二話 蛇の巣穴
二日後、三人は博戸田へと足を運んでいた。
博戸田は、綺京にほど近い港町である。
異国に開かれた港のなかでも、最も首都に近い港であり、毎年多くの船が異国との間を行き来している。
元々は静かな漁村だったのだが、政府が港として整備した結果、柄の悪い異国の船乗りたちをおそれて住んでいた住民の多くは土地を離れてしまった。
彼らと入れ替わるように集まったのが、異国の人間相手に一獲千金を得ようと考えた欲深い者たちだった。こうしてたった十数年で金と欲にまみれた新興都市が出来上がったのである。
「その問題の会場ってのは、本当にこっちで会っているんだろうな?」
曲がりくねった坂道を上りながら、仁座が訊ねる。
豊雲は、巨大な山脈の山裾にできた国であるからして、ほとんどの港街には海だけでなく山もある。博戸田の街も例外に漏れず北西に山を背負うため、北から南へ勾配がある。
山側には、海へと流れ込む大きな川へと合流する小さな短い川がいくつもあり、この川を渡るたび東西の勾配が変わる。そのため東西南北にゆるやかな坂が入り乱れているので、海沿いから見上げると一見見渡しがよさそうに見えてもいざ近づいてみれば、視界の悪さに道に迷うということ多い。
この少し人目の付きにくい場所に外人居留地としてつくられた区域が異人街だ。
異国の船乗りたちがよく出入りしているため治安は特に悪く、女子供は決して一人で近寄らないような街なのだが、異国からの渡来品などが出回ることも多く、商機を求めた人たちがあちこちウロウロしている場所でもある。
「見ればわかるって聞いたんだけど……お、あれかな?」
情報源の店主に描いてもらったという地図を見ながら歩いていた洋三が指さした。
木造三層の楼閣だ。黒い大きな屋根瓦に赤の欄干が眩しい。
いくつもの屋敷を組み合わせたかのような外観で、部屋の中の様子を隠すかのように窓には複雑な格子細工が施されていた。
「あれが会場である『蟠鳴館』(ばんめいかん)か……」仁座が口をぽかんと開けたまま建物を見上げる。「はー、こらまた豪勢な建物だな」
「こんないい建物に住んでるやつは、きっと悪いことしてるに違いないよ」
直炭の嫉妬のこもった声で呟く。
「そりゃまあヤクザだしな」
「えっ!? 僕らこれからヤクザのお家に行くの?」
抑揚なくうなずいた洋三を直炭がぎょっとした顔で見る。
「【蛟老会】っていう博戸田を牛耳っているヤクザの本拠地だ。盗品なんかも売りさばいたりと、結構後ろ暗いことにも手をまわしている連中らしい。そいつらが定期的に開いている闇市が今回の目的の場だよ」
「んもー、ちょっと聞いてないよー!」
「大丈夫だって取って食われることはないから」
騒いでいる二人を余所に、仁座は視線を建て物から目の前に落として呟いた。
「……さて、ここからが問題なんだよな」
見たところ建物の正面らしきところに立っているはずなのに、目の前にある分厚い塀には門というものがなかった。のっぺりとした土塀だけが続いている。
そこには小さな裏門一つ見当たらなかった。
「『入り口のない館』か……」
「店主によると入り口を見つけた客だけが、闇市の参加資格を持つらしいんだけど……。これどっから入るんだ?」
「塀を飛び越えるとかじゃ駄目なのか?」
「それじゃ入り口にならないでしょ」
三人は、ああでもないこうでもないと塀の前で相談し合う。
暫くすると、ふと、直炭がなにかを見つけて指をさした。
「そこの建物は? あからさまに怪しくない?」
「峰裏の宗廟か……」
館の横面、小路を挟んだ向かいにある小さな門を持つ御堂だ。
『峰裏』とは、山の向こう側、つまりこの豊雲にとっての隣国を指す言葉である。
豊雲の西にある巨大な山脈の向こう側には、三千年の歴史を持つ強国があり、現在は『大天秦明国』という王朝が治めている。ただ度々王朝の名前が変わるため、豊雲では一貫して『峰裏』と呼ぶことが多い。
宗廟は峰裏で信仰される『導教』の神や古の聖人を祭った宗教施設のことをいう。
峰裏では多く見られる施設なのだが、ここ豊雲では『導教』と峰裏のさらに西にある国の宗教である『天部教』に自然信仰を盛り込んで作られた独特の宗教『陰陽道』の知識に基づく神社や寺院の建造が主流とされている。
そのため、〈宗廟〉は交易都市など異国の文化の根付いた場所にわずかに散見する程度である。おまけに大抵はなんでも有難がるお国柄のせいで、陰陽道の神や偉人、神獣、はては縁起物まで祭られており、概ね神社や寺院と同じような扱いになってしまっていた。
「とりあえず入ってみようぜ」
三人が御堂の中へ入ると、そこには所狭しと神像達が並べられており、少しけむたいぐらいに御香が焚いてあった。怪しいところはないか確認をしながら堂内をうろつく。
「棚の下に隠し通路があるような気配は……なし、か」
「怪しいと思ったんだけどなあ」
洋三と直炭が諦め顔で外に出ようとしたとき、部屋の奥のあたりをうろついていた仁座が石像の一つに手を置いて言った。
「いや……この像の下になんか穴があるぞ」
壁の隅にある、ずんぐりとした獅子の形をした巨大な石像だ。
ごろりと床に臥した姿をしており、その下にわずかながら隙間が見えた。
「よし、どかしてみよう」
「どうするの。あの軽くする陰陽術で移動させるの?」
直炭の問いかけに仁座は首を振った。
「別にそうしてもいいんだが、もっと簡単な方法があるんだ。――『おい獅子よ、客が通るぞ、起きて道を開けろ』」
彼が一言呼びかけただけで、石獅子はむくりと起き上がると道を開けた。
石らしからぬ不自然に滑らかな動きに二人はびっくりして仁座の後ろに飛び退いた。
「うわっ、動いた!」
おそるおそる獅子を見る二人。
仁座は、苦笑しながら獅子のたてがみを撫でる。
冷たく固い手触り間違いなく石のままだ。だが撫でられた獅子は気持ちよさそうに目を細める。
「陰陽術ってもうなんでもありだな……」洋三が畏怖の念がこもった声で呟く。
「一応、大まかにできることに傾向はあるんだけど、まあ理論の上では何でもできると言って差し支えないのかもな」
陰陽術が起すことができる事象は、万物自然の持つ要素に関わる。
例えば、火なら「熱」「明るい」「燃やす」等と言った様々な要素を持つ。
これら一つ一つの要素はそれぞれ陰陽二気で構成された波のようなもので、これらが集まることで万物が生み出され〈龍脈〉となる。――つまり世界が作りあげられる。
この一つ一つの要素に干渉し操作することが陰陽術の肝となるのだが、その要素を操作するうえで最も一般的な技術の一つが「呪文」である。
万象が気で構成されているということは、人が紡ぐ言葉もまた気の流れを持つ。
それぞれの言葉に個性があり、当然それらは自然に干渉する力を持つ。陰陽道ではこれを「呪」と呼ぶ。この「呪」を重ねること、つまり詩文とすることを「呪文」というのだ。
この呪文を重ねれば重ねるほど、本来の在り方から離れた不可思議な現象が引き起こされるのである。
「こいつは『眠り獅子』といって、呪文に従って道を開ける有名な術具なんだよ」
陰陽術の術具とは大抵この要素に意図的に引き出しやすいように仕組まれた道具のことを言う。
例えば、この『眠り獅子』という術具は、寺社の番として配されることが多い獅子という『生き物』であること、そして『怠惰』へとつながる『眠っている姿』など様々な要素をもっている。
これらの要素に影響を与えやすい「起きろ」や「道をあけろ」といった言葉が、ごくわずかに内包された『動』の要素へと干渉することで無生物が本来持っている「動かない」という大きな『静』の要素の流れを上回る気の流れを作りだし、獅子を動かしたのである。
「すごいや。ジンさんの言っていること何一つわからない」
「そんなことより見ろよ。こいつ腹の下に階段隠してやがったぞ」
「ドンピシャだ! ……しかし、この「入り口」、明らかに陰陽師のためのものだよな」
道を開けた獅子を見上げながら仁座は不審な顔で呟く。
もしかすると、闇市の参加資格とは『陰陽師であること』ではないだろうか。
街に流された〈祭具〉の噂を聞けば自分のような陰陽師は興味をもって調べるだろう。そして仮に噂につられた陰陽師以外の者がいても、この仕掛けでふるいに落とされる。
仁座は、自分が〈祭具〉を探しに来たはずなのに、逆に自分自身が相手の〈探しもの〉になったかのような不思議な感覚を覚えた。
「誘いこまれている? ……まあ、行けばわかるだろ」
あんずるよりも産むがやすしという言葉もある。
そう言って思い直すと先頭を歩きだした。
「どうするの、この石像? 移動したままだけど……」後を追いながら直炭が訊ねた。
「大丈夫大丈夫。こういう陰陽術って基本的に元の状態に戻るものだから」
「やっぱり何でもありだな陰陽術って……」
仁座が説明したとおり、三人が立ち去りしばらくすると、石像はあくびをすると再び通路の上に寝転んだ。
あっという間にそこは誰もいない静かな霊廟へと戻った。
仁座たちが階段を降りた先は、広けた地下室となっていた。
幾つかの別れ道があることから他にも入口があることがわかる。
そのうちの一つ、装飾された門の設置された大きな階段を上り地上にでると、そこはちょうど建物の真正面だった。建物の入り口に向けて灯籠が等間隔に並べられている。まるでここまでたどり着いた客を歓迎しているようだ。
建物の扉の前には屈強な体格の男が二人立っている。
「あのー、ここで市をやっているって聞いたんだけど……」仁座は、近寄り声をかける。
「……どちらのご紹介で?」
「いや、特に紹介とかはなくて、噂を聞いてきたんですけど。……もしかして一見さんはお断りとかですか?」
不安そうに答えた直炭の言葉を聞き、男たちは顔を見合わせて頷くと、鈴を鳴らして「どうぞ」と道を開けた。
玄関をくぐると、一人の男が待ち構えていた。黒い背広を着た三十歳くらいの男だ。
「ようこそ! 蟠鳴館へ。私はこの館の支配人をしています巳島と申します」
「どうも」
丁寧にあいさつされ、三人そろってぎこちなく頭を下げかえす。
「いやはや、今日は珍しい日だ。二組もこの館に新しい客が辿り付くとは……。参考までに聞きたいのですが、どうやってこの場所へたどり着いたのですか?」
「ああ、こいつが陰陽師なんだ」洋三が仁座を指さして答える。
「やはり。陰陽師の方ですか」男は嬉しそうに目を細めた。「優れた陰陽師と縁ができるのは、我々〈蛟老会〉にとっても歓迎すべきことです」
仁座は、巳島の言葉を聞いて確信する。どうやら自分は、相手のまいた餌にかかったらしい。
親しげな笑顔を向けられ、思わず顔をしかめる。
「……言っとくけど悪事の加担はしないよ」
「それはおいおい仲良くなってからということで……では、ご案内しましょう! こちらです!」
仁座の言葉を全く気にせず、巳島は意気揚々と案内を始めた。
「いよいよか……なんだか緊張してきた」
「大丈夫かな。変な壺とか買わされたりしないかな」
「ま、なんとかなるだろ。それよりどんなもんが売っているのか楽しみだな」
期待、不安、楽観と三者三様の表情を浮かべながら、三人は屋敷の奥へ歩を進めていった。