七話 事件の考察
「四年前の暗殺事件?」
曹介の口から出た不穏な言葉を、仁座は怪訝な顔で聞き返した。
「知らない? ここ綺京で四年前の事件と言ったら、『白卯楼の暗殺事件』のことですよ」
四年前のちょうど天笠で起きた戦争が終わる少し前、ここ綺京のど真ん中で八蓋崩斎という有名な政治家が、何者かに殺されたそうだ。
彼は阿須国地方の大貴族の家の生まれ、陰陽術は使えないが政治手腕に長けており、新政府樹立の混乱期に乗じてこの国の権力の中枢まで登りつめた男だった。
敵対相手は余力がなくなるまで、決して攻撃の手を止めない凶暴な性格で、内戦当時は「八蓋が首を縦に振るまでは、王でも戦を止められない」とまで言われたらしい。
一方、彼はその苛烈な手腕に反して、「危険なことは他人にやらせる」という心情をもつ非常に臆病な男だった。決して戦場に近づくことはせず、事件の夜にもホテルに護衛の陰陽師をふたりもつけているという慎重ぶりだった。
彼が殺されたときは、誰もが驚き耳を疑ったそうだ。
「犯人は【残響】の美馬坂や【雷跳】の向足といった二つ名持ちの陰陽師を二人も一緒に殺害しているんですよ! 陰陽術の腕は間違いなく超一流です!」
「二つ名持ちを二人か!」
陰陽師は一流の使い手となったとき、自身の得意とする術に由来した「二つ名」を名乗ることを許される。
つまり犯人は一流の陰陽師二人を相手に勝ったということだ。
相当な使い手だ、と仁座は唸る。
「……でも、それなら今回の事件とは関係ないんじゃないか? 犯人と相対した者の意見としては、確かに結構強いがそこまでの腕はなかったと思うぞ。別人じゃないか?」
もし相手がそれほどの実力者なら既に自分は死んでいるはずだ、と仁座は言った。
彼の主張を聞いた凍慈は「俺も同じ意見だ」と同調しうなずく。
「ソウスケが無事逃げれるのなら別人だろうな。四年の前の事件の犯人なら確実に殺されている」
「ちなみに四年前の事件って手がかりは残ってるのか?」
仁座が訊ねると、曹介は残念そうな顔で首を振った。
「建物が全部燃え落ちてしまったので証拠となるものは一切残ってないんです。ただ一つ、警備をしていた軍人の目撃情報があって、『炎の中に釈問天の仮面を被った男を見た』と……」
「なるほど……」
仁座は思案顔で顎を撫でながら考え込んだ。
「……当時の警察や陰陽局はどう考えたんだ?」
「僕も当時はまだ局に所属してなかったので詳しくは知らないんですけど、あまりの手際の良さにいろいろ噂が飛び交ったそうです。調子に乗りすぎて他の派閥に暗殺されたとか、地方派の決死の作戦だったとか、飼い犬に手をかまれたとか……」
曹介は火獅火の横顔をちらり盗みと見た。
「……カジカさん、何か関係があるんですか?」
「言っただろ。糞野郎に見切りをつけたってな。……ケチな奴だったよ。俺が殺してやりゃよかった。歴史を動かす手柄をみすみす他人に譲ってしまったと今でも後悔している」
本当に悔しそうな顔で火獅火は答える。
曹介は少し緊張した表情で彼を見つめながら補足した。
「【壊輪】の朽柿火獅火って言ったら、当時有名でしたからね。天笠で両軍について負けなしの裏切り者。今回の事件も犯行時刻に飲み屋街で喧嘩していた証言がとれなければ、間違いなく犯人と断定されてますよ」
「へへっ。どうだジンザ、俺も大したもんだろ」
「カジカさん、たぶんそれ褒められてませんよ」
仁座は何故か得意げな火獅火を諌めると、再び曹介に質問した。
「……だけど、四年前の犯人が、ただの商人の蔵持さんを殺すなんてことがあるのか?」
危険を冒して政治家を殺しに行くような存在が、わざわざ夜盗などをするだろうか。
しかし、曹介はその質問を待ってましたと言わんばかりに目を輝かせた。興奮した様子で早口で説明をする。
「そこなんだよ! ここだけの話、蔵持はその殺された八蓋一派が元となった派閥と仲がいいんだ。結構幅を利かせている連中でね。俺の見立てだと、今回もお偉いさんの喧嘩が下部組織まで飛び火したってところかな。ほら、来年は選挙だし。数年前までは頻繁にあったことらしいよ。どうせすぐに、どこからともなくこの騒ぎの火消しがされるはずさ。……巻き込まれた君には可哀そうだけど、事件は前回と同じで迷宮入りになると思うよおおあああ!? 天城先輩! 凍ってる!凍ってますって!」
ぺらぺらと得意げに話す曹介の身体を足元から氷が駆け上り、あっという間にその半身を氷漬けにした。
仁座が振り返ると、いつの間にか凍慈が腰の祭具の濃い口を切っていた。
「しゃべりすぎだ」
短い言葉で咎めると、鋭い目のまま仁座に視線を移した。
「おい、お前」
「……なんだよ」
冷たい視線に射抜かれて、仁座は狼狽えながらも睨み返した。
「相手の使う術について何か気づいたことがないか? この馬鹿が全く役に立たなかったせいで、情報が全然足りないんだ」
「本当のことだけど酷い!」
「情報ねえ……。あっ、そうだ。相手の使った術……」
仁座は仮面の男の使った紙の術について話した。
あの奇妙な術、使い手は限られるだろう。
話を聞いた二人は相手について考察をしはじめた。
「紙の強度を強くしたり巨大化させたりするのは『赤気』の術の特性ですよね。ということは『赤』の陰陽師ですかね?」
「だが、それを操るのは『緑気』の特性だ。術者の敵意を紙人形に分けて動かしている。本来は戦いに使うような陰陽術じゃないかもしれないな。これだけのことができる腕があるなら名前が売れていてもおかしくないんだが……」
「得意な色は間違いなく『緑気』だと思う。【虚戯】の腕が半端じゃなかった。触れた瓦が一瞬で宙に浮かぶほど軽くなっていた」
仁座は一言付け加える。物を軽くする【虚戯】は緑気の基礎の術だ。誰もが使える術だが、あそこまで発動が早く効果も高い使い手は初めて見た。
「となると、容疑者は大分絞られますね」
曹介がそう言って凍慈の顔を窺う。
感情を基に術を使う陰陽師達は、それぞれの人間性が使う術に大きく影響する。
人間には必ず「四情」の偏りがあり、それが個人を構成する「彩気」の偏りを生み出す。
「彩気」の偏りは、術の属性の相性へとつながる。
この国では、陰陽師たちは赤・青・黄・緑の四気のうち最も自分得意とする術の属性を自らの色と定めて、分類することよって管理している。
相手の得意とする術を理解することは、相手の素性を理解するうえで最も有効な手段となるのだ。
「紙の術はたぶんどっかの家の秘術だろう。犯人はきっと貴族に縁ある人間だな」火獅火が横から口を挟む。「だが、聞き出そうにも誰もしゃべらんだろうな」
陰陽師の間では秘術の情報を探ることはルール違反といった暗黙の了解がある。
秘術は、特に個人の精神性や感覚に頼るところが大きい。
そのため秘術を受け継ぐために意図的に人間性が歪むように育成している流派も珍しくない。
秘術のコツを探ることは、個人しいては流派の内心に踏み込む非常に無礼な行為である。
過去には、秘術の情報を盗んだ結果、流派同士で殺し合いに発展したこともあるくらいだ。
「……結果論だが、俺が仮面の男を追うべきだったな」
「消火作業もあったし仕方ないですよ」
ため息をついた凍慈を曹介が擁護する。
「確かに俺を凍らせた術があれば、犯人を捕まえられたかもな。あの術は見事だった」
あっさり捕まった自分を思い出して、仁座は悔しそうに呻る。
気付いた時には、足元が凍っていた。
あの手の術にしては発動の速さが尋常ではない、一体どんな仕組みが隠されているのだろうか。
仁座の疑問に答えたのは曹介だった。
「天城先輩の陰陽術、【森羅氷封】ですね。天城先輩は〈青気〉の中でも『停滞』の特性を利用した術が得意なんだ。その腕前は十代にして【不動】の二つ名を与えられたほど。まず大地の下に青気を導引するための根を張り、一瞬で地上に存在するものを封じる氷塊を展開するといううわあああ! 天――」
術の原理を説明しきる前に悲鳴をあげて、彼は完全な氷の置物となった。
「俺はお前の軽口を封じる術が欲しいよ」
「お前も大変だな」
苦々しげに溜息をついた凍慈に仁座は同情する。
「殺された商人、四年前の暗殺事件の影、そして誰も知らない陰陽術か。面白くなってきたな! 俺こういう物騒な話大好きなんだよ!」
黙って考え込んでいた火獅火が、愉快で仕方ないといった様子で豪快に笑った。
「俺は四年前は関係ないと思いますけどね。――そうだ! 続報があったら教えてくれよ」
「おっ、それいいな。俺にも頼むわ!」
被害者だから、と厚かましい態度の二人を見て、凍慈はいっそううんざりとした顔で答えた。
「教えるわけないだろ……」