7.混浴
扉を叩く音と自分を呼ぶ声で目が覚めた。
「……カザマ、まだ起きてますか?」
アリーシャが廊下から扉を叩き呼んでいる。
動揺して息を呑むが、大丈夫だろうと扉を開ける。
「ど、どうしたんだ? こんな時間に……」
俺が訝しげな表情をしているのに対して、アリーシャは小さく笑みを溢す。
「あっ!? 何だか、久しぶりにカザマが、黒以外の服を着ているのを見ました」
「ああ、部屋の中で休んでるからな……それから黒じゃなくて、一応紺色だぞ」
アリーシャは、俺がモーガン先生の家で下宿していた頃を思い出したのだろうか。
俺も懐かしさに頬が緩む。
「ま、まあ、立ち話も何だから中に入れよ……」
頬を掻きながら促すと、アリーシャは躊躇なく部屋に入りベッドに腰掛ける。
(年頃の女の子なんだから、もう少し警戒したりとか恥じらいを見せたりとか……いや、違う。それだけ俺を信頼しているのだろう……)
俺は首を左右に振り、邪なことを考えた自分を恥じた。
アリーシャは俺の様子に構うことなく、眼差しを遠くしている。
「……何だか懐かしいですね。まだそんなに経っていないのですが……」
「俺もモーガン先生の家で下宿していた頃を思い出していた」
「奇遇ですね。うふふふふ……」
アリーシャは頬をほんのり染め、クスクスと笑った。
少しずつ胸の高鳴りが静まり、アリーシャの手荷物に気づく。
「もしかして、俺の忘れ物を届けに来てくれたのか?」
「はい、温泉の服を脱ぐ所に忘れていましたよ」
「ああ、脱衣所というんだぞ」
懐かしくもあり得意気に話していたが、アリーシャも俺の話に瞳を輝かせる。
「えっ!? 『脱衣所』というのですか? カザマは物知りですね」
「まあな……一応、俺の国の一般的な施設だからな……」
「そうですか……私もカザマの国に行ってみたいですね。たまにカザマが国の話をすると、知らない事ばかりで……何だかワクワクしますよね」
「そ、そうだな……いつか、話すことが出来て、帰る機会があれば……」
「そうですね。そんなことがあるのか分かりませんが、楽しみしていますよ……」
俺とアリーシャはとても良い雰囲気で、お互いに叶うかどうかも分からない話題に期待を膨らませる。
そして、アリーシャは綺麗に畳んだニンジャ服を手渡してくれた。
「……それにしても、残念でしたね」
「えっ!? 何が残念なんだ?」
「温泉は混浴というのがあると聞いて……ですね。カザマが中に居るのをフロントで聞いて、みんなで一緒に入ろうという話になりました。それでみんなで入ったのですが……服だけ置いてあり、カザマは居ませんでした」
俺は首を傾げてアリーシャの顔を見つめていたが、頬を染めて所々口篭るアリーシャの言葉を聞き、みるみる身体が熱くなり身体を震わせた。
「はっ!? はああああああああああああああああ――!? い、今、何て言った!」
あまりの興奮に自分が何をしてるのか分からず、アリーシャの肩を掴んで揺すっている。
「い、痛いです! ツ、ツバが……」
アリーシャが顔を歪め、俺は、ハッと我に返り、肩を離す。
「あ、ああ……スマナイ! つい……」
アリーシャは、突然錯乱したかの様な俺に頬を引き攣らせながらも、丁寧に同じことを話した。
「みんなで一緒に温泉に入る事になりました。それでカザマが入っているのを確認して、入ろうとしたら誰も居なかったのです」
「そ、そうか……へー、それは残念だったな……」
先程よりか幾分冷静になったが、それでも悔しくて身体の震えが止まらない。
(誕生日なのに……!? この混浴イベントは、ヘーベが教会を出る前に言っていた誕生日プレゼントだったのでは……そうでないと、話が旨過ぎる! 分かってさえいれば、こんなに警戒しなかったのに……)
一旦は落ち着きかけたが、悔しさに心の叫びを抑えられなくなった。
「カ、カザマ!? ど、どうしたのですか? いきなり泣き出して……」
アリーシャは眉を寄せ、俺の顔を心配そうに見上げている。
俺は自分の頬を触ると、涙が流れているのに気づく。
「ア、アリーシャ……お、俺もみんなと温泉に入りたかったな……」
目が潤んでアリーシャがぼやけて見え、呟くように気持ちを伝えた。
「えっ!? な、泣くほど、みんなと一緒に温泉に入りたかったのですか!」
アリーシャは余程驚いたのか、瞳を大きく見開き動きを止めた。
「俺だけ、男だからというのは分かるんだ。でも、俺も同じ仲間じゃないか……」
この言葉は本当だが、別の気持ちもある事は口にしない。
アリーシャは俯き哀しむ俺に、視線を左右に動かして困っていたようだが。
意を決したかの様に、俺を見つめて動きを止めると、
「……そ、そうですが、さっき入ったばかりですし、みんなに相談しないと……!? も、もし良ければ私と二人で入りませんか? ふ、二人だけでは不満かもしれませんが……」
頬を赤く染めて顔逸らす。
「へっ!? い、いいのか!? 本当だな……」
アリーシャは顔を真っ赤にして頷き、俺は涙を流しながら笑った。
――二人だけの混浴。
アリーシャの了解を得て、二人で温泉に入ることになった。
アリーシャは恥かしいから先に入るので、後から来て欲しいと言った。
勿論俺は同意して、今は脱衣所で服を脱ぎ、腰にタオル一枚を巻いただけの状態でいる。
「……ア、アリーシャ? も、もう入っても良いかな……?」
「は、はい! 良いですよ……」
俺の上擦った声に、アリーシャの返事も恥かしそうである。
「じ、じゃあ、これから入るからな。入るからな……」
俺は緊張してか、二度確認してしまう。
そして、声がない様なのでゆっくりと中に入る。
相変わらず、外がヒンヤリしているせいか湯煙が凄くて視界が悪い。
繊細な事なので、ここでも念のため確認の声を掛ける。
「じ、じゃあ、失礼しまーす……」
掛け湯をすると、ゆっくりと湯船に足を入れた。
「は、恥かしいので……あまり近くには来ないで欲しいです……」
俺は温泉に浸かって少し落ち着いたのか、先程とは違い力強く答える。
「お、おう、分かった!」
俺の声に安心したのか、アリーシャが静かに回想を口にした。
「……な、何だか、カザマがモーガン先生の家に居た頃、夜に二人で本を読んでいたのを思い出します」
「ああ、そうだな……俺もあの時は嬉しい気持ちもあったが、何だか気恥ずかしい感じだったな……」
モーガン先生の家に下宿し始めた頃は、文字を読むことが出来なかった。
そのため、アリーシャがベッドの上で、本の読み聞かせをしてくれたのだ。
二人とも初めは照れたり、緊張したりと懐かしい。
「そ、そうです。そんな感じなのです。うふふふふ……」
アリーシャも、その時の事を思い出して笑っているのだろう。
「そう言えば、さっきも同じ様な話をしたが、良い思い出になったな……ところで、アリーシャは、お、俺の事を、どういう風に思っているかな……とか? 混浴もしてくれたし……」
重要な事なので話すタイミングを計っていたが、緊張で言葉に詰まりつつも、最後まで口にしてしまった。
俺はドキドキしたまま、アリーシャの返事を待つ。
「…………」
返事に困っていると思ったが、
「……!? ア、アリーシャ?」
アリーシャの返事がなくて慌てる。
たまたま見えないとはいえ、好きでもない異性との混浴はあり得ないと思う。
(アリーシャを大事な妹の様に思っていたが、アリーシャは一体俺の事を……)
だが、アリーシャの返事が一向に返ってこない。
「……えっ!? もしかして、何か気に触ることでも言ったか? 何か言ってくれないと流石に……!?」
幾ら何でもアリーシャの様子が変だと思い、慌てて近づいた。
「ア、アリーシャ! おい、大丈夫か!」
アリーシャは逆上せてしまったのか、全身を真っ赤にして気を失っている。
急いでアリーシャを湯船から出して、脱衣所まで運ぶ。
その際に、少しでも肌を隠す様に自分のタオルも使った。
脱衣所でアリーシャを横にして、出来るだけ身体を見ない様にして拭き、服を掛ける。
それから冷たい水をタオルで濡らして、頭と首筋辺りを冷やす――。
しばらくアリーシャを見守っていたが、外から声が聞こえてきた。
これは非常にマズイと思いどうするか悩んだが、ビアンカとアウラだと分かる。
この二人なら後を任せても良いと、自分の服を持って外に移動した。
念のため、二人がアリーシャを見つけてくれるか確認すると、安心して木の壁を飛び越えて外へ走る……。
(今日はこれで二度目だな。アリーシャ……俺のために無理してたのかな……)
途中で服を着ると複雑な思いを残したまま、先程と同じ様に自分の部屋に戻った。
――異世界生活一ヶ月と一日目。
その後のアリーシャが心配だったが、どうして良いか分からず、ほとんど眠っていない。
本当は様子を見に行きたかったが、下手に様子を見に行く事でみんなに誤解されて、益々アリーシャに迷惑を掛けるかもしれないと思った。
そして朝食の席でみんなと顔を合わせたが、アリーシャは普段通りの様子だ。
「ア、アリーシャ、おはよう……」
みんながいる前で、アリーシャにだけ声を掛けてしまい。
みんなが怪訝な表情を浮かべる。
「何ですか? みんながいるのに、アリーシャにだけ……初めに、私に挨拶するのが筋だと思うのだけど……」
カトレアさんは、俺に対して疑ったのではなく、不快な反応を示した。
この反応を見て、昨晩のことを知られていないと理解する。
「い、いやー……すみません。いつもの癖なんです。最近、初めに会うのはアリーシャなので、つい……」
俺は頬を掻きながら言い訳をしたが、問題はない筈だ。
しかし、ビアンカの耳と尻尾がピンと立った。
「あっ!? 何だか怪しいっす! カザマは何かを隠す時、そんな仕草をするっす!」
普段はあまり俺の話に突っ込んでこないビアンカが、どういう訳か疑っている。
「ど、どうしたんだよ。急に……」
「昨日の夜に、アリーシャが温泉の服を着替える所で倒れていたっす! 誰かに介抱されたみたいだけど、周りに誰もいなかったっす! フロントに聞いても知らないと言われたっすよ!」
怪訝な表情を浮かべ声を荒げるビアンカに、俺は穏便に話を済ませようと誘導する。
「へー……そうか。誰か、親切な恥かしがり屋さんでもいたのかもしれないな……」
俺たちの話を黙って聞いていたカトレアさんが口を開く。
「カザマ、そうじゃないのよ。昨日、カザマが捕まえた変質者たちは賊だったのよ。しかも、東の砂漠から来た密偵らしいの……幾ら尋問しても、イマイチ要領を得ない事しか言わなくて……」
カトレアさんの尋問がどのようなものか気になったが、それよりも想像以上に昨晩の賊の素性が大きくて驚かされた。
「えっ!? 今、東の砂漠から来たと言いましたよね? 昨日の賊ですが……少し違和感を覚えました。曲刀というこの国では珍しい武器を使っていたのですが、使い慣れていないというか……もしかしたら、東の砂漠から来たと見せかけて他の国……。例えば、この国と東の砂漠との間の国からの密偵とか……」
「そ、そう……カザマはその様に感じたのね。確かに、あんな遠くから宿場街に……不自然だわ。その可能性が高い気がするわ」
カトレアさんはかなり驚いたのか、形の綺麗な口が開いている。
だが、取り乱すことなく、すぐに思考を巡らせたようだ。
俺は続く情報をカトレアさんに尋ねる。
「それで、その人たちはどんな事を話したのですか?」
「何でも山脈の近くの村から重要な貴人と、その近くの街から有力な護衛が動いたとか……」
「それって、カトレアさんの事じゃないんですか? 護衛というのは、俺たちのことでしょうか? まあ、俺は御者の扱いなのでしょうが……」
「そうね……でも、昨晩アリーシャを助けてくれたという人も誰か分からないわ。これからも、何があるか分からないから気をつけて頂戴」
「分かりました……」
カトレアさんの話しを聞いて、みんな静かに頷いた。
(アリーシャの体調が気になっただけなのに、昨日の男たちのせいで大事になってしまった。でも、あの男たちは、いったい……)
カトレアさんに返事をした後でアリーシャを見たが、薄っすら頬を染め俯いている。
その様子を見て、誰もいない時に話をすることにした――。
俺たちは朝食を済ませると旅の支度を整え、再びベネチアーノに向かう。
今日も俺の隣にはビアンカが座り、ふたりで周囲を警戒しながら進んだ。
しかし、特に変わったことはなかった。
午前中は下り坂が多かったが、午後からは平坦な道が続く。
そして段々遠くの方で、空とは違う青い景色が近づいてくる。
「……はっ? なんすか? 変わった匂いが近づいてると思ったら、目がチカチカするっす!」
ビアンカは時折、尻尾を逆立てながら落ち着かない様子だったが、声を上げた。
「ビアンカ、海を見るのは初めてか? あの青く見えるのは全部水だぞ。どこまでも続いていて俺の国も海で囲まれている……しかも舐めると、塩辛いぞ!」
「えっ!? あれが全部水っすか! しかも塩の味がするとか……嘘っすよね?」
ビアンカは期待以上の反応を示してくれた。
さっきまで時折逆立っていた尻尾は左右に揺れている――。




