初めての商談
夕空が夜空へと移り変わる頃、シルヴィアは決意した。
先刻、会話をした通り両親は私の願いを聞き入れてはくれないだろう。
このままでは騎士の道は閉ざされ、自分は恐らく淑女として再教育され、貴族同士のお茶会やら、生誕祭やら晩餐会とやらに死ぬほど参加する事となる。
やがて遠い未来ではあるが、殿方と結婚し健やかな家庭を持つような穏やかで平穏な日々を老婆になるまで過ごしていくのだろう。
(……冗談ではない……)
幼き日より、自身は弱きを助け悪を挫く精神を持つ騎士に憧れたのだ。
断じて夜会で優雅な蝶のフリをして舞う凶暴な蜂にはならないと決めている。
シルヴィアは母親が娘の為に用意してくれていた社交界デビュー用のアクセサリー、指輪、装飾品、貴金属類を詰めれるだけ化粧箱に詰め込む。
更にクローゼットに保管してた社交界用ドレスと兄の部屋に掛けてあった騎士団の軍服を鞄に詰め込み、使用人の目を盗みながら静かに屋敷を抜け出した。
上流階層区の大きな門を抜ければ、そこから先は中流階層区である。
彼女は中流階層区の商業区まで駆け抜けたが、そこで、目的である店を発見すると意を決して扉を開く。
「いらっしゃい! お客さん! ウチはもうすぐ店じまいだぜ! もし見るだけなら早く……」
そこまで言いかけて、振り返り防具店を営んでいるグランツは驚いた。
もうすぐ店を閉めようと思っていた矢先、店に全く馴染みのない、お嬢様と呼称しても過言ではない人物が入って来たからである。
(おいおい……厄介事かよ……)
そう思い、軽く溜息を吐くと面倒そうな表情を隠して、柔和な笑顔を交えて少女に話しかける。
「あー……いや……なんだ、嬢ちゃん、店を間違えるんじゃないか。ここは職人冒険者用の防具の店で、嬢ちゃんみたいな人間が来る店じゃないと思うぜ」
何度か貴族の顧客とも取引を経験している自身から発せられた警鐘が反応している。
更に警鐘だけではなくグランツが厄介事だと推論したのには理由がある。
グランツの見立てでは、目の前にいる少女は、どう見ても上流階層区の、しかも貴族階級でも極めて上級の貴族令嬢である。
何故なら服装もさる事ながら、中流階層区どころか上流階層区でも見た事もない流麗な銀髪と大の大人でも一瞬畏怖してしまいそうな鋭利な銀の刃物の様な瞳を持つ少女だからである。
そして、容貌の効果か威圧感をどことなく感じる少女が護衛や付き添いも付けずに、こんな時間に一人で中流階層区を彷徨ているからである。
誰かに追われてるか、もしくは何かの事件に巻き込まれている類の厄介事の可能性が高いのは明白である。
だが一息ついた少女から発せられた言葉はグランツの推論から大きく外れていた。
「閉店準備の所、申し訳ない。服や装飾品を売りたいのだが大丈夫だろうか?」
(この嬢ちゃんは職人冒険者なのか?)
グランツの驚きと疑問から思わず、顔に出てしまうが、商業区で長年培ってきた商魂を発揮し、すぐに普段の柔和な笑みを浮かべて疑問を口にする。
「ウチは買い取りもやってはいるが、嬢ちゃんは、どんな品を売りたいんだ?」
そう言われた少女は自身の身体に不相応な大きな鞄から、眩い宝石が散りばめられた化粧箱と煌びやかな刺繍が施されたドレスを取り出す。
化粧箱の中身を開けると見事な装飾が施された指輪やイヤリング、髪飾り等がギッシリと詰まっていた。
グランツは驚いたが、自身を落ち着かせて思考すると、少女に冷静に話しかける。
「あー……嬢ちゃん、すげぇもんでは、あるとは思うんだが、ウチは職人冒険者用の防具屋だから宝石や貴金属の類は一応買い取りはするが、査定価格はあまり高くねぇぞ」
「構わない。値段の付くものだけ買い取ってくれれば良い」
一呼吸置くと少女はグランツを伺うように見つめると鞄に手を入れる。
「この服を私に合うように、防具用に仕立てをお願いしたいのだが」
グランツは返事をする前に、更に鞄から取り出された服を見て表情が凍りつく。
その服は、この帝都に暮らしていれば誰でも知っている服である。
その服は帝国騎士団員に与えられ、皇宮城内や帝都城下に帝国騎士が公的な有事を行う際に着用するギルメス帝国騎士団軍服である。
漆黒を基調とする服の両肩には金の装飾を施され腕の袖口と足の裾には古代象形文字が刻まれており、胸にはギルメス帝国の紋章である竜と太陽が刺繍されている。
「嬢ちゃん、まさかとは思うが、この服は盗品だったりしねぇよな?」
表情は迫るように厳格で強面の表情で話していたが、内心グランツは焦っていた。
宝石や貴金属はわかるが、帝国騎士団関係の出所のわからない類のものはマズい。
それも軍服は帝国騎士団員にしか与えられておらず、発注・生産管理や偽造防止も厳重に行っている筈だからだ。
それ故に紛失した団員や盗んだ者には厳罰に処せられる。
「盗品ではないが、私の物でもないのは確かだ。だが、これを仕立てたからといって貴殿は罪に問われる事はない。私の家名にはそれだけの力がある。もし仕立てを断られると、此方も困ってしまう。貴殿が仕立てた事は口外しない事を約束しよう。その代わり貴殿も私が、ここに仕立てに来た事を口外しないと約束してほしい」
やはり自身が予想した通りの厄介事となり、店主は頭を抱える。
少女は丁寧な口調で説明してはいるが、要は出所の不明な軍服を仕立てる事は決定事項で、その代金はドレスや装飾品で払うということだ。
そして、更に厄介なのは、断った場合は家名の力とやらで更に厄介事に発展させるという、ある種の脅しも含まれている。
(はぁ……参ったな……この嬢ちゃん、本当に子供なのか? だとしたら、貴族ってのは、この嬢ちゃんみたいな子供がゴロゴロいんのかよ……)
グランツは頭を切り替えて敵対できない以上は穏便に取引出来るよう思案する。
「わかった、降参だ。嬢ちゃん、商才あるかもしれねぇぞ。約束するよ口外しねぇ。但し仕立ての金額と買い取り金額が釣り合わない場合は断らせて貰うぞ。こっちも商売なんでな。後、買い取りの鑑定と仕立ての見積もりを出してやるから適当に時間を潰しててくれ」
「わかった、貴殿の好意に感謝する。もう辺りも暗くなってきたし、この店の商品を眺めながら過ごさせて貰うよ」
少女は、そう言うと防具が陳列されている棚に興味深そうに目を通している。
グランツは一安心すると真剣な表情になり、本日最後の仕事に取り組んだ。