第十一章 鬼柴田 1
お読みくださる皆様に感謝です!
さて、今回はいよいよ「豪華すぎる女性陣」全員が登場します。
野球部長で才色兼備ながら何というか、奇天烈な小川先生。
天然おっとり吉永二世の小島先生。
少年たちは、極楽合宿を夢見ていましたが、「鬼柴田」の登場により、地獄の合宿へ。
11章も長いので、2回にわけて掲載します。
では、お楽しみください!
第一章 桜の花のあと
第二章 絶対王者
第三章 グランドスラム
第四章 阿部先輩
第五章 三日月の夜
第六章 死闘ふたたび
第七章 奇跡の硬球ふたたび
第八章 クロスファイアー
第九章 酔いどれ記者
第十章 夏の日々
第十一章 鬼柴田 (今回はここの一部です)
第十二章 全面戦争
第十三章 池のほとりで
第十四章 決勝へ
第十五章 決 勝
第十六章 まだまだ
第十一章 鬼柴田
新田は老舗料亭のお坊ちゃんだ。
市内に伝統と格式を誇る料亭があり、県内の海と山に一つずつのホテルを経営している。
父親は県内の経済人や文化人とも交遊のある名士だ。
新田本人は本来、泉川中ではなく中島中に行き、家業の見習いや勉強に力を入れ、4人姉弟唯一の男子として後継者の道を歩むはずだった。しかし、どうしても僕らと一緒に野球がしたくて泉川に入ったため、父親とは対立したような状態だったらしい。「だった」というのは、泉川中の快進撃に父親の態度が軟化してきたのだ。泉川中は父親の母校であり、それに僕ら旧東原のメンバーを小学4年の頃から面倒見てきたから、一人一人の顔がわかることもあって悪い気はしなかった。新田は野球部の活躍を伝える校内新聞をこまめに父親に見せ、その機嫌を和らげようとしていた。それに成績も四十八位に入っているし、見習いも手抜きせずまじめに勤めている。だから「海のホテルで合宿したい」と言った時、父親は無碍には断らなかった。しばらく考えさせてくれと言うことだった。そして決勝大会が始まる頃、学校側から合宿の可否について問い合わせがあった時「可」の返答だけでなく、ホテルも提供する、責任も私が全て負うから子供たちの希望を叶えてくれと学校に要請した。
「何だかんだ言っても、結局お父さんはおまえがかわいいんだねぇ」
そう母親に言われながら、新田は事のいきさつを聞かされた。新田の父親は、そういう面倒見の良い人情家の面もあったが、県大会で優勝できるような一流の人間とのつきあいや経験は、新田の将来にプラスになるから多少の経費は許容範囲だと冷静に判断した。学校としても、地元の名士である新田(父)の言葉は無視できず、ホテルの提供など条件も良く、運動部の合宿は前例もあるし、今回はいささか急な決定であることを除けば特に問題はないだろうと合宿実施許可の決裁がおりた。これも結局、阿部先輩の新聞のおかげなのだが、野球部快進撃の裏にある部員たちの努力を知った校長先生が何とか報いてやりたいと考えたことも大きい。「野球部だけ特別扱いするのはいかがなものか」と、一部の先生は反対したが、「苦難の道を乗り越えて事をなそうと奮闘する生徒たちを評価し、愛情を注ぐことも教育である」と声を大にして主張した。昔気質な校長先生であったし、そういう気風の残る時代でもあった。他の大勢の先生たちに異存はなく、手分けして計画を立案し、市への説明など、一所懸命対応してくれた。もちろん、新田の父親が裏から手をまわしてくれていたから、急な届出も特に問題にはならなかったようだ。
僕らが決勝大会を戦っている時、大人の世界ではそんなことがあったんだ。
そして、決勝翌日。
僕らは合宿説明会と優勝報告のため登校した。僕らは先ず優勝報告のため全員メダルをかけて校長室に行った。六家先生に付き添われ入室すると、そこには校長先生を中心に教頭先生、数名の先生に、PTA関係らしい人たち、そして見慣れない若い女の人がいた(ヨッパライは二日酔いとかで来ていない)。教頭に促され、キャプテンが一歩前に進み、緊張のあまりぎこちない報告を始めると、校長先生はニコニコして聞いていた。小柄で筋肉質。そろそろ定年じゃないかと言われていた。やがて報告が終わると校長先生が話しはじめた。
「みなさん。優勝おめでとうございます。そして、ごくろうさまでした。みなさんの努力精進は日頃から聞き及ぶところでした。これからもチームの和を大切に、頑張ってください」
「一同、礼」
教頭のかけ声とともに僕らはお辞儀をした。すると校長先生は僕らに歩み寄り、一人一人に握手を求め、言葉をかけていった。かたちだけの報告会だろうと思っていたが、校長の思いのこもった握手に、僕の心はわずかながら熱くなった。
さて、続いて合宿説明会だ。みんなこっちの方が楽しみだった。僕らは、その日練習のなかった軽音部の部室に集められた。野球部室は手狭な上に、ろくに机がないからだ。思いつきのような合宿話が決まり、僕らは嬉しかった。「ごほうび、ごほうび」そう言って上田がはしゃいでいたし、言い出しっぺの吉永も笑っていた。今年も枕投げに、場合によっては誰かをフルチンの刑にしてやろうなんて話も出ていた。やがて、ガリ版刷りの印刷物を抱えて六家先生が入ってきたかと思うと、その後ろから、さっきの見慣れない女の人がついてきた。二人は印刷物を配り始め、行き渡ったことを確認して六家先生が言った。
「あー、それでは説明会を始める」
やまちゃんが手を上げて口をはさんだ。
「先生、横の女の人は誰ですか」
六家先生は横を見た。その女の人はうなづいた。
「ああ。そうか1年は初めてだったな。本来の野球部長で小川先生だ」
そう言えば、そんな話だったなと思い出した。でも事情を知らないメンバーはどよめいた。
「せっかくだから、先生一言どうぞ」
六家先生のすすめで、小川先生は挨拶を始めた。
「産休から戻ってきた小川です。休んでいる間に野球部もずいぶん変わったようね。でも優勝はともかく、合宿なんて手間をかけさせないでちょうだい。ただでさえ忙しいし、うちには生まれたばかりの赤ちゃんもいるので。わかった?」
僕らは目を白黒させた。これはまた、何と奇天烈な挨拶だろう・・・僕らが言葉を失っていると、六家先生が慌てて言葉をつないだ。
「ま、あれだ。小川先生には小さなお子さんがいらっしゃるから、当面は私も今まで通りみんなの面倒を見るし、合宿も私が引率する。先生の復帰は正式には9月からになるだろう。まあ、みんな仲良くやろう」
仲良くって言われても、こんな言い方はないだろう。小川先生はメガネをかけたきれいな人だ。才色兼備。傍から見るとそんな言葉がよく似合う。それがこんな毒を吐くなんて。みんな何も言わなかったが、不満と不安の空気が渦巻いていた。キャプテンに至っては顔を伏せて笑いを押し殺している。ひょっとして、小川先生はいつもこんな調子なのか?
さて、合宿について。問題は、あった。でもそれは、いざとなったらヨッパライのように無視すれば済む小川先生の事ではなく、白石と氷山先輩だった。
「俺、合宿とかに興味ないから行かないよ。でもお前らは楽しんでこいよ」
氷山先輩はそう言って説明会をパスしているし、白石は合宿費五千円という書類を見てちょっと考え込んでしまっている。当時の五千円は、それなりに大金だ。ホテルは提供されると言っても、参加費無料と言う訳にはいかないのが大人の世界のようだ。はしゃぐ仲間たちの側で浮かぬ顔をしている様子を見て、僕には察しがついた。小学校の頃はもっと高かったが、恒例行事だったから工面できた。でも、こんな急な出費はどうなのか。白石の親父さんは癌で亡くなった。その時の治療費は未だに借金として残っている。だから白石は小学校時代から新聞や牛乳配達をして、自分で野球部費を払い、小遣いもその中から出している。幼馴染の僕には痛いほど白石の気持ちがわかった。
「白石、俺、小遣いあるから、心配するなよ。一緒に行こうな」
白石は真っ赤になって言い返した。
「はぁ?何言ってんだ?これくらい何とでもなるし、第一、同情なんてするなって何度言えば分かるんだ、お前」
人がせっかく心配しているのに。そう思わないでもなかったが、僕は白石がそういう性格だということも知っている。それに実は五千円なんて貯金は僕にもなかった。
さて、どうするか。
説明会が終わり、三々五々解散した。
僕は白石の件ではるちゃんに相談しようと思って、その後を追い、呼び止めた。側には、長尾と上田がいた。僕が訳を話すと、みんな、まちまちな反応だった。上田は「そりゃ、好きにさせればいいんじゃない?関係ないでしょ」と言うし、長尾は「要はお金か。何とかならないかな。みんなでカンパするとか」。はるちゃんは「何とかしたいのはやまやまだけど、お金のことだけ?配達のバイトだって休めないかもしれないし、妹さんだってほっておけないだろうし」と、さすがに一番事情が分かっているからもっともらしいことを言っていた。確かに、白石がいないと、なおちゃんの面倒を見る人がいない。白石の母親は工場で働いているから、急に言って休みをもらうなんて難しいだろう。
「まぁ、でもお金だけでもクリアできればって思うけどな。ちょっとずつでもカンパしようぜ」
長尾はそう言った。でもみんなでカンパしたなんて白石はプライドにかけて受けとらないだろう。何かうまい手はないかなあ。
「じゃあ、こういうのはどうだ?合宿費は後日徴収になったとかなんとか言ってさ、とにかくあいつを参加させるんだ。参加が決まればバイトも妹さんも何とかするだろうから」
長尾はそう言って、自分の策がまんざらでもないことに満足しているようだった。
「それって、俺たちがカンパして先に払っておくってこと?一体何人が賛同してくれるんだよ。10人いたって一人五百円だぜ」
当時の中学生には、五百円も大金だった。
「カンパが難しいなら、俺たちで稼ぐか?今時、その辺のカブトムシだってデパートで売れるっていうぜ?」
長尾は、根は親切なヤツだってことがわかった。熱心に考えてくれていた。急に上田が大声をあげた。
「あ、バイトはどうだ?兄貴が今やっている日雇いのような工場清掃のバイトがあるんだ」
「どんなの?」
「バイク工場さ。塗装工程の機械内部のはつり作業で、きついらしいけどいい金になる。1日で四千円くらいって」
「それなら、俺たちにもいい小遣いになるな」
「でも、それって中学生でもいいの?」
「バレやしないって。高校生って言えばいいんだよ。俺らガタイはいいから」
そう言って上田が笑った時。
「って、ゆうかバレてるんですけど。とっくに」
僕らはその聞き覚えのある声の方に振り返ると、白石が立っていた。
「お前ら、同情なんてするなよ。谷山から何って言われたか知らないけれど、これは俺の問題なんだ。俺が何とかする」
僕はちょっと気まずかった。上田にいたっては、ムッとしたようだ。それから白石は、ちょっとうつむいて言った。
「でもな。ありがとな。お前ら」
これは、後に仲間内で「バイト未遂事件」と呼ばれた。白石にバレたなんて何とも気恥ずかしい話だが、少なくとも僕らはチームメイトのために何かしたいと思った結果だ。出会って4ヶ月にもならない僕ら(はるちゃんを除く)に仲間意識が生まれていたんだ。
それから、氷山先輩は本当に参加せず、白石は何とか参加できた。結論から言うと、案ずるより産むは易しというか、自分の貯金をはたいて足りない分は母親が何とかしてくれたらしい。とんだ取り越し苦労だったが、まあ、いいや。
さて、合宿だ。
当日、僕らが校庭に集合すると、既に貸し切りバスが来ていた。
六家先生は運転手と雑談のような打合せをしていて、その他に二人の先生がいた。一人はこの4月に入職した社会の小島先生。小柄な女性だ。もう一人は、(これが驚きだったのだが)校内で最も危ないと噂される体育教師だった。角刈りに無精ひげ、さらにグラサン。青い上下のジャージがトレードマークだ。僕は事情通と思われる上田を引っ張って、離れたところでこっそりと事情を聞いた。
「ああ。ヨッパライに頼まれたってよ」
上田も眉をひそめてそう言った。
「ヨッパライに?」
「ああ。何でも契約にないからって、ヨッパライは来ないそうだ」
「ヨッパライも“あれ”もいらないのに」
「確かにそうだよな。でも六家先生は運動部の指導ができないし、俺らが悪さしないように威嚇する 役目もあるんじゃないか?」
「威嚇って」
「まぁ、いいじゃないか。どうせ修学旅行だって、あんな体育教師軍団のうち誰か一人は来るんだし、野球は素人に決まっている。何も口出しできないさ」
やがて全員揃った頃に六家先生が「集合」と言い、僕らは適当に集まった。
「あー、みんな、希望がかなってよかったな。今日から2泊3日で合宿だ。ついては体育の柴田先生と、社会の小島先生にも引率と指導のため参加してもらうことになった。お二人に一同、礼」
僕らは軽くお辞儀をした。
「あー、それでは、先ず柴田先生、一言お願いします」
柴田先生は一歩前に出て、そして、とても印象深い事を言い放った。
「ばかもん!お前らはまるでだめだ!」
僕らは驚いて先生を見つめた。
「1回くらい県大会で優勝したからって、調子にのってんじゃねぇぞ、コラぁ!わかってんのか!」
六家先生も目を丸くしている。柴田先生は竹刀(いつ、どっから出したんだ?)に手をかざし仁王立ちしながら僕らを睥睨した。
「お前ら、一流になるために大切なことは何だ?あ?誰か答えろ!」
僕らはまごついていたが、キャプテンが背筋を伸ばし大声で答えた。
「努力と根性です!」
すると、柴田先生はキャプテンのところにすっとんで行って、おしりを竹刀で叩いた。当時は体罰なんて普通のことだった。
「だからばかやろうって言うんだ。いいか、良く聞け!」
柴田先生はみんなの前に戻って言った。
「大切なのはなぁ!挨拶と、整理整頓だ!」
僕らはズッコケた。何じゃ、そりゃ。やっぱりこの学校はダメだ。奇天烈な先生ばっかりだ。
「いいか、挨拶も整理整頓もできずにダラダラと暮らしていて、一流にはなれんぞ!今朝から様子を見ていたが、俺に挨拶したのは、そこの童顔!お前だけだ」
先生は新田を指していた。
「本当の一流は、何でもキビキビ、テキパキしている者の事だ。自分に負けて、ダラダラしていて、それでいいと思っているのか!あ?」
お、確かに正論のような気もするが、先生のジャージはダラダラしていますと橋本ならツッコミそうだ。
「要は、自分に負けないことだ。自分の敵は自分なんだと肝に銘じろ!これから3日間、俺が徹底的に鍛えてやるから、覚悟しておけ!いいな!」
みんなあきれて黙っていた。
「返事は!」
「はい」
「小さい!」
「はい!」
「よぉーし!」
ようやく終わったというような顔をした六家先生が、続いて小島先生に一言を促した。
「あの、私はこの春から先生になったばかりなので、何事も経験だからと校長先生のご指示で参加することになりました。でも高校時代は野球部のマネージャーをやっていましたので、お役に立てるかも知れません。どうぞよろしく」
若い女の先生に鼻を伸ばしていた雑魚キャラ先輩たちが拍手した。何か、ほのぼの系だな、この先生は。吉永といい勝負だ。そんなこんなで、余計なお荷物(柴田先生)まで抱えて、僕らの合宿は始まった。
バスで3時間くらいの海沿いに、そのホテルはあった。5階建てで、おしゃれな洋式の建物だ。付属施設としてテニスコートやプールはあったが、野球場はないから、近くの町営グランドを借りることになっていた。それにしても新田は本当にお坊ちゃんなんだな。
六家先生が受け付けをしている間、僕らはロビーにたむろして雑談していたが、もう一つ、驚きがあった。何と、阿部先輩と田原も来ていた。阿部先輩はめざとく僕を見つけて近寄ってきた。
「谷山君、驚いたでしょ?」
「何やってんですか、こんなところで」
「あら、家族旅行よ。夏休みだし」
「田原は?」
「私がさそったの」
僕はうんざりした表情で言った。
「家族旅行に、ですねぇ」
先輩はウィンクし、軽やかに笑いながらとんでもない事を言った。
「うふっ。というわけなのよ。この子に、取材対象者の身ぐるみはがして真っ裸にするコツを教えておこうと思って」
まったくもう。こんな奇天烈な人たちに囲まれて、それでも平然としている自分をほめてやりたくなった。
「まぁ、そうゆう訳だから、くれぐれもまな板の上で。よろしく!」
へいへい。もう好きにしてください。やがて、手続きを終えた六家先生が指示した。
「部屋割りは書類に書いていたからわかるな。それぞれ部屋に荷物を下ろして、三十分後、練習着でここに集合!」
先生の言う通り、みんな着替えて集合したところ、六家先生はグランドには行かず、柴田先生と小島先生が引率するとの事だった。何でも六家先生は秋の文化祭に備えて軽音部のための曲作りをするらしい。そうなんだ。ここまできて。思えば、この学校の奇天烈第一号は六家先生だった。
さて、バトンを引き継いだ柴田先生は、ニヤリと笑った。
「よし!グランドまで、駆け足!」
そう言って真っ先に駆け出して行ったが、ばからしいので誰もついて行かなかった。特に雑魚キャラ先輩たちが、吉永と小島先生を囲み、談笑しながら歩いて行った。ゆるゆるとロビーを出て正面玄関の車寄せにさしかかった時。大上段に竹刀を構えた柴田先生が恐ろしい形相で、こっちに向かって走って来た。
「わぁっ」
僕らは声にならない悲鳴とともに、蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げた。逃げ遅れた何人かが、その竹刀の餌食となった。
「ばかやろぉ!」
柴田先生が吼えた。
「これは遊びじゃねぇんだ。走れと言ったら走れッ!」
鬼気迫る形相にビビッた僕は必死になって走って逃げた。って、どっち?やがて反対方向に走った僕は、ようやくグランドの場所が分かった。グランドに入ると、柴田先生が仁王立ちしている様子が見えたので、僕はダッシュしてみんなに合流した。てっきり先生の竹刀がうなるものとを覚悟していたが、先生は「よし!」と言っただけだった。そして人数を確認して言った。
「全員揃ったな。ここに来る時、俺からダメと言われたヤツは手を上げろ」
雑魚キャラ先輩たちを中心とする約半数が手を上げた。
「お前らは、不合格。走り方が悪い。筋力の躍動を感じない。ただバタバタと走っていた。よほど日頃の鍛錬ができていないからだ。お前ら今日は走れ。その先の砂浜で百mダッシュ二十本!ヘタレたらプラス十本。時々俺がチェックに行くからな。手ェ抜くなよ」
先輩たちは泣きそうな顔をしていた。見ると、レギュラー組は誰一人おらず、吉岡、白石、上田はこっち側にいて、新田が砂浜組にいた。きれいに普段の実力通りに分かれていた。これは偶然なのか?。
「先生。お言葉ですが、先生は野球をご存じですか?今回は監督もいないので練習内容は俺が決めます」
キャプテンは、そう言い終わらないうちに竹刀で叩かれた。
「生意気言うんじゃねぇ」
「しかし」
「俺が素人だって?ハッ!じゃあ、誰か勝負してみるか?あ?」
みんなの視線は僕に集まった。勘弁してくれよ。
「おお。0点男がいたな」
いや、勘弁してください。
「0点男、お前投げろ」
まったく、なんでそうなるの。もう。
「0点男の球を打ったら文句ないだろう」
そんなこんなで、僕は角刈りグラサンの柴田先生と勝負する羽目になった。やがて僕のウォームアップが終わり、先生は打席に立った。
「いいか、一番の球を投げろ」
もう知らん。どうにでもなれ。
僕はそう思いつつ、クロスを決めた。
「ほう。なるほどな。今のをもう1球頼む」
好きにしてくれと思いつつ、僕がクロスを投げると、
「ふん。こんなものか」
先生はそう言いつつ軽々と弾き返した。外野オーバーだ。みんなからどよめきが起こった。僕は打球のゆくえを眺めながらあっけにとられた。あんな簡単に打たれるなんて。
「じゃあ、次はカーブを投げろ」
柴田先生がそう言うので、僕は速いカーブを投げた。それも先生は簡単に外野オーバーだ。
「おとなをなめんじゃねぇ!」
先生が唐突に吼え、みんなは沈黙した。
「俺はお前らの倍以上生きている。知識も経験もはるかに上だ!それが何だ!あいさつはしねぇし、言うこともきかねぇ!大体、一回くらい中坊の世界で大将になったからって、うぬぼれんじゃねぇぞコラぁ!お前らは、もっと上を目指すんじゃねぇのか!あ?」
その言葉は、僕の胸に響いた。この先生は、言葉は汚いが正論を言っている。
「おい0点男」
「はい」
僕は、ヨッパライには「はい」なんてめったに言わないが、この先生には何故か素直に「はい」と言えた。
「お前は、本来右投げらしいな」
「はい」
「今も投げられるのか?」
「はい」
「別に故障じゃないんだな?」
「はい」
「じゃあ、また投げてみろ。右で」
「はぁ?」
「はぁ?じゃねぇ。はい、だ!さっさと準備しろ」
僕は言われるまま右でウォームアップを始めた。その様子を柴田先生は腕組みして見つめていた。やがて三十球くらいで、準備できた。
「先生、お願いします」
「おう。やっと礼儀を心得たようだな」
そう言いながら先生は打席に入り、「一番の球を頼む」と、さっきと同じ事を言った。ようし、じゃあ、超豪速球だ。今度は、そう簡単にはやられないぞ。僕は大きく振りかぶった。左足を蹴り出し、全身の力いっぱいで投げた。球は空気を切り裂き、パーンとはるちゃんのミットに収まった。
「ほう」
今度は、その一言だけだった。先生は一度打席を外し、軽くスウィングした。
「よし、今のをもう一度」
ふん、右なら、そう簡単にはいかないぞ。僕はそう思いながら、超豪速球を放った。パーンと、ミットが快音を発し、先生は大きな空振りをしていた。よし!僕は、どんなもんだと思い、みんなからはどよめきが起こった。先生は、長々と天を仰いでいた。
「やるな」
先生はそう言い、僕に向かってニカッと笑った。
「白石はいるか?」
先生の次の言葉は、そんな意外な言葉だったんだ。
「はい!」
白石が先生のところに駆けて来ると、先生はグラサンの奥の目頭を押さえていた。白石は、先生の表情をのぞき込んでいた。やがて、先生は大きな深呼吸をした。そして、白石の双肩に手をかけ、僕の心に一生残る言葉を吐いた。
「俺は昔、お前の親父と戦ったんだッ」
僕にも白石にも思いもしない言葉だった。
「あの夏、お前の親父は俺たちの前に立ちはだかった。どうしても越えられない大きな壁だった。すごい投手だったぞ。お前の親父は」
白石は、その顔を紅潮させた。
「今の谷山に、お前の親父が重なって見えた。確かに新聞部の記事の通りだ。そうか。夢は本当に受け継がれていたんだな」
僕と白石と親父さんの物語は、阿部先輩の記事でみんな知っている。先生は、またひとつ深呼吸をし、そして叫んだ。
「白石、谷山、そしてお前ら。夢はつかむためにあると思え!突っ走れ!わかったな!」
それから、誰も先生に逆らわなくなった。
先生の言う通り、砂浜組はダッシュし、グランド組はキャプテンの指導でいつものように練習した。僕と吉岡には先生がついた。
「谷山、お前の左もそんなに悪くはない。しかし何故打たれたのか、分かるか?」
僕は答えが見つからなくて黙り込んだ。
「球種が分かっていれば、誰だって打てるんだ。そういうことだ」
あ!確かにそういう流れだった。ずるいな、先生。さすがに年の功?
「だから球種がばれない投げ方を工夫しろ。つまりは球の握りがばれないようにするんだ。テイクバックの頂点を体の後ろに隠し、一気に素早く振り抜け」
なるほど。やってみないと分からないが、何とかできそうな気がした。でも、もっとずるい作戦だな。そりゃ。
「吉岡、さっき俺は谷山の右に空振りした。何故だか分かるか?」
「速いからじゃないですか」
「そうだ。しかしな、ただ速いだけなら、いつか打たれる。谷山の球の特長が分かるか?」
「キレ?ですか?」
「そうだ。お前は頭がいいな。じゃあ、キレって何だ?」
吉岡はしばらく考え、答えを見つけた。
「先生、あれですか、ションベンボールの逆と言うか」
「そうだ。普通のように山なりにならないんだ。そして初速と終速の速さも変わらない」
すげぇな。グラサン先生。たった2球で僕の球の全てが分かったのか。
「しかしな、これは谷山の鍛えられた体と素早い腕の振り、そして強烈なバックスピンを生み出すリストの強さがなきゃできないことだ。特にリリース瞬間のリストの強さと人並みはずれた下半身のバネは恐ろしいくらいだ。今すぐお前のモノにはならない。でも、ヒントはある。わかるか?」
「球の出所を隠すってヤツですか?」
「まあ、それはお前の場合、ゆっくりやればいい。それよりも、肘だ」
「ひじ?ですか?」
「そうだ。肘だ。お前の場合、谷山よりはるかに下がっている。テイクバックの時、特に意識して肘を高くかかげるんだ。分かったな」
「こんな感じですか?」
吉岡はテイクバックの格好をして見せた。
「いや、もう少し高く」
「こうですか?」
「よし、それくらいだ。それから、体の軸線からあまりずれないようにな」
「はい」
「よし、二人とも今言われたことを意識してシャドウをやれ」
「はい!」
僕は嬉しくなった。思いつきのような合宿だったから、こんなに具体的に教えてもらえるなんて思ってもみなかった。何かお得なおまけをもらった気分だ。しばらく僕らに付き添っていた先生は、やがて横川先輩と交代し、今度は野手の練習を見に行った。野手の様子を見ていた先生は、ノックをしていたキャプテンに言った。
「田所、俺と替われ」
「はい!お願いします!」
「よし、お前も分かってきたようだな」
キャプテンは珍しく照れていた。
「山村!お前が一番穴だぞ!根性いれろ!」
やまちゃんは、そう名指しされてムッとしていた。
「どこがですか!」と言い返していた。
「わからねぇのか!ばかもんが!」
「わかりません!」
「力みすぎなんだ!いいかもっと柔らかくだ!確かにサードには強い球が行く。お前まで強かったら、反作用するじゃねぇか!ばかやろう。柔らかくつかめ。ひとりよがりで強引に行くんじゃなくて、もっともっと球の呼吸を見極め、タイミングを合わせろ。捕球の瞬間は、もっと気を使ってグラブをひけ!いくぞオラぁ!」
先生は、大きく弾むゴロを打った。やまちゃんはリズムを合わせ、捕球し、送球した。
「よし、それだ!リズムが大切だ!もういっちょう!」
手早く何十球も同じゴロだった。やまちゃんがそのリズムに慣れてきた時、先生は強いゴロに切り替えた。それでも、ゴロのリズムに合わせ、捕球できた。
「ばかもん!今度は腰が高い。トンネルする気か。もっと落とせ!」
「十分落としているじゃないですか!」
「まだまだだ!俺が良しと言うまで、ちょっとそこで落として見ろ」
やまちゃんは言われるまま腰を落とした。
「こうですか!」
「まだだ!」
「こうですか!」
「ちがう!お前、自分の身長が伸びていることを忘れるな。お前らは成長期なんだ。いつも以上に思い切って落とせ!」
やまちゃんは思い切ってどすんと腰を落とした。
「こうですか!」
「よし、それだ。それを忘れるな!じゃあ、強いゴロいくぞ!」
思えばこのチームには、僕らをより高いレベルから指導できる先輩も監督もいなかった。柴田先生のしごきは、僕ら旧東原メンバーにとって鬼監督以来の具体的かつ適切な指導だった。
そうこうしているうちに12時を越え、昼休みとなった。ホテルには豪華な昼食が準備されているという。久しぶりに張り切って練習した僕らは、その充実感から心も軽くホテルに向かった。食堂の一角に僕らのスペースがあり、すでに人数分が準備されていた。みんな思い思いの席に座り、僕も適当な席に座った。すると吉永がやってきて、ちょっともじもじしながら言った。
「谷山くん、隣いい?」
「ああ」
「これくらい、いいよね」
そんな意味不明の事を言って、ちょっとはにかみながら僕の隣に座った。何人かの先輩が色めき立ったが、すっと白石がやってきて吉永の隣に座った。すると先輩たちは吉永の向かいの席に回り込もうとしたが、そこには、柴田先生がどかっと腰を下ろした。先輩たちは辺りを見回し、次のターゲット小島先生を捜したが、既にキャプテンとやまちゃんに押さえられていた。仕方なく横川先輩を捜すと、そこには普段から先輩を「アネゴ」と崇める、まっちゃんと新田が陣取っていた。結局右往左往したあげく、その先輩たちは六家先生の周りにおとなしく座った。う~ン。面白すぎる先輩たちだ。
六家先生が言った。
「あ~、みんな到着早々、そうとう鍛えられたようだな。ごくろうさん。ではお昼にしよう。田所、いただきますの音頭をとれ」
「はい」
そう言ってキャプテンは立ち上がり、音頭をとった。
「それでは。いただきます!」
みんなも声を張り上げた。
「いただきます!」
気合いの入った練習のおかげなのだろう。みんな程よい興奮状態のようで、ちょうど小学生のように大声を出した。今日のお昼はカツ丼だ。お吸い物もついているし、当時の僕らにはそれなりにご馳走だった。食べながら柴田先生が話しかけてきた。
「谷山、お前白石の親父から何を教わったんだ?」
僕と白石は吉永を挟んで顔を見合わせた。
「いえ、特に習ったことはないです」
「それで、あんなそっくりなフォームなのか?それはないだろう」
「いえ。本当です」
白石もそう言った。
「ふむ」
「僕らが小さい頃から、よくピッチャーをやってくれて、僕と白石は夢中で打って、親父さんがニコニコしていたのは憶えていますけど」
「あ、でも先生。新聞記事にもありましたが、親父は時々本気で投げるところを見せてくれました」
「ふ~ん、それであんなに似るものなのか」
「そんなに似ていますか?」
「ああ。記憶ではな。あの足腰のバネ、鋭い振り。そっくりだ」
確かに、あの不思議な硬球を使って、なんとかモノにしようと四苦八苦している時も、いつも親父さんのイメージはあった。
「まあ、いい。お前の球のすごさも分かったし、県大会で優勝できたのも納得できた。氷山だっているしな。それに監督がお前に左投げを命じた意味も分かった」
はぁ?分かったのなら教えてください。
「聞いていないのか?」
「はい」
先生はちょっと考えて言った。
「う~ん。まあいいか。教えよう。心して聞け。右のままだと、お前はつぶれるんだ」
「へ?」
「1年か、2年か、それとも5年後か。あんな調子で右投げを続けると、間違いなくお前の肩は壊れるだろう」
それは僕にとって途方もなく恐ろしい未来だ。
「肩や肘の故障は珍しいことじゃない」
実は僕の父さんも同じようなことを言っていた。いつも「やり過ぎはいかん。3日に1日は休め」と言っている。
「もうひとつ教えてやろう。あの監督はな、白石の親父を指導した監督だ」
衝撃が走った。僕にも、白石にも。
「だから監督は、罪の意識を感じているんだ。今も。白石の親父に頼り過ぎた事をな」
そうだったんだ。いや、でもどうして?僕は壊れないかもしれないじゃないか。
「まぁ、そういうことだ」
柴田先生はそう言うが、僕には納得できなかった。
午後から、さっそく練習かと思ったら、ちょっとだけお昼休みにするそうだ。
「各自、部屋で休め!三十分後にまたロビーに集合!」
六家先生はそう指示してさっさと自分の部屋へ引き上げた。
午後から、というより午後も同じような練習だった。砂浜組は走ってばかりいて、グランド組は柴田先生の雄叫びとともに、ノックの嵐を受けていた。
「田所ぉー!、お前が最大の穴だぁ!覚悟せいやぁ!」
そんな声も聞こえてきた。
ひとつ違うことは、砂浜組だった佐伯先輩と本田先輩がグランドに呼ばれ、僕と吉岡の捕手をつとめてくれたことだった。横川先輩は、さっき先生に習った事を僕らに指導していた。
そんなこんなで日が暮れて、僕らの合宿初日が終わった(と思っていた)。小学校の時の遠足のような合宿を期待していた僕らにはまるで天罰のような過酷な練習だった。でも、そんな練習をやり遂げ、不思議と充実感があったのも確かだ。グランドは、夕日に照らされ、さわやかな風が吹いていた。くたくただけどすがすがしい気持ちの僕らは、柴田先生の合図に、終了のミーティングだと思って全員集合した。
「よし、みんなごくろう。合宿は3日しかないからな。まあ初日からとばした訳だ。よし。今日はもう終わる」
やれやれ。僕はそう思ったが、柴田先生は、そんなに甘くはなかった。
「これから、腕立て、腹筋、スクワッド、それぞれ五十回。しめにグランド十周!終わった者からあがれ」
え~、という悲鳴が上がった。
「何がえ~、だコラァ!遊びにきてんじゃねぇぞ。俺は先にあがるが、終わった者は小島先生に報告してあがれ。マネージャー二人はもう、あがってよし」
横川先輩は言い返した。
「いえ。先生、私は最後の一人まで立ち会います」
「吉永は?」
「はい。私も残ります」
「そうか。好きにしろ。あがったものから夕食。そして風呂に入れ。8時には2階の会議室に集合しろ。1時間くらいの座学をやるからな。女たちのためにもみんな、さっさと終わらせろ!いいな!」
みんなうんざりしていて、誰も返事しなかった。
「返事は!」
みんな、仕方なく答えた。
「はい」
「小さい!」
「はい!」
「よし!では、かかれ!」
僕は真っ先に腕立てを始めた。さすがに今日は疲れた。早くあがりたいし、五十回ずつなんていつもより少ない。僕はあっと言う間に終わらせて、十周ダッシュを始めた。僕が三周くらいした頃に、はるちゃんとまっちゃんが追いついてきた。腹筋やらで悲鳴をあげる先輩たちを横目に、僕らは黙々と走った。そして十周走ってあがろうとしていたら、横川先輩の怒鳴り声が聞こえてきた。
「チームメイトを置いて先にあがったら、承知しないよ!」
見ると、新田、長尾、それに名前も知らない先輩二人が、まだ腹筋をしていた。さっさと終わらせろよとも思ったが、仕方ない。僕はグランドに座り込み、終わるのを待つことにした。タオルで汗をぬぐうと、心地よい風がわたっていった。今日は湿度がなくて、助かった。
茜色の残光が残るグランドで、僕はかまうもんかと大の字になって寝転んだ。行儀は悪いが、壁当ての時もたまにやっている。あまり馴染みのないパームツリーの並木の向こうに海があり、その上に空が広がっていて、ひときわ輝く金星が見えた。今日は慣れない環境に特訓にと、けっこう疲れた。吹きわたる心地よい風に包まれて、ちょっとまどろみを感じた。その時、「お前はつぶれる」という柴田先生の話が脳裏をかすめ、僕はドキッとして起き上がった。
「つぶれるのかな。俺」
小さな不安が、灯った。
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