第六章 死闘ふたたび
いつも読んでいただきましてありがとうございまする。
しかしながら・・・
お、いよいよ恋愛モノか?と期待した皆さま申し訳ありません。
今回はまさに「スポ根もの」(古!)の王道をいくような中島中との激闘です。
甲子園予備軍のオーラをぷんぷんとさせる1軍相手に、けが人続出の中、
「断固勝つ!」と覚悟を決めた少年たちの熱い闘いをお楽しみください。
第一章 桜の花のあと
第二章 絶対王者
第三章 グランドスラム
第四章 阿部先輩
第五章 三日月の夜
第六章 死闘ふたたび (今回はここです)
第七章 奇跡の硬球ふたたび
第八章 クロスファイアー
第九章 酔いどれ記者
第十章 夏の日々
第十一章 鬼柴田
第十二章 全面戦争
第十三章 池のほとりで
第十四章 決勝へ
第十五章 決 勝
第十六章 まだまだ
第六章 死闘ふたたび
思えば僕らの前にはいつも必ず中島があった。
全力で立ち向かわなければ勝てる相手ではない。
しかし相手が強ければ強いほど、野球は面白い。草野球のようなワンサイドゲームなんて僕には必要ない。
今のところピッチャーを外されたが、それでも仲間を信じることでやけばちにならず、今まで通りに個人練習を重ねた。新田は部の練習を休んでまで、中島の偵察に行っていた。氷山先輩ははるちゃんとバッテリー間の確認をしていたし、吉岡や本田先輩にはキャプテンが指導していた。東原以来の仲間はもちろん、新しい仲間も勝つためにできることを積み重ねていた。
そしてその日はやってきた。
梅雨のはしりのような雨がときおり落ちる不安定な天気の日だった。
僕らには中島のように専用バスなんてないから路線バスと路面電車で中島へ向かった。
どの顔にも緊張が見える。やるだけやった実感はあるが何があっても負けられないという悲愴感のようなものを背負っていた。
このところ部の練習に顔を出すようになった六家先生が引率しているが僕らの事情を校内新聞で知っているから悲愴感が伝染していて、ずっと無口だった。
中島学園に着いた。
担当職員に案内されたグランドは、それは素晴らしい専用グランドだった。小さな県営球場といった感じで、フェンスもダッグアウトも、スコアボードも、そしてナイター設備に観客席まであった。新田情報では高等部と一緒に中等部の1軍がここで練習しているらしい。
なるほど。
父さんの言った通りだ。まるでスケールが違う。こんなところで練習できるなら確かに悪い話ではなかった。
でも、と僕は考えてみた。味方ピッチャーがピンチでも誰も声をかけないようなチームで、一人一人の技術は高くても、ともに戦う姿勢が見えないのが小学校時代の中島というチームに対する僕の印象だった。
できて当たり前、できなければ周りの者がしらけている。
僕らは違う。鬼監督の陰口を叩きながらも信頼し、またチームメイトを信頼し、ひとつひとつのことに、ともに一喜一憂した仲間たち。思えばそんな仲間がいたから僕はやってこれた。だから僕は仲間と共にあることを選んだ。
今、仲間たちは僕の為に覚悟を決めてくれている。
僕は、そんな仲間たちのために出来ることをやる。今日の登板はないが、点をとることはできる。たとえ1点でも、何が何でも取ってやる。
中島は、この豪華なグランドを僕らの練習のために譲ってくれた。慣れないだろうからという配慮だ。中島の選手は、2軍のグランドでアップしてくるという。
実は中島学園には思惑があった。
旧東原の才能豊かな選手のうち何人かをピックアップしていて、中学では無理でも高校にはスカウトしたいので、何度も試合を申し込んだり、素晴らしいグランドを見せびらかした上に融通をきかせたりしていたらしい。と、ずいぶん後で聞かされた。
さて、そんな大人の事情は置いといて、僕らの練習が終わる頃、担当職員が困った顔をしてやって来た。
「泉川さんの生徒も、うちの生徒も試合を見せろと大勢来ていますが、公開試合にしてもよろしいでしょうか」
六家先生は噴き出して笑った。
「そちらがよろしければかまわんでしょう。前回の試合もうちの生徒が大勢、勝手にやってきて勝手に応援していましたから」
ああ、また氷山親衛隊かと思った。
今度は子供の事情か。新聞の影響なんだろうな。まあ、好きにすればいいさ。
観客席に観客が入ってくる頃。
うちのヨッパライと、中島の選手がやって来た。
ヨッパライは何か言っていたが置いといて、僕の視線は中島の選手たちにくぎ付けとなった。
彼らは郷土代表として甲子園中継で何度も見たお馴染のユニフォームを着ていた。つまり1軍は高等部と同じユニフォームだ。ちょっとだけまぶしさを感じた。今度は、不敵なキャプテンも番長もおらず、見慣れないたくましい男たちばかりだった。
コイツらはできる。
直感で分かった。甲子園予備軍のオーラをぷんぷんさせていた。
「あ、氷山がいる」と、中島のひとりが言ったが、氷山先輩は無視していた。
「おい、氷山。親父と一緒に夜逃げしたんじゃなかったのか」
誰かが言うと中島メンバーはみんな笑った。
え?何?夜逃げ?
僕がそう思っていると、担当職員が1軍メンバー達を叱っていた。氷山先輩は何事もなかったかのように、淡々とキャッチボールしていた。
中島の選手も軽くキャッチボールだけ行った。
何人かが「軟球なんてやってられねー」のような事を言っていた。いちいちうるさい奴らだ。一体何様のつもりだ。こいつら。
予定の時刻になった。雨もひとまずあがっていて試合開始。僕らは円陣を組んだ。
「いいか。正直相手は化け物だ。しかしな、俺たちには根性がある。そして谷山を助けるという覚悟がある。みんな、死ぬ気でぶちあたれ!」
キャプテンがそう言い終わると、はるちゃんが声をかけた。
「いずみかわー!」
「ファイ!よーし!!」
ダッシュしてホームの前で整列した。先に整列していた中島の選手たちはニヤニヤしていた。
「お子様じゃねえか」
「こんな奴らに負けやがって2軍の連中は」
まあ、いい。ただし、今に見てろよ。
1回表。
先攻は僕らだ。攻撃前に円陣を組んで、はるちゃんが言った。
「いいかい。新田の報告では、あのピッチャーは例の大きなカーブがある。でもほとんど外れるそうだから、無視していい。それよりも勝負にきた直球を狙って行こう。谷山よりは遅いそうだ。あのニヤついた男くらいだろう。それに、さっきの整列を見ただろう。彼らは油断しきっているし、軟球にも慣れていないから上から叩いてゴロを打つんだ。ゴロなら扱いが不慣れだし、油断もあるし、可能性が高い。僕らの足でかきまわすんだ。何が何でも絶対あきらめるな。全力疾走だ。しばらく試合もないし、明日倒れたってかまわない。今日この試合に全てを出し切ろう」
キャプテンが続けた。
「春木の言う通りだ。絶対あきらめるな。あのユニフォームにもビビるんじゃねえ。同じ中学生だ。わかったな」
はるちゃんが再び掛け声をかけた。
「いずみかわー!」
「ファイ!よーし!」
中島三塁手の冷やかしが聞こえた。
「お~ぉ、元気がいいねえお子様は」
プレイがかかった。
1番はガンちゃんだ。
1球目。外角低めに決まった。
2球目。同じく外角低め。でも外れた。確かに新田の報告通りだ。悪い球ではないが、打てない球じゃない。確かにニヤついた男くらいだ。あの川上よりも遅い。
3球目。例の大きなカーブが来た。中島伝統のカーブらしい。報告通り外れた。それもワンバンになった。
4球目。勝負、というより誘いの高めが来た。普通なら打ち上げるか空振りだろう。見逃せばボールだ。でも大根切りにはほどよい球だった。しかし、ガンちゃんは冷静に見送った。僕には分った。思ったより手元で伸びるから手が出せなかったのだ。それが甲子園予備軍と言われるチームのピッチャーの球なのだ。やはり1軍は違う。タフな戦いになりそうだ。
1-3からの5球目。
ガンちゃんは得意の神業セーフティを仕掛けた。しかし、わずかに球威に押されて、ファール。ガンちゃんは打席を外して深呼吸した。6球目。外角低めをなんとかカットして逃れた。三塁手があきれたように言った。
「おいおい、小学レベルに何やってんだ!」
他の選手も笑い、当のピッチャーもペロッと舌を出し、苦笑いしていた。
7球目。
内角球。ガンちゃんはこれもカットして逃れた。
8球目。
誘いの高めがきた。今度こそはと、ガンちゃんは大根切りを試みたが、空振り三振。選球眼のいいガンちゃんには珍しい。打者にしか分からないキレの良さがあるのだろう。
2番まっちゃん。始めからバントの構えをした。
珍しい事だった。しかしこれは、あの岩松兄弟と初めて対戦したとき、彼らがとった作戦と同じではなかろうか。そう。目線の高さで球筋を良く見る作戦だ。
1-1からの3球目。
バントし損ねてファールチップとなった打球が、まっちゃんの顔面を襲った。当たりどころが悪く、まっちゃんの鼻から血が滲み出た。主審がタイムをとって、まっちゃんは止血のためベンチに下がった。
「やれやれ、バントもできんのか」
例のうるさい三塁手が吐き捨てるように言った。他の選手も薄ら笑いを浮かべていた。
ちくしょう。僕が投げられたらこんな奴らは黙らせてやるのに。でも今はまっちゃんのことが心配だ。
しばらく圧迫して、血が止まった。
見守る僕らにひきつった笑顔で「大丈夫だ」とまっちゃんは言った。
プレイ再開。
でも、バントの構えはやめなかった。
1球外れて、2-2。
5球目、まっちゃんはバスターを試みた。大きくバウンドして、ショートをわりそうだった。
泉川の応援団から歓声があがった。まっちゃんは足もある。頼む、出てくれと思ったが、ショートは素早くボールに追いつき、半身の体勢で逆シングルキャッチすると、信じられないクイックモーションで送球した。
1塁でクロスした。判定は、と固唾を呑んで見ていると、「アウト!」と宣告された。
まっちゃんは、砂を蹴りあげて悔しがっていた。
さて、僕の打席だ。
十二球も見たからもう十分だ。キレはある。でも打てない球じゃない。
ヨッパライが認めた僕の才能を見せてやる!
1球目だった。外角低めにくると予測していてその通り、というよりやや甘い球の失投だ。僕は左足を踏みこみ、タイミングを合わせて右方向へ弾き返した。ボールはぐんぐんと伸びて行った。泉川応援団から、悲鳴のような歓声があがった。ボールはライトフェンスまで届いた。ランナーコーチ白石の腕がぐるぐる回っている。僕は迷わず2塁目指して走りに走った。ライトから矢のような返球があったが、スライディングセーフ。
「よっしゃー!」とキャプテンがわめき、応援団の歓声も鳴りやまなかった。あ、そういえば恵ちゃんは今日もいないんだ。最近お互い忙しくてろくに会っていないな。
氷山先輩の打席となり、内野陣がマウンドに集まった。
きっと、勝負するのかしないのかを相談しているのだろう。
もとは中島のエースだった先輩なのだから警戒して当然だ。また失投すれば、先輩も決して見逃さない。
注目の1球目。
捕手はしゃがんだままだ。しかし外角低めのボール。
2球目も同じくボール。
あからさまな敬遠はプライドが許さないのだろう。ボール球にひっかけてくれればもっけの幸いというような投球だ。でも、そこが僕らの付け入る隙だ。勝負に徹するならはっきりと敬遠すべきだった。
3球目の失投を、やはり先輩は見逃さなかった。打球は快音を残して右中間へ。僕は夢中で走った。
ランナーコーチ上田の右腕がぐるぐる回っている。
観客席のざわめきも、ベンチの興奮も見えなかった。無我夢中で、ホームを目指した。その先に僕を待っていたのは、ブロックする捕手だった。そのわずかな隙間に僕はヘッドスライディングしながら左手を伸ばした。しかし、猛烈なタッチが僕の左手を叩いた。「痛て」そう思う間もなく、僕はアウトを宣告された。
落胆のどよめきが起こるスタンド。
僕は悔しくてへたり込んでしまった。
ハイタッチしながら戻ってくる中島の選手達。
確かに小学レベルなら、あの当たりで1点とれた。しかし敵は甲子園予備軍なのだ。
最短コースで捕球し、最短距離で中継プレイをやってのけたのだろう。そう思いながら右中間のあたりを睨んでへたり込む僕に、伸びる右手があった。見上げると、氷山先輩が笑っていた。
「ナイスラン。惜しかったな。でも、まだまだこれからだ」
1回裏。
僕は久しぶりにライトにいる。さっき叩かれた左手が痛む。ミットにひっかかった薬指の爪が、ちょっとはがれかかったようで、紫色になっていた。でも、また交代は嫌だから皆には黙っていた。
さて、1番打者が打席に入った。新田情報をはるちゃんが把握していたから、無難に攻めて、内野ゴロに討ちとった。
2番打者。まっちゃんのようにバントの素振りを見せて揺さぶってきた。しかし違ったのは本当にバントを決めたことだ。3塁線のうまいところに決められ、やまちゃんが捕球した頃にはもう間に合わないタイミングだった。しかし、それでも無理に送球し、とんでもない悪送球になってしまった。中学生のスピードに焦った結果だった。
ワンアウト2塁。はなから落ち着かない展開だ。当たり前のように得点し、当たり前のように抑えてきた僕らには、あまり記憶にない。当然だが上には上がいるものだ。そう思っていると、3番のバットが快音を発した。2塁カバーに入ろうとしていたショート田中の逆をついた三遊間の当たりだった。レフトの神崎先輩が猛ダッシュして捕球したため、2塁ランナーは3塁を回ったところでストップ。ワンアウト1・3塁。
中島の応援席にいた見物客が沸いた。いつの間にか中島の2軍も見物に来ていた。
4番打者にもかかわらず、1-1からの3球目、1塁ランナーが走った。3塁ランナーも走る素振りを見せたため、はるちゃんは送球できず、みすみす許してしまった。ワンアウト2・3塁。僕らが押されている。内野陣がマウンドに集まった。そんな光景は、あの決勝戦以来だ。しかし、あの時は5年ピッチャーの吉田が一人相撲をやっていただけで、みんなは闘志をたぎらせていた。でも今回はおかしい。みんなが何となくではあるが浮き足だって見える。力の差を見せつけられてビビッているのか?
ゲーム再開。
2球ボールが続いた。やはり氷山先輩でも、中島の1軍相手では苦労するようだ。結局、四球となりワンアウト満塁。正直、僕はもどかしかった。僕が投げて決めたかった。でも今は氷山先輩を信じるしかなかった。
そんな時。
僕の前にフライが飛んできた。犠牲フライにはちょうどいい球だ。中島のベンチでは手を叩いて喜ぶ者もいた。
よし!俺にまかせろ!僕はそう思ってはやる心を抑えながら、ややバックした。そして落下点に見当をつけ、ダッシュし、走りながら捕球。当然、3塁ランナーがタッチアップ。俺からタッチアップなんてできるもんか!ライナーのようなボールがうなりをあげて飛び、はるちゃんの構えたところにダイレクトで決まった。
すかさずタッチ。
場内が静まり返った。
判定アウト!
泉川のスタンドが大きく沸いた。ダッグアウトでは、生徒BからHの先輩達が踊りあがって喜んでいた。
2回表。
キャプテンからの攻撃だ。さすがにキャプテンは簡単には討ちとられず、フルカウントまで粘った。でも最後には落ちるカーブで三振してしまった。
6番は、やまちゃん。何とかバットに当たったもののボテボテのショートゴロ。
7番は田中だ。田中もバントの構えを見せ、球筋を見極めようとした。2ストライク後にヒッティング姿勢に戻したが、落ちるカーブで三振してしまった。どうもこの投手は、例の大きなカーブと、落差のあるカーブを持っている。
2回裏。
6番からだ。執拗に外角を攻めた後、氷山先輩も中島時代に身につけた、伝家の宝刀である大きなカーブで見逃し三振に討ちとった。
7番には徹底して内角攻め。最後には外角球を引っかけさせてセカンドゴロ。
8番。
外角低めから入って、左右にちらし、最後は高め速球つり球で三振をとった。立ち上がりが不安だった氷山先輩もようやくエンジン全開のようだ。
3回表。
8番、神崎先輩から。
唯一野球部に残った東原の先輩だ。とりたてて良い点はないが、ミスも少ない。あまり思い出もないが、たったひとつだけ覚えているのは、優勝できて当たり前だった東原の歴史の中で一度も優勝できなかった先輩が、秋季大会最後の試合に負けた時、ひと目をはばかるように涙を流していたことだ。その時、意外と負けん気の強い先輩の性格を知った。
その先輩が今、雲の上の存在だった中島の1軍相手に闘志をむき出しにしている。バットを振り切り、さかんにファールで粘っている。先輩、がんばってください。
10球粘って11球目。
とうとう根負けした相手ピッチャーが、四球を出した。
歓声を上げる僕らに、先輩はバットを置いて、僕らを指さした。「俺についてこい」とか言っているようなジェスチャーだった。ふだん無口な先輩だが、やはりそのハートは熱い。
さて、ノーアウト1塁。打席には、はるちゃん。チャンスに強い男だ。しかし、はるちゃんは手堅く送りバントを決めた。よし、流れはこっちにきつつある。たぐり寄せたのは、神崎先輩だ。
ワンアウト2塁。
ガンちゃんもなりふり構わずバットに当てて粘った。天才だと思っていたガンちゃんの珍しく苦労している姿だった。
6球目。速くて落ちるカーブを見事捉え、ライト前に運んだ。
ワンアウト1・3塁。次は曲者まっちゃん。ガンちゃんから「走るぞ」のサイン。まっちゃんは「よっしゃー!」と応じていた。
2球目。
ガンちゃんは走った。神崎先輩が援護のように走る真似をしたおかげで、さっきのはるちゃんのように中島の捕手も投げられなかった。神崎先輩も鬼監督の教えを一時期受けている。僕らと同じ土台はある。
ワンアウト2・3塁。泉川サイドは盛り上がった。
「よっしゃー!ここだ!おまえら死ぬ気でふんばれ!」
キャプテンが吼えた。
その通り。僕もネクストバッターサークルで闘志を燃やした。
3球目。
まっちゃんはスクイズを試みる真似をして3塁手をおびき寄せ、バスターに切り替えた。打球は残念ながらファール。中島サイドから安堵のためいきが聞こえた。
ピッチャーは肩で息をしている。畳みかけるチャンスだ。4球目。外角低めに外してきて2-2。
5球目。
内角の球をカットして逃れた。
6球目。
真ん中低め、外れて2-3。
7球目。
大きく遅いカーブが来た。
まっちゃんは、辛抱しきれず3塁線へファール。
8球目。気合の入った速球がきた。
高めのつり球だ。まっちゃんは、渾身の力でバットを振り切った。
打球のゆくえは。と、言いたいが、残念ながら空振り三振。泉川サイドからため息がもれた。
相手投手を睨みつけ、唇をかみしめながらまっちゃんが戻ってきた。
思えば、こんなに僕らの形ができない試合も珍しい。やはり中島の1軍は強い。打席に向かう僕に 「すまん」と、まっちゃんが言った。
ツーアウトとはいえ次には氷山先輩がいるので敬遠できないから勝負にくるだろう。しかもさっき直球を弾き返した僕には必ず大きなカーブで攻めてくると思っていた。ならば、直球を狙っているふりをして、大きなカーブを待とう。氷山先輩のように腕をたたんで振り抜けばいい。
果たして6球目。
そのカーブがきた。
僕は氷山先輩が見せてくれたイメージ通りに左腕をたたんで振り抜いた。鈍い音がして、ボールはショートの頭上を越えた。「わぁっ」と言う歓声とともに、スライディングで生還した神崎先輩は、はじける笑顔と右腕を突きあげるポーズで喜びを爆発させていた。しかしホームを目指していたガンちゃんはランナーコーチの先輩(誰だっけ)に止められ、3塁に戻ろうとしたところで、レフトからの返球で刺されてしまった。
歓声はためいきに変わった。
さすがは中島1軍だ。わずかなミスも許してくれない。でも、いつもの形とは違う不細工な形ながら僕らが先制した。思えば、これはすごい事なんだ。僕らはこの前まで小学生で、いくら当時から「中学生と試合しても勝てる」と言われていたにせよ、県内、いやおそらく日本のトップクラスにある中学生チームと渡り合っている。
3回裏。
中島選手の眼の色が変わった。あのうるさかった軽口も叩かず、皆、淡々としていた。これが、本来の姿なのかもしれない。慌てず騒がずと言った感じだ。思ってもいなかった僕らの先制点に、彼らの闘志が目覚めた。
先頭打者である9番には8球粘られたが、センターフライに討ちとった。しかし、そろそろ氷山先輩の球にタイミングが合ってきたようだ。案の定、1番打者は、左中間へ2塁打。警戒しすぎたのか、2番バッターには四球を与えた。ワンアウト1・2塁。肩で息をする氷山先輩の様子がライトからでも伺えた。
3番。
くさい球は全てカットされ、徹底的に粘られた。困ったな。どこに投げればいいんだろう。「二度は通用しない」と言ったヨッパライの言葉は本当なのかも知れない。僕以上の球種とうまさを持つ氷山先輩ですら、この有様だ。
9球目。
快音とともにライナーが2塁上へ飛んだ。
やられた。
僕がカバーに走ろうとした時、まっちゃんが頭からダイビングキャッチした。そしてすかさず2塁に入った田中へ叩くようなグラブトスをし、そのまま前のめりに倒れた。よし!ゲッツーだ。
戻りきれなかった2塁ランナーを刺した。信じられないような、まっちゃんのファインプレイだった。あんな事ができるのは、僕らの中でもまっちゃんぐらいだろう。
ベンチでみんなに揉みくちゃにされながら、まっちゃんはエアー湿布剤を取り出した。おかしな方向へのグラブトスのまま倒れたから、手をくじいたようだ。辺りにエアー湿布剤の匂いが充満した。「大丈夫か」と心配するみんなに「俺もまだまだ鍛え方が足りないな」と苦笑いを見せていた。
「おもしろいね。君たちは」
唐突に阿部先輩の声が聞こえた。僕への密着取材で、その顔と存在はみんな知っていたが、「何故ここに?」という当然の疑問の声が誰からともなくあがった。
「取材よ、取材。六家先生にはちゃんと許可をとっているから」
まあ、確かに練習試合だし、阿部先輩は真面目に記事を書いているし、僕はそれ以上詮索しない事にした。
ゲームは、期待の氷山先輩とキャプテンが討ちとられ、ちょっと安心した相手投手から、やまちゃんが快音を発してライト前ヒットを放った。よし僕らも負けていない。1軍相手に十分戦えている。
続く田中はまっちゃんと同じバント作戦。しかし、思った以上の伸びがあり、バットの上側に当たったボールはファールチップとなって田中の顔面を直撃。さっきのまっちゃんや、昨夏の岩松兄弟のようだ。鼻血がひどかった。止血のため一旦ダッグアウトに戻った。3年の先輩が手当てをしてくれた。僕らは大丈夫かと心配して見守った。
田中は「眼から火花が出たぞ」と笑っていた。そして「もう大丈夫だ」と言ってアンダーシャツをたくしあげ、グランドへ戻った。
ロジンバッグをたたき、「さぁこい!」と気合を入れていた。2球目はバットをひいてボール。
3球目。
バスターが決まった。と、思った。しかし、相手投手はフィールディングもたいしたものだ。三遊間へのボテボテ当たりを素早くキャッチし、正確な送球を見せた。田中の足が1歩及はなかった「あ~」というため息がスタンドから聞こえたが、それ以上に田中が悔しがった。天を仰ぎ、そしてヘルメットを叩きつけた。クールな職人田中が見せた珍しい感情表現だった。
やはり、これが甲子園予備軍の力だ。
4回裏。
氷山先輩の様子が何かおかしい。ストライクを取るにも苦労している。先頭の4番打者に、とうとう四球を与えた。
5番。
ちょっと意表を突かれた。送りバントしたのだ。
キャプテンがボールをおさえ、2塁は無理。ベースカバーの氷山先輩にトス。かけっこになったが、氷山先輩が勝った。しかし。そのままもつれたのか、よろけたのか、先輩は倒れた。その前とっさに、カバーに走ってきていたまっちゃんにボールをトスしていたから、2塁ランナーの進塁はなかった。ひとまず流れが切れたところで主審がタイムを取った。先輩は起き上ろうとして、しゃがみこみ、そのままゼイゼイと言っていた。
中島ベンチからの「あ~あ、ざまあねえな。氷山様がよ」という悪口が、カバーで1塁近くにいた僕の耳にも入った。グラブでも投げつけてやろうか。
「ほんとだな。ざまあないな。でも、もう大丈夫だ」
6番打者。
2球3球とボールを見極めていて、その都度、ベンチのサインを確認していた。
中島は小学校もそうだったが、1球ごとにベンチからサインが出ている。鬼監督やヨッパライとはえらい違いだ。
そして4球目。ランナーが走った。
打者は外角高めのやや失投を右方向へ弾き返した。ランエンドヒットだ。僕がボールをおさえると、2塁から走ったランナーは3塁を回ったあたりで自重した。
ワンアウト3塁1塁。
氷山先輩は肩で息をしながら、天を仰いでいた。もう限界じゃないか。確かに先輩は僕よりうまい。しかし、日頃僕らのように練習していないのも事実で体力が心配だ。
7番。
バッテリーは速球中心で攻めた。内野は前進守備。1点もやらない構えだ。
カウント1-2からの4球目。ランナーが走った。はるちゃんが2塁へ送球。3塁ランナーもスタート。しかし、そんな場合の練習も、僕らはやってきた。1-2から仕掛けてくるなんて、そんなのお見通しだ。
送球を避けるためにしゃがんでいた氷山先輩の後ろで、田中がショートカット。すかさずバックホーム。
はるちゃんがキャッチし、3塁ランナー目がけて突進した。
驚いた3塁ランナーは帰塁を試みる。
はるちゃんが徹底的に追い込んだ。
僕も2塁カバーへダッシュした。
はるちゃんが3塁前まで追い込んでやまちゃんへ送球。うまいタイミングだ。
1塁ランナーが3塁前で躊躇していた。やまちゃんは先ず3塁ランナーへタッチ、ボールを持ったまま1塁ランナーめがけて走った。
慌てた1塁ランナーは2塁へ戻ろうとし、2・3塁間に挟まれた。
ボールはやまちゃんからまっちゃんへ。まっちゃんから田中へ。
ランナーは行きつ戻りつしながら追い込まれた。
田中からガンちゃんへ。最後は足のあるガンちゃんが追いつめ、タッチアウト。
今回ばかりは中島が油断していた。まさかあれほど機敏で無駄のないプレイができるとは考えていなかったはずだ。僕はグラブを叩いて喜んだ。
みんなハイタッチしながらベンチに戻った。僕は氷山先輩とハイタッチした。その時。妙な感触があった。え?血?僕の右手にわずかな血がついていた。先輩は何食わぬ顔でベンチに戻っているが、この血はひょっとすると、マメが破れたのかも。僕はいつもの壁当てでとうの昔にマメなんて破れて固まっているが、あまり練習に出てこなかった先輩には仕方のない事だ。
5回の表。
神崎先輩から。さすがの相手投手もさっきのゲッツーに気落ちしたのか、四球となった。
次ははるちゃん。はるちゃんは、妙に粘っていた。妙というのは甘い球さえでカットしていたからだ。打てなくても、何とか出塁したい。凡退したくない。それに氷山先輩を休ませたい。というような狙いが見えた。先輩の血マメは、はるちゃんなら当然気づいているはずだ。神崎先輩も無理に2塁を狙わず、投手への圧力に徹していた。十球粘ったが、結局ショートゴロに倒れた。
次のガンちゃんは、3球目を久々にセーフティバントした。しかし、3塁手の動きは機敏だった。既に絶妙なスタート切っていた神崎先輩は無視して、流れるようなフィールディングで1塁へ送球。走り抜けた方が速いとわかっていながらも、ガンちゃんは1塁へヘッドスライディング。アウトになった。伏せた姿勢のまま、ガンちゃんは土をつかんで叩いて悔しがった。ガンちゃんも懸命なのだ。
その時、雨が降り出した。強い雨ではなく、熱くなりすぎた僕らを冷やすにはちょうどいいくらいだ。
みんな何かしら無理をしていて、ダッグアウトの中はエアー湿布剤の匂いで充満している。思うに何か大きな壁に当たっているような感じだ。小学時代は楽に押しとおせた攻撃も、中島1軍には何もかも弾き返されている。
「秋季大会の決勝戦を思い出すね」
雨を見ながら新田が言った。
「縁起がいいじゃねえか」
やまちゃんのポジティブシンキングって、すげぇ。
確かに逆転優勝できたのは、雨のおかげだった。でもそういう運の良さを呼び込むには、努力と工夫が必要だ。あの時、雨を計算に入れて戦ったから勝てた。この雨が幸か不幸かまだわからないが、出来ることはひとつひとつやるべきだ。でなければ大きな壁は突き崩せない。僕はそう思いつつネクストサークルにいた。まっちゃんは、またもバントの構えからバスターを敢行したが、やはり中島1軍には通じなかった。
5回裏。
氷山先輩は、8番9番と難なく討ちとった。血マメのことが気になって、外野にいながらハラハラしていた僕も一安心した時、魔がさしたとでも言うのだろうか。はるちゃんは外角低めを要求したのに、真ん中高めの甘い球がいった。中島1軍の1番がそんな球を見逃すはずもなく打球は高く舞い上がりレフトの頭上を越えた。
同点ホームランだ。
試合は振り出し。
氷山先輩はマウンドで、ただ天を仰いでいた。静まりかえる僕らとは対照的に、1番打者は、ハイタッチで迎えられていた。
「1球の重さを知れ」
鬼監督はそう言った。その意味が今こそわかる。取返しのつかないような、重くて苦しい1球だった。
ゲーム再開。
2番打者にも打たれた。レフト前ヒット。それに盗塁も決められた。
はるちゃんもまっちゃんも体が重そうに見える。怪物たちを相手に守りきりたかった1点を守れなかったという事実が僕らの心と体を重くしていた。「負けるかもしれない」という言葉が、初めて頭をよぎった。
3番打者。
鈍い音がして、1塁側へファールボールを打ちあげた。ダッグアウトに入ると直感しながらも僕はカバーのために走った。空を見上げながらボールを追うキャプテンの姿が見えた。ダッグアウトは目の前だ。
「危ない!」
誰かが叫んだ。しかしキャプテンはボールしか見ていなかった。そして手を伸ばし、捕球と同時につんのめるようにダッグアウトに転がった。「キャプテン!」僕はそう叫びながらダッグアウトを覗いた。キャプテンは捕球したグラブを高々と掲げ、塁審がアウトを宣告した。客席から歓声があがった。僕はキャプテンに駆け寄り、おかしな格好でうずくまるキャプテンを起こそうとした。
「大丈夫ですか?」
キャプテンは「ふん」と笑い「お前に心配されるほどじゃねぇ」と言いながらも苦痛の色を浮かべた。
「いてて、ちょっと右手をくじいたようだ」
「本当に大丈夫ですか?」
「まあ、湿布剤でも吹きつけておけば大丈夫だろうよ」
とにかく。キャプテンのおかげで3アウトだ。
6回表。
僕の打席からだ。先輩が頑張ったのだから、僕もと思ったが、そんなにうまくいく訳はなく、ひっかけさせられ、セカンドゴロに倒れた。
次は氷山先輩。はたで見ていても疲れがひどい。うわの空といった感じで集中力が見られない。それでもセンター前に抜けそうな当たりを放ったが、甲子園予備軍の守備に阻まれた。
そしてキャプテン。その右手首は腫れあがっている。普通なら交代だ。でもキャプテンの代わりはいない。だから懸命にバットを振って、振って、振って。三振に倒れた。
この回はクリーンアップからだったのでみんな期待した分、ため息も大きかった。こんなに重くて苦しい展開は初めてだ。どこまで落ちていくのだろう。
6回裏。
氷山先輩が先頭打者に四球を与えた。
野球とは不思議なもので、そんな場合は点が入りやすい。案の定、5番6番と連打され、ノーアウト満塁。
中島の観客席は泉川ほど見物の人がいるわけではないが、盛りあがっていた。でも対象的に中島ベンチは淡々としていた。冷静に、しかも集中してチャンスを迎えている。僕らがつけ込みたかった油断も慢心も影を潜めていた。
内野陣がマウンドに集まった。俺のところに来い!俺がなんとかしてやる!いつもなら僕はそんな気分でいるのだが、今回ばかりは気が抜けていて、気分が乗らなかった。
内野は中間守備をとった。1点はなかば諦めたのかもしれない。と、言うことは1・2塁でゲッツーを狙うはずだ。先輩はやはりそのように外角低めに投げた。でも遠くから見ていても球威がなく抑えられそうにない。
何球か粘られた末に、センターオーバーを打たれた。
打球はぐんぐんと伸びて行き、ガンちゃんが懸命にバックしている。僕はガンちゃんのカバーに走った。
危ない!今度はガンちゃんか!ガンちゃんは打球しか見ていないようだ。フェンスがどんどん迫っている。
どすん。
そんな音がしてガンちゃんはフェンスに激しくぶつかった。
しかし同時に捕球していて、倒れて転がる前に素早く僕へトスした。
ガンちゃんは、ボールしか見ていなかったのではない。フェンスも僕の位置もちゃんと分っていたんだ。それでも足を止めれば捕球できないタイミングだったから、ガンちゃんは身を呈してアウトを取った。
その思いのこもったボールを僕は受け取った。
1点もやるもんか。まかせろ。俺に。百メートルくらいの遠投なんて朝飯前だ。当然タッチアップした3塁ランナーを刺すために、僕は勢いをつけてバックホームした。わずかに山なりの軌跡を描いてボールが飛んで行った。マウンド過ぎでワンバンしたものの、はるちゃんのミットに収まりすかさずタッチ。
主審は右手を上げた。
アウトだ!
泉川サイドから歓声があがった。
ガンちゃんは?僕はそう思って振り返るとガンちゃんが笑って立っていた。よかった。大事には至らなかった。しかし、そんな懸命のプレイも空しく、次のバッターに左中間を割られてしまった。3塁2塁のランナーは共に生還し、バッターも2塁まで進んだ。3対1。とうとう逆転されてしまった。
はるちゃんがタイムをとって監督のところに走っていった。何やら相談していたが、やがて戻ってきた。
続く9番は、8球目を痛烈に弾き返した。3塁線上。火の出るようなライナー。
抜ければもう1点確実だ。場合によっては2点。しかし、やまちゃんが飛びついてキャッチし、その勢いのまま頭から転がった。よし。空気は重いが、みんなはまだ諦めていない。
7回表。
打順はそのやまちゃんから。湿布剤を手首に吹き付け、ヘルメットをかぶり、バットを握って打席に向かった。「あきらめんじゃねえぞ」と、やまちゃんはまるで自分に言い聞かせるように言った。
ダッグアウトは湿布剤の匂いが充満している。ガンちゃんにいたっては、さっきぶつかった時にたんこぶと擦り傷を負ったようで、新田に手当てしてもらっていた。思えばまっちゃんの鼻血やら僕の指やらみんなどこかしら負傷していた。手当ての様子を見た阿部先輩が、独り言のように言った。
「どうして、そこまでするかなあ」
新田が手当ての手を止めて、不思議そうに答えた。
「勝つためですよ。とうぜんでしょう?」
阿部先輩は、言葉につまっていたようだったが、やがて「そうね」とだけ言った。そう言えば、氷山先輩も血マメの手当てをした方がいいのに姿が見えない。監督も、はるちゃんもだ。一体どこへ行ったのだろう。
そうこうしているうちに打席のやまちゃんが7球粘って四球をもらった。
次は田中。
初球。
送りバントを失敗して、ボールを顔面に当てた。
今日何人目だろう。顔面に当てたのは。
職人田中ですら二回目だ。やはり甲子園予備軍だけはある。勢いのあるボールだから目測を誤るのだ。どうしてもボールの下にバットを構えてしまう。
田中は一旦タイムをもらって打席を外し、痛みが引くのを待っていた。幸い鼻血は出ておらず、しばらくしてプレイ再開。
2球目は外れた。
3球目。
今度は見事に送りバントを決めワンアウト2塁。ファウルチップを顔面に当てると恐怖心が起こってバントしたくなくなるものだが、田中は何食わぬ顔で成功させた。
次は神崎先輩。
先輩も送りバントし、チャンスに強いはるちゃんに賭けた。
2アウト3塁。
小学時代のように派手に鮮やかに得点できない。だから泥臭くてもできることをひとつひとつやるしかない。とにかく今は1点だ。しかし願いも空しく、はるちゃんはファールフライに倒れ、チェンジとなった。
7回裏。
中島は1番から。
氷山先輩が、なんとか踏ん張って3者凡退に抑えてくれた。
8回。
両チームともランナーを出したが、得点できず、いよいよ最終回を迎えた。
9回表。
打順はキャプテンから。前の回にガンちゃんを塁におきながら僕も氷山先輩も倒れたから、僕は既にあきらめかけていた。やっぱり甲子園予備軍を相手にするなんて早すぎたんだ。しかし、キャプテンは違った。眼の覚めるようなセンターオーバーを放ち、2塁まで行った。そして塁上で鬼のようなしかめっ面をし、さかんにガッツポーズを見せた。
「さすが、往生際の悪い田所くんね」
阿部先輩がそう言って笑った。
「田所に続け!」
鬼監督ならきっとそう言っただろう。僕らの目を覚ますには十分な、気合いの1発だった。みんなが活気づいた。勢いをつかみ、やまちゃんが右中間への2塁打を放って1点とった。
「よーし、先ずは同点にするぞ!」
キャプテンが吼え田中も単打で出塁した。
ノーアウト1・3塁。
不思議だが、これも野球だ。いつ流れがくるかわからない。この流れをつかみ損なわないよう、日頃から練習しているんだ。「よーし!いけるぞ」と誰彼となく吼えていた。
中島の内野陣がマウンドに集まっている。やがてプレイ再開。
神崎先輩の打順だ。
先輩も十分に気合が入っていたが、変化球でかわされて三振に倒れた。
次はチャンスに強いはるちゃん。
初球は外角低めが外れ、2球目。田中が走った。やまちゃんが、ホーム突入の構えを見せたため、ボールを受けたショートはタッチせずにホームへ返球。当然やまちゃんは見せかけだけだったから、すかさず3塁へ戻りオールセーフ。やはり僕らがどこまでできるのか分かっていない中島1軍は、そのあたりの連携プレイの判断に甘さがある。よし、付け入る隙はそこかもしれない。
ワンアウト2・3塁。
ワンヒットで同点。場合によっては逆転だ。観客席が盛り上がった。僕らも大声で声援を送った。外野フライでも構わない。しかし、そう簡単にフライを打たせてもらえず、はるちゃんはショートゴロに倒れた。走者はそれぞれ自重していたから、ツーアウト2・3塁。「あ~」という落胆の声が観客席からあがった。やはり小学校時代のような自由はきかない。でも、何とかこじ開けるしかない。その方法として僕と同じように内野の判断が甘いと感じていたであろうガンちゃんは得意のセーフティに賭けた。もちろん、ガンちゃんからのサインによって事前に知っていたやまちゃんは、絶妙なスタートをした。ガンちゃんのバントが1塁線へ転がった。ファールになると思った中島はそのまま見逃したが、そこが神業たるゆえんだ。線上でぴたりと止まって、やまちゃんはホームイン。ガンちゃんも1塁上でガッツポーズ。
同点だ。
ついに捉えた。ここまで来たら逆転したい。けが人も多いし、僕らには延長の体力がない。
やはりこんな土壇場でも、自信のある得意技があれば切り抜けられる。そう確信させるようなバスターをまっちゃんが決めた。
しかしさっきのバントで2塁ランナー田中は自重していたから3塁を回ってストップ。得点はできなかった。はなはだ残念ではあるが、ともかく二死満塁。氷山先輩は肩で息をしているような状況で期待できない。
ならば僕が決めるしかない。そう言い聞かせながら打席に入った。大きなカーブは使わないだろう。後ろにそらせば大変だから。ならば、速球で僕の苦手な内角を攻めてカウントを取って、外角低めを見せてから、高め速球のつり球でフィニッシュだろうと僕は予測した。よし。狙いは外角低めだ。甘いところに来たら、逃さないぞと思いつつ、右方向への単打を狙った。僕の予測より1球早く、2ストライクのあと、遊び球なしで高めのつり球が来た。しかしそれは判定によってはストライクをとられそうな微妙なものだった。これはカットしないとヤバイ。しかも普通にカットしてもし打ち上げれば万事休すだ。そこでガンちゃんの大根切りのように、上から叩きつけるようにカットした。
ガツンと、鈍い痛みが走った。自打球を左足のくるぶしに当ててしまった。当たりどころがよほど悪かったようで、飛び上がるほどの痛みがあった。僕は本当に飛び上がり、痛みがひどいのでタイムをとって、ソックスをめくって見た。ベンチから、新田がエアー湿布剤を持って走ってきた。
「谷山くん、大丈夫?」
「見たところ内出血もなさそうだし、大丈夫じゃないかな」
新田は、僕の足に湿布剤を吹き付けて聞いた。
「どう?上下左右にちゃんと動く?」
僕は足を一通り動かした。左右と下へは問題なかったが、上に動かそうとすると激痛が走り、動かない。その様子を見ていた新田が蒼白な顔色になった。いかん。みんなに知られたら、みんな新田のようになるだろう。
「新田、みんなには大丈夫だと言えよ」
「でも動かないじゃないか。痛そうだったよ」
「野球選手なら、どこそこ痛いのは当たり前だ。こんなことでいちいちみんなに心配かけられない」
「でも」
「いいから。もう一回吹き付けてくれ。そのうち痛みもひくさ」
「でも、谷山くんは僕らの希望なんだよ。こんなところで無理しないでよ。骨が折れているかもしれないし」
「今無理しなければ、いつやるんだ?勝負所なのはわかるだろう」
「練習試合じゃないか」
「ああそうさ。でも特別なんだ」
「それは、そうだけど」
新田は、戸惑いを隠せない様子だった。
「いいか。これは俺の意思でやるんだ。お前のせいじゃない。痛みはいつか消えるが、今負けたら、その後悔は一生消えない」
「わかったよ。勝つためだね」
新田は悔しそうに半べそかきながら、湿布剤を吹き付けた。心配して上田も走ってきたが、僕は心配ないと言って追い返した。
ゲーム再開。
先ずは様子見のために外角低めが来るだろうと予測した。
はたして。
思った通り外角低めが来た。それも失投のようで外し切れていない甘い球だ。僕は思いっきり踏み込んだ。激痛が走った。しかし、こんな甘い球は見逃せない。激痛を堪えて僕は振り切った。打球はセカンドの頭上を越えた。「わぁ」っと言う歓声が聞こえた。田中が万歳しながらホームイン。ガンちゃんも果敢にホームを狙った。しかしチーム最高速のガンちゃんも、ライトからの矢のような送球に一歩及ばず、ホームでアウト。ガンちゃんはうつ伏せのまま、何度も地面を叩いて悔しがっていた。
ともあれ逆転だ。
この1点を断固守り抜かなければ僕らにはもう勝ち目はない。
9回裏。
8番打者からだ。左右へ揺さぶり、落ちるカーブで2ストライクを取った。青息吐息だった氷山先輩が、マウンドで仁王立ちしている。やっぱり先輩はすごい。そして、高目のつり球で三振を取るつもりのように見えた。しかし速球に球威が足りず、ショートオーバーのヒットを打たれた。僕は1塁カバーに走ったが、やはり足が痛んでどうしようもなかった。
9番バッターは、送りバント。あわよくば、自分も生きようと、へばっている氷山先輩の横、3塁側の絶妙なところへ転がした。氷山先輩は懸命に走った。しかし、猛烈にダッシュしてきたやまちゃんが捌いた。1塁はアウト。
「ワンダン、ワンダン」
はるちゃんが声をかけた。
青息吐息の氷山先輩に対して、中島はいやらしい攻め方をしてきた。1球ごとにバントの構えを見せて、先輩を走らせている。そして8球も粘られて、ついには四球となった。
1アウト1・2塁。逆転のランナーを出してしまった。2番打者も、バントの構えを見せたりカットしたりと散々粘った挙句、3バントを決めた。氷山先輩が捌き1塁アウトにしたものの、ランナーはそれぞれ進塁した。
3番バッターも、バントの構えを見せて先輩を走らせた。そして四球となった。
先輩はもう限界だ。雨が一段と激しくなってきた。2アウト満塁。しかも中島は4番打者。絵に描いたようなピンチだ。雨がひどくなってきたから、中島の応援席にはもうほとんどギャラリーはいなかったが、何人かの熱心な者たちが残って声を張りあげて応援していた。中島も勝つために必死なんだ。だから4番打者もバントの構えを見せては氷山先輩を走らせていた。
2ボール後の3球目。
バントの構えをしたから先輩はマウンドを降りて走ったが、足がもつれて倒れた。判定はボール。ノーストライク3ボール。倒れた先輩を見て、まだ多くが残っている泉川の応援団は悲鳴を上げた。
主審がタイムをとり、先輩に駆け寄った。ベンチからも内野陣も駆け寄った。
先輩の容態は深刻だった。激しい疲労のせいか、倒れるとき受身もできず、頭から倒れた。意識がなかった。主審からの問いかけに、やがて意識は取り戻したが、主審は疲労困憊の様子と右手の血マメを認め、これ以上の続投は無理と判断し、ヨッパライと相談していた。やがてチームメイトの肩を借り、退場していく先輩と入れ替わりのように僕が呼ばれた。
ヨッパライが言った。
「谷山、いけるか?」
いつもなら迷わず行けますと答える僕だが、この時はちょっと迷った。足も、指も、かわるがわる痛い。それに雨が降っているし、ノースリーだから、ボールひとつで同点だ。そんな状況だから誰がやっても荷が重い。
「ここまで来て、むざむざ負けるわけにはいかん。お前にも思うことがあるだろうが、ここを任せられるのはお前しかおらん」
思ったより、まっとうなことを言うじゃないか。内野陣もベンチメンバーも、祈るような表情で僕を見つめていた。確かに、ここは僕しかいない。そう思うと闘争心が痛みを抑え、僕は大声で答えていた。
「いきます!」
マウンドへ向かう僕に、新田が駆け寄ってきた。ソックス越しに湿布剤を吹きつけ「頼むよ」と言って、ベンチへ戻っていった。
雨。ノースリー。ワンボールで同点。打者は4番。そして指も痛いし足も踏み込みが効かない。
こんなボロボロの状態で投げるなんて。事情を知らない中島の応援席はエースを引きずり降ろし補欠の投手が出てきたと思ってトーンが明るくなっていた。
投球練習をしてみたが、どうしても左足の踏み込みができない。痛くて痛くて、逃げられるなら逃げたい。僕はいつものように天を見上げた。そして深呼吸した。
さっき、新田に言った通りだ。「ここで踏ん張らなかったら一生後悔する」。
よし。僕は覚悟を決めた。
プレイがかかった。
満塁なので、大きく振りかぶった。三連覇した時の強い気持ちを思い出せ。踏み込んだ左足に激痛が走ったが、かまわず腕を振り切った。
ボールはうなりをあげて飛び、ど真ん中に構えたはるちゃんのミットに収まった。泉川サイドから「わぁっ」と歓声があがった。いつものことだが、中島ベンチはざわめいた。
よし。いける。
とにかく豪速球で3球三振を狙った。もっとも1球のボールも許されない僕らには他に選択肢はなかった。しかし甲子園予備軍の4番は、そう甘くない。2ストライクはとれたものの、簡単に三振しなかった。ファールで粘られた。
しぶといな。そう思っていると、スタンドから「ゆうちゃん、がんばれ」と、恵ちゃんの声がかすかに聞こえた。あれ、今日はバスケ部も試合のはずだけど。そう思ってスタンドを見ると、美咲ちゃんが手を振っていた。姉妹だから声が似ている。そんな当たり前のことを今さらながら思い出した。たぶん恵ちゃんから今日の試合のことを聞いて来てくれたのだろう。
僕の5球目はカットされた。6球目もだ。
雨と足の痛みのせいで、いつもの8割方の豪速球でしかないので通用しないのかも。でも、僕の切り札は豪速球しかなく、それで押し切る以外に道はない。冷や汗なのかあぶら汗なのか、いつも以上に僕はびっしょりと頭から汗をかいていた。雨も混じって、本当にボロボロだ。
でも。
足がつぶれようが、倒れようが、今は僕を信じてくれるチームメイトのため、そして自分のために全力で投げるしかない。気合を入れろ!そう言い聞かせた。そして大きく振りかぶり、大きなテイクバックから左足を踏む込むと信じられないような激痛が走った。痛かろうが、何だろうが!僕は半ばやけくそのように渾身の力で7球目を投げた。
ボールはしゅうしゅうと、空気を切り裂きながら飛んでいった。
がこん。
鈍い打球音がした。勝った。僕はそう思った。
ふらふらとライト前にフライが飛んだ。討ちとった当たりだ。
しかし逆転を許さないために、ライトは深い位置にいた。
「あ」
僕はびっくりした。
ライトに入っていた白石は水たまりを蹴散らしながらひたすら前進。
セカンドのまっちゃんも懸命にバックしたが間に合いそうにない。
ポテンヒットか?
その場にいた全員が、息をのんだ。
白石は懸命に走った。
時間が長く感じられた。
「がんばれ!白石!俺たちは、勝つんだ!」
僕はホームカバーに走りながら、白石を見守った。
時間が、とても長く感じられた。
白石は飛んだ。頭からのダイビング。帽子が飛んで水しぶきが派手にあがった。
ボールは?
場内は静まりかえり、白石を見つめた。
捕った!
白石は放していなかった。
グラブに収まった白球を頭からずぶ濡れの白石が高々と掲げ審判にアピールした。
「アウト!」
勝った。
ようやく勝てた。
甲子園予備軍に!
スタンドが湧き、ベンチから全員が飛び出してきた。
僕が、そして戻ってきた白石が、みんなからもみくちゃにされた。
完読御礼!
いつもありがとうございます。
次章もよろしくお願いします。