4.ヘーベの教会
――ヘーベの教会。
俺は教会の部屋の中にいる。
この世界に来てから気になっていた教会は、ヘーベに縁があるらしい。
ヘーベは女神の正体は隠し、この教会の『聖職者』として独りで管理しているようだ。
「まずは、私のペンダントを見てもらえるかな……」
ヘーベはペンダントを手の平に置き、銀色に輝く円形の装飾品を見せた。
手のひらと同じくらいの大きさだろうか。
中央には、ダイヤモンドの様に光輝く宝石が埋められていた。
良く見ると中央の光輝く宝石の周りに六つの窪みがある。
俺が訝しげに見つめていると。
「私が色々な世界の様子を覗いていた時に、スキが出来たみたいなの。誰だか分からないけどヤラレタわ。盗まれたのは六つの宝石。六つの宝石には、私の六つの感情が秘められているの。『喜』、『怒』、『哀』、『楽』、『愛』、『憎』……幸いにして『欲』だけは盗まれずに済んだわ。お陰で取り戻そうとする『意欲』はあるみたいよ――」
俺はしばらく無言でいたが、どうにも嘘くさいと顔を顰めた。
(最後の意欲は駄洒落でしょうか……)
と突っ込みを入れたくなる。
「あのーっ……何かのネタでしょうか? そろそろ真面目な話をしませんか?」
「本当のことよ。まずは『喜』が秘められた宝石から狙っていきましょうか」
俺の話はスルーされ、勝手に話が進められていく。
「それで、具体的にはどうすればいいでしょうか?」
既に、この強引な女神さまに慣れつつある俺は、話を進める。
「そうね……取り敢えずは、この世界に慣れることもあるし……魔法の修行に行ってもらうわ」
「ほ、本当ですか!」
俺は魔法を使うことが出来ると聞き、心が躍る。
ニンジャという職業の説明を聞いたが、魔法を使うことに現実味が出てきて喜びも大きい。
正直に言うと、子供の頃に少しだけ、いつか魔法を使えたら……と願ったことがある。
それから修行という言葉に、久しく感じていなかった意欲を覚えた。
「この街は『ヘーベルタニア』というのだけど、馬車で北に二時間程行くと、アルヌス山脈の麓に『オルコット村』があるわ。村の外れの森に『デューク・ド・モーガン』という賢者がいるから、その人に魔法やこの世界のことを教わるといいわ。あなた以外にも、若者たちが学びに来ているはずだから、良い経験になると思うの」
既に何度も見たヘーベの腰に手を添える仕草だが、やっと女神さまらしい威厳を感じた気がする。
レベッカさんと話しをしたが、まともな異世界交流はこれが初めてだ。
魔法を使えるようになるのも楽しみだが、異世界の同世代の人たちはどういう感じなのだろう。
この街の名前がヘーベルタニアという、いかにもなことに対する突っ込みも忘れ歓喜に震えた。
そして、これから修行することになり、俺は大切なことに気づく。
「ヘーベ、これから街を出ることになる様ですが、この服は何とかなりませんか?」
ニンジャ服といって装備させられていたが、目立ち過ぎる。
実際の忍者も黒は目立つから紺色の衣装だった筈だ。
「分かったわ。少し目を閉じてもらえる……」
俺の考えが分かったのだろうか。
何故ヘーベは俺に目を閉じろというのか、訝しかったが目を閉じる――。
しばらくして目を開けると、俺の服の色が紺色に変わっていた。
「!? いつの間に……何をしたのですか?」
「あなたの着ている服は、魔法の効果を掛かり易くするマジックアイテムよ」
どのように色を変えたのか知りたかったが、女神さまには瑣末なことであったらしい。
この服は少し厚手の普通の服にしか見えなかったが、それなり凄い物ようだ。
もともとは、俺がゲーム中に装備していた鎧と剣とを引き換えにされたものみたいだから、考え様によっては当然かもしれない。
「……!? ヘーベ、俺は武器を持っていないのですが……」
「分かったわ。取り敢えず、これを使ってくれるといいわ。上級職といっても、まだ駆け出しの冒険者だし、これくらいでいいわね。これなら日常生活でも使えるしね」
ヘーベは俺に、ゲーム世界の初期装備でありがちなダガーをくれた。
「それから、ニンジャ職は他の職業の中でも、特に創意工夫に優れているわ。森の中や旅先、これからの出会いで色々と使えそうな物があるかもね」
ニンジャという職業はこの世界にない様なので、ニンジャが使うアイテムは自分で使えそうなものを探したり、作るということなのであろうか。
使えそうなものってことは、マキビシとかであろうか。
俺はニンジャのアイテムで、森で採取できそうな物を思い浮かべた。
「今日は遅くなってしまったから、修行は明日からで今日は食事にして休みましょう」
ヘーベは食事の準備のためか、この部屋を後にした。
――初めての夕食。
大分陽が傾き、外の景色が赤く染まっている。
「食事の準備が出来たから、一緒に食事にしましょう」
ヘーベが俺を呼びに来て、台所の隣にある部屋に案内してくれた。
中世ヨーロッパ風の世界だが、この辺りの間取りとかは日本とあまり変わりがないように感じる。
食堂に入り六人掛けのテーブルに、ヘーベと向かい合う様に座った。
教会は礼拝堂を除き、この他にあと数部屋あるようだが。
こんな所にヘーベは独りで住んでいるのだろうかと想像し、俯いてしまう。
「大丈夫よ。色々と忙しいし、寂しないわ」
ヘーベは俺の顔を見つめ呟く様に言った。
(時折感じていたが、ヘーベは人の考えが分かるのであろうか……?)
女神さまの異能の力に改めて驚きを感じる。
そして、今まで何度も失礼なことを考えてしまったことに、畏れを抱いた。
「私は起きた出来事を調べたりすることは出来ても、人の心を読むことは出来ないわ。直接会えば、何となく知ることは出来るけど……でも、あなたに対しては契約した関係上、普通の人よりは良く分かるわね」
俺は驚きで身体を硬直させた……。
「――さあ、食事の前にお祈りをしましょう」
普段食事の前に『いただきます』も言わない俺だが、当然のようにお祈りをする。
(どうか、怒らないでください……)
(決して、悪気があった訳ではないのです……)
(反省はしてます……)
(でも、誰だってあんな理不尽なことをされたら怒りますよね……)
(だから、もう二度と同じようなことを考えないとは誓えません……)
(それでも、反省はしてますから……)
俺は心の中で、必死で言い訳染みた謝罪をした。
ヘーベは何事もなかったかの様に口を開く。
「では、いただきましょう」
(今の俺の心の声は、分からなかったのだろうか? それとも寛大な心で、何事もなかったかの様に振舞ってくれているのか? もしくは、これまで何度か疑ったが、少し頭がアレなのではないだろうか……)
「さっきのお祈りは嘘だったのかしら?」
「すみません!」
(悪く考えると、特に敏感に反応するようだ……)
俺はこんな事を考えてはいけないと思い、テーブルの上に視線を移す。
「……ところで、先程からテーブルの上に置かれているのは、もしかして夕食ですか?」
テーブルの上にはロールパンの少し大きめがひとつと、何か葉っぱの様なものが混じったパスタが少量、そして水が置かれている。
「お互い、育ち盛り身としては、量が少ないと思うのですが……栄養バランスも偏っていると思いますし……」
俺は食事を与えてもらっている立場を弁え、ヘーベを不快にさせない様に言葉を選んだ。
「この世界の食文化は、あなたの世界程豊かではないわ。飢饉の時などは食べるものすらないのよ。裕福な食事を楽しみたいなら、これからたくさん活躍してお金を稼ぐことね。それに、あなたは以前の世界で凄いご馳走がありながら、ジャンクフードばかり食べていたわよね」
俺はヘーベの正論にうな垂れてしまった。
「……!? 俺のお金はどこにありますか? そもそも以前のお金が使えるのでしょうか? ここの世界のお金についても教えてもらえませんか?」
俺は服や武器の事など身の回りの事ばかりにしか気づいてなかったが、先立つものがなければ生きていけない。
ここは西洋の中世っぽい世界で、それなりに文明・文化が発展しているみたいだ。
俺の世界の歴史やゲームの様に貨幣の制度もあるに違いない。
そうなるとお金が必要だ。
特に駆け出し冒険者で、この世界のことを知らない身としては……。
それに、ヘーベが養ってくれると決まっている訳でもないし、女神さまとはいえ見た目が自分より幼く見える女の子に、養ってもらうのはどうにも気が引けてしまう。
「あなたのお金ならないわよ。あなたの冒険者登録や服と武器、特にニンジャにするのにお金がかかったかな……それから、ここの周辺の国の通貨の呼び名は『ゴールド』で、一ゴールドが一円くらいと思っていいわ。あなたの国とは若干物価が違うとは思うけど……。どこの国や世界でも『金』は信頼されているのね。それから食事に関しては、しばらく大丈夫よ。何も食べるものがないという事は、ない筈だから」
俺はヘーベの話を聞き、返す言葉もなく呆然自失とした。
この世界に来て、強制的にジョブチェンジされ、お金まで無くなってしまったのだ。
これまでの展開で何となく想像出来たが、駆け出し冒険者なのに無一文で異世界生活。
日本で高校生をしていて、お金がない事にこれ程不安を抱くことになるとは、夢にも思っていなかった。
ヘーベが言うには、幸いにも食事には困らないようだが……。
俺は先行き不安な気持ちに覇気がなくなり、目の前の僅かな食事を早々に食べ終わると先程の部屋に戻り横になったが――
(……眠れない!)
最近はほとんど眠らずにゲームをしていたが、どちらかといえば夜の方が目が冴えていた。
その上、先程先行きが不安になる話を聞かされたばかりである。
夕食が少なかったこともあり小腹も空き、気分転換も兼ねて夜の街を散策することにした――。