『黒猫のような君と、僕の物語』外伝3
浩一3
1
正直に言う。
僕は後悔している。
一年前のあの日、麻友さんに僕の本当の気持ちを伝えてあげられなかったことを。
まだ正式に付き合うことになる前、一度だけ伝えたことがあるにはある。…けど、あの時のことは、僕の中では曖昧だ。
だからやっぱり、
もう一度きちんと言葉にして伝えたい…伝えなきゃ―――と、ずっと思っていた。
自分の意志で。自分の口で。
学園祭の日の“あれ”は、きっとそのためのチャンスの一つだった。
…でも駄目だった。
僕はスマホを取り出し、あの日から保護設定になっている、ある一通のメールを画面に表示させた。
『ドンマイ。』
たった一言だけのシンプルなメールだけど、僕は、この、妹からのメールにずいぶん救われた。
友達と一緒に兄の大学の学園祭を見て回っていた妹のゆうかは、『ミスコン』も体育館のどこかで見学していたらしい。
彼女が、逃げ出す僕の姿を目撃できる場所にいたのかは分からない。
でも、あの後すぐに僕のスマホが受信したメールは彼女からのものだった。
2
麻友さんは今年の『ミスコン』で、きっと―――いや、ほぼ確実にグランプリになる。
誰もが認める美貌とスタイルと性格を兼ね備えている麻友さんなのだから当然ということもあるけど、それ以外に、根拠たり得るものがあった。
うちの大学では先輩方への配慮か何か知らないけど、“一年生はグランプリにはなれない”という暗黙のルールのようなものがあるらしいのだ。
それ自体はなんとなく周知されていることなんだけど、今年も含めて三年連続で『ミスコン』の実行委員をしているというオスカー先輩が言うのだから間違いはないと思う。
こう言ってしまってはなんだけど、多くの学生たちは、去年の時点で、今年のグランプリが麻友さんであるということを確信していた。
要するに麻友さんは、去年の時点で実質的にはグランプリだったのだ。
実際のグランプリ受賞者や、今年の他の参加者には大変申し訳ないことを言っているとは思うけど…。
とにかく、
二年生になって、受賞するための条件を満たしている麻友さんがグランプリに輝く確率は非常に高い。
一応断っておくけど、あくまで“そういう空気が濃厚”というだけであって、別の誰かがグランプリをものにする可能性だって十分に有り得る。
まぁ、仮に麻友さんがグランプリを逃したとしても、おそらく、彼女は何かしらの賞には入るだろう。
つまり、どっちにしても“壇上でのインタビューが待っている”ということだ…。
去年の司会を担当していた先輩はもう卒業してしまったらしいので、今年は別の人が担当することになっている。
でも前年の“ことのあらまし”は、直接見ているかどうかに関わらず、大体は把握しているだろう。
その上で、今年も麻友さんに同じような無茶ぶりをするということはほぼ間違いない。
多くの学生たちがそれを(僕を応援してくれている人と、更に辱めたい人に別れると思うけど)望んでいるし、ある意味では『ミスコン』自体よりも注目されている。…と言っても過言ではないと思う。
ただ、今年は、あらかじめ準備ができる分だけ、僕にアドバンテージがある。
その“有利”を最大限に活かして、僕にできるすべてのことをやろうと思った。
心の準備は整っている。
だから、もう逃げたりしない。
麻友さんにこれ以上恥をかかせる訳にはいかないし、何より、僕の気持ちをきちんと彼女に伝えたいから―――。
頑張れ、僕。大丈夫。きっと、やれる。
麻友3
「そろそろ、本年度の『ミスキャンパス』こと、黛麻友さんともお別れをしなければならない時間のようです」
司会者がそう言うと、会場全体に「ええーっ」という、残念がるような声が聞こえた。
「私も実に寂しいのですが、こればっかりは仕方がありません。なんせ、あまり時間が押してしまいますと、私が学校側に怒られてしまいますので」
今度は一部の生徒からくすくすと笑い声が漏れる。
去年の人もそうだったけど、今年もなかなか上手な司会進行っぷりだと思った。
グランプリになれたことは本当に光栄だと思う。
単純に嬉しいし、とても誇らしい。
それこそ「えへん☆」って言いたくなるくらい。
…でも、今年は、会場のどこかで応援してくれているはずのコウくんを壇上から見つけることができていないので、ちょっとだけ寂しかった。
「それでは黛さん、お別れの前に、最後に一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「はい。なんでしょうか?」
最後の質問の内容は予想ができている。
その答えも用意してきた。
コウくんを困らせないための答えを。
さあ、来なさい、司会者さん☆
浩一4
ついに、麻友さん(ミスキャンパス)へのロングインタビューの最後の質問だ。
会場全体が、インタビューが終わってしまうことへの残念な気持ちと、「あの質問がまた来るぞ」という期待のオーラで満たされていく。
壇上でインタビューの受け答えをする麻友さんは、去年よりもずっと堂々としていて、まさにミスキャンパスに相応しい最高の笑顔を振りまいていた。
見た感じでは麻友さん自身も最後の質問の内容は想定済みのようだ。
きっと、その答えも用意しているはず。
ここからが僕の正念場だった。
麻友4
「えっ…。あの…えっと」
超満員の体育館内には、静寂と、スピーカーから聞こえるキィーンという不協和音だけがあった。
壇上から見えるお客さんたちが、肩透かしを食ったような表情をしているのが分かる。
その顔には、「なんだ…あの質問はしないのか。…残念だ」と書いてある。
去年の出来事を知っている人の誰もが期待していた質問は、しかし、司会者の口から発せられることはなかった。
『来年の出場に向けての意気込みをお願いします』
咄嗟に頭が真っ白になってしまったわたしは、「来年も頑張ります」という無難なことさえ言えずにいた。
浩一5
壇上の麻友さんが想定外の質問に戸惑っていることは明白だった。
会場にもその戸惑いが伝播するように広がっていくのを肌で感じる。
その『戸惑い』が観客たちの間で大きなものとなり、やがて少しずつ『不満』、そして『怒り』へと変貌し、ついには爆発する。
「んだよ、その質問はッ! 俺たちはそんな質問を期待してた訳じゃねーぞッ!」
どこかから怒声が聞こえると、それに同調するようにあちこちで抗議の声が上がった。
戸惑いの色を一層濃くした麻友さんは壇上で不安げにしている。
その姿は見ていて痛々しいほどだった…。
ごめん。麻友さん。
全部、僕のせいだ―――。