5.エルフの歌声
アウラと話す前に、声を出さずにコテツに話し掛けた。
(コテツ、音を遮断する結界を張ることは可能でしょうか? 可能ならビアンカを守って結界を張ってもらいたいのですが……)
「うむ、可能だが、何をするつもりだ……」
(これから、アウラに歌わせるつもりです……でも、アウラの歌は、この世に居て地獄を見る様な凄まじいものです)
コテツは俺の心の声に普通に答えたが、アウラの歌と聞くと顔が緩んだ様に見える。
「うむ、そんなに凄いとは……逆に興味があるな……取り敢えず、承知した」
俺は元々発声を必要としないコテツであれば、強く念じれば意思の疎通が可能だと考えた。
そもそも召還の際に言葉を発しているが、別世界からやって来ているのである。
何も不自然なことはない……。
アウラは何か勘違いしたのか、頬を赤くして身体を捻らせていた。
「ねえ、どうして私だけ呼び出したのかしら? それから、呼び出して黙っているなんて……カザマも緊張しているの?」
俺は、相変わらず勘違いしてばかりのアウラに顔が引き攣る。
「いや、スマナイ……俺はさっきも言ったが、まだ結婚するつもりはない。これはみんなにも言ったから、分かってくれるよな……そもそも、エリカに聞いてもらえば分かるが、俺の国では、男は十八歳からしか結婚出来ないだ」
「それは、分かったわ……それなら、そう言ってくれれば良いだけではないかしら?」
アウラは首を傾けて、不思議そうに俺を見つめた。
俺はアウラの両手をとって握り、頭を下げる。
「聡明なアウラは分かってくれても、俺の国の常識はなかなか理解して貰えないみたいなんだ……何だか、周りが盛り上がって空気が熱く感じて……そこで、一度、みんなの心を穏やかに静めたいと思う。――アウラに歌ってもらいたいんだ」
アウラは、俺の行動と依頼に顔だけでなく耳まで赤くした。
「えっ!? 突然こんな……分かったわ! でも、そんなに大袈裟にしなくても……いつでも、歌うわよ」
(何か誤解されたままの気がするが、歌ってくれるのは助かる。でも、いつでも歌われるのは勘弁して欲しい)
俺たちは応接室に戻った――。
俺は一言周りにお詫びした後、コテツとビアンカの横に戻る。
アウラも両親たちの横に戻ったが、手を胸の前に組んで瞳を閉じた。
俺はそっとニンジャ服のフードを被り、コテツに視線で合図する。
「さっき、カザマにお願いされたので、歌います」
アウラは幾分頬を赤くして、気持ちを高揚させているみたいだ。
それでも、いつもの様に胸を張って堂々としていたが。
アウラの家族は、急に顔が引き攣り青褪めた表情に変わる。
アウラは一度、深呼吸して歌い始めた。
以前、聞いた高音……。
だが、それは歌というよりも音にしか聞えない。
猛烈な振動が、辺りを響かせる。
騒音という言葉は生易しいであろう。
『黙示録のラッパ吹き』
やっぱり、この言葉が一番ピンときた。
コテツの結界で、今回は気絶から免れていたが、ビアンカは苦しそうな表情で耳を押させている。
コテツの表情の変化を初めて見たが、これ程苦しそうにするとは思いもしなかった。
コテツにとって、嘗て幾度も経験した修羅場よりも過酷であったかもしれない。
俺も二度目で心の準備は出来ていたが、フード越しに両手で耳を押さえて、何とか耐えている。
アウラの家族たちは、気の毒としか言い様がない程、悲惨な姿を晒していた。
既に意識がない父親は白目を剥いて気絶している。
コテツが叫ぶ。
「カザマ、これは一体なんだ!」
「スミマセン。悪いとは思ったのですが……逃げるには、これが一番だと思って……」
俺は顔を引き攣らせながらコテツに謝ったが、コテツは俺を睨みつける。
「一番ではないだろう! 何だ、この混沌は! この状況をどう改善させるつもりだ! それにしてもアウラは、シルフィードの眷属だと聞いていたが、ここまでの逸材であったとは……エルフの最終兵器かもしれん……」
コテツは思いの丈を俺にぶつけると呟き、ビアンカが声を荒げる。
「何、感心してるんすか! 早く何とかして欲しいっす!」
聴覚が優れているだけに、コテツの結界の中に居ても苦痛で堪らないのだろう。
俺はコテツとビアンカの苦痛な様を見兼ねて、両手で耳を押さえたまま、アウラに大きな声を掛けたが反応がない……。
(ベネチアーノでアナスタシアさんが止めた時は、声が届いた様だったが……彼女の声に同じ様な特徴があるのだろうか? 引っ叩くのは、両手が塞がっているし……)
俺はあまり考えている余裕がないと思い、瞳を閉じて歌っているアウラにもう一度だけ声を掛けて反応がないのを確認する。
(仕方ない……確か、この辺りの地方では、日常の挨拶の筈だ)
俺はアウラの頬に軽く唇を付けた。
一瞬の出来事であったが、アウラは歌うのを止める。
間近かに立っている俺と目が合うと、碧い瞳を見開きみるみると顔が赤くなった。
「……いやああああああああああああああ――!?」
そして俺は、アウラにビンタで吹き飛ばされて壁に激突する。
「な……何するんだ!」
突然強烈な一撃を浴びて声を上げたが、アウラは両手で頬を押さえて赤くなっていた。
「だ、だって……いきなり私に、キスしたわよね?」
「アウラが何度呼んでも反応がないから……挨拶程度に、頬に軽くしただけだろう?」
両手で顔を隠し恥らっているアウラに対して、俺は当然のことだとばかりに説明する。
しかし、歌が止んで気が抜けた様にしていたビアンカが、俺の事を睨みつけた。
「はあーっ!? 挨拶程度って……なんすか!」
「えっ!? 違うのか?」
俺はゆっくりコテツの方を見る。
「うむ、何故、困った時だけ私の方を見るのだ! 私は昨日召還されたばかりだと言ったであろう。何度も言わせないで欲しい。大体それが日常の挨拶かどうか、この世界で短い期間とはいえ、生活している貴様の方が理解しているであろう」
俺はコテツに関係のない事まで説教を受けた。
(確かに、色々とコテツに頼り過ぎているかもしれない。普段ならアリーシャに教えてもらうところだが……そういえば、いつも一緒に過ごしていたアリーシャとビアンカにキスの挨拶をしたことも、されたこともないな……!? いや、誰かがそういう挨拶をしている姿を見てない気がする……)
とんでもない事を仕出かしたかもという緊張から汗を噴き出す。
そして、プルプル震えながらアウラの方に視線を移した。
「あ、あのー……スマナイ!」
俺は久々にドゲザして謝ったが、周りの視線は冷たかった――。
「……何で謝るの?」
しばらく緊張した空気で誰も声を出せずにいたが、アウラが意外な事を口にした。
俺はアウラの顔を直視出来ず俯いて答える。
「いや……でも、アウラに確認もしないで……」
「そんなの必要ないわ。だってカザマは、私と結婚する気になったのよね……」
アウラは集落に来て何度目であろうか、恥じらいながら口篭った。
「へっ!? け、結婚?」
俺は驚き素っ頓狂な声を上げるが、そのまま困惑して硬直する。
ゆっくりコテツの方を見たが、顔を背けられた。
次にビアンカの方を見たが、汚い物でも見る様な視線を俺に向けている。
(何故、こんな状況になった。俺のやる事が、すべて裏目に……)
最早、誰も助けてくれないと悟り、俺は自分の口から弁明する。
「アウラ、さっきも言ったけど、俺はまだ結婚するつもりはない。十八歳の誕生日になったら考えないこともないが……一応、俺の国の法律だし……」
「ほ、本当!? カザマが十八歳の誕生日になったら、結婚してくれるのね!」
俺の説明が途中だというのに、アウラはまたもや盛大な勘違いをした。
「い、いや、違っ!?」
再度否定しようとしたが、話の途中でアウラが俺に抱きついてくる。
俺は続く言葉が出て来なかった……。
(ほのかに甘いが香りがする。お、おっ、胸が当たって……柔らかい……)
コテツは俺から視線を逸らしているが、ビアンカの視線が突き刺さる様に感じた。
――エルフの集落の外れ
集落の外れの小高い丘の上にコテツと並ぶ様に座り、一緒に景色を眺めている。
あれから、気絶していたアウラの家族を布団まで運んだ。
アウラは自分の歌声で、心地良い気持ちになり眠ったと勘違いしている。
「俺もアウラの半分でも、ポジティブな性格だったらな……」
「うむ、貴様は十分にポジティブだと思うが……貴様は誰を正妻にするかで、悩んでいるのだろう? 他の男にしてみれば、羨ましいであろうに……」
俺が気落ちしてうな垂れているのに、コテツは冷静に俺の考えを否定した。
コテツの言葉を聞いて、驚いて問い質す。
「はっ!? 正妻? 俺は庶民ですよ……」
「うむ、貴様の結婚相手は、妾がいても可笑しくない立場の相手ばかりではないか?」
コテツは尤もなことを教えてくれたが、俺は受け入れられない。
「それは、そうかもしれないですが……よし、取り敢えず逃げよう!」
「はっ!? 今、貴様は……何と言った? まさか、この状況を放置して逃げるのか?」
コテツは俺の考えを聞き驚愕したようだ。
だが、俺は冷静に正義を翳すようにコテツに説明する。
「ええ、今は周りの気持ちが高まり熱くなっています。きっと、何を言っても分かってくれないでしょう……それに、俺は一言も結婚するとは言ってませんよ……俺は悪くない筈です!」
俺は立ち上がり、掌を胸元まで上げると力を入れて握ったが……震えている。
コテツは立ち上がったが、溜息を吐いた様な気がした。
「でも、もう一度だけアウラに会って伝えよう……」
俺は集落を出る前に一声掛けようとしたが、コテツは生真面目に答える。
「はっ!? 今更……何を伝えるのだ?」
「今はまだ、誰とも結婚出来ないと……」
俺の考えにコテツは溜息を吐くと、冷ややかな視線を向けた。
「はあーっ……貴様は、本当に理解出来ない思考をしているな。それで、その後はどうするのだ?」
「取り敢えず、オーガの集落に行って時間を稼ぎましょう。どちらにしても一度、様子は見ておきたいですから……」
コテツは、俺の決断に冷めた視線で見つめていたが、どうやら一緒に付き添ってくれるようだ……。
――族長の家。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、俺が来ると分かっていたかのように、アウラが扉を開けた。
「どうしたの? ビアンカも待っているわ。早く中に入って……」
「アウラ、スマナイ……何度も話しているが、今はまだ誰とも結婚するつもりはない。それだけ、伝えに来たんだ……」
アウラは柳眉を寄せて、頭を下げる俺に真剣な眼差しを向ける。
「それは、さっき言いかけてた……十八歳になってからに、関係があるのかしら?」
「そうだな……それまでには……」
俺は瞳を潤ませているアウラを見ることが出来ずに俯いた。
「分かったわ……ところでカザマの誕生日って……いつかしら?」
「七月二十一日だ……一緒にボルーノの街に行ったことがあっただろう。あの日が、俺の誕生日だったんだ……」
俺は突然訊ねられて驚いたが、その時の事を思い出し、頬が緩む。
「えっ!? そうだったの……」
「ああ、結局アリーシャしか祝ってもらえなかったが……それでも、今振り返れば色々なことがあって、良い思い出になったな……」
アウラは、急にこれまでに見た事ない程、相貌を歪め険しい表情をした。
何か考えている様に見えたが、俺はアウラも色々な事があったので思い出しているのだろうと想像する。
「――これから、昨日の後始末でオーガの集落へ行くことにした。ビアンカとゆっくり寛いでくれ。明日はいつも通りモーガン先生の家で会おう」
俺は物思いに耽るアウラに伝えた。
アウラの家族に挨拶することが出来なったと思いつつ、集落の外へ向かう。
結界の中に入る時は、見えない所に飛び込む様な違和感を覚えたが、出る時も空気が変わった様な不自然な感覚を抱いた。
ここから迷いの森を抜ければ、オーガの縄張りに入る。




