6.継承
茫然自失する俺に、ヘーベが再び口を開く。
「カザマ、そろそろいいかしら? 力が消えかけているの……」
微笑を湛えているが、その笑みはどこか儚げに見えた。
「えっ!? い、いや、その……」
色々な感情が込み上げ、言葉が出てこない。
「アリーシャ殿、よろしいでしょうか?」
突然名前を呼ばれたアリーシャも戸惑いを隠せず。
「は、はい!」
辛うじて返事をしたものの、その声は裏返りそうな程大きかった。
「アリーシャ殿……いえ、アリーシャ。私はあなたに、これを託そうと思う」
ヘーベは、首に掛かっていたネックレスをゆっくり外すと。
アリーシャに差し出す様に手を伸ばして、はにかんだ。
幼くなった女神の笑みは愛らしくもあり、幻想的に見え。
ヘーベの背景に、初めてデートした花畑が浮かぶ。
勿論そんなものはないが、そんな印象を受けたのだ。
笑みを浮かべる視線の先は、俺の隣で膝をついているアリーシャ。
真っ直ぐに見つめられるアリーシャは戸惑っているのか、恐縮しているのか。
固まったかの様に動かない。
俺は右側に居るアリーシャの背中を優しく擦った。
「アリーシャ、いつまでも呆けていられないぞ。ヘーベに答えてあげないと」
いつもならリヴァイにヤキモチを焼かれる場面だが、今回は何も起きない。
賢さはイマイチだが、空気は読めるリヴァイが察したのだろう。
だが、今の俺にそんなことを気にしている余裕はない。
俺もアリーシャと同じで複雑な心境なのだ。
(!? 待てよ……俺はヘーベの事を知っているが、アリーシャはヘーベの事を忘れているんだよな?)
動けずにいるアリーシャを見て首を傾げると、左側にいるアレスが俺の服を引っ張った。
「ねえ、君、今は……『継承』の最中だよ。この厳粛な場面でひとりだけ落ち着きがないよ。病気だから仕方がないのかもしれないけど、あまりに不遜だよ。それに君が考えている事は、僕たちには筒抜けだよ。アリーシャは思い出せずにいるけど、懸命に思い出そうとしているし、何となくは分かっているようだよ」
ここまで珍しく大人しくしていたアレスだったが、俺を叱っているのか。
それとも馬鹿にしているのか、相変わらず分かり難い。
相変わらずの態度を取られ、少し気持ちが落ち着いた気がする。
しかし、それは困惑から苛立ちに変わっただけ。
流石にこの場面でアレスに言い返す事が出来ず、グッと拳を握り耐えていると。
その手を優しく握られた。
「へっ!?」
俺は驚き、手を握っている相手の方を向くと。
アリーシャが俺を見つめて頷き、顔をヘーベの方に向けた。
「はい、ヘーベさま……ヘーベさん、謹んで受けさせてもらいます」
俺が思うに、こういう場面では形式的に何度か断り、三度目くらいで受ける。
そういう対応が定番の気がするが、アリーシャは悩んだ末、一度で受けた。
またアリーシャの返事もヘーベに合わせて言い直し、ふたりの強い絆を窺わせた。
アリーシャが立ち上がり、祭壇の方へ足を進める。
俺はアリーシャの姿を目で追うが、みんなもアリーシャの姿を見つめている。
ビアンカやジャンヌは、ペンダントを渡すだけの行為をどの様に思っているだろう。
何も知らない者であれば、ただ大切なモノを渡すだけに思うかもしれない。
だが、どうしてここまで厳粛な雰囲気になるのか。
その様に思うだろう。
それでもふたりは、俺と同じくらい緊張した面持ちで見つめている。
ヘーベのペンダントは、六つの感情を封印した神力を増幅させる神具。
俺は先程ヘーベの話を聞き、出会った頃の記憶を更新させ、その様に認識した。
まさに、アレスが口にした……『継承』
その表現が一番しっくりくる。
アリーシャが祭壇の前に佇むヘーベの前で、改めて膝を着いた。
ヘーベの姿は儚げな笑みと同じ様に、薄っすらと透けて見える。
もうそんなに猶予はないのだろう。
「アリーシャ、私の代わりに人々を導いて下さい」
ヘーベの言葉を聞き、頭を下げていたアリーシャの顔が上がる。
いつもなら誰かが俺を貶める言葉を口にして、なかなか話が進まないくせに。
何故か今回は話がスムーズに進み、継承が今にも終わりそうだ。
継承が済めば、きっとヘーベは消えてしまうのだろう。
そう思った俺は、戸惑いを隠せずに震えている。
ヘーベに召喚されてから色々な事があった――
全く覇気のない表情でとんでもない事を口走る女神。
その容姿は見た事がないくらい美しかったが、中学生くらいにしか見えず。
当時のアリーシャも同じくらいの容姿であった。
ひとりっ子の俺には実在しないが、妹の様に感じていた。
ヘーベは俺が回収した宝石をペンダントに嵌めると。
身体が成長し、感情がひとつずつ芽生えていった。
アリーシャは成長期で、数年で大人の体形に成長し、愛らしい相貌も美しくなった。
ふたりはあっという間に、美しい様相へと変貌したのだ。
その経緯は、異なっていたが……。
モーガン先生の家で修行していた頃が懐かしい。
アリーシャから読み書きを教わり、ビアンカには狩りを教わった。
恥ずかしがり屋のアウラは、なかなか姿を見せてくれなくて、離れた所から俺を笑い者にしてくれた。
初めて大人の女性と知り合い、セクシーなカトレアさんには何度も興奮させられた。
その際、不慮の事故を起こしてしまい、痴漢扱いを受け折檻されたのも懐かしい。
神さまと戦う大それた冒険もしたが、初めの頃の思い出が一番に感じる。
きっと俺にとって平凡ではあるけど、一番望んでいた生活だったからだろう。
年頃の青少年なら、誰もが俺の様に美少女たちとの生活に憧れる。
俺が思い出に耽っている僅かな間、継承はいよいよクライマックスへと進む。
ヘーベの言葉の重みを受けてか、返事に間を置きアリーシャが答える。
「はい、女神の代わりという畏れ多い事は出来ません。それでも、私は私の信じる道を進み、期待に沿えるよう努めます」
アリーシャは、以前から他の国々から王になる様にと乞われ、再三断ってきた。
アリーシャは王位に興味はなく、現在の神殿の在り方に疑問を抱き。
王族や貴族だけでなく、民衆が誰でも足を運べる様な教会の設営に尽力していたのだ。
その答えには、これからも同じような方向性を辿るという意思を窺わせた。
「アリーシャ、あなたの熱い思いを、人々に……」
ヘーベは再びはにかみ、アリーシャの首にネックレスを掛けようとした。
「ち、ちょっと、待って欲しい!」
この厳粛な場面で、俺は思わず立ち上がってしまった。
みんなの視線が俺に集まり、ヘーベの手も止まる。
「カザマ、大事な儀式の最中ですが、何か不服があるのですか?」
「ヘーベ、不服はありません。ただ、これでヘーベは消えてしまうのですか?」
俺の昂りにヘーベは双眸を細めるが、返事はない。
俺の右側から服を引っ張り、アレスが口を開く。
「ねえ、君、別れが辛いのは分かるよ。でも、君はヘーベを第一夫人にしなかったよね。未練がましいというか、女々しいよ」
「おい、お前、アリーシャの晴れ舞台を遮って、また殴られたいのか。それにアレスの言う通りだ。お前、女々しいぞ」
アレスだけでなく、リヴァイからも非難されイラっとするが。
「女々しいと言われても、ヘーベがいなくなるのは寂しいし、悲しいです」
「カザマ、ありがとう。その気持ちだけで十分です。カザマと出会えて良かった。青春の女神となり、初めて自分が青春を謳歌しました。後はアリーシャに受け継ぎ、私は神殿に帰ります」
俺の言葉を聞き、ヘーベの双眸が潤んだ。
きっと顕現する力を失くした後、オリンポスの神殿に戻るのだろう。
俺は身体の力が抜け、涙を流しながら引き攣った笑みを返した。
ヘーベは俺にはにかんで見せると、再びヘーベは手を動かし、アリーシャの首にペンダントを巻いた。
「アリーシャ、人々に青春の加護を……託します」
「はい、慎んでお受けします」
ヘーベはアリーシャの返事を聞くと、最後にもう一度はにかみ、姿を消した――。




