2.心震えるバカンス
――ベネチアーノ滞在二日目(異世界生活一ヶ月と二日目)
扉を叩く音と元気な声が響き目を覚ます。
「カザマ! 朝っすよ! 遊びに行くっすよ!」
辺りはまだ暗いが、明け方前にビアンカに起こされるのは久しぶりだ。
「お、おう! すぐに準備するから……」
寝る前に荷物の準備をしたので、手早く着替えると扉を開けた。
「何だか、久しぶりだよな……」
「は、早く行くっすよ!」
俺とビアンカは宿から出ると、薄暗く人通りのない街を思い切り走った。
――岬。
地平線がほんのりと形を浮かせ、海も少しずつ色を変える。
「……ビアンカ、夜明け前で冷たいから、潜るのは後からにして釣りをしよう」
「えーっ! 退屈じゃないっすか?」
「そうでもないと思うぞ。夜明け前の時間なら、結構釣れると思うが……」
じっとしているのが苦手なビアンカに、用意しておいた釣竿を渡す――。
しばらくして、予想通りヒットする。
釣果に満足していたが、ビアンカは落ち着きなそうにそわそわしている。
「あーっ! 小さいのしか、釣れないじゃないないっすか!」
「何だ、それでさっきからイライラしてたのか?」
「そうっすよ! もっと大きいのを釣って、みんなに見せようと思っていたっす! それが、さっきから小さいのばかり……」
ビアンカは愚痴を溢しながら、益々苛立ち駄々を捏ねる。
「落ち着けよ。このくらいの大きさは食べると旨いんだぞ。それに、これは後から大物を釣る時の餌にも使うつもりだ」
ビアンカは俺の顔を凝視して動きを止めた。
「大物って、どのくらいの大きさっすか?」
「池や川にはいない程大きいと思う。ビアンカより大きいのもいるぞ」
この海域のことをほとんど知らなかったが、マグロのつもりで伝える。
ビアンカは先程の不機嫌な様子が嘘のみたいに、頬を緩めた。
「……本当っすか! 後から楽しみっすね! それに、これは食べると旨いっすか……」
「ああ、この魚は色々と料理方法があるが、俺は干物が好きだな……」
久しく食べてない和食を想像しながらビアンカに話を続ける――。
「そろそろ宿に戻るか? 結構釣れたし、もうじき朝食の時間だぞ」
干物用の分はすべて干すだけの状態にした。
生きている魚の方は、二重の木箱の内側を魔法で凍らせて保存状態を良くしてある。
これを金属にすれば、クーラーボックスの様になるかもしれないと思い浮かべ。
村に戻ったらエドナの父親に相談しようと期待を膨らませた。
――朝食。
外の様子に訝しさを懐いたのか、アウラが口を開く。
「カザマ、外に置いてあるのは何かしら?」
「ああ、あれは俺の国の一般的な食べ物で、アジの開きという干物を作っているところだ。色々な料理方法があるが、干物は干すことで味が熟成して旨くなる。それに、保存が効く様になる。俺の国の伝統的な料理だ」
「私も食べてみたいわ!」
「ああ、宿の人にお願いして、夕食に出してくれると言ってくれたから」
俺とアウラの話にアリーシャも興味があったらしく言葉を挟む。
「本当ですか! 以前カザマが作ったものは、とても美味しかったので楽しみです」
俺たちは賑やかに朝食を楽しんだ。
――岬。
昨日に引き続きやって来たが、相変わらず人がほとんど現れない。
たまに人が来て話し掛けたが、足早にこの場を離れていく。
マーメイドの噂が、勝手に盛り上がってるだけではないかと訝しさを覚える。
「……エドナ、悪いがあっちの方に、これを投げてくれないか。出来るだけ遠くにな」
大物用の釣り糸や竿を用意出来なかったので、細めの縄に魚をつけてエドナに投げてもらうことにしたが、ヒットしたら綱引きの要領で引き上げるつもりだ。
安易かもしれないが、これでも何か釣れそうな気がした。
また、釣れなくても、楽しければ良いとも考えている。
――数時間が経過した。
餌がなくなるばかりで全然釣れないでいると、
「ああああああああああああ――っ! もう、イライラするっすよ!」
ビアンカは単調な作業に、我慢の限界を超えたのか叫び出した。
エドナも何度も遠投をさせられた上、釣果が出ないので不満そうである。
「も、もしかして退屈か? みんなでワイワイ言って、何かすると楽しくないか?」
傍で見つめていたカトレアさんが沈黙を破り、怪訝な表情を浮かべ口を開く。
「……カザマ。あなたはこんな事を、ずっと私たちにさせるつもりかしら?」
みんなから醸し出される不満の雰囲気に耐えられず、頬を掻いた。
「いやー……船があれば大物が釣れそうな気がするのですが……」
「カザマ、船でマーメイドに襲われたどうするのですか?」
アリーシャが冷ややかな視線を送っている。
俺は居心地の悪さに肝を冷やす。
結局、何も釣れずに退屈だということで、みんなの水着を買いに行くことになった。
ビアンカとアウラの水着姿を見て、カトレアさんは対抗意識を抱いたのか、機嫌が悪く見える。
俺は内心凄く楽しみだったが、表情に出さない様に気をつけた。
午後からは岬でなく、砂浜で海水浴をすることになり、マーメイドの昼間の調査は中止となる。
――海水浴。
砂浜に到着すると、ビアンカとエドナが、元気良く海に向かって走り出した。
二人とも午前中の不満や苛立ちを発散させるかのように、水を掛け合い楽しんでいる。
(二人とも昨日の件以来、すっかり仲良くなった……)
俺は砂浜にレジャーシートの様な物を敷き、うつ伏せになって眺めていた。
カトレアさんも俺と同じ様に横になっていたが、思わぬことを口にする。
「ねえ、カザマ……日焼け止めを塗ってくれないかしら……」
俺は驚きカトレアさんの方に顔を向けると、
「えっ!? お、俺が……はっ!?」
カトレアさんはうつ伏せになったまま、上の水着の紐を外していた。
(お、お約束の展開だ! この世界に、どうして『日焼け止め』の様な便利グッズがあるかは考えないことにしよう。この展開は素直に嬉しい! しかし何故だろう……凄い緊張感を覚える……)
カトレアさんの横で、同じ様に横になっているアリーシャとアウラが、俺の顔を睨みつけている。
俺は、まだ何もしてないのだが……。
「い、いや、凄く光栄で、出来れば塗って差し上げたいです……ほ、本当ですよ! でも、やっぱり高貴なカトレアさんの肌を触るのは、躊躇われるので……ア、アリーシャ!」
二人の視線に声を震わせて、無難にアリーシャを頼った。
冷たい視線を放っていたアリーシャだが、突然声を掛けられて驚いたのか声が上擦る。
「わ、私ですか? カトレアさんが宜しければ……」
(チキショウ! 本当は俺がやりたかった! でも、この後の展開を考えると割が合わない気がするんだ……)
うつ伏せになりながら、頭を抱えて悔しがった。
そこへ、またも思わぬ声が掛かる。
「そ、それじゃあ……カザマは、私の背中を塗ってくれるかしら?」
アウラは顔だけでなく耳まで赤くしている。
俺は口を開けて間抜けな顔になっているだろう。
「へっ!? お、俺……い、いいのか……」
再度訪れたイベントに驚いたが、少しずつ実感が湧いてきて高揚する。
「ア、アウラ……アナタは……」
カトレアさんは、俺がアウラに返事をする前に口を挟み、柳眉を吊り上げた。
ヒステリックモードではないが、間違いなく怒っていると分かる。
本当は俺に日焼け止めを塗らせるつもりが、アリーシャになった。
普段は毅然として品行方正。
アリーシャの姉弟子としての立場や貴族としての立場が、平静さを保っていたのだろう。
そんな最中、俺が別の女の子の背中に……となると、その気持ちも分かる。
「ア、アウラも後から、私が塗るから……ねっ!」
アリーシャが慌てて話を割り込ませ、その語尾に込めた力強さにも、一番年下なのに気苦労が耐えないと伝わった。
二度もお預けをされ欲求不満に悶えそうになったが、カオスな展開になるのはゴメンである……。
(何だか、色々とイライラする……これなら、何も言われない方が良かった……)
自分の気持ちを落ち着かせようと、何気なく横を見た。
アリーシャが眉を顰め、困った表情でカトレアさんの背中を塗っている。
アリーシャから更に視線を落とすと、カトレアさんとアウラの表情が怖い。
「な、なあ、アウラ……昨日お前の歌で、マーメイドを呼べるかもしれないと言っただろう? 早速、夕食の後に試してもらえないか? 昼間だと、誰か来ると面倒だしな」
俺は、この雰囲気を変えるために話題を振った。
「あっ!? そんな話をしたわね。良いわよ。久々に思い切り歌ってみようかしら……」
「それで、場所はさっきの岬でいいよな?」
「多分、大丈夫だと思うわ。広々とした場所で思い切り歌えるわね」
(な、何か趣旨が違う気がするが、本当に呼べるのだろうか……)
俺の話しにアウラは、先程までのことを忘れたのかの様に声を弾ませる。
だが、カトレアさんは益々表情を険しくした。
「私も行くわよ!」
「えっ!? カトレアさんも来るのですか?」
カトレアさんが俺を睨む。
「何か問題でも?」
「いえ、その貴人が出歩く時間ではないと思って……」
「うううううう……そ、そうね。今回は辞退しておくわ……」
(助かった! 助かったぞー! でも、何か嫌な予感がする……)
俺の説得で諦めてくれた様だが、カトレアさんの苛立ちは昂り、アリーシャが泣きそうな顔になっている。
(俺が何とかしなくては……)
「カトレアさん、良かったら少し海に入りませんか?」
俺の突然の誘いに、カトレアさんの険しい表情はみるみる沈化する。
「……ちゃんと、エスコートしてくれるのかしら?」
「も、勿論です。庶民風になってしまいますが……」
カトレアさんは小さく笑みを溢し、頬がほんのり赤みを帯びている。
俺はカトレアさんの手を取り、海に向かって歩き出した。
後ろを振り返ると、アウラが歯軋りしそうな表情で睨んでいる。
アリーシャに顔を向けると、アリーシャは疲れ果てた様に固まっていた。
――俺は、今、カトレアさんと海水浴の定番イベントをしている。
カトレアさんに慎重に水を掛けた……。
「……カザマ、遠慮し過ぎではないかしら。幾ら何でも、水滴しか飛んで来ないのは……」
カトレアさんは頬を膨らませ剥れている。
俺は困惑し頬を掻いた。
「えっ!? スミマセン……実は女の子と、こんな風に遊んだことがなくて……」
「あら? そうだったの。それなら仕方ないわね……」
カトレアさんは機嫌が良くなったが、俺は後ろめたさを覚えた。
(本当は幼馴染のエリカと遊んだことがある……!? いや、あれは一緒に遊んだのではなく、遊ばれたのだ! 嘘はついてない筈だ……)
「今度は、さっきより思い切りいきますよ!」
俺の掛け声を聞いて、カトレアさんの笑顔が弾けそうな程輝く。
スポーツの様に遠慮しないで、思い切りした方が喜んでもらえるみたいだ。
俺は何の迷いもなく、今度は思い切って水を掛けた。
『ザバアアアアアアアアアアアア――!』
「はうっ!?」
カトレアさんは思い切り水を被って驚いたのか、声にならない様な可愛い悲鳴を上げた。
「カトレアさんも、こんな可愛い悲鳴を上げるのですね」
「……な、な、何を……良い度胸してるわ。良い度胸してるわ……」
カトレアさんが何か呟いてると思ったが、ヒステリックモードに変わっている。
しかも、カトレアさんを良く見ると、ウェーブの掛かった髪が破廉恥魔法を初めて受けた時の様に乱れていた。
「ち、ちょっ……わ、わざとじゃ……カトレアさんに、喜んでもらおうと思って……」
俺はまたムチでブタれると思い、咄嗟に両手を顔の前に上げる。
すると俺を中心に海水が渦を巻く様に飛び散り、近くにいたカトレアさんを直撃した――。
しばらく何が起きたか理解出来ずに呆けていたが。
自分が無意識に魔法を発動させたと気づく。
(……はっ!? キャンセル!)
カトレアさんが水浸しなのは先程と変わらないが、髪の毛が大変なことになっていた。
そして現在、それより重大な問題が生じている。
カトレアさんの豊かな胸を覆っていた水着が、なくなっていたことだ。
カトレアさんの大きくてたわわな双丘。
白くて艶やかな肌が晒されている。
カトレアさんは俯いて、呆然としたまま胸を隠そうとしない。
「ヒィイイイイイイ――! カ、カトレアさん……お、おっ!? 胸を隠して! 水着がないですよ!」
ホラー映画の様な凄惨さに、思わず悲鳴を上げてしまったが、何とか催促の声も掛けた。
ちなみに、下の方は無事である。
「……分かっているわよ……」
カトレアさんは呟くと、近くに浮いていた自分の水着をゆっくり拾い。
しかし、何事もなかったかの様に身に着けた。
みんなも既に異常事態を察知して周りに来ている。
俺は息を呑むと、他にすることが思い浮かばず。
「色々とゴメンなさい!!」
海の中に顔を浸ける様に正座し、頭を下げて謝った。
「そういえば、アリーシャが言ってたわよね……いい加減見飽きたって……」
「ヒ、ヒィイイイイイイイイ――っ! ゴ、ゴメンなさい!」
怖くて怖くて堪らなくて逃げ出したかったが、必死に謝罪する。
そして、その後俺は背中をムチで数十回ブタれてしまう。
今回はニンジャ服を着ていなかったが、気絶することはなかった。
耐久力が上がったからだろうか。
だが、背中が焼ける様に熱く、激しい痛みが俺を襲っている。
それから、またしても独りだけ置き去りにされてしまった――。




