記録六:実験室の攻防
触手の塊は内にメールとグリモア、色白男を含み、地下へ地下へと降りて行きます。
男の研究室からトンネルが掘られており、そのトンネル内を、触手は縦横無尽にうねり巡っていたのです。
5分ほど潜ったでしょうか。
ついに触手はそのうねりを止め、にちゃりと粘着質な音を立てて、色白男を降ろしました。
「クカカカカカ!!!…ありがとう!!!愛しき子らよ!!!」
ウネウネと触手は喜び、トンネルに戻って行きます。
「さあ!!!実験室はすぐそこだ!!!」
男は意気揚々と歩き出します。間も無く、石の扉が見えてきました。
重く固く閉ざされ、開きそうもない扉です。
「"我が声を聞け。緑の友よ"」
ガガッ
ガガガガガガガガガガガガガ…
ゴゥン
男の呪文で、扉は鈍い音を立てつつ開きました。まるで本当に友を招き入れるかのように。
「さあ!!!ついたぞぉ~!!!ついに僕の悲願が叶う!!!クカカカ!!!」
その部屋は巨大な食虫花の巣食う部屋でした。触手も無尽蔵にあたりを埋め尽くしています。
花は真っ赤に色付き、花弁には所々に牙が生えています。
花の前に巨大な鍋があり、ぐつぐつと煮立っています。
色白男はその鍋の前に陣取ると、薬を鍋に入れ、本を見ては混ぜ、呪文を唱えるという作業を始めました。
「フ~ンフフ~ンフフ~ン!!!」
男の鼻唄は、鼻唄というにはあまりに大きく、そこら中に反響します。花はそれを嬉しそうに聞いています。触手も爛々と蠢き、リズムに合わせて騒めきます。
「…」
キリ…キリ…キリ…
そんな色めき立つ男の頭を、背後から狙う者がいました。
メールです。
メールは、実は起きていたのです。
研究室に着いた時にはとっくに。
色白男は、ただの弓矢を持った村娘が気絶したと思って油断していました。しかしそうではありません。
メールは村娘は村娘でも、戦士の卵でした。確実に男を殺せるその時を、淡々と待っていたのです。
キリ…キリ…キッ…
ついに弓の弦は限界まで引き絞られ、矢を放つ準備を終えます。
(落ち着いて…焦らず…心を無に…)
メールは指先に滲む汗にも構わず、狙いを定めます。
(落ち着いて…落ち着いて…)
スヒンッ!
ズシュッ!
「クがっ!?!」
男の頭を矢が貫きます。ついにメールが矢を放ったのです。
「やった…!当たった!」
「…ぶあっ!はあ!見てたでメールちゃん!!ほんま凄いわ!!オレ、惚れ直すわ!」
「早く逃げなきゃ…出口はどこ?!」
メールは慌てて周囲を見回します。しかしあるのは花と様々な機械、大鍋、本の山…
「どこなの?!」
「危ないメールちゃん!!」
「きゃあ!!」 ズガン!!
触手が攻撃してきました。目の前で色白男を殺され、あまりのショックに止まっていた思考から目覚めたのです。
触手…いえ、触手の元である食虫花にとって、男は大事な友達だったのです。
「なんでこんな化け物がこの遺跡に…」
「気いつけやメールちゃん!コイツのレベルは4や!攻撃がかすりでもしたら即致命傷やで!!左右からや!前に跳び!」
「きゃああっ!!」ズン!!ドゴン!!
触手の攻撃は苛烈さを増していきます。徐々に正気を取り戻し、怒りに染まっていました。花弁は赤黒く、妙な筋まで浮かんでいる有様です。
「あかん!こんままやとジリ貧や!あーもう!こんな時にアイツはなにしとんねん!」
ズズズズズズズズズ!!
ついに部屋全体が震え始めました。メール達を生き埋めにしようとしているようです。
「どうしよう…このままじゃ…」
「"バインドボイス"!!!」
ギイィィィィィィィィィン!!!
「ひぎぃっ!?」
「なっ….なんや…これっ…?!」
ズガッ!!………ズシャッ!
メールの動きが突然止まり、触手の刺突が命中してしまいました。
メールは吹き飛び、地面に叩きつけられます。
「かっ…かはっ……かふっ……はっ…」
「メールちゃん!息しい!!しっかり吸って吐くんや!!くそっ…誰や!何者や!!」
グリモアが前を見ると、そこには触手と戯れる色白男が立っていました。
頭には矢が刺さったままです。
「大丈夫…!!!大丈夫だとも我が友…!!!クカカカ…!!!村娘風情がやってくれる…!!!」
「お前っ…!生きとったんか?!」
「クカカカ…!!!魔族の脳細胞が、ただの矢なんぞで傷つく訳がないだろう!!?だが…久々に痛かったぞおおおお!!!」
「がぶあっ!!!」
色白男は、メールの腹を幾多も蹴りつけます。
ボキボキと骨が折れる音が実験室を埋め尽くします。
「ヒュー…ヒュー…ガッ…かふっ…」
「止めろお前えぇ!!こんな良い娘を…」
「だあまあれえ!!!僕は頭を貫かれたんだよそのいいむすめとやらに!!!」
ぐしゃあ!!
グリモアも男に踏みにじられます。グリグリと表紙の宝石を抉るように。
「ぐぎゃあああああああ!!!!」
「グリモアの魔石は心臓と同じなのだろう?!?さぞ痛かろうな!!!心臓をじかに踏みにじられるのは!!?クカカカカカカ!!!少しは溜飲を下げるというもの!!!…だがあ!!!こんなものでは生温い!!!貴様は1ページずつ丹念に紙片にし、鍋へ放り込んでやろう!!!小娘は全身の骨を痛覚を全開にした状態で粉々に砕き頭だけ生きた状態でゴブリンの巣に放り込んでやろう!!!クカカカカカカ!!!」
最早メールには蝋燭の火ほどの意識しか無く、グリモアはただ叫び声を上げるのみでした。
ドガッ…
「ああん?!?」
ドサッ!
しかしメールは力を振り絞り、男に体当たりをしました。肺には折れた肋骨が刺さり、ヒューヒューと息を上げているにも関わらずです。
「あああっ…?!メールちゃん?!何やっとんねん!!」
「ヒュー…ヒュー…」
「この小娘めがああああ!!!このっ!!!このっ!!!このぉっ!!!」
男がメールを殴ります。顔も、折れた肋骨も、足も、腕も、全身を。
しかしメールは男を離しません。
「ヒュー………ヒュー………」
"いざとなれば己が身も構わぬ。何より祖父を救う為…それがお前の武器だ。覚悟だ。"
メールは思い出していました。おじいちゃんを救うため…何より苦しむ友達を救うため…そのためなら体さえ売る。それが武器だと。
「離れろゴミがああああああああ!!!!」
ヒュン!___ブシュッ!!
その時、白い影が色白男の腕を切り裂きました。軽く、何でもないように。
「見事だ。お前は立派な戦士だ。」
キノクニです。キノクニが触手の隙間から純白の手斧を投げ、男の腕を斬り飛ばしたのです。
ヒュルン!
斧は踵を返しキノクニの元へ戻っていきます。
バシッ!
斧をしっかり受け止めたキノクニは、襲って来る触手を剣で斬り飛ばしながら、するすると触手を伝い降りて来ました。
「ゼェ…ゼェ…何やお前…何しとったんや!!メールちゃんがこんななるまで……お前は最低や!!人でなしや!!!」
「黙っていろ。」
「なんやとお!?」
キノクニは腰のポーチから小瓶を取り出し、ヒューヒューと息を上げるメールの口に含ませました。
「ヒュー…ヒュー…ごくっ……がはっ!!ごぼっ!!!げぼっ!!」
「しっかり飲め。楽になる。」
「なんやそれは!!毒か!?死んで楽になるっちゅうことか!?おぉ!?」
「飲み過ぎればそうなる。」
「お前はああ!!ほんまに人でなし……んん?!飲み過ぎれば?!」
「これは10年程前に手に入れた蘇生薬だ…最後の一本だが、同胞を救うのに惜しむようなものではない。小瓶1つ、適量飲めば、死の淵からでも帰って来られる。」
「そんなもんが…あんのんか…?!」
「ある。___だから少し黙っていろ。私は奴を殺す。」
キノクニは剣を右手に構え、斧をメールに添え、グリモアをメールに抱かせて、色白男と対峙しました。
いつの間にか、メールの呼吸からヒューヒューという音は消え、スースーという規則正しい音に変わっていました。
「お前はなんだ…!!?僕に何をした…!!!僕の腕を斬り飛ばしたなあ!!!」
「ふんっ!!」
ズブシュッ!!
色白男の言葉に答えず、キノクニはもう片腕も斬り飛ばしました。凄まじい速さで、魔族である男の目にも止まりません。
「きゃああああ!!!僕のうで!!!うでえ!!!!痛いいいい!!!」
「はあっ!」
ブシュシャ!ブシャ!ズバシャ!!
問答無用に体を刻んでいきます。きゃあきゃあと悲鳴を上げる男でしたが、そんなこともお構いなしです。
キノクニは突っ込んでくる触手の攻撃にも対応していました。
時には男を斬り裂いた流れで断ち、時には左の拳で殴り潰し、時にはヒラリと避け、完璧に、1つの傷も無く動く様は、まるで流れる水のようです。
また、メールに向かう触手の攻撃も防いでいました。
あの自在に操れる手斧です。宙に舞いギュルギュルと回転する純白の手斧は、迫り来る触手をバサバサと斬り飛ばし、メールも無傷で回復の道を辿っていました。手斧を操るのはもちろんキノクニです。男を刻み、触手を捌きつつ、メールを守るその手腕は、最早人間業ではありません。
グリモアは呆気にとられ、黙って見続けることしかできません。
「ぬえりゃあ!!!」
ズブシャアアアアアア!!!
一際大きな声を上げ、キノクニは色白男の胴を真っ二つに斬りました。
「か…かかかかか……!!!…お前…少しは僕の話を…!!!」
「貴様の声はそこの本以上に耳障りだ。しかも戦闘中に言葉を交わすなど…余程策でもない限り、言語道断。」
「ぐがががが…がっ……」
ついに男は喋らなくなってしまいました。そしてそのグズグズになった体も、風の前の灰のようにサラサラと消えてしまいました。
あれだけメールを痛めつけた魔族の男は、脳を貫かれて尚生きていた男は、キノクニにより死んでしまったのです。
さて、これで探索を再開できます。果たして薬草はどこにあるのでしょうか。他のグリモアはあるのでしょうか。
キノクニの正体は、分かるのでしょうか。
続きは次回のお楽しみです。