3.冷凍室と冷蔵室
――書庫。
朝食後、ビアンカは珍しく書庫でカトレアさんが来るのを待った。
ビアンカが待っているのは、朝に話した冷凍室を造るためである。
「地下を保管庫にするのは良くあることですが、まさか魔法で凍らせるとは……良く考えましたね」
「俺が考えた訳でなくて、俺の国で似た様なものがあるから、真似出来ないかなと思ってな……出来るか分からなくて相談することにした」
「早く、来ないっすかね……」
俺とアリーシャは冷凍室について話していたが、ビアンカは冷凍室の構造には興味がないらしく、暇を持て余している。
そこへ、カトレアさんが書庫に入って来た。
「あらっ!? 今日は珍しいわね」
予想通りの言葉が出て、思わず噴き出してしまう。
ビアンカは顔を赤く染め、尻尾を膨らませた。
「あっ!? また、カザマがアタシを馬鹿にしたっすね!」
「お、俺は、別に何も言ってないじゃないか……は、はははははははははは……」
だが、我慢出来なくて大笑いしてしまう。
俺にとってビアンカと書庫は、それくらい似合わない場所なのだ。
ビアンカは照れ臭かったのか、俺の背中を叩いたが痛くない。
「もう、カトレアさんがみえたのに……カザマは、ビアンカをからかうのを止めて下さい」
暇そうにしていたビアンカの退屈しのぎの筈が、アリーシャに叱られてしまう。
カトレアさんは俺たちのやり取りを見て、小さく笑みを溢した。
「特に問題なさそうじゃない。あれからどうなったか心配していたけど……」
気に掛けてくれたカトレアさんに背筋を伸ばす。
「はい、ありがとうございます。取り敢えず、朝みんなに話しました。モーガン先生が中立の立場で、俺を家に置いてくれることになりました」
カトレアさんは、俺の話に薄っすら笑みを浮かべた。
そして、ビアンカに顔を向けるが、手を頬に添えると柳眉を寄せて首を傾げる。
「……そう。それで、ビアンカがいるけど、魔法の勉強かしら?」
俺は思わず頬を膨らませて、また噴き出しそうになったが我慢した。
「いえ、カトレアさんに、冷凍室を作るための……アドバイスをもらいたくて……」
途中でビアンカが俺の顔を睨んだが、何とか話し終える。
カトレアさんは、首を傾げたまま目を丸めた。
「冷凍室?」
「はい、ビアンカが狩りをして肉を保管する納屋があるのですが、魔法で地下室を造って、地下室の壁を魔法で凍らせたいのです。出来れば、地下室の壁を二重構造にして、内側の壁と壁の間に、強力な氷結魔法で凍らせたらと……」
自分の想像を膨らませ説明していたが、三にんとも首を傾げて表情を曇らせていく。
しばらくして、事前に説明していたお陰か、アリーシャが質問してきた。
「……カザマ、地下室を凍らせるだけではないのですか?」
俺は首を横に振り答える。
「いや、そうすると地上よりは温暖の差が低い地下でも、すぐに周りの氷が溶けて温度が上がるだろう。もし、溶けないくらい強力な魔法で凍らせたら、今度は地下室に入ること自体、危ない気がするんだ。だから、強力な魔法で一度凍らせてから、土魔法でそれを覆って、温度調節が出来ないかな?」
カトレアさんは、俺の説明に頷く。
「何となく話は分かったけど、私たちには手伝えないと思うわ。多分、カザマが考えている程、強力な氷結魔法はモーガン先生かアウラにしか使えないでしょうね」
カトレアさんは俺の説明を完全に理解した訳ではなかった様だが、要点だけは分かったようだ。
俺はビアンカの方に顔を向ける。
「なあ、ビアンカ。今日もアウラは来るよな?」
「多分、カザマが来るのを演習場で待っていると思うっすよ」
ビアンカの返事を聞いて、俺たちは演習場に向かう――。
俺たちが演習場の近くまで来ると、アウラは腰に手を添えて、胸を張り威風堂々と立っていた。
俺は色々と突っ込みたいのを我慢して頬を掻く。
「アウラ、悪いけど、今日は魔法の練習じゃなくて手伝って欲しいことがあるんだ」
アウラは不思議そうに首を傾げた。
「あら、何かしら?」
珍しくみんなが揃って演習場に来たので、気合いを入れていたのだろうか。
それとも、思っていた事と違ったのだろうか。
俺はみんなにした説明をアウラにも話す……。
「分かったわ! 私に任せておいて!」
アウラは先程と同じ様に胸を張ったが、幾分か頬が緩んで見える。
自信があるのだろうか。
――ビアンカの納屋。
「この辺りに地下室になる空洞を空ければ良いのかしら?」
「アウラ、待って頂戴。このくらいは私に手伝わせてもらえないかしら」
俺たちが納屋に着くと、アウラが早速魔法を使おうとしたがカトレアさんが遮った。
(カトレアさんは善意で言ってくれたのだろうか? もしかして、アウラと張り合っているのだろうか?)
そして、カトレアさんは土魔法を幾度か行使して、地下室を造った。
まずは階段になるスペースを空けて階段を作った。
その後、下に下りて部屋全体を造る。
更に細かい工程もあって、地下室が綺麗に構築された。
(一度で出来る程、簡単ではないと思ったが……俺にはマネできないな……)
カトレアさんの魔法作業に感心してしまい、言葉が出ない。
カトレアさんは、俺たちを見ながら薄っすら笑みを浮かべた。
「……どうかしら?」
胸を張り誇らしげな様子に見えるが、アウラと視線が合ったのが気になる。
(何だか、アウラやヘーベのポーズと似てる気がするが……アウラに対抗意識を持っている訳じゃないよな……)
カトレアさんとアウラから得もいえない緊張感を覚えた。
「はい、これ程綺麗に仕上がるとは思っていませんでしたよ!」
アリーシャは空気を読んでか、カトレアさんの仕事を称えた。
「ええ、仕上げには、建物に関する知識がないと出来ないから、幾ら魔法の力が強力でも、アウラには真似できないと思うわ」
カトレアさんは口端を吊り上げ、アウラと視線を合わせる。
「そ、そうね、確かに真似出来ないわ。私は森で質素に暮らしているから、贅沢な屋敷で生活しているカトレアさん程、建物に対する知識はないわ。でも、魔法の力ならカトレアさんには負けないわ。カザマ、私に任せて……」
アリーシャの言葉は軽く流された。
そして、カトレアさんとアウラは互いに見つめ合い、不敵な笑みを浮かべている。
(ヒィイイイイイイ――! な、何でこんな展開になった……)
俺の嫌な予感は的中し戦慄する。
俺はそっとアリーシャに近づき、耳元で呟いた。
「……おい、アリーシャ、何とかしてくれ……」
アリーシャは素っ頓狂な声を上げると、
「ヒィヤっ!? カ、カザマ、突然……びっくりするじゃないですか!」
耳まで赤くし俺を怒鳴りつけた。
アリーシャなら俺の考えを理解してくれていると思ったが、別の事でも考えていたのだろうか。
アリーシャに叱れて落ち込む俺に、カトレアさんが口を開く。
「カザマ、私たちが誰のために、頑張っていると思っているのかしら……」
カトレアさんが俺を睨みつけていると思ったら、アウラも一緒になって睨んでいる。
(どうして、こういう時ばかり仲良くなるんだろう……)
「お騒がせしてすみません。どうか、続きをお願いします……」
俺はみんなに謝り、作業を続けてもらった。
でも、その甲斐あってか、先程までの張り詰めた緊張感が消える。
――アウラが両手を広げて輝く。
「いくわよ! みんな危ないから私の近くへ! ……『水よ! 凍てつき周囲を凍らせて! もっと!』……こんな感じで良いかしら?」
アウラの訴えにも似た魔法で、周囲はガチガチに凍った。
俺たちは驚愕して寒さも感じずにいたが、好奇心旺盛な者がひとりいる。
ビアンカは尻尾を左右に振りながら、ゆっくり手を伸ばして触ろうとした。
「あっ!? ビアンカ、触っちゃだめよ! 少し強めに精霊たちにお願いしたから、触ると手が凍ってしまうわ!」
アウラが驚いてビアンカを止める。
俺たちは呆然と凍りついた壁を眺めていた……。
(アウラの魔法は、魔法というよりも精霊たちにお願いしているのだろうか? 確かに精霊魔法と以前言っていたが……あの「もっと!」とか言うのは、強さをお願いしているのだろうか? 何回見ても不可解だ。そして何より凄まじいな……。触ったら本当に、手が凍り付きそうだ……)
俺は少し落ち着くと、何気なくアウラに尋ねた。
「……なあ、これって『ニヴルヘイム』とかいう氷の世界の再現か? もしかして、もっと広範囲で冷たい氷も作れたりするのか?」
アウラは俺の言葉を聞いて、笑みを漏らす。
「ええ、カザマは良く知ってるわね……私たちの言い伝えで、そんな世界があるわよ。他にも色々な世界があるけど……取り合えず、これ以上の広さと寒さを呼び起こすことも出来るわよ」
アウラは胸を張って誇らしげにしている。
カトレアさんは、既に対抗意識を失くしたのか呆然としたままだ。
「カトレアさん、そろそろこの上を土魔法で覆ってもらえますか? これだけの氷なら、後から調節すれば溶けることはないと思います」
俺は、そっとカトレアさんの肩を叩いてお願いした。
「……はっ!? そ、そうね。どんな感じにしようか壁のイメージを考えていたのよ」
貴族のカトレアさんは負けず嫌いなのか。
それとも、まだアウラと張り合っているのだろうか……。
カトレアさんの魔法が始まる。
カトレアさんは、先に階段を土魔法で綺麗に整えた。
それから、みんなと一緒に階段まで下がり、部屋全体を土壁で覆う。
そして、土壁を凹凸なく綺麗に整えた。
最後はレンガ造りの様な模様に見えたが、細かな凹凸を作る。
床は良く見ると緩やかな傾斜があり、万が一凍りが溶け出しても、地面に流れる様な排水性も考えてあった。
俺は感動のあまり解説を始めた。
「す、凄い! これなら温度調整のために壁を凍らせ易く、床は安全性も考慮して排水を意識されている。装飾だけでなく、何て実用的なんだ……」
興奮して語る俺に、みんなは呆然と眺めていた。
アウラもみんなと同じ様に眺めている。
カトレアさんも自分の魔法に満足なのか、誇らしげな笑みを浮かべていた。
(二人の凄さは方向性が違うだけだということに、お互い気付いただろうか……)
俺は良い方向に期待する。
その後、俺はカトレアさんとアウラにお礼を言い、ビアンカにも頭を下げさせた。
そして、カトレアさんはアリーシャを連れて書庫に戻っていく――。
地下室には、俺とビアンカとアウラが残っている。
「なあ、これからどうしようか? 取り敢えず、荷物を運び込もうか?」
俺が問い掛けても、何故かビアンカが難しい表情をしていた。
「なあ、どうしたんだ?」
「うーん……カザマ。大きい荷物は、どうやって運べばいいっすか?」
俺は思わず頭を抱えて叫ぶ。
「ああああああああああああ――!? わ、忘れてた……」
地下室のことばかりに気をとられて、搬入のことをすっかり忘れていた。
結局、またカトレアさんを呼び戻して出入り口を広げてもらう。
俺は出入り口を広げてもらって気づいた。
「なあ、ビアンカ。納屋も改造して冷蔵室にしないか?」
地下室の上の納屋に、丁度良い感じに冷気が流れている。
ビアンカは、俺の提案に表情を曇らせ尻尾が萎む。
「えー……それじゃ、アタシの納屋はどうなるんすか?」
「それなら、地下室の出入り口付近だけ、冷蔵室にしたらどうだ?」
ビアンカは、冷蔵室をイマイチ理解出来なかったみたいだが了承してくれた。
俺は冷蔵室の周りは魔法でなくて、小規模なレンガの部屋を造ることにする。
その後作業用のテーブルを運んだり、肉を吊るせる様に壁や天井に細工をしたりして、ビアンカの冷凍室は完成した。
俺とビアンカが相談しながら作業している最中、アウラは時折手伝いながら俺たちの作業を楽しそうに見つめている。
「なあ、アウラ。お前が凍らせたところが溶けたら、また凍らせてくれるのか?」
頬を緩めていたアウラは、驚いた様に口を半分開けて首を傾げたが、
「えっ!? 何言ってるの? 少なくとも余程の高熱に晒されなければ溶けることはない筈よ」
どうしてそんなことを聞いてくるのかと、不思議そうな表情をしている。
俺はアウラの言葉と表情に顔を引き攣らせた。
「そ、そうか、凄いんだな……それなら、大丈夫だな。ビアンカ保存したいものを運んで外に出ようぜ。いい加減、凍えそうだ」
顔を引き攣らせた後で、身体が震え出す。
今まで動き回っていた事と、驚きの連続で感覚が麻痺していたのかもしれない。
大体片付けが終わり、ひと息ついたところで寒さが気になり出した。
(今まで大丈夫だったのは、ニンジャ服の影響もあったかもしれない……)
そんな事を思いつつ、ビアンカとアウラに顔を向けた。
「お前たちは寒くないのか?」
「アタシは寒さより、むしろ暑い方が苦手っす……」
ビアンカは照れ臭そうに頬を掻きながら尻尾を左右に振る。
「私は暑い所に行ったことがないけど、アルヌス山脈はもっと寒いところがあるわ」
アウラはそんな寒い所に行ったりもするのだろうかと首を傾げたが、色々と不思議な美少女である。
俺は兎に角、この場を出たかったので、二人を急かす様に納屋に上がった――。




