1.補給
――異世界生活二年五ヶ月と五日目。
途中補給のため、スエズ運河要塞に一晩停泊し。
その後、十日間でムンバイに入港した。
以前シンガポールへ基地建設に向かった時を思えば、かなりの日数を短縮させている。
大きくて速度の出難い戦艦クラスのモミジ丸が、この規模にしては足早であるのが大きい。
それでも、船員や各艦に負担をかけているのは否めなかった。
目指す海域までは遠く、約束の日を考えるとやむを得ない。
――ムンバイ港。
今回は乗員の下船を極力抑え、補給と情報収集を主とした停泊である。
補給は順調に進んでおり。
俺も他の船員たちと同様に港街に入らず、艦橋の中に居たが。
停泊して数時間が過ぎて、艦橋にインドラさまが現れた。
「極東の男、久しぶりではないか。精悍な顔つきも変わっていないな。だが何故、私の所に顔を見せに来ないのだ?」
「インドラさま、ご無沙汰しています。今回は急ぎの要件があり、明日にでも出航する予定なんです。それから不慮の事故で顔が腫れているだけで、もともと俺の顔は、こんな厳つくはありません」
俺は勘違いをしているであろうインドラさまに念を押した。
「ほうー、相変わらず面白い事を言う。ところでやけに急ぐ様だが、何か事情でもあるのか?」
インドラさまが訝しげに俺を見つめる。
「俺は芸人でも商人でもありませんからね。……それで、実は――」
俺は更に念を押すと、エリカという幼馴染がいる事から、決闘を行う経緯までインドラさまに伝えた。
インドラさまは頷きながら、俺の話を聞いていたが。
「ほうー、それでは尚更私の元に来て、助力を求めるべきであろう」
話を聞き終えると、胸を張って俺を問い質した。
「い、いえ、確かに力を貸してもらえるとありがたいですが、一応決闘の約束なので……」
「ほうー、極東の男ともあろう者が、何を弱気な事を……いつも卑劣な策を用いているであろう」
俺はアウラの方をちらりと見たが、インドラさまが更に突っ込んできたので戸惑ってしまう。
インドラさまの言葉は間違っていないだろうが、もっと他に言い方があるのではないか。
そう思ったが、返す言葉が出てこなかった。
「ねえ、君、これも日頃の行いが為せることだね」
アレスが意味深な事を言ってハニカンだが、愛らしい相貌とは裏腹に俺を馬鹿にしているのが伝わる。
俺は、いつもニンジャとして当然の事を行っているだけなのだ。
それなのに寄って集って馬鹿にされて、グッと拳を握り我慢していたが。
「インドラ、アレス、言葉が過ぎると思うわ。私のマー君に……」
アウラが険しい表情を浮かべ、二柱を睨んで身体を震わせている。
出会ってから何かと俺を叱ってばかりいたが、初めて俺を庇ってくれた。
アレスはそっぽを向いたが、怪訝な表情を浮かべアウラを見たインドラさまの様子が急変する。
急にオドオドし始め、明らかに動揺している様に見える。
「インドラさま、アウラは俺の母親が憑依しているのです。慣れない内は、アウラと俺の母親の人格が入れ替わって話し出すので、戸惑うかもしれません」
「マー君、憑依とはどういう意味かしら? 依り代と言いなさい」
アウラの顔で母親が俺を睨み、俺もインドラさまと同じ様に竦んでしまう。
「ほ、ほうー、極東の男、そういうことか……。だが、そういう事は早めに知らせて欲しかったぞ」
インドラさまが文句を言ったが、それを伝える前に話し出したのはインドラさまである。
俺は、さっきの仕返しに言い返そうとしたが、我慢した。
「インドラ、丁度良かったわ。これから航海の案内をしなさい」
「アウラ!? じゃなくて、母さん! 幾ら何でも初めて会った神さまに、その言い方は横暴だと思いますよ」
「あらっ? マー君、お母さんに文句でもあるのかしら? それに今の発言は、先程のお母さんの言葉の揚げ足を取った様に聞こえたけど……」
アウラの顔で俺の母親が俺を睨みつけ、俺とインドラさまは縮こまるが。
「ほうー、親子の話に私が首を突っ込むのは無粋だな。私はそろそろ……」
「インドラ、お待ちなさい。まだ話は終わっていません」
俺とインドラさまは、尚もアウラの姿をした俺の母親にあれこれと言われ続け。
結局、インドラさまは今回も旅の案内役をすることになった。
何も言わずに、そっぽを向いてやり過ごしたアレスの態度は無礼であったが。
結果的には賢い判断であった。
インドラさまが俺の母親に責められたのを察してか、ビシュヌさまは乗艦して来なかった。
それからインドラさまは、アウラを避ける様に俺の傍に居るが。
神さまがこれ程恐れる大天使の存在とは、いったい何だろうか。
そもそも十二神クラスの神々が、中位クラスの天使だと聞いたが。
そこまでの差があるのだろうか。
どれ程の違いがあるのか知りたいと思ったが、それを尋ねるのは憚れた。
そして一晩経ち、補給を終えた第一艦隊は物資の他にインドラさまを乗せている。
東へ向かう航海のガイド役としての乗船であるが。
神さまに対して罰当たりなので、この件も口には出来なかった――。




