一話 蘇芳仁座
【明政十八年、豊雲国首都綺京】
木造の舟が陽光に輝く水面をすべるように進み、川岸に停まった。
渡り板が取り付けられると、川岸に待機していた男たちが船から次々と石材や木材を下ろしていく。
夏も盛りの昼下がりだった。
日に焼けた男たちは皆汗まみれで、半袖のかすりの着物も脱ぎ捨てて、上半身裸に股引に脚絆といった格好の者もいる。
そんな中、きっちりと襟付きの洋服を着こみ紺色の作業帽を被った現場監督らしき男が大声で叫んだ。
「お前ら! 今日は次で最後だ。道を開けろ! デカいのが通るぞ!」
歓声が上がり、労働者たちは人垣の道を作った。一艘の船が川を下り、新しい船が船着き場に停まった。 船には二メートルはある巨大な石灯籠が乗せられている。
船と雁木の間に渡り板が架けられたことを確認すると、現場監督らしき男は振り返り頭を下げた。
「先生、お願いします」
「あまり目立つのは好きじゃないんだが……」
舟には詰襟の軍服姿に身を包んだ痩身の中年男性が乗っていた。彼は皆の視線を受けて少し居心地悪そうにしながらも、石灯籠の前に進み出ると、腰に佩いた剣を抜き刀身を石灯籠にコツンとあてた。
「――どうぞ」
一拍置くと、と短く一言告げて一歩下がる。
合図を受け、控えていた筋骨隆々の男たちが石灯籠の四隅にしゃがみこむ。
「いくぞ! ……せーのっ!」
石灯籠がひょいと持ち上がった。
抜身の剣を持ったままの男を先頭に、すいすいと行進する四人の男を見て、周りの男達は感嘆の声をあげどよめく。
そんな不思議な光景を人垣から少し離れた木陰の下で、三人の男が眺めていた。絣の着物に股引に脚絆、典型的な人足姿を身に纏った男たちだ。
「よかった。流石にでっかいのは、ああいう人が出て来て運ぶよな。こりゃ今日は早めに仕事を上がれそうだぞ」
三人のうちの一人、蘇芳仁座は、地面に座り込んだままホッとした様子で笑った。赤みを帯びた黒髪が風に揺れる。空を見上げれば抜けるような青空である。仁座には先ほどまで煩わしかった日差しが、一転してすがすがしい陽光に感じられた。
まだ陽も高い、今日はついているなと大きく伸びをする。
「おいおい! そんなことより見ろよジンザ! ありゃどうなっているんだ!?」
隣で見ていた色黒の大男、仕事仲間の小岬洋三が騒いだ。
「落ち着け、ヨウゾウ。あれは陰陽術で石灯籠の重さを軽くしただけだよ。最初に刀を揮った黒い軍服の男、彼が陰陽師なんだ」
「陰陽師だって!? へぇ、あれが……」
洋三は驚いた様子で、軍服の男の背を見送る。
陰陽師とは、この豊雲において祭事を司る伝統的な職業である。
森羅万象に干渉する陰陽術という秘術を代々引き継いでおり、この国の人々を導くうえで重要な役割を担っている存在でもある。
「ジンさん、陰陽術ってあんなことができるのかい?」
二人の会話を横で聞いていた小太りの青年、陶野直炭が興味深そうに質問する。
「ああ、あの人なかなかいい腕をしているよ。監督の態度を見るに、この神社の建築の相談役も任されているんじゃないか?」
質問に答えながら遠目に陰陽師の背を追うと、仁座はそのままその先へと視線を移した。
そこには大きな木組みの鳥居があった。
『明政神社』――内戦の収束を悟った王の命により建てられた、護国と安寧、そして長い内戦で死んだ兵士たちの鎮魂のために神社である。
王の命を受けて一年足らずしか経ってないというのに、既にほとんどの社殿は出来上がっている。きっと陰陽師が今回のように何度も手伝っていたのだろう。
この豊雲国の日進月歩の成長の立役者、それが彼ら陰陽師だ。
「凄いなあ、あれが都の陰陽師かあ……。ああいう光景を見るだけでなんかこう上京してきた! て感じがするよね」
「ああ! 俺達の故郷みたいな糞田舎にやってくる陰陽師とは格が違うぜ!」
直澄と洋三は、興奮した様子で陰陽師について言葉を交わす。
上京して数カ月しかたっていない二人は、まだ都会ならではの景色というものが新鮮で嬉しいのだろう。
俺にもそんなころがあったな、と思いながら仁座は笑った。彼もまた地方の貧しい村の生まれだ。初めて都会を訪れたときは、同じように目に入るものすべてが新鮮に思えたものである。
だが、洋三の口にした言葉は少し気になった。
「まて、ヨウゾウ。その物言いはちょっと聞き捨てならんな」
「何だ? 俺変なこと言ったか?」
「言ってなかったか? ――俺もその糞田舎の陰陽師、〈歩き陰陽師〉なんだ」
〈歩き陰陽師〉とは、国や貴族に仕えず地方の僻村を回って生活している流れの陰陽師達のことを指す。主に村の蔵に虫よけや火除けの結界を仕掛けたり、簡単な薬や護符を売ったり、生活の助言を与えたりすることを生業としており、その代償として金銭や物資を得て生活している。
この国の大きな都市はどこも専門の陰陽師を抱えているため、街の人間にはあまり自分たちの存在は知られていない影の薄い存在なのだが――、
「へー、ジンさん、歩き陰陽師だったんだ……」
「へへっ、まあな」
驚いた顔の直炭にまじまじと見つめられ、仁座は得意げに笑った。
開発が進んでないような僻村では、自分たち〈歩き陰陽師〉は今でも活躍しており、地方ではちょっとした先生扱いなのだ。
「あー、あの市場の端っことかで怪しげな御守りとか売っている奴らだよな」
どうやら〈歩き陰陽師〉の評価は、仁座の思ったほど立派なものではないようだ。
洋三の言葉に、仁座はがっくりと肩を落とす。
「あれで一応、その土地の龍脈を整えたりとか大切な仕事をしてるのに……」
「そうなの? 僕、今の今まで歩き陰陽師って、おまじないとか民間療法とか、知恵袋的なもの教えてくれる旅のおじさんだと思ってたよ」
追い打ちをかけるかのように直炭がいった。
仁座はさらにショックを受けた。
「まさか自分の仕事が、そんな色物だと思われてたなんて……!」
「いや、だってさっきの術と比べて……なあ?」
「目に見えない分、どうしても偽物っぽいというか……ねえ?」
二人は困ったように顔を見合わせてる。
巨大な石の塊を軽くすることと、市場の隅っこで怪しげな御守りなどを売っていること。とてもじゃないが、二つが同じものには見えなかった。
「原理は一緒なんだよ」
仁座は溜息をつくと、陰陽術の簡単な説明をする。
陰陽術とは、陰陽思想――つまりこの世界の全てが〈陰〉と〈陽〉の二つの気の流れよりなっている、という考えに基づいた術である。
この二つの気が入り混じった巨大な流れを〈龍脈〉といい、この龍脈を術具や呪文などによって意図的に崩したり誘導したりすることで、様々な事象を起こすことができるのだ。
「例えば御守りや護符なんかは術具の一つだ。人に良い影響を与える〈気〉の流れを誘導したり、悪い気の流れを和らげたりする効果がある。それに対して、さっき石灯籠を持ち上げた術は、【虚戯】という気を散らす有名な術で、『重さを構成する気の流れ』を一時的に乱すことによって軽くしたんだ」
二人には、仁座の言っていることは全くわからなかった。
しかし、彼の解説を聞いて少しは信用する気になったのだろう、直炭は興味深々な顔で彼に訊ねる。
「じゃあ、ジンさんもさっきみたいなことできるの?」
「勿論。俺だってやろうと思えばできる。……ただ、下手したら途中で術が切れるかも……うん、まぁいけるいける」
「大惨事じゃん……」
ぼそりと付け加えられた言葉を聞いて、直炭は身震いをした。
もし自分があんな巨大な石灯籠を運んでいて、それが急に元の重さにもどったら……考えるだけでも恐ろしい。
「い、いや、俺だってちゃんとした術具さえ揃えれば結構いけるんだぜ! それに、術具がなくたって調子のいい日は一分くらい? いや、季節や環境によっては二分だって――!」
「……そういえば、陰陽術の術具といえば、行きつけの骨董屋が今度貴重なのが売りに出されるって言ってたぜ」
仁座の言い訳を聞いた洋三がふと、思い出したかのように口を開いた。
彼の趣味は珍しい物の収集である。いつも給料の大半を良くわからないものに変えてしまっている。この間も異国から入手したすごい道具だと言って、役に立たない商品を掴まされていた。
「駄目だぞ、ヨウゾウ。そういうとこで売ってるのは、パチモンばっかりだから」
龍脈の動きを感じ取ることができる陰陽師と違って、普通の人間が術具の真贋を見極めることは、非常に困難だ。そのため神社のようなちゃんとした場所以外で売り買いされる術具は、必然的に偽物が出回ること多い。
「いや、そうなんだろうけどさ。店主がなんかすごいって言ってて。たしか……『サイグ』とか言ってたけど、お前どういうモノか知ってるか?」
「『祭具』だって!? 」
仁座が驚きの声をあげる。
『祭具』とは、陰陽術の術具の中でも最上のものを指す言葉だ。
『産霊石』という貴重な鉱物を、陰陽術を利用した特殊な製法で加工したもので、龍脈へ干渉できる力は他の術具とは比べ物にならない。
主に増幅器の役割を持った術具であり、陰陽術の効果を高めたり、逆に術の効果を弱めたりする効果をもつ。呪文や歩法などの導引が必要な術も簡単なものは省略が可能となり、持っているだけで並みの陰陽師も一流と同等に術をこなすことができるようになる。
また、一流の術者であれば、一般的な術具や呪文だけでは実現不可能な複雑な龍脈への干渉することが可能となる。格式ある流派の秘伝などはこれを使うことを前提としたものが多く、祭具を持っているだけで市井の陰陽師でさえも、一目置かれるというすぐれものなのだ。
「すごい! 掘り出し物じゃないか! どこで売ってるって!?」
先ほどの自分の忠告を忘れたかのような仁座の喰いつき振りに、若干引きながらも洋三は答えた。
「博戸田だよ。博戸田の異人街」
「よーし、みんなで仕事終わったら博戸田へ行くぞ!」
意気揚々と拳を振り上げる。
そんな彼の仕草を見て、洋三は呆れた様子で笑った。
「焦っても仕方ないぞ。聞いた話によると二日後に、とある場所で闇市が開かれるんだ。そこで出品されるらしい。ただ、その闇市の参加条件というのが少し奇妙でな……」