。
野口は早く荷物を渡して楽になりたい配達員のようにソワソワとその富田が待つ会議室へ私を先導した。入った部屋は思いのほか広く、すでに十名くらいのスタッフが疲れ切った顔で詰めていた。午前一時過ぎの会議室は煮詰まったいやな空気が充満していた。ささくれだった顔が一斉にこちらに注目したが、知らない顔だと思うと興味を失ったようにまた目線をそらせた。ホワイトボードを背負って見覚えのある巨漢、殺し屋の目をした富田が座っていた。
富田は私の方をみると小さく頷き「俺は今からこちらの先生と作戦会議をしますので、皆さんは連絡があるまで一旦解散ということでよろしく」と会議室のメンバーに言った。
その声を合図に会議室にいたスタッフは席をたった。雰囲気からしてドラマの現場スタッフであろう。ほっとした表情を浮かべて席を立つ者、猜疑心のある目つきで出ていく者、確実に何か事件が起きた後だ。
富田は私を空いた近くの席に座らせた。
「ミナちゃん、ほんと急にごめんね。でもこれはある意味チャンスだから」
三十過ぎた私を名前でちゃんづけする。この感じ懐かしいけどほんとやだなぁ。同時に上から目線のマウント、完全インテリヤクザの手口だ。
「それで、だいたいのことは野口から聞いてくれたかな?」
携帯をいじりながら富田は当然のように聞いた。
「いいえ、ほぼ何も聞かずに呼び出されています」
あくまでもこちらはお願いされて来た一般人であることを相手に強調しておかなくては。
「なんだよグチ、ちゃんと説明しろって言っただろう、それと先生にコーヒーとお菓子早く出さないかぁ」
また出た、野口をグチと略して呼ぶこの古さと恫喝スタンス。
「すいません」野口は異様に恐縮している。この上下関係が彼の情緒に影響を与えているようだ。
「では、ミナちゃんが知っていることは?」
富田は冷たい目で私を見据えた。
「淡路先生がいなくなったというくらいです」
「本当に困ったことになった」と、いうと富田は『何が、どう、本当に困っているのか』を一方的に話し始めた。話の節々に自己弁護と自慢ひけらかしが混じるので要約すると次のようになる。
TCTテレビの金曜九時枠は視聴者の高齢化、若者のテレビ離れという二重苦の中で最近五年ほどは厳しい状況となり、タイムテーブル上のお荷物となっていた。そこで枠の立て直しとして「金曜の夜はポリス&ドクター!」というキャッチコピーで昨年再ブランディングされた。
「学校、恋愛、会社、家庭など共同体の問題」を乗り越えた高齢者世代が最後にたどりつく興味「誰が殺したか?」と「健康と病気」にジャンル特化したドラマ企画枠となった。
その流れで今年の十月期は「医療モノ原作」で進んでいたが、「医療界のタブーに挑む姿勢を貫いて欲しい」原作者の思いと、「ヒロイックにカタルシスが欲しい」主演俳優事務所の要求とが折り合わず放送三か月前に破綻。別企画へ方向転換されたが有力キャストや人気脚本家は捕まらず、そこで急遽起用されたのが淡路十三だった。新鮮味がないことから仕事が減っていた淡路は久々の連ドラに奮起して『超心理捜査』という企画をオリジナルで作った。それをプロデューサーの富田が短期間の内にごり押しで通した。経緯からして『穴埋め企画」感が強く、負け戦の匂いが濃厚だ。その敗戦処理的立場にプロデューサーとして抜擢されたのが三十歳の野口だった。
富田は続ける。
「最初は俺も本打ちに入って、クランクインまでには台本四冊揃っていたんだ。でもね、俺が別件の単発で忙しくなり始めた六話目あたりから本が遅れはじめた。七話が上がったのは撮影一か月を切ってから。その後も淡路さんは締め切りを伸ばし、八話はスタッフ不眠不休、九話がやっと上がったのが放送一週間前。美術に俺が無理をお願いして何とか撮り切った。当初は十二月十日にオールアップ、二十日に『最終回放送と打ち上げ』という余裕を持ったスケジュールを組んでいたんだが大崩壊だよ。十二月十日になっても本は上がらず。全部野口に任していたらこの始末だよ、私の監督不行き届きでお恥ずかしい」
説明を聞いているうち、ライターの立場から淡路のことが気の毒に思えてきた。大勢で圧力をかければうまく回るものでもない。ドラマ脚本が完成するまでに私なら一か月は欲しい。
「今日放送した九話には最終回の予告編が絶対必要なので、急遽十一日に淡路先生と野口とで話し合い、その日の夜から淡路先生にはホテルで缶詰めになってもらうことになったんだ。今時珍しいが、本人のたっての希望だからしょうがない。そこで隣の『グランド愛宕ビジネスホテル』に野口が部屋をとって、何とか放送当日早朝に十ページ分の原稿だけは上がった。その日に撮った分とテロップだけで『いよいよ次週最終回! すべての真相が明らかに!』となんとかつないで乗り切った。でもそこからだよな、グチ!」
富田は横で立っていた野口に話を渡し自分はまた携帯をいじり始めた。
「はい、その後も全然先生の原稿は上がらず、夕方に予告編を納品して僕が部屋に行ったらすでに淡路先生の姿が消えていました。買い物に行ったのか自宅に帰ったかとも思いましたが携帯がつながりません。そこからもう八時間以上連絡がとれないんです。そこで山崎さんにお電話したということで」
「肝心なところ話が飛躍してますが、先生が居なくなったった件と私が夜中に呼び出された件はどう関係するんですか?」
携帯をいじる富田の目が私を睨んだ。
「信頼できる人に最終回を書いてもらいたい。そこで白羽の矢が立ったのがミナちゃんなわけだ。淡路さんのゆかりの人でないとこの続きは書けない」
「ゆかりじゃないし、他に何人もことわられて、夜中にまんまと引っかかったのが私ってことですか」
「そんなことはないよ。いろいろ考えているうちに時間がたってしまっただけだよ」
「私みたいなザコライター呼ぶ前に、先生をちゃんと探す方が大事なんじゃないですか?」、私は疑問に思っていることを口にした。
「まぁ、それはそうなんだけど、君も知っての通り淡路先生は今までも携帯のつながらない地下の飲み屋でべろんべろんでカラオケ歌ってたり、シナハンと称して急に京都に旅行したり、時々勝手に居なくなるような性癖があったよね、今回もそうじゃないかと思ってるんだ」
「それでも、いきなり別の人間が無断で最終回書くというのはあとあと問題になるんじゃないですか? 警察に届けるとか一応手を打つべきでは……」
富田は不機嫌になった「じゃあさぁ、お前のいうようにしたとするよ。離婚協議中の先生の奥さんにお願いして失踪人捜索届けを出してもらう、そして俺は『作家が行方不明になりまして最終回の放送ができません』と会社の上の方に報告する、編成の若造に馬鹿野郎とののしられる、営業部にクズ野郎と怒られる、広告主さんにお詫び行脚する、損害賠償発生する、ネット炎上、視聴者からは非難ごうごう。私は作家を追い込んだブラックプロデューサーとして表舞台から消える。その後に淡路さんが週明けお土産持ってひょっこり舞い戻って来ても、業界追放でテレビの仕事は二度と来ない」
「ムチャクチャ悲観的過ぎませんか?」
行き過ぎた負のスパイラル連想だ。
「それに引き換え、黙々と最終回の脚本を作って撮影し、放送が無事できた場合は、何も問題はおこらない。どうだ?」
富田は眼鏡の奥から私をのぞき込む。
「どうだじゃないですよ。不眠不休で仕事した淡路先生が街に出てもし事故か何かにあっていたらどうするんですか? 私も経験ありますが三徹すると幻覚が見えてきますよ」
「まぁ、君の言わんとすることは分かる。でもね、それは考えないことに決めたんだ」
「なんで勝手に決めるんですか」
そんな私を見た富田は口を歪めて、野口に何かを持って来るよう指示した。
野口は一枚の紙を持って戻って来た。
「私が先生の部屋を見に行った時、これが一枚プリントアウトされてました」
そこには、小さな字で次のような文章があった。
シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた
「童謡の歌詞ですね」
意外な文面に一瞬ハッとした。これがしゃぼん玉の歌であることはすぐ分かったが、やがて得体の知れないイラ立ちが沸きあがって来た
「これの意味は何だと思う」
富田は私にきいた。
「身勝手ですね、あざといですね」と思わず言ってしまった。
失踪する書置きだとすると、本来ならお詫びを書くべきだ。それを自虐的な『消えた』や『壊れた』など謎めいたキーワードでカモフラージュして、自分にはアイデアがないことをほのめかしている。
「だろ、俺もこれをみて、淡路さんは何もかも嫌になってきっとどこかに隠れているに違いないと直感したよ。そうなると探しても簡単に見つかるもんじゃないし、我々にそんな時間はない。そういうわけで早く君に続きを書いてもらいたいんだ」
「無理です。先生のドラマは全く見ていませんし、急に刑事モノのシナリオ書くなんて出来ません、他の人をあたってください」
私は不本意ながら富田に頭を下げてこの場を去ろうとした。
「来年の四月の深夜枠作家がまだ決まっていないらしい。山崎水菜やってみるか」
「そんな適当な出まかせで釣られると思わないで下さい」
「本当だよ。フレッシュな作家と演出家の登竜門にしたいと思っている。試金石のつもりで今回はこの窮地を助けてくれ、この通りだ」と、言いながら富田の頭は一つも下がっていない。
「断ったらどうなるんですか」
「どうにもならないよ。ただうちの仕事は君には来ない気はするな。あくまでも気配だけど」
「それって脅しですよね」
「とんでもない我々、創作者同士の気持の話をしているだけだから。どう、片やリスク含み、片や何も損はない。ここまでオッズに差がついていたら迷いはないでしょう」
毎年三月はいつも金の工面で危機がやってくる。特に来年は家賃の更新もあることが頭をよぎった。
「わかりましたが、富田さん仕事は必ず約束して下さいね」
「もちろんだよ。おっと時間だ。この後、私は出ないといけないので、あとは野口と話し合ってくれ。また明日飯でも食べながら対策会議の続きしよう」
一方的に話を締めくくると、時間を気にしながら富田は席を立った。閉店後のキャバ嬢と食事でもする約束をしているのか、テレビ界絶滅危惧種だ。
「野口、大丈夫だな」と嫌な念を押し富田は居なくなった。
第3話
「それでいつまでに原稿が必要なの?」
私は葬儀場の案内係のように突っ立っている野口に聞いた。
「今すぐです」野口は表情を変えずに即答した。
「今すぐできるわけないじゃない。何言ってんの? あんた本当に大丈夫」
「すいません、それはあくまでも理想でした。ご存知とは思いますが一時間ドラマの場合、通常は撮影期間六日間です。もろもろ無理をお願いして圧縮しても最低四日は必要です、山崎さん今日は何日だかお分かりですか?」
「えっ、もう三時過ぎてるから十四日でしょ」
「最終回の放送日は十二月二十日(金)です」
「ギリギリ六日間あるってこと?」
「そうじゃないんです。編集と音の仕上げがあります。編集二日、音の仕上げ一日の三日は必要です。そして局への納品は放送前日までです」
「今日土曜よ。木曜が納品、月、火、水仕上げとという事は、書く時間どころか撮影する時間ももう無いじゃないの」
「そうなんです、もう限界の限界を超えてます。普通じゃ間に合わないんです。見てくださいこれが私がスタッフと相談して作った最終防衛ラインです」
その表には撮影、仕上げの同時進行スケジュールが時間単位に細かくきれいに書かれていた。こういう事務的なことが野口は得意なのかもしれない。抜擢されたことが良かったのか悪かったのか。
「まず、メインの警察署のセットはスタジオの都合で十六日(月)、十七日(火)の二日間だけになります」
「もっと増やせないの」
「当初十二月十日で終了予定でしたので、次のドラマに別スタジオに移ってもらい、出演者事務所に謝りまくって何とか勝ち取ったんです。大赤字です。それもこれも淡路さんが原因です」
書類を差す野口の指が高まる感情でふるえていた。
「撮影は最大三十六時間、レギュラー出演者が揃うのはそこまです。台本印刷やスタッフ配布を考えると十六日(月)の朝六時が締め切りです」
「今日と明日しかないじゃない。無理でしょ」強引すぎるスケジュールに私は呆れた。
「無理って言わないで下さい、スタッフも出演者も不眠不休で頑張ってるんです。視聴者もみんな最終回を待ってるんです。それを投げ出さないで下さい!」
「ちょっと、私はさっきあなたに事情分からず無理やり巻き込まれたんだからね、いい加減にしてよ」
「あーっ、すいません。僕もどうかしちゃってまして、今は山崎先生しか信頼してお願いできる人いないんです」
「もう、分かったからとにかく今からなんでもいいから書き出して、月曜朝に完成させれば私は解放されるのね」
「はい。ただ何でもいいわけじゃなくて多少制約があります。今から新しい人物をキャスティングすることはできませんの登場させないで下さい」
「それはいくら何でも無理。刑事モノでしょ、犯人いるんでしょ。新しい登場人物なしで話書けないわよ」
それを聞いた野口は、突然涙を流しだした。
「ドラマを作ることが俺の夢だったんです。せっかくめぐって来たチャンスだったのに、こんな目にあうなんて」
「泣くなばか、私が泣きたいよ。ドラマ見てない私が四十八時間弱で最終回書けって言われてるんだよ」
「僕も散々会議でつるし上げを食らいましたよ。今は山崎さんだけが最後の希望なんです」
「勝手に決めんな、とりあえず一話から九話までの台本と、ドラマのDVD持ってきて」
「引き受けていただけるんですか、よろしくお願いします」
「超高速でやるからには料金は高いからね。それと他に何か約束事あるんだったら今のうちに教えておいて」
「はい、あります。外のロケは今から撮影許可出るところありませんので局内だけでお願いします」
「警察とテレビ局の建物だけ、絵替わり全然しないわね。作り手の都合と制約だらけじゃないの」
「それもこれも淡路さんが……」また野口が涙ぐむ。
「いない人を責めてもしょうがないでしょ。私は家に帰って内容を整理して夕方には連絡します」
DVDと台本を局の紙袋に入れてもらうと、ようやく私は深夜の地獄の会議室から解放された。
帰りのタクシーの中で私は冷静になって考えた。
これは、大変な仕事を受けてしまった。
連ドラの最終回だけを実質一日半でゼロから書き上げるなんてまともなものができるわけない。相手に乗せられ興奮していたとはいえ、本来最低一週間は必要だ。どうかしていた。
その一方で、それでも私にはやってみたいと思う理由があったことも事実だった。やるなら私が一番適任だという自負だった。
先生の脚本のツボは他の誰より知っているつもりだった。淡路が人妻との不倫の為に、脚本の締め切りを伸ばすようなクズ人間といえども、今でも構成は時間をかけてしっかり作っていた。連ドラを書く上でエンディングが見えていないで書き出すタイプではない。九話までなんとか脚本が出来ているということは、そこまでの前振り、伏線を見ていけば最終回は想像できるはず。
一日二万文字ペースのハードスケジュールの仕事は何度かある。
構成が決まって書くだけなら一時間ドラマ約三万字、一日半で出来なくはない。それに野口の話では最終回の冒頭十ページは既に書き上げてるという。どうせセリフは俳優と監督で勝手に現場で変えるだろうから、撮影の設計図程度の本はでっち上げれる勝算があった。
そう考えると、今は少し仮眠をとって体力を回復しておきたい。スッキリした頭で台本を見直しストーリーの縦軸を再構築。その後DVDで俳優のキャラをチェックし、夕方までには方針とプロットを決める。そこから書き始めれば、何とか月曜の朝までには形になるような気がした。
そう思い込もうとしていた。とにかく一度寝たかった。目が覚めた時には今起こっているトラブルが全て夢だったということもあるかもしれない。タクシーの中から夜の街を見ていると、淡路の人を食ったような笑い顔が頭に浮かんだ。
第4話
十二月十四日(土)四時
家に帰ってベッドで横になると今度は心配で寝られなくなる。
こんな甘い見込みで本当に大丈夫か?
頭の中で心配な考えが勝手に駆け巡り始める。ベッドから這い上がり明かりをつけて台本をペラペラとめくり始めた。
表紙に書かれた番組名が『ディペンド 令和の捜査官』。
ひどいタイトルだ。英単語とベタな日本語をくっつけるよくやる手、やっつけ仕事臭がぷんぷんする。「ディペンド(依存)」の意味も、今の私の状況を揶揄しているようで腹が立つ。それでも二時間サスペンスの粗製乱造で有名だった淡路先生だけに、細かく読まなくても話の流れはすぐにわかるだろうと思っていた。
が、それは甘かった。
主人公は新任の女性刑事で男ばかりの刑事課の中で事件に巻き込まれるという構えはベタな刑事ドラマそのものだった。ただ、この主人公に『霊能力者』という禁じ手設定を淡路は持ち込んでいる。現場で女性刑事が霊に憑りつかれ、誰も知らない情報を元に犯人を逮捕する。三話まで読んでも憑依のルールが分からない、リアリティの設定レベルも良く分からない。
(私の知っている淡路先生の作風ではない)
淡路先生は昨年武蔵小杉のタワーマンションに引っ越したと聞いた。その際に配信ドラマが見放題契約になっていて露骨に影響を受けて「アメリカのドラマでは……」と事情通ぶってあっちこっちに語っていたらしい。新しい物好きでサイキック捜査を取り入れても、そこは先生自身が良く分かってないから、何かちぐはぐな話になっている。六十代の脚本家がそう柔軟に変われるわけがない。
描かれる事件は一話が派手に連続爆破、二話で児童誘拐事件、三話が連続放火と刑事ドラマ王道三ジャンルを次々と先食い。そして四話は未解決三億円事件の話で、憑依力によるご都合の凶器発見と理由なき犯人の自白急展開と、俳優の演技力に頼った強引な内容になっている。きっとこの台本を受け取った犯人役俳優は「なんだこの感情のジャンプは、これは俺の演技が試されているに違いない。やるぞ、やってやるぞ」という意気込みが入りすぎた。熱演を越えて狂気の自白になっている。これならだれが捕まえてもこの犯人は自白してたんじゃねえのと思える。五話以降は予算がなくなったのか、急に話が人情よりになる。八、九話はまた前後編で、幼いころに養護施設に預けられた娘が、両親を殺した犯人をキャバクラで接客しているうちに分かり、誘いに乗ったつもりで殺害して恨みを果たすという、淡路が二時間サスペンスで使う古典的なストーリーで、私も知っているだけで二回別作品で使ったプロットだ。被害者の娘に殺されたヤクザに憑依されていた主人公が、突然二十年前の被害者にも憑依され一人二役で言い合うコントのような作りになっている。
縦軸として振られる謎がまたよくわからない。まず一話から主人公の白昼夢として、暗い部屋で男がパソコンを打っている変なフラッシュが毎回入るが進展なし。急に五話からライバルの霊能力者登場し、「お前の力を使いすぎてはならない」という謎過ぎるメッセージを残して六話であっさり自殺。そして八話で主人公が眠っているときに旧日本兵が出てきてジャングルを突進するフラッシュで入る。それらを全く回収しておらずただ意味不明でカオス。
でも最終回の冒頭十ページは上がっている。そこに最終回の序盤が書かれているはず。
その原稿を読み始めて私は文字通り崩れ落ちた。
刑事部長が今更ながら主人公の霊能力に気づき、回想形式で一話から過去の事件を振り返り、独断捜査の責任をとって辞任する。その部分だけ独立した『ベテラン俳優よいしょゾーン』だった。淡路には珍しくト書も少なく、ほとんどが一人称の説明。よっぽど切迫していたに違いない。なにより事件が始まっていない。
(うそでしょ、使えるものは何もない」
しかし時間がない、この話のどこから手を付けるかを考えた。新しいキャストが出せないとなると、最終回の事件の犯人は警察署セットのレギュラーで出てくる誰かとなる。犯人役になる俳優は気の毒にも今まで自分がそのつもりで演じていないから、急な話の展開に困るだろうなあ。最終回だから派手に警視庁内に仕掛けられた爆弾の話にするか?いや、それだと一話と丸被りだ。爆破できるロケ許可もセットも間に合わない。でもスケールは保ちたい。セットだけの「地味な絵で済む派手な事件」は成立するのか。私は思いつくままネットを探し始めた。街中乱射からの人質警察立てこもり、見学者からの人質立てこもりテロ。どれもセット以外の警察署のロケが必要となる。既に警察署のエントランスは何度も登場しているので、いきなりテレビ局の玄関に変わるわけにはいかない。
地味な無差別テロってなんかないか……毒薬入りジュースが犯人から警察に贈られてきて、刑事課の何人かが飲む! というのはどうか? 帝銀事件からのインスパイアーだった。嫌な予感がして台本に印刷されているスポンサーの欄を見た。
だめだ、飲み物も食品も提供スポンサーじゃないか! 医薬品もあるから毒薬もNGだ、他に何かないか?
懸命にネットで探す中で「生物兵器」が引っかかった。「未知の猛毒細菌兵器」ならスポンサーである医薬品、食品メーカーも大丈夫だろう。その細菌兵器は漏れても無色透明で絵には映らないから、CGの手間もかからない。そこはただ苦しむ俳優の演技力でどうにかしてもらう。警察内に送られてきた細菌兵器、その過去として日本兵を登場させて、その関係者が同じ署内にいて恨みをもっている人物としたらどうだろうか。最後は生物兵器のワクチンを犯人と主人公が取り合う中で、犯行の真相が語られるというのはどうか!
(いける、いける気がする。これしかない)
そこまでメモを残すと未来の自分に期待しつつ寝落ちした。
スマホのアラームで目が覚めた。
十二月十四日(土)朝九時三十分。
狭いキッチンでコーヒーを温め気持ちを落ち着かせて、寝る前に書いたメモを祈るような気持ちで見た。自分でも読めないような汚い字の走り書き。
『最終回、主人公が被害者、生物兵器タイムサスペンス、犯人はエリート警察官、最後はワクチンを巡って対決? 闇のジャーナリストが救世主、毒ガス部隊の陰謀と警察の関係?』
睡眠不足の明け方にハイの状態で書いたメモは、ハリウッドのアクションサスペンスになっており、プロデューサーの条件に全く収まらない。何より自分にショックだったのが、伏線の回収に気を使っているくせに、霊に憑依される主人公の設定を全く使っていない。
気持ちが萎えていく。一日半で一時間ドラマが書けるのは気持ちが乗っているときに限る。人生経験も積んで弱点を克服し、用心深くてタフな大人の女に近づいていたつもりだが、金と生活の安定に目がくらんだ。もう日の当たる仕事がしたいなんて欲を持ちません、世の中おいしい話なんてないことが十分わかりました。
(ただ、逃げたい)
今ならまだ罪は浅い。プロデューサーに脅迫されたからウンと言ってしまったが、体力を取り戻してからよく考えたら無理でしたと言えば何とかなるだろう。脚本の仕事からは遠ざかるが、今も近くないから問題ない。
(一秒でも早く断りの電話をしないと)
スマホを取り出し野口を検索した。出て来た番号を押す直前に、まだ方法がひとつ残っていることに気づいた。淡路が使っていたパソコンを探せば、何か手掛かりが残っているかもしれない。
二日間缶詰めになっていたんだからある程度の筋書きは作っているはず。メモや走り書きでもいい、何かヒントが欲しい。先生は作家生活三十年のプロ中のプロだ。数々の修羅場も潜り抜けてきている。先生がハードディスクの奥深くに隠した、眠れる脚本を私が探し出せばいい。創作の限界で先生が何を考えて苦しんでいたのか、あの書置きも何か創作の意味がある、『何かを探せ』というメッセージのはずだ。それを読み解くのはプロデューサーではなく、作家である私の役目。そう自分に言い聞かせて野口に電話をかけた。
「山崎さんお疲れ様です、プロットはどんな感じですか?」
「いや、それがね、どうもこうも無くて、このドラマ破綻していることが良く分かった」
「どうして、そんなこと言うんですか、もしかして山崎さん何も思いついていないんですか? あなたそれでもプロですか」
またこいつおかしな感情になってるよ。
「まずは聞きなさい。設定が跳び過ぎな上、事件は興味本位、最終回で回収する伏線がバラバラで多すぎる。これは今下手に書き出すのは危険すぎる」
「危険ですか。僕も強引な展開の本だとは思っていたんですが、刑事モノはこういうものかと思ってましたが」
「野口さん、刑事ドラマは何回目」
「初めてです、アシスタントの頃は深夜のラブストーリーしかやってません」
「これは先生の中でもかなり無茶な本ですよ」
「でももう時間が……」
電話の向こうで野口の声が遠くなっていった。
「それで野口さん先生の使っていたパソコン今どこにありますか?」
質問の意図が分からないのか答えまで少し間があった。
「あっありますけど、まだホテルの部屋です」
「部屋って、まだとってあるんですか?」
「えぇ一応、そのまま月曜日までとってあります」
「良かった。じゃあその部屋に行きましょう。少しでも先生の書き残しを見ておきたいんです」
急に元気になった私に比べ野口は全く気が進まないようだ。
「でも、そんなの残ってるかどうかわかりませんよ」
「それでも二日間先生は籠っていたわけですから、何か書き残しているように思うんです」
「僕にはそうは思えないんですが、それにパソコンはロックされていると思いますよ」
「そうよね、でも私先生のパソコンで書き直しを手伝っていたので、何となくパスワードも分かるような気がするんですよ」
「何となくですか、でも山崎さん、もしパソコン開けなくても、それを理由にこの仕事降りるって言うのは絶対にやめてくださいね」
「んっ」
「もう、残り時間は二日もありません。今から他の人にお願いすることはできませんから」
野口は今まで見たことないシャープな切れ味で私の退路を断ちに来た。
「……もちろんです、そんなことはしません」
私はまた同じミスを繰り返した。