1話 決意
母は聞こえるか聞こえないかくらいの声量で話を始めた。
「お父さんが…自殺したんよ」
「えっ?」
「いま、警察の人から電話あってな、お母さんどうしたらいいかわからんねん…」
突然のことで理解が追い付かず、言葉がでなかった。
親父は俺が小学生の低学年のときに離婚していた。
記憶は古いが、優しいお父さんの印象だった。
物心ついたときに聞いた話だが、パチンコ中毒で借金が多かったらしい。
お金に困ったら母に連絡が来てお金を借りていく人。ただし返さない。
母を励まそう、なんて考えたが頭が回らない。
「とりあえず、バイト上がらせてもらうわ」
「うん、わかった」
「すぐ帰るから」
会話は少なかったが五分ほどの時間が経過していた。
俺は急いで社員の人に事情を伝え帰宅した。
それから数日間はお葬式などで、なんだかんだとイベントが起きていたが、心ここにあらず。
というか全く覚えていない。
離婚していたとはいえ、肉親の死は想像を絶するショックがあることを実感した。
アルバイトも復帰したが作業は手につかずの日々を送っていた。
それからまた数日経ち、一人暮らしをしていた親父の遺品が届けられた。
空っぽの財布と家族写真が一枚、それにハンドバッグ。
家電家具付きの賃貸に住んでいた親父の遺品はたったそれだけだった。
家族の写真をいつまでも持っていた親父の気持ちを考えると涙が溢れてきた。
それもつかの間、ハンドバッグの中身を確認するとパチンコ玉が三つほど紛れていたのを発見した。
「最後までパチンコばっかりやん…」
小さいころの記憶をまた思い出し、ふけっていた。
そして、ふと将来について考えた。
高校を退学した俺は、就職氷河期の現在において正社員で働くことは難しい。
企業へ面接に行っても退学理由と年齢が十六歳と若いためか、雇ってはくれなかった。
今日はアルバイトが休みで時間がある。
一人でいると気分が落ちてしまう。
気分転換に近所の親友である羽田裕次に会いにいくことにした。
メールを羽田に送信する。
「いまから行くから」
歩いて数秒足らずに住んでいるため、連絡してからすぐ出るとメールを見る前に到着してしまう。
自動販売機でジュースを購入し、羽田家まで歩きだした。
インターホンを鳴らし、羽田を待つ。
フローリングを駆ける足音が微かに聞こえてくる。
色白で綺麗な顔立ちの羽田が玄関の扉を半分ほど開けて答える。
「よ!久々じゃん」
「いや、先週遊んだから久々ではないけど」
「ま、上がってよ。今日親も兄貴もいないし挨拶とかいいよ」
近所に住む羽田は体が弱く、小学校や中学校の時に遠足などの環境が変化する場所でよく嘔吐をしていたそうだ。
それの影響で、学校ではからかわれることが多かったらしい。
ついたあだ名はリバース。
だんだんと学校に行く日数も減り、完全に不登校ではないが休みがちで家にいることが多かった。
俺は義務教育時代は引きこもりで基本的にゲームに励んでいた。
学校生活が原因で不登校になったのではなく、母が朝から晩まで仕事でいないことが多かったので低学年の時に学校に行くのが面倒になってしまった。
ネット環境があったため、勉強はネットを使って学んでいた。
テストの間際になると先生がしつこく連絡してくるので、仕方なく勉強をしていたのだ。
その甲斐あってか、内申点はボロボロなのに公立高校へ行くことができた。辞めたけど。
中学時代のころ、テストの時に登校していた俺は、羽田と帰り道が一緒になった。
そこで学校に行かないもの同士と気づいた。
学校を休んだ日は、羽田の体調が優れたら一緒に遊んでいたのだった。
「羽田さ、夜の高校通ってるじゃん?どんな感じ?」
羽田は今年から定時制高校に通っている。
「何?ともさん興味あんの?」
羽田は俺のことを友則の名前を短縮して"ともさん"と呼ぶ。
「実はさ、親父が死んじゃったんだけど、将来についてちょっと考えちゃって」
「まじ?ショックでかめなやつじゃん」
「俺って正社員面接いっても何回も落ちてて、結局学校辞めた影響で面接のときに辞めた理由とか聞かれるから不利になってるのかなって思っちゃって」
「そうなんだ、ともさん結構苦労してるんだね」
「まぁそんな感じ」
「学校はヤンキー多いけど、楽しいよ」
「ヤダ、ヤンキーコワイ」
「逆にまともそうな社会人もいるし、留年して年上の人も多いって感じかな」
「あーじゃあ、俺が入学しても同世代多いかもってことね」
「そそ、ともさんも入学したら?」
結構軽いノリで入学を進めてきた羽田。
公立に通っている時は学費とか教材費とか高くて、母が頭を抱えていたのを思いだした。
「入学って結構簡単に言うけど、金とか結構かかるんじゃないの?」
「いや、そんなにかからないよ」
"そんなに"とはどのくらいなのか。
具体的な金額を羽田に聞いても仕方ないかと考えた。
「俺学校一回辞めちゃってるし、おかんに頼むのも申訳ないんだよな」
「バイト代で払えると思うよ。確か全部で二万(円)しないくらいだった気がする。ちょっと待ってて」
そういって羽田は押し入れの書類ケースのような棚をあさり始めた。
羽田は、数秒で目的のものを見つけた様子で話し始める。
「これこれ、見てみ」
色付きの安そうな印刷用紙を渡してきた。
入学要項、入学金案内、教材代明細が記載された用紙だった。
軽いノリで入学を進めてきたことに納得する内容だった。
「安くね?一万ちょいじゃん」
「びっくりだろ、定時制の学校は安いんだよ」
「これなら今すぐにでも払えるし、ちょっと考えてみる」
「ま、俺先輩だからなんでも聞いてよ」
その後、普段通りゲームをして楽しんだ俺は暗くなる前に帰宅した。
兄貴が晩飯を作っている。母親もう時期帰ってくるだろう。
羽田の家で入学金を確認した時からもう決めていた。
夜の学校に入学すると。
「兄貴、俺さ」
「何?思いつめた顔して」
「もう一回、高校生になろうと思うんやけど」
兄貴は料理の手を止めて、こちらを振り返った。
「自分が決めたことなんやし、いいんちゃう?応援するよ」
「ありがとう、おかん帰ったら話してみる」
そういってしばらく他愛もない会話が続き、母親が帰ってきた。
帰宅早々に母親に打ち明けた途端、また母親は泣き始めた。
俺が考えていたよりも高校退学後の将来に不安を持っていたのだろう。
親心を感じた瞬間だった。
そういえば、自分で何かを決断したことってなかったと思う。
肉親の死をきっかけに自分が変わり始めた。そんな気がした。