流星トマト
漢字が多いですが、大人が子供に読んであげる事を想定しています。
ココは、ぼーっと外を眺めておりました。ココのうちのベランダには、鳥が運んできたトマトが育っているので、それを見ていたんです。
『鳥が運んできた』と言うと素敵な表現ですが、実際は違います。野鳥のうんこが何も植っていなかったプランターに落ちて、そこから生えてきたトマトなんです。つまりは鳥のうんこから生えたトマト!
そもそも鳥は、ココの隣の家のベランダに飛んで来たのでした。
お隣の夫婦は、野鳥にエサをやるのが趣味みたいで、ベランダに作った鳥用の台の上に時々リンゴなんかの果物を切って置いているんです。それを食べに近くの大きな公園から鳥が飛んで来ます。
ココが住んでいるのはアパルトメントなので一つの建物の中に沢山の部屋があって、色んな人が住んでいます。ココの家の上下に両隣にはそれぞれ部屋があって違う人が住んでいるんです。勿論お隣も同じ。
ココの家の下によその家のベランダがあるように、お隣の家のベランダの下にもその下の家のベランダがあります。だから本当はベランダで小鳥に餌をやるのはあまり良くないのです。だって考えてみて下さい、お布団を干したり洗濯物を干した時に、上から鳥のうんこが落ちて来たら嫌でしょう? 夜寝る時にお布団にうんこがついているのに気が付いたらびっくりして、頭に来ちゃいますよね。折角綺麗に洗った洋服に鳥のうんこがついていたら、もう一回洗濯しないといけません。
鳥はね、人間みたいにトイレでうんこはしないんですよ。鳥のトイレはそこら中どこでも、いつでもしたい時にしたい場所に出来るんです。ご飯食べながらでも平気でします。だから、お隣のベランダのその下の部屋で布団を干してあったって、洗濯物があったってお構いなしです。
ココのベランダにも鳥の落とし物が増えました。鳥のうんこが点々と、ベランダの手すりや床に。何故なら鳥はお隣でリンゴを食べた後、ココの家のベランダで休憩するからです。でもココはそれについてお隣に文句を言いに行ったりはしていません。床の落とし物はほうきで掃き、ベランダの手すりは雑巾で拭けばきれいになるからです。隣の部屋だからか、洗濯物に上からうんこが落ちるという事もありません。
でもお隣の下の階の人はココと同じ考えにはなれなかったようです。何度かお隣に怒鳴り込んで来ているのを見掛けました。大きな声で文句を言っているので、部屋の中にいるコにもはっきり聞こえました。怒鳴り込まれるとお隣はしばらくは鳥に餌をやるのを止めるのですが、またいつの間にか鳥に餌をやり始めます。最近では下の階の人は怒鳴り込んでくる事はなくなりました。諦めたのでしょうか。それともお隣は何か下に落ちないような工夫をしているのでしょうか、そうだと良いのですが。
本当はいけないのでしょう。下の階の人に迷惑を掛けているのですから、ベランダで鳥に餌をやるのはやめた方がいいでしょう。ココも時々は鳥のうんこを掃除するのが嫌な気分になる時がありますし。でも遊びにくる雀は小さくて可愛いし、名前も知らない綺麗な鳥を見るのは一人暮らしで寂しいココの心を温めてくれました。身体は黒いのに真っ青な長い尾羽を持った鳥の名前を図鑑で調べたりもしました。ココは結構鳥の名前に詳しくなったんですよ! だから、ココはお隣の人に「鳥に餌をやるのはやめた方がいいです」とは言えませんでした。
さて、ココのベランダのトマトがどうして生えたのか、みなさん分かったでしょう。そこでココが何でベランダのトマトをぼーっと見ていたのかお話しさせて下さい。
そのトマトは妙に育ちが早かったのです。気が付いた時にはもうココの膝ぐらいの高さまで大きくなっていました。
いつもココは新しく野菜やお花を育てたい時は、お店にタネや苗を買いに行きます。そこで自分が好きなものの中から、育てやすそうなのを選んで買ってきます。失敗したら嫌ですからね! 今育てているのは、バジル、ローズマリー、レモンバーム、ラベンダー、ブルーベリーです。ブルーベリーだけは大分育ったのを鉢植えで買いました。
朝起きた時と夕陽が落ちる少し前の二回、じょうろでお水をやります。お水が好きな植物にはたっぷり、少しでいいローズマリーやラベンダーなんかには軽く。大きくなあれとお水をやります。時々は肥料も。ところが毎日二回も見ているのに、植えた覚えのない植物がプランターに生えてしまう事があるんです。鳥の落とし物のせいです。鳥のうんこがプランターに落ちて、うんこの中に残っていた鳥が食べた物の種が、芽を出すからです。
でも毎日二回も見ているので、植えた覚えのない植物にはココはすぐに気が付きます。それが雑草だったらココの爪の大きさよりも小さいなうちに抜いてしまいます。雑草って大きくなってしまうと根をしっかり土の中に張ってしまうので、抜くのが大変なんですよ。
一目で雑草かどうか分からない時、ココはそれがなんの植物か分かるまで育ててみます。ちょっと大きくなったのを図鑑で調べて、抜くかどうか決めるんです。
ところがそのトマトはもうすっかりトマトの顔をして、ある日にょきっとココのプランターに生えていました。もちろん植えた覚えはありません。途中で何の植物か迷った覚えもありません。でも図鑑で調べてみたらトマトでした。トマトの葉っぱは青臭い匂いがします、その匂いがぷんぷんしました。
青臭い匂いってどんな匂い?って思う人はトマトを買ってきた時に葉っぱが残っていたら匂いを嗅いでみて下さい。まるで原っぱや森から緑の葉っぱを沢山集めてぎゅーって潰した時のような独特な匂いがしますよ。トマトの葉っぱの匂いには大分特徴がありますので、一回その匂いを覚えたら忘れないでしょう。それなのに、今まで気がつかなかったなんて、なんてこと!とココはびっくりしてしまいました。
今まで鳥の落とし物から生えてきた芽は、どれもココの目を盗むようにそおっと芽を出しました。ごめんなさい、よそから来たけどココに住まわせて下さいとでも言うように。それは大抵鳥が好きな雑草とかで、ココは見つけたらすぐにプチプチ引っこ抜いてしまいます。だって放っておいたらココが植えた野菜やお花より養分を吸って大きくなってしまうんですもの。ようこそ!いらっしゃい!なんて笑顔で迎えたり出来ません。ですがトマト! ココはトマトは好きです。サラダに、トマトソースにしてピザやパスタに使ったりといろんなお料理に使えます。これは得した気分。大事に育てようとココは図鑑と睨めっこしながら、トマトの成長を見守る事にしました。
葉の裏が黒くなっていたら、図鑑を調べて黒くなっている葉だけ切り落しました。ココの腰の高さまで育ったら、添木を立て肥料をあげました。朝晩水をやって、大切に育てていたらある日花が咲き実がなりました。トマトの背丈はしゃがんでいると見上げなければならないくらい。嬉しくて嬉しくて、ココは待ち切れません。早く大きく赤くなったのをもいで食べたいのですが、トマトはなかなか大きくなりません。実も青いままです。
ミニトマトなのかも、それとも青いままの品種なのかな? ココはまだ食べごろじゃないと分かっていましたが、試しに一個もいでみました。洗って包丁で切ってみたら、包丁を入れた途端、風船の中の空気が抜ける時みたいにパンッと潰れて皮だけになってしまいました。中は空洞でした。そして驚くほど軽い。枝になっていた時は、ちゃんとトマトに見えたのに。
「何でだろう」
もう一つもいで同じように切ってみました。やっぱり皮だけです。もう一つ、やっぱり同じ。もう一つ、やっぱり同じ。変です。でも全部切って試してみたら、実がなくなってしまいます。全部を調べる訳には行きません。図鑑で調べてみても分かりません。
「これが普通なのかな?」
困ってしまいましたが、変だからと言って育てるのを止めるのも癪です。折角ここまで大きくなったのに。もしかしたらこの先ちゃんと育つかもしれないのに。だってまだ途中なのかもしれません。これから中身が出来てちゃんとしたトマトになる? そんなわけ無いのに、中身のないトマトなんてあり得ません。中身がないなら種もないんですから、そもそも芽が出て生えてくる訳もないんです。じゃあ病気なんでしょうか、そんなの食べたらお腹を壊してしまいます。まあ、中身がないから食べるところもない訳ですが。
いろいろ考えましたが、ココは諦め切れなくてそのままトマトを育てる事にしました。
鳥は今日もお隣のベランダに来ています。ココのベランダのブルーベリーに実がなったのでネットをかけました。鳥に食べられたらたまらないからです。ブルーベリーを鳥避けのネットで囲んで仕舞えば、ネットに邪魔されて鳥の嘴は実に届きません。鳥は実をつっついて食べる事が出来なくなります。
本当はトマトの分もココは鳥避けネットを用意してありました。ですがトマトはまだ青く小さくて、中身のないままです。ネットをかけるまでもなく、鳥は見向きもしません。ココは毎日一つずつ包丁で切って試しているのですが、相変わらず変化はありません。枝になっているトマトの残りも少なくなって来ました。
「もう諦めた方がいいのかな?」
ココはトマトの前でしゃがみ込んでため息を付きました。もうトマトの背丈は立っているココと同じくらいの大きさなのに、何がいけないのでしょう。その時です、お隣のご夫婦が喋っている声が聞こえました。窓を開けているのでしょう、ベランダにいるココにははっきり会話が聞き取れました。
「あら、あなた。今日は流星群ですって」
「夜かい?」
「ええ深夜」
「遅いな、俺はちょっと起きていられないよ」
「そうね。私も見たいけど、明日も仕事があるし無理だわ」
「若い人は見に行くんだろうね。お隣さんとか」
「そうね、でもベランダから見られるんじゃないかしら」
「それでも俺は無理だよ。だって……」
そこで急に窓がぴしゃんと閉まる音がして、二人の声は聞こえなくなりました。
「流星群……」
そう呟き空を見上げながらココは立ち上がりました。流れ星が落ちるまでに願い事を唱えたら、願いが叶うと聞きますが、流星群はどうなんでしょう。いっぱい落ちるならその分沢山の願い事が叶うのでしょうか。でも、トマトの事なんて願う人はいるでしょうか。トマト農家さんとかならともかく、ココみたいにベランダでそれも自分がお金を出して買ったんじゃなくて、鳥のうんこから育ったトマトの中身がないんで入れて下さい、なんて願いをお星様は聞いてくれるんでしょうか?
何だか馬鹿らしくなって、家の中に入りました。そしてその日は流星群の事なんてすっかり忘れてさっさと寝てしまったのです。
あくる日、ベランダに出ようとすると、トマトに鳥がたかっているのが見えました。3羽ほどですが、つっついて実を食べています。
「こらっ!」
慌てて窓を開けて怒鳴ると、バサバサっと鳥たちは飛び立って行きました。
「やれやれ」
こんな中身のないトマトなんて。今まで見向きもしなかったくせにと、トマトを見るとなんと言う事でしょう! 実が大きく赤くなっています。どう見ても食べ頃です。
鳥の食べ残しを見たら、ちゃんと中身があります。
試しに一つもいで服の裾でよく拭いてからかじりついたら、とても瑞々しく、美味しいトマトです。
「どういうこと?」
一人首を傾げていたら、お隣からまた話し声が聞こえました。
「昨日の流星群すごかったぞ」
「え、あなた見たの? だったら私も起こしてくれれば良かったのに」
「だってトイレに起きた時にちょっと見ただけだから! それも終わりかけだったからさ。すぐ終わったし」
「それでも呼んでくれるのが、夫婦ってもんでしょ!」
あらあら、朝から奥さんはおかんむりです。
「それにしても、いくつかお隣に落ちて行ったように見えたのは不思議だったな……」
「そんなのあなたの見間違いでしょ? 上から花火でも落ちて来たんじゃないの?」
「えっ、ベランダで花火なんて危ないな! 文句ってやらないと」
「やだ、怖い。ちょっとうちに灰が落ちて来てないか調べてよ。鳥さんたちが可哀想でしょう」
「ああ、朝飯食べてからな」
またパシッと窓の閉まる音がして、二人の声は聞こえなくなりました。
「流星群……」
まさかね、と思いながらココは残っているトマトをもぎました。いくつか鳥の分も残したらココが食べる分は三個。
「サラダにでもしようかな」
と朝食のメニューを考えながらココも部屋に戻って行きました。