5.極東へ向けて出航
――異世界生活二年四ヶ月と十六日目。
いつもは俺がグラハムさんに謁見し、勅命を受けて準備を進める。
だが、今回は母親任せとなり、どうなるかと気になっていたが。
ベネチアーノの桟橋に着いた俺は、杞憂であったと知る。
モミジ丸が桟橋に停泊していたが、マダガスカル島から帰港してひと月も経ってないのに、戦艦クラスへと改装を終えていたのだ。
消息を絶ったベネチアーノのデータも参考に行われたのだろうが、あまりに早い気がする。
大聖堂の建造もあり得ない早さで行われ、幾ら文明開化とはいえ訝しさを覚えた。
とはいえ、戦艦クラスに改装されたモミジ丸の姿に昂ったのは言うまでもない。
――艦橋。
ブリッジに上がった俺たちをいつも通り艦長が出迎えた。
モミジ丸の姿に高揚している俺は、最近何かと叱られている母親を前にして、いつも以上に気合が入っている。
「カザマ、第一艦隊は補給を済ませ、いつでも出航可能です」
「艦長、ご苦労。――改装で見た目が大きくなったが、ブリッジの中はあまり変わってないようだな」
「カザマ、見た目だけでなく主砲の他、レーダー等の性能も上がっています。それにこれだけ大きくなりましたが、速度はほとんど変わっていません」
「ほうー、それは凄いな。金剛型は高速艦だと知っていたが、この世界でも同じなのか……」
俺は艦長の説明に満足し、独り頷いていたが。
「ねえ、君、さっきから」
「アレス、待って頂戴。私が直接話すわ」
アレスが何か言い掛けたが、両掌を上げて首を竦めた。
「えっ!? なに?」
「マー君、何ではありません! 先程から目上の人に対して、その話し方は何ですか? 偉そうに……それに、また自分の世界に浸って、病気が悪化するわよ!」
アウラに叱られた俺は、折角の気分を台無しにされてイラつくが。
つい最近、体罰を受けたばかりである。
何も言えず、グッと拳を握り我慢していると。
「カザマ、たまに世界がどうこうと言うわよね? それって、カザマが極東の神だから……そういう意味だと思っていたわ。実際、カザマは大天使さまの息子だった訳だし……でも、今のお母さまの言葉で勝手に妄想していると分かったわ」
ブリュンヒルデさんまで俺の母親の事を『お母さま』と呼び。
俺の知らない所で何か力が働いている気がしたが、それどころではない。
「ブリュンヒルデさん、アウラが大人しくなって余計な事を言うヤツが居なくなったのに、あなたがそんな事を言ってショックですよ。ブリュンヒルデさんは、実直な方だと思っていたのに、メルヘンな事を言って……」
「「な、何ですって!」」
ブリュンヒルデさんと同時に声を上げたのは、母親ではなくアウラであった。
最近はアウラの姿を乗っ取ったかの様に、アウラの影が薄くなっていたが。
俺には分かる。
ふたりに言い寄られながらも、頬が緩んだ。
「ねえ、君、失礼な事を言って怒られているのに、どうしてそんなに嬉しそうなんだい?」
「アレス、失礼なのはアレスですよ。俺は本当の事を言っただけだし、俺を変態みたいに扱うのは止めて下さい。俺が喜んでいるのは、久しぶりにアウラの声を聞けたのが嬉しかったからです」
ブリュンヒルデさんとアウラが肩を震わせているが、アウラが動く。
「カザマ、嬉しいわ。やっぱり私の事が一番好きだったのね」
アウラが俺に抱き着き、柔らかな感触と良い香りに鼻の穴が膨らんでしまう。
「アウラ……お、落ち着いてくれ。好きなのは認めるが、一番とは……」
「お母さまに言われていたの――『しばらくじっとしていて頂戴。私に任せておけば、きっとマー君はアウラに好意を寄せる筈よ』――。もともと私に好意を抱いている筈なのに、そんな必要はないと思っていたわ。でも、最近は色々あって小康状態だったし、お母さまの言う通りにしたのよ」
メルヘンなアウラが甘い言葉に乗せられたようだ。
最近アウラ自身が表に出ないと思っていたが、理由を理解した。
だが、この状況は良いとは言えない。
ただでさえメルヘンを拗らせ、勝手にとんでもない魔法を放つ事がある。
しかもそのほとんどが、俺を巻き込むのだ。
「アウラ、俺は一番とは言ってないだろう。大体、アリーシャと婚約が破棄になった訳じゃないぞ。勝手な妄想で調子に乗るなよ」
俺は、これから起こるかもしれない災害を未然に防ぐため。
少し厳しいかもしれないが、本当の事を伝えた。
アウラの身体が俺から離れたかに思ったが、両手で俺の肩を掴んだまま震え出す。
「な、な……マー君!」
「は、はい!」
アウラから母親に声が変わり、俺は気を付けの姿勢を取ってしまう。
アウラの手が物凄い力で俺の肩を握るが、何も言えず我慢した。
こうして今回の遠征は、アリーシャとビアンカとリヴァイが居なくなり。
寂しく感じられたが、賑やかな雰囲気は変わりないようだ。
――出航。
艦橋に上がってから、いつも通りひと悶着あったが。
ようやく第一艦隊は出航する。
まずはスエズ運河要塞で補給を済ませ、ムンバイに向かう。
補給を行うだけでなく、遠く離れた所に向かうため、東側の情報を得る目的もある。
その後は新設されたシンガポール基地と上海の港に入る予定だ。
シンガポール基地も建設されたばかりだが、上海の方は建設前に岐路に着いたため状況が分からない。
最後は東シナ海を航行して、約束の地へと向かう航路だ。
地球の半周くらいに及ぶ、長い航海になる。
以前海のシルクロードを開通させ、航路のデータはあるが危険を伴う旅になるだろう。
そして、東シナ海からの情報がないのも不安要素だが。
海で絶大な力を誇るリヴァイと丘の上の白兵戦で無類の強さを誇るビアンカの不在も大きい。
俺はいつも以上に気を引き締めて、
「艦長、第一艦隊はこれより上海に向けて出航する。合図を頼む」
艦長に指示を出したが、敢えて極東という未知の地名を口にするのを止めた。
「アイサー! 出航用意」
「アイサー! 出航用意」
『アイ』
俺の指示を受けた艦長が返事をして、副長から格クルーに伝達される。
そしてクルーたちが一斉に返事をして、銅鑼とラッパが響く。
タラップが外され、次に係留していた舫いが外される。
「抜錨」
「アイサー! 抜錨」
「アイサー! 抜錨」
『アイ』
先程と同じ様に俺の指示を聞いた艦長が返事をして、副長から格クルーに伝達される。
クルーたちが一斉に返事をして同様に銅鑼が鳴る。
ちなみに最近は、銅鑼以外にもラッパが使われる様になり、以前よりも更に指示系統が細かくなっていた。
相変わらず俺の格好良い姿を見て、みんな呆然としている。
好奇心旺盛のアウラだけでなく、初めて立ち会う母親も興奮しているに違いないと胸が高鳴った。
「面舵三十度、両舷前進微速」
「面舵三十度、両舷前進微速」
「アイサー。面舵三十度、両舷前進微速」
『アイ』
ブリッジでは俺の指示の後、艦長と副長がクルーたちに指示を出し復唱されている。
外では銅鑼とラッパが鳴り、係留されていた第一艦隊が、順に桟橋を離れて出航を始めた。
港では、大型戦艦の出航する様子を見ようと見物人が大勢詰め掛けているが。
高い艦橋から大聖堂のバルコニーに目が留まった。
アリーシャとリヴァイが立っており、アリーシャが大きく手を振っている。
「艦長、スマナイ、ちょっと席を外す」
「カザマ……」
艦長が何か言い掛けたが、構わず艦橋から外に通じる扉を開けた。
普段この非常用の階段を使うことはないが、少しでも自分が見えやすいように。
外に出て手を振ったのだ。
普通の人間のアリーシャには見えないだろうが、リヴァイが伝えてくれているだろう。
「おーい! カザマ! アタシも行くっすよ!」
聞き覚えのある声に見上げると、ルーナに跨ったビアンカがモミジ丸の上空を旋回している。
俺は一瞬驚き硬直したが、すぐに頬が緩んだ。
「ビアンカ! 格納庫だ!」
「分かったっす!」
厩舎に使っている場所を指示すると、ルーナは高度を下げた。
艦橋に戻った俺はビアンカが合流し、艦隊が順調に出航している様子に安堵する。
「艦長、ビアンカが合流してくれた。幸先の良い出航だな」
だが、いつもならすぐに返事が返ってくる筈なのに、返事がない。
俺は、ふと周りを見渡し、アウラが険しい表情で俺を睨んでいるのに気づいた。
「マー君……いえ、モミジ君と言った方が分かり易いかしら? さっきまであまりに可笑しなことを言っているから、言葉が出なかったけど……本当に中二病じゃない! 冗談だと思っていたのに、情けないわ。お父さんはどういう教育をしていたのかしら? もう……」
俺は以前も似た様な事をエリカやアリーシャに言われ、叱られたことを思い出すが。
「母さん、誤解しないで欲しい。俺は正しい技術を教えただけなんだ。船員たちの様子を見れば分かるでしょう。みんな俺に感謝しているんだ。――きっと日本に行けば、この艦隊を見た人々がクロフネだと騒ぐ筈だよ。そんな姿を思い浮かべると、胸が高鳴るんだ。リョウマさんの気持ちが手に取る様に分かるよ……」
昂る気持ちを抑えられず、いつも以上に熱く語ってしまった。
もうヘーベの加護はないが、母親なら俺の話が分かる筈である。
「マー君、黙りなさい!! みなさん、ごめんなさい! ちょっとマー君と話をするので、後はお任せして良いですか? それから、マー君が可笑しな事を口走っていましたが、忘れて下さい」
出会ってから何度も母親にぶたれたが、初めて大声で怒鳴られてしまった。
ショックのあまり呆然とするが、母親に手を引かれブリーフィングルームに連行され。
その後、正座をさせられた俺は、長々と説教を受けたのだった――。




