4.旅行と道中にて
――異世界生活一ヶ月目。
日本では、今日から夏休みに入ったのだろうか。
山脈の麓の街は日本より涼しいが、陽射しが強い。
「それじゃー、行って来ます! 何かあったら、レベッカさんとお兄さんのグラッドに相談して下さい。グラッドはスケベで注意が必要ですが、色々と頼れるヤツですから」
朝食後、声を高くしてヘーベに伝え、教会の扉を勢いよく開ける。
ヘーベは頷いて返事をすると、
「分かりました。それでは我が従者、カザママサヨシに青春を!」
定番になりつつあるセリフで、俺を見送ってくれた。
――教会では。
ヘーベが厩舎の方へ走っていく俺の後ろ姿を見つめている。
「……全く、あいつは本当に面白いヤツですね。この俺をバカにする様な事を言ったかと思えば……」
「ええ、本当に色々と面白いです。それに期待以上に成長しています。この先、彼の行き先には、様々な出来事が待っているでしょう」
ヘーベは後ろから話し掛けて来た、黒髪の男に小さく笑みを浮かべ答えた。
――オルコット邸。
玄関で、いつも通り執事の人に取り次いでもらい、カトレアさんを呼んでもらう。
「おはようございます。カトレアさんをお願いします」
しばらくして、いつもよりも豪奢なローブを羽織りカトレアさんが現れた。
「おはよう、カザマ、待っていたわ。早速ジャスティスを厩舎の方に移動させて頂戴」
いつもよりも早口な声を聞いて、旅行が楽しみなのだろうと無言で頷く。
そして、厩舎でジャスティスを預けると、再びカトレアさんに呼ばれた。
「カザマ、時間がないわ。あなたは馬車の御者をした事はあるかしら?」
俺は訝しげに首を傾げる。
「いえ、ありませんが……」
カトレアさんは俺の返事を聞くと、すぐに知らない名前を呼んだ。
「モーゼス」
初めて聞いた名前に呆然としたが、慌てて口を開いた。
「……えっ!? 執事さんの名前って、モーゼスさんというのですか?」
「はい、左様です。これまではオルコット家の執事として、名前を名乗る機会がありませんでした。ですが、今では旦那様やエドワード様にも認められて、お嬢様とも親しい間柄に……」
モーゼスさんが丁寧に事情を説明してくれて、俺は頷く。
「はあ、なるほど……名家の執事としての立場があったという訳ですね」
「おーっ! カザマ殿は、お嬢様が言われていた通り、世情に詳しい様ですな!」
モーゼスさんは突然興奮した様に話し出すと、顔が近くなった。
俺は身体を反らし、口元を引き攣らせる。
「いや、それ程でも……ないですよ」
(色々と理由は分かったけど、この執事さんも結構熱い人なのだろうか……)
「では、時間もないことですし、早速お嬢様の乗る馬車に、相応しい御者の練習を致しましょう。本来なら練習して、すぐに出来る名誉ではありませんぞ!」
モーゼスさんはそう言うと、いきなり厳しくなり俺に馬車の扱いだけでなく、御者としての振る舞いや作法なども教え出した。
しばらくして、俺は持ち前の記憶力を活かし、一通りの手順を覚えた。
「……ふむ。お嬢様が言われた様に、素晴らしく覚えが良いです。まさか、この短時間でここまで出来るとは……あなたもどこかの名家の……」
「いや、モーゼスさんの教え方が上手かっただけですよ。それから、俺は人より少し賢いだけの庶民ですから」
俺はカトレアさんの毎度のパターンが思い浮かべ、モーゼスさんの言葉を途中で遮った。
オルコット家の人たちは、執事まで似たような性格をしているようだ。
それから、モーゼスさんに案内されて正面玄関の方に移動する。
「カザマ、準備は出来たようね。想像していた通り、覚えが早かったわ」
旅支度を整えたカトレアさんが馬車の前で待っていた。
「あれっ!? ジャスティスじゃないですか?」
「そうよ。あなたの愛馬のジャスティスと私の愛馬のカレッジよ。この二頭は兄弟でカレッジの方がお兄さんだわ。さあ、荷物は積み込んであるから行きますよ」
どうしてジャスティスを屋敷に連れて来るように、そして早めに来る様に言ったのか、その理由を理解する。
だが、荷馬車をやってくれなかったジャスティスが、何故素直に馬車になっているかと突っ込みたかったが、急ぐことにした。
――モーガン邸。
家の外では、既にみんなが待っている。
「アリーシャ、ビアンカは?」
「時間になったら来ると言って、出掛けましたよ」
俺はアリーシャの話しを聞いて、額に手を当てて俯いた。
どこの世界にも、集団生活を円滑に送れないヤツがいる。
その様に思っていたが、ふと気づいた。
「あっ!? もしかしてビアンカって、アウラ以上に人見知りなのか?」
アリーシャは俺の言葉を聞いて、大きな瞳を丸めた。
「知らなかったのですか? だから、初めてカザマが狩りに出掛けた時に、驚いたのですよ」
「そ、そうなんだ……もしかしてビアンカは、持って生まれた嗅覚で、俺から醸し出される男の魅力に、惹かれたのかもしれないな……」
旅行の前で、少し浮かれていたのだろう。
昨日レベッカさんとグラッドから叱られた事も忘れ、得意気な気持ちでいた。
「な、何、訳の分からないことを言ってるんすか! アタシはちゃんといるっすよ!」
ビアンカは屋根の上から恥かしそうに、俺を見下ろしていた。
俺は時間を掛けたくなかったし、面倒になりそうだったので突っ込むのを止める。
「みんな忘れ物はないな? エドナは、トイレ大丈夫か? まだだったら……」
「はうっ!?」
途中まで言い掛けたところでエドナに腹を殴られて息が止まり、その場で蹲った。
「エドナ、腹が立つのは分かりますが、浮かれているカザマを相手にしていると時間の無駄ですよ」
(俺は親切で言ったのだが、それにしてもアリーシャは、何気に酷くないか……)
俺は呼吸を整えて立ち上がると、
「ああ……その、俺の言い方が悪かったよ……ところで、アウラのその荷物は、何だ?」
こんな所で時間を掛けたくないので、悪くもないのに謝った。
だが、アウラに目が留まり、アウラは顔を赤く染めて話し出す。
「えっ!? 旅の間に使う食器とか鍋とか、みんなで遊ぶ様に色々と……」
俺は頭を掻きむしりたくなる衝動を抑えて、アウラに答える。
「も、もういいよ……アリーシャ悪いが、アウラの荷物を見てあげてくれないか?」
不思議そうに首を傾げているアウラを余所に、屋根の上のビアンカに叫ぶ。
「おーい! ビアンカ! 忘れ物はないか!」
ビアンカは小さく笑みを浮かべ、巾着袋の様なものを見せる。
(この面子は何か偏ってる……昨日アリーシャに、みんなの持ち物を点検してもらう様に、お願いすべきだった……)
俺は出発の前に頭を抱え、疲労を覚えた――。
しばらくして、やっとみんな準備を済ませて馬車に乗り込んだ。
「カトレアさん、西の方に向かうのは分かりますが、俺は土地勘がなくて……」
御者台から振り返りカトレアさんに尋ねたが、出発前にと気が引ける。
カトレアさんは旅行慣れしているのか、相貌を変えずに説明を始めた。
「大丈夫よ。ベネチアーノまで馬車で二日掛かるけど、途中に『ボルーノ』という宿場街があるから、そこで一晩泊まるわよ。まずは村から街に向かって、街から西へ道なりに進んで頂戴。あの兄弟の脚なら夕方までには十分間に合う筈よ」
カトレアさんから丁寧に説明してもらい、何となく不安を抱きつつも出発の声を上げる。
「あ、ありがとうございます。それでは、そろそろ出発しますよ」
四人掛けの馬車で人数が合わない気がしたが……。
カトレアさんが一番奥に座り、それに合わせて乗り込んでいる。
カトレアさんの横にアリーシャ、カトレアさんの向かいにエドナ、アリーシャの向かいにアウラが座っていた。
ビアンカはどうするのかと思ったが、俺の座っている御者台の横に座る。
多分カトレアさんは、初めからそうなると知っていた気がした。
俺たちの馬車は、まずは街へ向かって動き出す――。
途中で、エドワードさんが馬に乗って現れたが。
きっと、カトレアさんを見送りに来たのだろう。
だが、馬車と並走しながら、何かしら叫んでいる。
しかし、カトレアさんは何事もないような涼しい顔をしていた。
俺は居た堪れなくなりエドワードさんに声を掛ける。
「……エドワードさん、心配なら一緒に行きますか?」
エドワードさんは首を横に振った。
「いや、すまない。大丈夫だ。昨晩、俺も心配でカトレアにそう言ったのだが……カトレアから、尊敬する師匠の世話がいなくなると頼まれてな……」
「えっ!? まさか、モーガン先生のお世話をするのって……」
その先はお互いに会話を控えた。
(貴族の長男がシスコンであるために、お気の毒に……)
俺はエドワードさんの扱われ方が、いつも理不尽な目に遭っている自分と重なってしまう。
――道中。
馬車は村を出発して、一時間半くらいでヘーベルタニアの街壁近くに来た。
荷馬車で二時間くらい掛かる事を考えると、かなり速い。
カトレアさんが、この二頭に拘った理由も理解する。
俺は途中で後ろの四にんが、どんな事を話しているか気になった。
耳を澄ませば聞こえる気がしたが、聞き耳を立てたりはしない。
久々にのんびり出来て、満足だったので深く考えなかったのだ。
その代わり、隣に座り物珍しそうに景色を眺めているビアンカに声を掛けた。
「なあ、ビアンカは、森を出るのは初めてか?」
「な、なんすか? いきなり……」
突然声を掛けられ驚いたようだったが、俺は話を続ける。
「いや、俺は遠くの国から来ただろう。だから、この国の事は街と村と森くらいしか知らないんだよ」
ビアンカは遠くを見る様な眼差しをしていたが、
「そうっすか……アタシは物心ついた時には、モーガン先生の家にいたっす。それからは、森しか行ったことないっすよ」
決して感傷的になっている訳でもなさそうだ。
「じゃあ、村へは行った事はないのか?」
「ないっすよ。狭いし人が多いし、特に用事もないのに、あんな所には行きたくないっす」
ビアンカは即答して顔を顰めたが、俺は尚も話を続ける。
「何か用事があれば行っても良いのか?」
ビアンカは再三問い掛けられて、訝しさを抱いたのか俺を睨んだ。
「何か、その言い方だと……アタシを村へ行かせようとしてるみたいっすね?」
俺は誤解されたと思い、慌てて首を左右に振った。
「いや、そういう訳じゃないんだ。今回は旅行に来てくれたし、一応、感謝してるっていうか……」
俺が頬を掻いていると、ビアンカは尻尾を振りながら笑い出す。
「あはははははははは……カザマは回りくどいっすね。素直にアタシが来たのが嬉しいと言えばいいっすよ。あはははははははは……」
俺の方に身体を乗り出して、本格的に笑い出した。
俺はそのまま小さく笑みを返す。
――昼食。
ビアンカと格闘訓練時の俺の立ち回りの話をしている。
「カザマは周りを見過ぎるっす。肌で感じるっすよ……」
普段なかなか聞けない話をしていると、あっという間に昼食の時間になった。
俺はアリーシャに声を掛けられて、馬車を手頃な場所に移動させて繋いだ。
それから、扉を開けて順番にみんなの降りる手伝いをする。
これも、モーゼスさんから習った御者の作法だ。
そして、カトレアさんの指示を聞きながら、昼食の準備を始める。
今日の昼食は、事前にカトレアさんにお願いしてあった。
屋敷の人に、みんなの分も合わせて作ってもらっている。
貴族であるカトレアさんの事を考えて……というのは口実で、実は普段休みなしで家事を行っているアリーシャへの配慮だ。
恐らく、カトレアさんもその事に気づいていただろうが何も言わなかった。
テーブルや椅子は荷物になるので、ピクニックみたいにレジャーシートの様なものを敷いている。
座る場所を考えていたが、ビアンカはみんなと顔を合わせるのが照れくさかったのか、俺の背に隠れる様にして座った。
俺とアリーシャは、みんなの前に料理を装う。
それから、みんなでお祈りして食事を始めようとした。
「「「いただきます」」」
俺とアリーシャとアウラは普段の昼食の癖で、同時にその言葉を口にする。
「えっ!? そう言えば、あなたがホットケーキを作った時も思わず、一緒に口にしたけど……その『いただきます』って、どういう意味かしら?」
俺は初めてその指摘を受けて、今更だなと思いつつも説明した。
「ものをもらったりする時に『頂く』という言葉あります。食事をする時は食事を作ってくれた人や、その食材に対する感謝の気持ちを込めて『いただきます』と言うのが、俺の国の風習になっています」
(自分の世界にいた頃は、学校の給食でしか言わなかったが……)
口調こそしっかりしていたが、自分の事を棚に上げているみたいで、頬を掻きながらの説明となってしまう。
「素晴らしいわ! あなたの国は以前から思っていたけど、かなり文化水準が高い気がするわ」
興奮して声を高くするカトレアさんに、水色の瞳を輝かせてアリーシャが乗っかった。
「ええ、私もたまに気になっていたのですが、まさかそんな深い意味があったとは……私は、てっきりカザマの口癖かと思っていました」
アリーシャの言葉に思わずイラッとして拳を握ったが、我慢する。
「アリーシャの感想は兎も角として、この国でお祈りするのと変わらないと思いますよ」
俺は怒りに堪えて、当たり障りのない事を言って誤魔化した。
カトレアさんがいつもの様に盛大な勘違いをしないか冷や冷やしたが、取り敢えず助かったようだ。
アリーシャは、この話題から笑み浮かべ口数が多くなった。
「普段は、ビアンカも元気良くみんなと一緒に言っているんですよ」
「よ、余計なことは言わなくていいっすよ!」
ビアンカは照れくさかったのか、後ろから俺の脇腹を叩いた。
料理を食べ始めて、俺とエドナは貴族の家の料理が珍しくて夢中で食べている。
アウラは何故か耳を赤くして余所余所しくしている。
俺は普段顔を合わせている面子なのに、何故恥かしいのかと気になった。
ちなみに、ビアンカはもっと落ち着きがなさそうにそわそわしている。
そんなビアンカの様子を見て、ちょっとした出来心だった。
俺は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、ビアンカの脇腹を突いてしまう。
「ヒャアーっ!? な、なんすかー!!」
ビアンカは尻尾を逆立てて、可愛い声を出すと、俺の頬を思い切りビンタした。
「イ、イッテ――!」
俺は吹き飛ばされて、数メートル転がり頬を押さえる。
以前ならそのまま気絶していたのだろう。
今は耐久力が高くなり、幸か不幸か激しい痛みに顔を歪めた。
ほんの出来心のつもりが、想像以上の大事になってしまう。
「何をしているのかしら……」
みんな凄い形相で俺を睨んでいるが、カトレアさんが代表する様に声を出した。
俺はみんなの視線を受け身体中から汗を流しながら、
「い、いえ、ちょっとした出来心で、これは決してセクハラとかではなく……スキンシップというか……」
身振り手振りで色々と説明しようとしたが、上手い言葉が思いつかない。
アリーシャは眉を寄せ呆れてしまったのか、
「あなたという人は、全く……」
途中から言葉が出ない様だった。
アウラとエドナは、汚い物でも見るかのような視線を送っている。
ビアンカは涙目になり、尻尾を逆立たせたまま俺を睨んでいる。
俺は他に思い浮かばずに、静かに地面の上で正座すると、
「……スミマセンでした!」
ドゲザをしてビアンカに謝った。
アリーシャは、水色の瞳を氷の様に冷ややかにして呟く。
「それもいい加減、見飽きてきましたね……」
皆が一様に頷いた。
(アリーシャのヤツ、余計なことを……)
その言葉の後、沈黙のまま食事が再開される。
しかし、誰も俺に視線を合わせてくれなかった。
結局、その後の馬車の席は、ビアンカとエドナが交代する。
俺はカトレアさんの御者なので、腫れたままの顔では世間体があるとかで、アリーシャに治癒魔法をかけてもらった。
(折角の旅行が……最近、調子に乗り過ぎていたのだろうか……)
俺は声に出さずに、独りで色々と振り返り反省する。
「……さっきは、何であんな事をしたのよ?」
突然エドナから訊ねられて驚いたが、思ったことを素直に話す。
「えっ!? いや、ビアンカが周りに気を使いながら、窮屈そうに食事をしてるのを見て、何かきっかけがあればと思って……」
エドナは軽く俺の頭を叩いた。
「さっき、それを話せば良かったのよ。みんなの態度も少しは違ったと思うよ」
俺は何故かエドナから説教を受け、戸惑いを受けたが嘘もつけず、思っていたことを口にする。
「……そ、そうだな。さっきはビアンカが、あんなに怒るとは思わなくて、ビックリして……」
エドナは俺の話を聞いて、胸を張った。
「なるほどね……アタシが後で、カトレア先生に話してあげるわ」
「ありがとな……」
俺は、一つ年下だが見た目は小学生にしか見えないエドナに励まされてしまう。
そして、微妙な気持ちになった。
エドナに励まされてから、俺は御者に集中する。
山脈近くにあるヘーベルタニアからの道中は、途中まで下り坂が多かった。
その後、平坦な道が続いたが、次は登り坂が続く。
やがてボルーノの街が見えてきたが、この街は山を越えた盆地にあるようだ。




