第一章 桜の花のあと
すみません。
この物語も普通の少年少女の物語です。
先に掲載した「野球少年_新田編」の本編にあたる作品です。
基本はスポ根(古!)モノで、強敵を次々に倒していく王道の内容ですが、彼女の恵ちゃん、新聞部長阿部先輩、マネジャーの吉永、恵ちゃんの妹で小悪魔的美少女の美咲ちゃんたちがからむ恋愛模様もちょっとだけ描きます。
序盤は野球一筋ですから、恋愛模様がお楽しみの方は、第四章阿部先輩からが良いかもです。
取材一直線の台風少女阿部先輩は、けっこうおもしろいキャラクターじゃないかなーなんて自画自賛しています。
今回はやる気十分で入った野球部がオンボロで困惑しながらも目標になる先輩を見つけて決意を新たにしようとしたら、その先輩が・・・
というような内容です。
では、お楽しみください!
第一章 桜の花のあと (今回はここです)
第二章 絶対王者
第三章 グランドスラム
第四章 阿部先輩
第五章 三日月の夜
第六章 死闘ふたたび
第七章 奇跡の硬球ふたたび
第八章 クロスファイアー
第九章 酔いどれ記者
第十章 夏の日々
第十一章 鬼柴田
第十二章 全面戦争
第十三章 池のほとりで
第十四章 決勝へ
第十五章 決 勝
第十六章 まだまだ
第一章 桜の花のあと
中学生になった僕を待っていたのは『0点男』という何とも有り難くないニックネームだった。
そもそも小学野球の公式戦で投手の僕は1点も与えなかったから、みんなは冷やかし半分のほめ言葉としてそう呼んだのだが、あまり語感がよろしくない。普通の社会であれば、大人たちは眉をひそめ、先生たちは本気で心配するか見放すかのどちらかだろう。
あれから卒業式に入学式にと何かと大忙しだったが、みんな同じ中学に進み、小学校野球部でレギュラーだったメンバーは中学校でも野球部におさまった。いや、正確にいうと半レギュラーでヤジ将軍の橋本は入部していないし、意外だったのは、老舗料亭の跡取りお坊ちゃまである新田が入部したことだ。家業の修行もやり遂げるからと、両親を説得したらしい。思えば小学校最後の試合で僕が怪我をしたばっかりに5年生の吉田がピッチャーをし、新田が外された。最後までグランドに立てなかったことがどうしても心残りだったようだと、はるちゃんに聞かされた。
小学校時代。
当時は小学校の部活動として野球部があった。僕らの東原小学校野球部は、個性的で野球好きなメンバーが集まっていて、みんな鬼監督のしごきに耐え、春・夏・秋に行われる市の公式戦で三連覇した。絶対的エースの藤井(ふうちゃんというあだ名だった)が春の大会後アメリカへ転校して行ったので僕がエースを受け継いだ。もともと練習嫌いで気分屋の僕だったが、とても重い不思議な硬球での練習と、彼女である恵ちゃんの励ましのおかげで、めでたく0点男の称号を手に入れたのだ。
さて、中学は周辺3つの小学校から生徒が集まるので、当然、他校だった野球部員と一緒になる。たまに練習試合をしたから、なんとなく顔はわかる。その連中が僕を0点男呼ばわりしていた。もちろん、笑顔で言っているので僕もあからさまには怒らないが、正直、腹がたたないはずはなかった。でも、それよりもっと驚いたのは、野球部監督のニックネームだ。「ただのヨッパライ」らしい。まだ入部届けを出したばかりで、部室にも練習にも行っていないから、本当のところはわからない。ただただ「ただのヨッパライ」でないようにと祈るばかりだ。そうそう。恵ちゃんは、相当迷っていたが、結局小学校時代と同じくバスケット部に入部した。「部活が終わったら一緒に帰ろうね」と笑っていた。
そんなこんなで、とにかく僕の中学生活が始まった。
桜の花が、咲いていたことなど完全に忘れてしまったかのような葉桜となり、慌ただしかった入学のいろんな行事も終わり、初めての詰襟服も馴染んできた頃。僕らは未だに野球部の練習に参加していなかった。何の知らせも案内もなく、どうすればいいのかすっかり困った。僕らの中学は、東原小、泉川小、藤岡小の3校からなり、それぞれの小学校で野球部だった面々が入部届けを出していた。お互い顔なじみなので情報交換したが、やはり何の動きもないらしい。そこで今日の放課後、東原代表が僕と、元キャプテンで捕手の春木(はるちゃんと呼んでいた)泉川代表がキャプテンだった吉岡、藤岡代表もキャプテンだった上田の4人で、話を聞きに行くことにした。
放課後。
僕らは正面玄関に集まり、その隣にある職員室に向かった。野球部の部長先生は六の家と書いて『ろっか』先生という。パーマ頭に無精ひげがトレードマークだ。お辞儀をして職員室に入ると、六家先生は窓際の自席で、何か作業をしていた。
「あの・・・」
はるちゃんが声をかけた。それでも先生は気づかず作業に夢中だ。はるちゃんは意を決して大きく、はっきりと言った。
「六家先生。相談があります」
先生は作業をやめず、目線は机上の書類に置いたまま「ん?」と言った。
「先生、相談に来ました」
吉岡がはっきりそう言ったところで、やっと先生は僕らを見て「おまえたち・・・」と言った。しばらく無言で僕らを見つめていた先生の 次の言葉に、僕の心は倒れそうになった。
「誰だ?」
4人ともあまりの言葉に、状況が把握できず目が白黒していた。隣にいた年配の桑原先生がとりなしてくれた。
「先生、野球部の新入生ですよ。彼らは」
まったく、六家先生に直接入部届けを出したじゃないか。「ただのヨッパライ」監督といい、六家先生といい、でたらめだ。そう思うと相変わらず起伏の激しい僕の感情が音も立てずに燃え上がりはじめた。
にこにこしながら桑原先生が言った。
「今年の野球部は楽しみですな。何と言っても、その谷山君は小学校で一番だったピッチャーですから県大会も狙えますなあ」
桑原先生は事情通のようだ。僕の名前を知っている。ちなみにフルネームは谷山勇太と言う。しばらく僕らを見つめていた六家先生は、まるで無関心で「ふん」とでも言うように、目線を机上の書類に戻した。桑原先生が、とりなすように言葉をつないだ。
「先生、新入部員たちは何か相談があるのでしょう」
六家先生は作業をしながら僕らに言った。
「練習がきついなどと言っても、俺は知らんぞ。監督に言え、もっとも、まともな練習じゃないだろうがな」
そんな突き放したような言葉に、僕らは何が何だかわからなかった。
「氷山の事ですか?」
桑原先生はそう言うが、六家先生は答えなかった。隣にいた大谷先生がわって入った。
「氷山は何をやっても優秀なのに、何であんなにしちゃってるんでしょうな」
「私のせいとでも?」と、六家先生が厳しく言い返した。
「誰もそんなこと言っていませんよ。そもそも六家先生は小川先生の代理で、野球部のことはご存じないでしょう」
何だか僕らの知らない大人の世界の空中戦のようで、僕にはさっぱりわからない。
はるちゃんが聞いた。
「小川先生って誰ですか?」
桑原先生が答えた。
「若い女の先生でな。本当の野球部長だ。今はお産のために長期休暇中なんだよ。その間、本来軽音楽部の六家先生が代理の野球部長を兼ねているんだ」
何となく事情が分かってきた。それでも、ほったらかしはひどいじゃないかと思った時、六家先生が吼えた。
「とにかく俺は軽音で、ロックがやりたいんだ。野球部までは面倒見きれん。苦情があるなら監督に直接言え」
机上を見ると、楽譜があり、先生は作曲作業中のようだ。
「いや、苦情も何も、僕らはまだ部室にも行っていません」
六家先生はハッとした顔つきになった。そして、何やらごそごそと机のまわりをいじり始めた。
「ああ、すまん。おまえらの入部届けは、まだここにある。何の手続きもしていなかった」
ニカッと笑う六家先生の笑顔はさわやかだったが、僕の心は倒れた。本当に大丈夫か。この中学は。ともかく、六家先生から急ぎ監督に連絡を入れてくれ、明日から部室に行くことになった。
さあ、ここから始まるんだ。
翌日の放課後。
僕ら新入部員はジャージ姿で、そろって部室に行った。部室は野球グランドの隣にあり、ブロックで造られた簡素な部屋だ。野球部だけでなく長屋のように各部の部室がつながっている。それでも部室すらなかった小学校時代より雰囲気があっていい。
テニス部やらサッカー部やら、にぎやかな掛け声の中、僕らもいよいよ野球ができると思い、期待に胸を膨らませていた。
はるちゃんが代表して扉を開くと、薄暗い部屋の中に気の弱そうな先輩が一人いた。
「先輩、よろしくお願いします」
はるちゃんがそう言うと、その先輩は無関心のように「ああ」と小さな声で答えた。
「他の先輩はどこですか?挨拶しないと」
吉岡がそう言うと、先輩はぼそぼそとつぶやくように答えた。
「キャプテンは来ないよ。副キャプテンの氷山も、みんなもたぶん」
「え?じゃあ部活は?」
「さあ。僕はとにかくボールをきれいにしとけと言われただけだから」
何てことだ。昨日の大人の空中戦は、僕らの問題でもあったんだ。確かに、入学してから一度も野球部の練習風景は見たことがない。要は、やる気のない部なんだ。ここは。そう考えると無性に腹が立ってきた。
小学校時代。
なみいるライバルたちに打ち勝つために、それこそ鬼監督のしごきに耐えてきた僕らにとってあまりにも酷過ぎる。もう完全に頭にきた。「かまわないから、練習しようぜ」というやまちゃんの声に一も二もなく賛成し、僕らは勝手に道具を引っ張り出そうとした。
「やめてくれよ。僕がキャプテンに怒られる」
そう言ってひきとめる気の弱そうな先輩を無視し、僕らは練習を始めた。東原出身者はもちろん、泉川も藤岡も、みんな手慣れたものだ。どこの学校もだいたい同じ手順での練習だから、みんなで力を合わせて僕らなりの練習をした。はるちゃんが中心になって声を出していた。東原は8人、泉川は2人、藤岡は3人。計十三人の新入部員は久々の練習が嬉しかった。
その日、とうとうキャプテンも監督も先輩も誰も来なかった。
ひと騒動あったのは、翌日の昼休みだ。田中が血相変えて僕の教室にやって来た。
「野球部全員集合!はるちゃんの3組だ」
そう伝えると他の教室に走って行った。何だろうと思いつつ行って見ると、教室前の廊下に人だかりができていて、その中心からやまちゃんが誰かと言い争う声が聞こえた。
「だから俺は筋を通せと言っているんだ!」
「やかましい!練習もしねえで、先輩づらすんじゃねぇ!」
先輩?って誰?状況が掴めぬまま、人だかりの中心へ割って入ると、はるちゃんとやまちゃんが、誰だかわからないゴツイ男と相対していた。
「だから、おまえらの入部はおととい監督から聞いた。それはもうそれでいい。でもな、俺は中村にボール磨きをしろと言ったんだ。キャプテンの俺が言うことは守れ!」
「ばかか、てめえは!だから俺たちはそんな指示は聞いてねぇ」
どうやらゴツイ男はキャプテンのようだ。
「ばかだとぉ」
キャプテンは、いよいよ怒り、取っ組み合いでも始まりそうな勢いだった。
キャプテンの言うことも一理あるように思えた。しかし、やる気もない奴らにおかしな指示をされるのは、僕も納得できない。はるちゃんも気持ちは同じのようだ。
「筋を通せと言われるのはわかります。でもキャプテン。筋と言われるなら、先ず新入部員を出迎えて、その上で指示されるべきではないでしょうか」
「それに」と、人だかりの中からまっちゃんが口をはさんだ。
「俺たちは、本当にあんたがキャプテンかどうかも知らないぜ。通りがかりに因縁をつけられているような気分だ」
「因縁だとぉ!」
「やるって言うのか!」
そう叫ぶやまちゃんの周りにはいつの間にか吉岡も新田も白石もいて、キャプテンを取り囲んで、にらみつけていた。
「やるならやるで構いませんが、先輩は受験も近いのに、問題は起こしたくないでしょう。だから、野球で勝負しませんか。僕らの実力を見てもらえば、いかに野球がやりたかったか、分かってもらえるはずです」
「ふん」キャプテンは鼻で笑った。
「小学レベルで生意気言うな。俺らに勝てる訳ないだろう」
すかさず、やまちゃんが言い返した。
「だから、ばかかてめえは。俺らのことも知らずに大口たたくな!」
さすがにキャプテンは、やまちゃんの胸ぐらをつかんだ。
「なんだ、やるのか」
やまちゃんはそう言ったが、さすがにはるちゃんが止めに入った。
「先輩、やめてください。やまちゃんも。何度もばかはひどいよ」
じゃあ、1回ならいいのか?とヤジ将軍の橋本ならツッコミそうだ。しかし、やまちゃんは本気で頭にきていた。
「ばかにばかと言って何が悪い!どうせ野球も下手くそなんだぜ。練習して練習して、苦労を重ねてうまくなるのに、練習もしない野球部員はおおばか者だ!」
やまちゃんの言葉は僕の心をうった。つらくて、きつくて、何度も吐きそうになった鬼監督のしごきを思い出した。さすがにキャプテンの心も捉えたようだ。胸ぐらを掴んだまま、やまちゃんを見つめていたが、やがて手を離し「ふん」と鼻を鳴らし、辺りを見回しながら言った。
「どいつもこいつも生意気そうなツラしてやがる。いいだろう。明日、野球で勝負だ。おまえら負けたら土下座して今後は絶対服従だ。いいな」
「先輩たちが負けたらどうするんですか」と白石が言った。
キャプテンはまた「ふん」と鼻で笑った。
「最近まで小学生だったおまえらに負けるわけがない」
あきれたような落胆したような複雑な表情でまっちゃんが言った。
「先輩は俺らのこと本当に知らないんだな」
「先輩、どうするんですか」
驚いたことに童顔でふだんは大人しい新田が詰め寄った。
「いいだろう。もし負けたら俺が土下座する」
キャプテンは「チッ」と舌打ちしながら、引き上げていった。その姿が見えなくなると、やっと安堵したのか、吉岡が崩れ落ちそうになった。
「さすが東原のメンバーは違うな。あんなゴツイ先輩相手に一歩も引かないもんな」
そう上田が言うと、野次馬の一人が聞き返した。
「さすがってどういうこと?」
上田は自分の事でもないのに、自慢げに言った。
「東原は小学校の大会で3連覇したのさ。あのスポーツ万能成績優秀の中島学園すら圧倒的に蹴散らしたんだ」
「お~」というどよめきが起こった。中島学園が文武両道の優秀校である事は誰もが知っている。いつの間にか集まっていた野次馬に、どうやらお調子者のような上田が、僕らの戦績を饒舌に語った。足が速くて、守備が堅くて、ホームランも飛び出すような、手のつけられないとんでもないチームだったと。
「だから、俺はこいつらと野球ができるのが楽しみだったんだ。俺らは県大会も狙えるぜ。今に有名人だ。新聞に載るかもな。それにスカウトの目にもとまるかもな」
そう言って愉快そうに笑っていた。
その日の放課後。
僕らは昨日のように自主的に練習した。少し違っていたのは、実戦的な守備練習と僕の投球練習を加えたことだ。吉岡もピッチャーだから一緒に練習した。久しぶりにはるちゃんを座らせて投げた。この頃僕は、あの重い硬球に頼らなくてもキレのいい球をどんどん放れるようになっていて、はるちゃんのミットが快音を発していた。隣にいた吉岡は、「やっぱり、すげえな。おまえは」と感心したようなあきれたような顔をしていた。
さて、いよいよ翌日の放課後。
初めて見る先輩たちも集まってきていた。その中で一人だけ、東原時代の先輩がまじっていた。僕とは同じ外野のレギュラーだったが、特に親しかった訳ではなかった。噂を聞きつけた野次馬が何人か来ていて、その中には恵ちゃんも友達を連れて来ていた。久しぶりの感覚だ。試合なんて、もう半年もやっていない。どちらかというと緊張感よりうれしさの方が勝っていた。
僕らと先輩たちは別々にアップしたあと、いよいよ試合が始まった。先攻は僕らだ。
あのキャプテンは、ピッチャーのようだ。マウンドに上がって投球練習をしている。そのぎこちないフォームを見て、本当にエースなのか疑問が湧いた。あんな格好じゃ僕には勝てない。
1年チームは旧東原を中心にしたオーダーだ。主審は2年生の先輩が務めるが、先輩たちは2年生が7人、3年生が3人の計十人なので塁審は1年生が務めることになる。
主審と言っても、かなり生徒Bに近い雑魚キャラのような先輩が、「プレイ!」と号令した。
先ずはカウント稼ぎの甘い球が来た。ごく当たり前のように1番ガンちゃんは3塁線へセーフティバントを決めた。いきなりでびっくりした3塁の先輩がドタバタとやってきて捕球した時、既にガンちゃんは1塁を駆け抜けていた。僕らの形は健在だ。いや、それ以上かも。ガンちゃんの足は更に速くなっている。
2番まっちゃんは、ぶるんぶるんとバットを振り回しながら打席に入った。「バントするぞ」の合図だ。3回まわしたから3球目。
セットになったキャプテンは、先ずは牽制球を投げた。そんなことをしたら、ガンちゃんの思うツボだ。かなりの確率で癖を見抜く。案の定 1球目に、これも当たり前のように、ガンちゃんは盗塁を決めた。先輩たちの困惑が手に取るように分かった。
カウント1-1からの3球目。
まっちゃんは、かなりのくそボールを、予告通りバントした。キャプテンが1塁側で捕球した頃には、ガンちゃんは既に3塁目前だった。 さすがはキャプテンだ。タッチプレイが必要な3塁をあきらめ、確実に1塁でアウトをとった。
僕はヘルメットをかぶり、バットを持ってネクストバッターズサークルに向かった。「がんばってねー!」という恵ちゃんの応援が聞こえた。
リラックスして打席に立ったやまちゃんは、あの軸回転打法の構えをしていた。すっかり板についている。やはり昨日あれだけ言いあったやまちゃんには、キャプテンも力が入るのだろう。精一杯の速球で勝負にきた。でもそれくらいなら、ニヤついた男や川上にも及ばない。やまちゃんは軽々とセンターオーバーを放ち、自身は3塁まで行った。楽々と1点先制。「おまえらと一緒でよかったよ」そう言う上田の声を聞きながら僕は打席に入った。
僕の打球はレフトを越えた。レフトの先輩は、その先のテニスコートまでボールを追いかけて行って、その間悠々と僕はホームを踏んだ。その後、田中、白石と連打が続き、新田は送りバント、1塁に入った吉岡がライト前ヒットでもう1点。チャンスに強いはるちゃんも当然ヒットを放ち、やまちゃんが倒れるまで僕らは1回だけで6点とった。
いつの間にか隣接するテニス部やサッカー部からもギャラリーが来ていて、ちょっとどよめいていた。声を弾ませて「がんばれー」と言う恵ちゃんの応援を背に、僕はマウンドにあがった。投球練習を済ませ、プレイがかかると、僕は天を見上げた。これをやると僕は落ち着く。 今日も見渡す限りの青空だ。
僕は大きく振りかぶった。
はるちゃんのサインはど真ん中豪速球だ。そうさ。それでないと面白くない。あのやかましいキャプテンを黙らせてやる。僕は大きく足をあげ、渾身の力で投げ込んだ。
ドーンというミットの音が響いた。
ギャラリーは沈黙し、それ以上に先輩たちが目を白黒させていた。1番打者は、生徒Cのような先輩で3球三振。2番も3番もだ。バックのみんなが笑顔でハイタッチしながら、ベンチへ引き上げている。僕だって、この半年で随分成長したんだ!
はるちゃんが、キャプテンに声をかけた。
「どうします?キャプテン。もう僕らの実力はおわかりでしょう。まだやりますか」
キャプテンは苦虫を噛み潰したような顔をしていたが「ばかやろう。野球は9回までだ」と言った。練習もしないで、ただ威張りちらすだけのゴツイ先輩だと思っていた僕には意外な返答だった。プライドと意地だけはまともじゃないか。そう思った時、ギャラリーの中の一人が「その通り」と言った。見ると、端正な顔立ちで背が高く、髪の長い生徒がニコニコしながら、人ごみをかき分け一塁ベンチの辺りにやってきた
「田所さん、ずるいですよ」
キャプテンは田所というのか。
「ああ氷山か」
え?ひやま・・・どこかで聞いたような?
「こんなに楽しそうな事、僕に教えてくれないなんて」
「ああ。すまん。おまえに出てもらう必要はないと思っていたんでな。しかしこの有様だ。いっちょうシメてもらえるか」
「当然ですよ。僕がエースなんだから」
ああ。と、僕には合点がいった。キャプテンがエースなら、あまりにお粗末だ。ちゃんとエースは別にいたようだ。
「おい、1年。ピッチャーが替わるぞ。うちのエースだ。氷山、急いで着替えて来いよ」
「いや田所さん、着替えは部室に置いていないから、このままでいきます」
氷山という男は、詰襟服を脱ぎベンチに置いた。そしてその辺にいた部員からグラブを借りてマウンドにあがった。驚いた事にキャプテンは捕手だった。
投球動作が極めてスムーズだ。こいつはデキる。はるちゃんも分ったようで「谷山、ねばって様子を見てくれ」と僕に言った。
プレイ再開。打順は僕からだ。
1球目。
かなりキレのいいストレートが外角に決まった。
2球目。同じ球だがボール1個分外れた。
3球目。これもキレのいいカーブが決まった。
4球目。速球が胸元にきた。しかしボールだ。田中はネクストバッターズサークルで、タイミングをとりながらスィングしていた。 まっちゃんも、はるちゃんも、ずっと球筋を見つめていた。さあみんな。そろそろいいかな。これは、決して打てない球じゃない。
5球目。外角のくさい球を僕はカットした。6球目。内角速球をバットに当てて、3塁側へカットした。
「がんばれー」という恵ちゃんの悲鳴のような応援が聞こえた。ギャラリーから見ると、僕が追い込まれているように映るのだろう。でも、そうじゃない。僕は氷山という男との対決を楽しんでいた。そう。これは初めてふうちゃんと対決した時と同じだ。ふうちゃんの姿が、氷山という男に重なって見えた。そして、勝負のカーブが来た。すごい球だと思った。こんな先輩もいるのなら、生徒BからJしかいないと思っていたこの野球部も捨てたものじゃない。
しかし。
僕のバットが快音を発し、ボールはテニスコートまで飛んで行った。涼しい眼差しを僕に向け透き通った笑顔を見せたその男は僕の中で、すごい先輩になった。
2打席連続ホームランを放った僕に、ベンチは沸いた。この先輩からはそうそう点がとれないことをみんな分っていたからだ。案の定、職人田中も、当たればでかい白石も、当然新田も、簡単に討ちとられた。
ベンチに引き揚げる氷山先輩は、いつの間にか増殖していた女子生徒ギャラリーから大きな声援を浴びていた。
氷山先輩は確かにイイ男だ。こっち方面もすごいのかと思いつつ僕はマウンドに上がった。
打順はキャプテンからだ。さて、どんな打者なんだろう。
初球は、外角低めに速球を投げた。キャプテンは食らいついてきたが、バットは空を切った。
2球目。内角高めの誘い球。1個分外したからか、キャプテンは見送り、ボールになった。
ふん。キャプテンだけはある。センスは悪くないようだ。
3球目。
外角低めの遅い球。タイミングを外されたようで、また空を切った。
4球目。
さて、そろそろ往生しやがれと思い、僕は真ん中低めに豪速球を投げた。豪速球の場合、相変わらずこまかな制球力はないが、高め低めくらいは投げ分けできる。
ボールはうなりをあげて飛び、はるちゃんのミットに快音を発して収まった。
見送り三振。
キャプテンはしばし呆然としていたが、やがて「ふふん」とでも言うような複雑な笑みを浮かべて引きさがった。どういう意味の表情なんだ?
続く5番も6番も3球三振に切って取り、攻守交代。僕らの攻撃も、案の定氷山先輩に簡単に抑えられた。
氷山先輩との対決。
どんな打者なのか。いや間違いなくすごい打者だろう。そう覚悟しておいた方がいい。やはりボールには手を出さず、くさい球はカットして、さっきのお返しとばかり粘られた。それならと、ど真ん中に豪速球を投げた。
しかし先輩はその豪速球を狙っていたのだ。快音とともに、打球は舞いあがった。「さすがだ」と思う余裕が僕にはあった。高々とあがったものの、やがてガンちゃんのグラブに収まった。
「あ~」と悔しがったのはキャプテンその他生徒C以下で、氷山先輩は涼しげな笑顔を絶やさなかった。そんなところもふうちゃんに似ている。
続く2人の打者を討ちとり3回が終わった。
ベンチに戻ると、はるちゃんが僕に聞いてきた。
「点差もあるし、ここは吉岡に投げさせようと思うけどいいかい?」
未知数の氷山先輩が敵だと言うのに、不思議な話だった。
「誰であれ、谷山なら負けないさ。それはもう分ったんだ。でもね僕らの中学野球は始まったばかりだから、いろんなことを経験しておいた方がいいと思うんだ」
「わざと負けるなんてごめんだぜ」と、やまちゃんが口をはさんだ。
「僕だって負ける気はないさ。だから谷山には1塁に入ってもらう。いけるところまで行って、いよいよになったらシメてもらう。このままじゃあ、野手は守備機会もろくにないんだよ。それは良くないじゃないか」
「まるで、俺が打ち込まれるような言い草だな」と、吉岡は笑った。
話の途中で、僕は打席に立った。
さすがに2回も打たせてくれない氷山先輩のうまさに、僕はまんまと3塁ゴロを打たされ、攻守交代。はるちゃんが主審に伝えた。
「ピッチャー吉岡に交代。谷山は1塁」
先輩達のベンチから「なめられたもんだな。俺たちも」と言うキャプテンの声が聞こえてきた。
吉岡のチームとは小学5年の頃、何度か練習試合をやった。その頃の僕は外野で吉岡と投げ合ったのはふうちゃんだ。
泉川小は、やる気のないチームではなかったが、僕らには一度も勝っていない。彼の印象は、変化球のうまい器用なピッチャーというものだった。
プレイがかかり、吉岡のマウンド姿を久しぶりに見る。
やはり器用なヤツだった。
はるちゃんの要求通り無難に投げているし、かなり未完成だった変化球も、すいぶん良くなっていた。おかげで先輩たちは打たされる格好となり、三者凡退に終わった。
「吉岡君もけっこうやるね」
そう言って不敵に笑ったのは意外にも新田だった。気が小さくて優しいだけのお坊ちゃんと思っていたが、やはり東原のレギュラーだった誇りを持っている。
僕らの攻撃も氷山先輩に軽くひねられ、早々と交代になった。
この回はキャプテンからの打順だ。さすがにキャプテンだけはある。はるちゃんの巧みなリードをかいくぐり、センター前へ弾き返した。 この試合初めてのヒットに、先輩たちのベンチが沸いた。続く5番打者も3年生だ。別にヒット1本打たれただけなのに、吉岡は落ち着かない様子だった。点差もあるし、そんなに緊張しなくても。そういう吉岡を落ち着かせたのは、はるちゃんの送球だ。
3球目。
ランナーまで気が回らない吉岡のスキをついてキャプテンが走った。
スタートは悪くない。
足もそんなに遅くない。
このキャプテンには、まあ才能があると言ってもいいだろう。でも、はるちゃんが黙っているはずはなく、矢のような送球だった。土埃をあげて滑り込みタッチアウトになった時、キャプテンは目を白黒させながら、ようやく僕らの超小学級の力を実感したようだ。
1塁側ベンチに戻ったキャプテンは氷山先輩に話しかけられた。
「面白いですね。彼らは」
「ああ。見くびっていたが、とんでもない連中だ」
「さすが中島を三度も倒して3連覇しただけはありますね」
「え?そうなのか?あの中島を?」
「知らなかったんですか。彼らは中島から絶対王者って言われていましたよ」
「知らん。が、そうか。どうりで」
「面白いでしょう。僕もはりあいが出ます」
「おまえがそう言ってくれると、これからが楽しみだな。生意気な奴らだが」
結局試合は、僕らの勝ちだった。
先輩たちは吉岡から連打による2点と氷山先輩の意地の1発による1点の3点のみ。
僕らも氷山先輩からはそれ以降得点できず、終わってみれは7対3。状況を考えると、僕らの圧勝と言っていい。それに、やはり中学生の打球は球足が速く、さらに半テンポ早く始動した方がいいというような収穫もあった。
久々に試合ができて楽しかったし、最後にはキャプテンも笑っていたし、目標と思える氷山先輩にも出会えたし。めでたしめでたしと思っていたが、そう言えばキャプテンの土下座を忘れていた。
雨降って地固まるというのはこのことを言うのだろう。もしくは、桜吹雪のあと、鮮やかな新緑が青空に映えるように僕らの心は晴れ晴れとしていた。
元々そんなに熱心な野球部ではなかったようだが、キャプテンも氷山先輩も、その他の先輩も何人かは練習に出て来るようになった。
キャプテンは時折り意地悪そうな笑みを浮かべ、僕らにタイヤ引きを命じたり、うさぎ跳びを命じたりしてくるが、それは僕らのためになるので特に文句は言わなかった。あんなにゴツイ嫌なキャプテンだったのに、今は愛嬌のあるゴツイキャプテンだ。生徒B以下の先輩たちも僕らの力を認めてくれている。
ようやく、中学野球のスタートラインに本当に立つことができた。
そんなこんなで3週間もたった頃。六家先生が僕らのところにやって来た。中島中から練習試合の申し込みがきているという。
生徒BからFのような先輩たちは一様に驚きの声をあげたが、僕らにとっては「さぐりにきたな」程度の感想だった。
それから「女生徒が8人くらいマネージャーをやりたいと言ってきているがどうする?」と聞いた。そっちの方が驚いた。キャプテンは苦笑いしながら答えた。
「どうせ氷山目当てなんでしょう。長続きしませんから断ってください」
「本当にいいのか。先生としては生徒の希望はかなえてやりたいが」
キャプテンは考えていた。その双肩には生徒BからF先輩の熱い視線を背負っている。
「う~ん。わかりました。許可して下さい」
「よし。では正式に手続きしておこう。もちろん本気かどうかは聞いておく。監督には先生から伝えておく」
六家先生は意外に面倒見がいいんだな。
後で事情通の上田に聞いたところ、族仲間との付き合いや女生徒とのよからぬ噂が絶えなかった氷山先輩を最近更生させたとして六家先生の株があがったらしく、軽音だけでなく、野球部にも目が向き始めているらしいとのことだった。
野球は、バットとボールの作用と反作用だが、世の中もどこでそうなるか分からないものだ。それにしても、あの優男の氷山先輩が族とつるんでいたなんて、にわかには信じがたい話だった。
完読御礼!
ありがとうございました。
この作品も前作「あの暑い夏の陽に」同様、おひとりでも読んでくださる方がおられましたら、最後まで掲載したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします!
*この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。