1.極東の地
周囲の敵が殲滅され、再び周りの景色が変わった。
目の前に火山があるのは変わらないが、周囲にあった海がない。
もしかしたら先程までの光景は、イフリートが造り出した世界だったのかもしれない。
今が本来の場所であるのなら、阿蘇山であろうか。
上空に退避した仲間たちが心配だったが、コテツとインドラさまが守護してくれたのか無事だったようだ。
俺は命からがら着地に成功し、アウラをお姫様抱っこした状態で朦朧としている。
「カザマ、私の歌声はどうだったかしら? イフリートさまも心を落ち着かせ、姿を消したわ」
アウラが俺の首に腕を絡め、満面の笑みを浮かべている。
身体の感覚が戻り、意識もはっきりしてきた俺は頬が緩んだ。
「!? イッテー! き、急に何を……」
いきなり頬をつねられ声を上げたが、目と鼻の先にあるアウラの顔に驚愕する。
アウラの表情ががらりと変わり、物凄い形相になっていたのだ。
すぐに俺は状況を理解し、身体から汗が止まらなくなる。
「マー君、ヘラヘラして情けない顔をして……あなたはアリーシャと結婚するのよね」
「そ、それは……結婚する筈だったけど……母さんのせいで、結婚する前から別居生活じゃないか。そういうのを結婚と言うのか、俺には分からないよ」
アウラに対してヘラヘラしていたのは事実なので、敢えてアリーシャの件だけ答えた。
「マー君、あなたのアリーシャに対する思いは、その程度なの? あなたのお父さんは、私とすぐに別居する事になったけど、一度たりとも他の女性に現を抜かす事はなかったわ」
母親が俺の頬をつねったまま、思いもしない事を語り出した。
「母さん、俺はその辺りの事情を全く知らないのだけど……どうして別居する事になったのか、教えて欲しい」
「マー君、大人には色々と事情があるのよ。詳しく教える事は出来ないけど、夫婦仲が悪くなった訳ではないわ」
母親がアウラのように、俺の頬をつねったまま胸を張っている。
何だか勝ち誇った様な態度に段々イラついてきた。
「母さん、母さんと父さんの事情は分からない。でも、ふたりは別居することになったけど、ちゃんと結婚したんだよね? 俺はまともに結婚する事も許されないのだから、比較されるのは可笑しいと思う」
「マー君、何かしら? もしかして反抗期なのかしら?」
俺に非難されて誤魔化そうとしたのか、いつもなら叱られる筈が拍子抜けする。
そうこうやり取りをしている間に、みんなが俺たちの周りに下りてきた。
「ほうー、極東の男はアレスだけでなく、アウラともコンビを組んで芸をするのだな? なかなか興味深い」
インドラさまが早々に突っ込んできたが、他に言う事があるのではないか。
「インドラさま、別に好き好んで言い合っている訳ではありません。それより、みんなは大丈夫でしたか?」
俺の言葉にみんなの表情が曇った。
「そうだわ! 肝心な事を言い忘れたわ! マー君の先程の発言は、後から叱る事にして……アウラ! あなた、どういうつもりなの? 私の代わりにと言ったから、あなたの歌声を楽しみにしていたのに……声は兎も角、音が外れまくっていたわ! はっきり言って、物凄い音痴よ!」
アウラの口から、アウラを非難する言葉が発せられ、傍から見れば違和感を覚える。
「な、何ですって! お母さま、今、何て言ったのかしら? 私の歌は、みんなが天にも昇る気持ちになると褒めてくれるのよ! お母さまが可笑しいのよ!」
今度はアウラ自身が柳眉を吊り上げ、反論するが本人に自覚がないのだろう。
天にも昇る気持ちというのは、天に召させるという意味なのだ。
「アウラ、私に対してよくもそのような事を……そこに正座しなさい!」
アウラの身体で母親が怒りを顕にするが、アウラは俺にお姫様抱っこされたままである。
「母さん、落ち着いて! 今、アウラを降ろすから……それと、俺もアウラには何度か指摘しようとしたけど、メルヘンなアウラには伝わらなくて……」
俺はアウラを下に降ろしながら、母親を宥めようとした。
「マー君、マー君はお母さんではなく、アウラの肩を持つつもりなのかしら? そういえば、アウラとも婚約していると言っていたわね。日本人のくせに、一夫多妻のつもりなのかしら? 破廉恥だわ」
何を勘違いしたのか母親が話を逸らしていき、俺は困惑して返す言葉が出なくなる。
「ねえ、君、親子の団欒中に悪いと思うけど……そろそろ出発しなくて、いいのかい? 決闘の日時が迫っているよ」
アレスが珍しく俺をフォローする様に話を逸らしてくれた。
俺は嬉しくて頬が緩むが、アウラは顔を顰め不快感を顕にして。
アレスの笑みが、微笑から口端が吊り上がる。
(アレス、もしかして俺を助けてくれた訳ではなく、今まで散々やり込められていた俺の母親に仕返しがしたかっただけ……)
糠喜びした分だけ不愉快であったが、アウラと母親のややこしい言い合いが止まったので我慢した。
「マー君、アウラの歌だけど、あれは天使の歌ではないわ」
「母さん、まだそんな事を……今は、先を急がないと」
「マー君、聞いて頂戴。あれは堕天使の歌よ。それだけは覚えておいて」
母親の意味深な言葉に驚かされるが、とうのアウラは理解出来ないのか返事がない。
「母さん、堕天使と言ったけど……悪魔の事だよね? 前にパズスと戦った事があるけど、堕天使って本当にいるの?」
「マー君、マー君は悪魔を一括りに思っているみたいだけど、堕天使の力は絶大よ。私と同等、或いはそれ以上の天使が堕ちた存在だから……」
俺は母親の言葉でさまざまな悪魔が思い浮かび、昂ったが。
「カザマ、まだっすか? アタシはさっきも戦う事が出来なくて、我慢出来ないっすよ。もう耳がキンキン言わなくなったから、早く先に進むっす」
いつもは俺の指示も聞かず、真っ先に戦いに飛び込むビアンカが口を尖らせている。
大分ストレスが溜まっているようだが、今は先程のアウラの騒音から立ち直ったばかりなのであろう。
ちなみに、ビアンカはアウラの歌が酷い事をアウラに伝えずにいる。
聴覚が人間より遥かに発達しているので、俺よりも被害が大きい筈なのに仲間思いであった。
「あら、ビアンカ、ごめんなさい。私とマー君は、久しぶりに日本へ帰ってきて、興奮してしまったわ」
アウラの姿で母親がちらりと舌を出してみせて、可愛く見えるのが微妙な心境だ。
「ねえ、君、さっきからそわそわして、相変わらず落ち着きがないよ。故郷に帰ってきて浮かれているのは分かるけど、何度も僕に同じことを言わせない欲しいよ」
アレスから突っ込まれ、イラっとするが我慢する。
「そ、そうですね……アーラたちの羽を多少は休ませる事が出来ました。それに目的地まで、それ程距離はありません。そろそろ出発しましょう」
再びみんなはアーラとルーナとペガサスに跨り、阿蘇山であろう山を越え。
北東に向かって飛行する――。




