1.アウラの失踪
――モミジ丸の艦橋。
俺たちは迎えに来てくれたコテツの背に乗り、モミジ丸に着艦するとブリッジに入った。
そして、俺はまずみんなの顔を見渡し、変わりがないかを確認する。
「みんな、特に変わりがないようだな。ビアンカも居るな……!?」
珍しくブリッジに居るビアンカを見て、今回の戦いがいつもと違うものであったと改めて実感する。
だが、ふと気づいた。
どんな時にもぶれず、メルヘンを拗らせているアウラの姿がない。
「ブリュンヒルデさん、アウラが居ないみたいですが、トイレにでも行ったんですか?」
「カザマ、私たちにも分からないのよ。暗闇がなくなった後、突然アウラの身体が光ったと思ったら、居なくなったのよ」
姉妹の様に仲の良いブリュンヒルデさんにも分からないのか。
ブリュンヒルデさんは、隣に立っているジャンヌとビアンカの顔を窺い、不安げな面持ちである。
タルタロスの脅威が去ったばかりで、みんなが不安になっているようだ。
「またアイツは勝手な事を……。ブリュンヒルデさん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。どうせ、アウラの事だから、またメルヘンな事を考えて、どこかに行ったのでしょう。その内、帰って来ますよ」
俺はみんなを元気づけようと、明るく振る舞ってみせた。
「カザマ、幾ら何でも、今の発言は不謹慎ですよ」
「えっ!? どうしたんだよ……アリーシャ? アウラより、今はヘーベがどうなったか確認する方が先決だろう」
アリーシャが眉を寄せて険しい表情をしているが、先程までの事があり気弱になっていのだろう。
今はアウラの事よりも、一刻も早くヘーベルタニアの街に戻る必要がある。
だが、ここでみんなの意見が割れた。
「カザマ、アウラに対して冷たいわよ。いつもアウラに破廉恥な事をしてるくせに……。大体、ヘーベって誰よ?」
「ジャンヌ、確かにカザマのアウラに対する態度はどうかと思うわ。でも、女神に対する言動は慎むべきよ」
ブリュンヒルデさんがジャンヌを諫めるが、ジャンヌは何故自分が注意されたのか分からないのか渋い表情を浮かべる。
「ブリュンヒルデさんは、ヘーベという女神さまの事を知っているのですか? 先程私もカザマに問われたのですが、記憶にないのです」
「なんすか? ジャンヌもアリーシャも急に何を言っているんすか? ヘーベさんは、アタシたちの国の女神さまっすよ」
ビアンカが珍しくみんなの会話に割って入るが、その言葉も意外であった。
「なあ、ビアンカはヘーベの事を覚えているのか?」
「カザマ、なんすか? アタシは、そんなに物忘れは多くないっすよ」
ビアンカが頬を膨らませて剥れた顔をしてしまう。
しかし、その言葉にジャンヌとアリーシャが反応した。
「カザマ、訳の分からない話をして誤魔化すのは止めて欲しいわ。今はアウラの話をしている最中よね」
「カザマ、ジャンヌの言う通りです。自分が知っているからといって、私たちを馬鹿にする発言は控えて下さい。カザマと初めて会った頃、文字が分からずにエドナから馬鹿にされ、悔しい思いをしたのを忘れたのですか?」
俺は悪くない筈なのに、何故かジャンヌから責められ、アリーシャからは叱られてしまう。
「ちょっと、二人とも待ってくれ。アウラの事は、ちょっと言葉過ぎたかもしれない。――ところで、グラッドはヘーベの事を覚えているか?」
壁際でリヴァイと同じ様に腕を組んで格好をつけているグラッドに話を振った。
「カザマ、困った時に俺を頼りたい気持ちは分かる。だが、言葉は選んだ方がいい。大体、俺が覚えてない筈がないだろう。それに、この状況を考えれば、すぐに分かりそうなものを……」
グラッドが口端を吊り上げ、得意気に笑みを浮かべる。
「なあグラッド、勿体つけないで教えてくれよ。ブリュンヒルデさんとビアンカはヘーベの事を覚えているのに、ジャンヌとアリーシャは覚えていないんだ?」
格好をつけているグラッドにイラっとしたが、ここは我慢して話を進める方が賢明だ。
下手に出る俺の態度を見て調子に乗ったのか、グラッドが益々格好をつける。
「仕方ないヤツだ……。カザマ、よく聞けよ。神々とは世界の理から外れた特殊な存在だ。本来、力を持った存在ならいざ知らず、普通の人間に認識する事は出来ない」
神の理という大それたことを言い出すグラッドに驚かされたが、どういう意味か分からない。
普通の人間というのは、亜人種は含まれないという意味だろうか。
そうなるとビアンカがヘーベを覚えているのも理解出来る。
だが、人間とはいえ、ジャンヌは聖女と言われ、普通の人間とは違う存在だ。
力を持った人間という理由で俺が覚えているのに、ジャンヌが覚えていないのは不自然である。
「なあグラッド、普通の人間とそれ以外のヒトというのは、無理があるだろう。ジャンヌはビアンカに及ばないけど、普通の人間を超えた存在の筈だ」
「カザマ、俺は人間かそれ以外の種族とは言っていないぞ。神々に似た力を持ち、神々同様に世界の理から外れた者同士という意味だ。そもそもアレスの様に、神々の中でも強い力を持った存在なら、普通の人間にも認識出来るだろう」
「なるほど……確かに……」
俺はグラッドの説明を聞き、左手を顎に添え頷いた。
「カザマ、ちょっといいっすか。アタシは普通の人間とは違うかもしれないけど、アリーシャやジャンヌと変わらないっすよ?」
ビアンカは、自分が普通ではないと言われたのが気に障ったのか。
俺の袖を引っ張り、剥れている。
「ちょっと、いいかしら? ビアンカ、それでは私が可笑しな存在だと聞こえるのだけど」
今度はブリュンヒルデさんが、柳眉を寄せて文句を言い出す。
「ああああああああああああああああ――! もう、みんないい加減にしてくれ! 今はやっと非常事態から抜け出し、事後処理が山ほど残っているんだ! みんなが言い争いをしている場合じゃない!」
俺はみんなからあれこれ問われ、我慢出来ずに大声を出した。
「……カザマ、大声を出して癇癪を起して見っとも無いわ。ビアンカとブリュンヒルデさんに謝りなさいよ。破廉恥なくせに……」
一瞬、俺の剣幕に静まり返ったが、すぐにジャンヌが難癖をつけてきた。
ツンデレで俺に構って欲しいのは分かるが、火に油を注ぐ様なものだ。
しかし、俺はすぐに落ち着きを取り戻し、大人の対応をとる。
「ジャンヌ、俺は自分の気分で声を上げた訳ではない。指揮官として、みんなの士気を保つために注意を促したんだ」
微笑を湛える俺を見つめ、ジャンヌの顔が引き攣る。
「何だか、イラっとするわ。本当に口だけは達者で……でも、ビアンカとブリュンヒルデさんの質問に答えてないわよ」
「ジャンヌ、俺は本当の事を口にしただけだ。――ビアンカ、別にビアンカが可笑しな存在だと言った訳ではないんだ。ビアンカにも、ブリュンヒルデさんの様な神聖な血が流れているという意味だ。深くは説明出来ないので、これで納得して欲しい。――ブリュンヒルデさんも、今の説明で了承してくれますね?」
ビアンカとブリュンヒルデさんは互いに顔を見合わせたが、小首を傾げながらも大人しくなった。
(ビアンカの母親がアルテミスさまかもしれない……)
秘密にされている事なので、確認した訳ではないが、憶測で口にするのは危険である。
俺は何とか誤魔化す事が出来、安堵した。
先程からこちらをちらちら見えていた艦長が、
「カザマ、話がひと段落したところで宜しいでしょうか?」
俺たちの話を遮らない様に、タイミングを計っていたようだ。
「艦長、スマナカッタ……報告を聞くのと、今後の方針を話さなければならないな」
「アイサー! カザマ、現在第三艦隊は旗艦のベネチアーノが消息を絶ち、モミジ丸が旗艦の代わりをしています。ベネチアーノの捜索は、どの様に行うのでしょう?」
俺は艦長の話を聞き、もっともだと思い頷いたが。
「艦長、ベネチアーノの捜索は不要だ。残念だが……。今後もモミジ丸が旗艦の役目を果たし、第一艦隊と第三艦隊はスエズ運河要塞に帰港する」
いつもは沈着冷静に俺の指示を遂行する艦長が珍しく声を上げる。
「はあーっ!? カザマ、今、何と言いました? まさか遭難した仲間の船を見捨てるつもりですか?」
「艦長、落ち着いて欲しい。艦長やみんなの気持ちは理解しているつもりだ。だが、ベネチアーノは、もうこの海域にいない。連絡もつかず、レーダーにも反応がないだろう。先程我々が戦った相手は、そういう相手だったのだ。察して欲しい……」
俺は、艦長や船員たちに頭を下げた。
戸惑う艦長や船員たちの様子を見て、大人しくしていたアレスが口を開く。
「ねえ、船長、彼の説明は分かり難いし、理解し難いのは分かるよ。でも、本当にベネチアーノを探すのは難しいんだ。今は船員たちも疲れているだろうし、一旦引き返して態勢を整えた方が良いと思うよ」
いつもは熱い軍神らしく、何事も猪突猛進に当たるアレスが落ち着いている。
俺は自分の耳を疑ったが、
「流石はアレス殿です。カザマの発言には、耳を疑いました。ですが、アレス殿がそう仰るのであれば……」
艦長の言葉には、唖然とさせられた。
ブリッジクルーたちは、アレスの事を軍神アレスと知っている。
だが、触らぬ神に祟りなしという言葉通り、知らない振りをしている。
神さまの言葉を信じる気持ちは分かるが、俺は司令官である。
この理不尽な対応に苛立つが、今は一刻も早くヘーベルタニアの街に帰る事が先決だ。
(突然アウラも居なくなるし……戻って来たら、説教してやる)
俺は、アウラを叱りつける決意をして、この場も我慢した――。




