『黒猫のような君と、僕の物語』外伝6
『数年後』
浩一
きちんとしたプロポーズをしたとは言っても、在学中に結婚するというのは(主に財力などの面で)いささか無理があった。
実際に籍を入れるのは、大学卒業後、お互いが社会人となり、生活するための下地が整ってからということになった。
最愛の女性と共に一流の大学を卒業した僕は、お陰様で、国内有数の大企業に就職することができた。
それだけが幸せの形ではないとは思うけど、それでも、自ら幸せを掴むための大きな一歩を踏み出せたと言っていいだろう。
残業や飲み会などで、なかなか時間が作れない中で、僕は小説の執筆を続けている。…と言っても、あくまで趣味の範疇で、だ。
一応断っておくけど、僕が最も優先させているのは麻友さんとの時間だ。
だから執筆活動は本当に少しずつしかできない。
それでも、これまでにいくつかの短編を書き上げ、その都度、インターネットの小説投稿サイトに投稿している。
毎日、それこそ数分おきに、新しい小説がアップされている中で、僕の書いた拙い短編などは、すぐに埋もれてしまう。
あくまで趣味で書いているものだし、たまたま僕の作品を見つけてくれた数人が読んでくれるだけで十分だった。
ごく稀に感想や次回作への希望の声などをくれる人がいて、その度に「もっと素晴らしい作品を書いてみたい」という、執筆への欲求が刺激された。
麻友さんは『ミスキャンパス』に輝いたことで、テレビ出演のオファーがいくつも来ていた。
「わたしがテレビに出るとしたら、コウくん、どう思う?」
初めてオファーの話をもらった時、麻友さんから意見を求められた。
「麻友さんが出てみたいって言うなら、僕は反対はしないよ。そのまま芸能界に行くんじゃないかっていう噂もあるみたいだけど、もしそうなったとしても、僕は全力で麻友さんを応援するだけだよ。でも―――」
「でも?」
「本当にやりたいのかどうかは、よく考えなきゃ駄目だと思うな。…中途半端な気持ちで挑めるような世界じゃないと思うし、既に芸能界で本気を出してやっている人たちに対して、失礼だと思うから」
偉そうに説教臭いことを宣う僕に、何故か麻友さんは満面の笑みを浮かべて、こう言った。
「そういうところ、コウくんらしくて“いい”とわたしは思いますっ。えへん☆」
その笑顔があまりに可愛かったものだから、僕は照れくさくて、思わずそっぽを向いてしまうのだった。
数日後、「わたし、本当にやりたいことを見つけたよ」と、真剣な眼差しを向ける麻友さんに僕は聞いた。
「弁護士以外に?」
過去に自分が体験した辛い経験から、弱い立場の人たちを救えるような仕事に就きたいと考えていた麻友さんは、弁護士になるという夢を見出した。
麻友さんらしい、とても立派で尊敬に値する夢だと思う。
そんな麻友さんが、他にやりたいことを見つけたというのは少し意外だった。
でも本人にも言ったように、それが例えどんな夢であったとしても、僕は彼女を応援し、支えるだけだ。
そういう経緯があって、麻友さんは現在、大学院生となり、臨床心理士になるための資格取得に向けて奮闘中だ。
より身近に、様々な悩みを持つ人たちの相談役になってあげたいという観点から職業が変わっただけで、彼女の夢・やりたいことは一切揺らいでいなかった。
僕は「やっぱり麻友さんは麻友さんだな」と、嬉しくなった。
彼女の言葉を借りて表現するなら、
「麻友さんらしくて“いい”と僕は思います」―――と言ったところか。
…さすがに「えへん☆」は…無理。
心理カウンセラーになるためには、四年制大学の卒業とは別に、指定大学院のカリキュラムを修了する必要があるらしい。
大学での学部や学科が大学院の受験で問われることはないそうだけど、「法学だけじゃなくて、心理学も学んでおくんだったなぁ」と、以前、麻友さんがぼやいているのを聞いた。
そんな彼女と僕は、今、絶賛同棲中だ。
もちろん、ご両親からの許可は得ている。
あまりこういうことを言うのもあれだけど、麻友さんの夢が叶うその日まで僕が養ってあげることくらいはできる。
僕が一流企業に就職したのは、きっと、このためなのだと思えた。
そして最近、“ある予定”を変更することになった。
麻友
この度、結婚することになりました。
わわわ。
言っちゃった。ついに言っちゃったよ。
わたしとコウくん、結婚するんだよっ!
つまりね、夫婦になるんだよっ?
わたし、『黛麻友』はね、『神崎麻友』になるんだよ。
神崎麻友―――いいと思わない?
うふ♡ うふふ♡
「ねえ、麻友さん」
「はうぇあい?」
初めて婚約の報告をした時のことを思い出して“ぽぅっ”としていたところに、未来の旦那さんから声をかけられて、変な返事をしてしまった…。
「麻友さんは、本当にその作品が好きだよね。…本当に展示するの?」
わたしが胸に抱きしめている小説(と言っても、原稿用紙を紐でまとめただけのもの)を目線で差しながらコウくんが言った。
「うん。もちろんだよ。えへん☆」
展示する云々というのは、披露宴の会場に設置する予定の『二人のプライベート大公開』というコーナーに並べるかどうかということだ。
今日は朝から会場へと足を運び、持ち寄った私物や、二人に縁のある品々を、実際に展示するかどうかの打ち合わせをしてきた。
二人の愛の巣(と言っても、マンションだけど)に帰ってきて、“ぽぅっ”としていたところ―――こほん。一段落したところで、『旦那さんの卵』であるコウくんが改めて確認してきたのである。
展示候補になっている品の中でも、わたしが絶対に外せないのは、
お気に入りのTシャツコレクション。
二人で神社のゴミ拾いをした時にちゃっかり買っていた、思い出の御朱印。
初めての“デート”で見た、ちょっぴりえっちなシーンのある映画のパンフレット。
コウくんの実家の庭にいる、可愛いワニの置物。
いくつかの品を見た時、担当してくれているスタッフさんが少し苦笑いを浮かべていた気もするけど…たぶん、気のせいだよね。えへん☆
そして、それらの“栄えある品々”以上に外したくないものが、今、わたしが抱いている、この『小説』。
これは、コウくんが大学の文芸サークルで、他のメンバーにも内緒で密かに執筆していた長編小説だ。
コウくん曰く、“偶然見つけて読んじゃったわたし”以外、誰にも読ませたことはないらしい。
「そんなに長い小説を展示しても、読んでくれる人なんていないと思うよ? て言うか、普通に、時間が足りないし」
「それでもいいの。展示することが大切なんだから」
「そういうものかなぁ」
「そういうものだよ?」
だって、この作品はね、
“コウくんと、わたしの物語”なんだもの―――