4.カレーの街へ潜入
――異世界生活二年と一ヶ月十四日目。
ナポレオーネと出会う五日前にさかのぼる。
第一艦隊がカレー沖に布陣して四日が過ぎ、カレーの街に駐留していたブリタニア王国軍も落ち着いた頃であった。
俺たちはフランク王国王都であるエッフェルの街に潜入していたが、いつも一人だけ夜に取り残されるので、単身カレーの街に夜な夜な忍び込んでいたのだ。
得意の酒場に通う様になって三日が過ぎ、少しずつブリタニア王国軍の兵士とも馴染んできた。
「おい、聞いたか? フランク王国の奴ら、他国に攻められているというのに、王都で反乱が起きそうだという噂だ。自国の守りも考えず、敵国に攻め入り、帰る場所がなくなっても良いのかね? まったく間抜けな国だ」
「おう、まったくその通りだ。この街も呆気なく放棄したからな。一万程度の兵力で制圧すると聞いた時には、俺たちに死ねという命令が下ったと思ったが、流石は我らの王だ。最近の戦いは連戦連勝だからな。――まあ、いきなりユベントゥス王国の艦隊が現れた時には、どうなることかと思ったが、あいつらは何をしに来たんだ?」
「さあ、俺たちに敵対しないと言っているらしいが、こんな所まで何もしないで帰る訳がないだろう。差し詰め俺たちが強いという噂を聞いて、偵察にでも来たんじゃないのか? やつらはずっと地中海より東の方に勢力を伸ばしていたからな」
「そうだな……。それよりも次の俺たちへの命令だが、街の奪還をしに敵軍が攻めて来るらしいぞ」
「ああ、俺も聞いた。何でも大半が民衆の民兵らしいという噂だ。数千の民兵が攻めてきて何が出来ると言うのだ。俺たちを馬鹿にしてないか? こちらは敵の倍の数を動員して、蹴散らすと聞いたぞ」
俺は壁際の左端のカウンター席に座っているが、先程から右隣とその隣に座っているブリタニア兵士たちが、俺を警戒することなく噂話をしている。
当然俺は聞き耳を立てていたが、
「なあ、お前はたまに見かけるが、どこの所属なんだ。見慣れない服を着ているが、フランク王国の人間じゃないよな?」
流石に右隣の兵士は、俺の存在が気になったようだ。
「ああ、俺か? 俺は以前、ロビン・フッド将軍の部隊にいたのだが、配置転換を希望して、今は功績を上げようとこの作戦に参加したんだ」
「ロビン・フッド将軍? お前、いつの時代の兵士だ? 今時弓兵はないだろう! あはははははは……」
「あはははははは……まったくだ。厳ついに顔に、変なマークを頬につけて、どこの部隊の者か分からず、声を掛けられなかったんだぞ」
俺は、カウンター席の右側に座っていた兵士たちに笑い者にされて、イラっとしたが我慢する。
最近の俺は笑い者にされる事が多く、笑われる事に少々過敏になっていた。
だが、不幸中の幸いか笑い者にされたことで、周囲に居たブリタニア兵たちの警戒を解くことが出来た。
本来なら事前にブリタニア兵の軍服を奪って、服装から成り代わるところだが。
一人の兵士を襲う事で騒ぎになったり、部隊ごとで服装が違うと配属等で問題が生じると思ったからだ。
「か、顔のことは、あまり詮索しないでくれると助かる。お前たちと違って、今回の作戦に参加するのも色々と大変だったんだ……」
「それは悪かったな……ところで、お前は何を飲んでいるんだ?」
右側に座っている兵士たちは、戦況が有利に運んでいるので機嫌が良いのかもしれない。
更に兵士たちの大半が、ウイスキーの様なアルコール度数の高そうな飲み物を飲んでいるみたいで、感情の起伏が大きくなっているかもしれない。
「俺が飲んでいるのは、ソーダ水だ。俺は酒を飲めないので、これで気分だけ味わっているんだ」
「はあーっ!? ソーダ水? 何だ、それは……」
意外なことにブリタニア兵たちは、ソーダ水を知らないようだ。
流石に中国にはなかったが、ムガール王国の酒場にもあったのにと訝しさを覚えた。
ブリタニア兵士たちが、俺のソーダ水を覗き込む様に見つめ、
「オヤジ! 俺にもソーダ水というのをくれ!」
「オヤジ、俺もだ!」
カウンターの向こうに居る店員は、フランク王国の店主だろう。
愛想なく頷く様子に、嫌悪感が伝わる。
それでも占領下で、占領されてから僅かしか経っていないのに、店を開けるとはどういう神経をしているのだろうか。
俺は、ブリタニア兵がソーダ水を知らないことより、驚かされた。
店主がテーブルを滑らせて、注文したブリタニア兵にソーダ水を送り。
ソーダ水のグラスを手にしたブリタニア兵たちは、グラスに口をつける。
「「!? 何だ、これ?」」
二人のブリタニア兵がグラスを手にしたまま、固まっていたが。
「おい、このシュワシュワする飲み物は何だ? どうやって作っているんだ? 酒ではないんだよな? どうして酒を飲んだみたいに、いい気分になるんだ?」
俺の隣のブリタニア兵が声を上げ、その隣のブリタニア兵が頷いている。
「何だ、お前たち、ソーダ水を知らないのか? この国より西に行くと普通に飲めるものだぞ。シュワシュワしていて喉越しが良く、良い気分になる。それにワインより安いから、庶民はみんなこれを頼むんだ」
「おい、何でお前は、そんな事を知っているんだ? 何だか西の方に住んでいる口振りだな?」
俺は、目を輝かせて俺の話を聞くブリタニアの兵士たちに、親切に教えたつもりだったが、言葉が過ぎたようだ。
周りに居る他のブリタニア兵士たちも、俺の方に視線を向けている。
「諸君、落ち着き給え。俺は以前、ロビン・フッド将軍の元で戦っていたと話しただろう。こちらの方にも作戦で来たことがあるんだ。それで、こちらの方の情報も色々と知っている訳だ。俺はそのお蔭で、今回の作戦に参加出来たのだから、それを問い詰められると困るな」
俺の説明にブリタニア兵士たちは、半信半疑な表情を浮かべていたが、作戦にもかかわる俺の存在を問い詰める者はいない。
「……そ、そうか。十年戦争で、以前はこの辺りもブリタニアの領土だったからな。知っている者がいても可笑しくない。それにしても、折角領土を拡大したのに、以前の事を思い出すと腹立たしい……」
一番初めに会話を始めた右隣の兵士が、俺に同意する様に語り出したが。
俺は耳を疑った。
「はあーっ!? 十年戦争? それはいつの話だ? どういうことか教えてくれないか?」
「なんだ、お前……自分が戦った戦争なんだろう? どうしてお前が知らないんだ?」
またもブリタニア兵士たちが、怪訝な表情を浮かべ俺を見つめる。
「何を言っているんだ? 聞いているのは、俺の方だぞ! 大体、身分の高い人たちなら、詳しい事を知ってるかもしれないが……毎日必死に戦っていた俺が、細かな事情を知る筈ないだろう!」
俺の剣幕に周囲の兵士たちが押され気味になり、
「わ、悪かった……。フランク王国はジャンヌという聖女が巻き返して、戦場は泥沼化したんだったな。聖女をこちらの策で追いやることになったが、何故かこちらの軍が尽く追いやられてしまった。あれだけ侵攻したのに、これだけ短期間に領土をすべて奪い返されて、本当に前の国王は……」
隣に座っている兵士が愚痴を溢した。
それを隣に座っている兵士が遮る。
「おい、酔い過ぎだぞ! そんな事を話して、上の者に聞かれたら、何をされるか分からないぞ!」
「おお、すまん! 確かに飲み過ぎたようだ……。そう考えると、このソーダ水という飲み物は良いな。酔ってうっかり口を滑らせることもないからな」
俺は、この状況を何とか乗り切った思い、小さく笑みを浮かべ頷く。
「ああ、そうだろう。ジャンヌという聖女には、何度か戦場で見掛けて苦しめられたが、我が国の策で追いやることが出来たのだな。今まで戦いか雑用ばかりで、初めて知った。それに、十年戦争というのも知らなかった。ところで、今の王さまは、どういう方なんだ?」
「おい、お前は幾ら何でも知らないことが多過ぎないか? 十年戦争は、今話をしたばかりだろう。それに、今の国王は……『アーサー王』だろう。我らを導き、東ではなく西の大陸に目を向け、我が国をここまで強国に作り替えた方だぞ。今回はフランク王国が無謀な遠征をした事を知り、侵攻を決められたのだ。西に勢力を強めているとはいえ、海を隔てた僅かな距離に、敵国があるのは脅威だからな」
俺の隣でソーダ水を飲んでいる兵士は、まだ酔っ払ったままなのだろう。
こうもペラペラ話されると、逆に嘘の情報ではないかと疑いたくなるが。
俺の方でも驚く事が多く、情報の精査は後にしようと思った。
「ねえ、君、さっきから君たちの話は長過ぎるよ」
俺は左の壁際で飲んでいた筈だが、左側に聞き覚えのある声が聞こえて、
「ヒィイイイイ――!? アレス、いつの間に……!? そうじゃなくて、どうして付いて来たんですか?」
驚きのあまり、思わず声が大きくなってしまった。
先程から俺の話に周りの兵士たちが反応していたが、流石にこの不可解な状況は言い訳が出来ない。
ただでさえ怪しまれていたのに、幼児を連れて酒場に来る兵士がいる訳がない。
「おい、お前は何者だ! さっきから怪しい言動ばかりで……捕まえろ!」
「ヒィイイイイ――!? アレス、早く宝石になって下さい! 折角良い感じに溶け込んでいたのに!」
俺は周りの兵士たちを避けながら店のドアを蹴破ると、慌ててカレーの街から脱出した。
アレスのせいで今後の潜入は難しくなったが、成果はあった。
俺の入手した情報は――
ブリタニア兵士たちは、俺たち第一艦隊がやって来た目的を知らされていないらしい。
カレーの街の駐留兵は、およそ一万人。
カレーの街を奪還するため進攻するフランク王国民兵を、多くても倍の兵力で攻撃するらしい。
ジャンヌの事はブリタニア王国でも知られており、ジャンヌを何らかの策で追いやったのはブリタニア王国らしいが、はっきりとは分からない。
この件は現実世界と何かしら関係があり、十年戦争というブリタニア王国がフランク王国に侵攻した件と関係があるようだ。
ただ現実世界では百年戦争だった筈が、この世界では十年戦争となって短縮されている。
この世界の時間の流れが、急速に進んでいる影響が出ているのかもしれない。
そして、今のブリタニア王国の国王は、アーサー王。
時代の流れから逸脱しているが、それよりも気掛かりなのは伝説の英雄王だということだ。
新たな国王が、王としての威厳を鼓舞しようと勝手に名乗っただけかもしれないが。
兎も角、俺はこれらの情報を入手した――。




