2.ムガール王国
――異世界生活一年二ヶ月と六日目。
昼間はアレスに宝石になってもらい、気配を薄くして街の様子を見て回った。
昨日に引き続き二日目だが、昨日警備兵に言われた様に商人の仕入れは何かの札を出して互いに確認しているようだ。
俺はその様子を見て仮設を立てる。
今まで関わった国は関税こそかけていたが、物に対する貿易の制限がなかった。
勿論、神々がいる国で奴隷の様な制度はなかったが……。
だが、この国では意図的に他国への流通を制限している様に窺える。
特に胡椒の様な高値で売れる商品が、他国へ流出するのを防いでいるようだ。
資本主義の思想がないのか、国や特権階級の人たちが利益を独占するために制限しているのだろうか。
そうなると高い利益を上げるための窓口がある筈である。
完全に流出を止めているだけでは、宝の持ち腐れになるからだ。
俺は、その窓口を突き止めることを考えた。
しかし、この街が幾ら大きくても外交問題の交渉をするには、王都に行く必要があるだろう。
素人であれば慌てて王都へ交渉しに移動するところだが、俺は玄人である。
まずは王都で交渉のテーブルに着ける様に、下準備をすることにした。
これ程大きな街なのだから、王都でも顔が利く者がいる筈である。
俺は、今日も引き続き酒場で情報収集をすることにした。
だが、その前に確認したいことがある。
「アレス、この国の神さまはどんな神さまなんですか?」
俺はインドの神さまで有名なインドラ神、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神などを思い浮かべたが。
「ねえ、君、どうして僕がそんなことを知っていると思ったんだい? こんな遠く離れた国の事を聞かれても分からないよ。そもそも嘗ての僕がいた帝国もこんな遠くまで領土を広げたことがないからね」
アレスは相変わらず微笑を湛えたまま、俺の期待を裏切ってくれた。
「神さま同士なら距離に関係なく、知り合いだったりするのかなと思っただけですよ。それじゃあ、この国に神さまはいないのですか?」
「ねえ、君、今の僕の話を聞いていなかったのかい? 知らないものは知らないよ。そもそも自分の信者がいる訳でもあるまいし、関係ないよね。それから関係ない国の神のことは分からないよ」
アレスの表情は変わらなかったが、口調はとてもクールである。
「もしかして、アレス……俺が他の神さまの話題をしたから、焼きもちですか……!? イッテー! や、やめて……」
最近電流を上げられたが、あまりに強力なために何度流されても慣れることはない。
これ以上は勘弁して欲しいとばかりに話を止めて、酒場に向かう。
――酒場。
「おじさん、昨日と同じものをふたり分頼む」
「おう、いらっしゃい。今日も来てくれて嬉しいね。他のお客もふたりが来るのを待っていたみたいだ」
俺とアレスは、昨日と同じ様にカウンター席に着いたが、今日は昨日と違い店内の雰囲気が初めから明るかった。
俺は適当に店員と会話をし、時々他の客とも話をして時間が経過する。
そして店での買い物の話題に変えていく。
「今日、店で奇妙な光景を見たんだが、商人同士が取引をするのに何かの札を見せ合っていた。この街はそういう風習があるのか?」
「ああ、あれか……あれは、西の大国が大量に買い占めてしまうので、国の政策で国内だけで売り買いが出来る様にしたらしい」
「あそこの国はそんなに大きいのか? 俺は東の方から来たから、その辺のことが分からないんだよな。この先、危なくなったりしないのか……」
「ああ、知り合いの漁師がかなりの数の船団を見たと言っていたが、あちらの国に近づかない限りは動かないらしい。この先、どうなるか分からないが……」
俺は、店員の話に頷くと口篭る店員に左掌を向けた。
「大体分かったから大丈夫だ。取引に使う札だが、この国の者なら誰でも貰うことが出来るのか?」
「はっ!? 何だ、その仕草は……何か、誓い言でもするのか……もしや、貴族さまがお忍びでやってきたのでは……」
俺の疑問に答えることなく店員は、俺の仕草に恐れ戦いたようだ。
ちなみに、ボスアレスの街の酒場でも同じことをして騒ぎになったのを思い出す。
「いや、貴族ではないが……ある意味、お忍びで来ていることには変わりないかな……」
「ああ、やはり、そうでしたか! 初めて顔を見た時から、精悍な顔つきと品のある服装が只者ではないと思っていました」
俺は店員の変わり様に顔を引き攣らせるが、隣でアレスが嬉しそうに笑っていて腹立たしい。
「この街の有力者と面会したいのだが……」
俺は更に思わせぶりな口振りをして、そのまま街の商会の顔役を紹介してもらった。
そして、その後は立場上目立つと困るからと店員と近くにいた客たちに説明すると、俺の奢りで昨日と同じ様に盛り上がる。
――異世界生活一年二ヶ月と七日目。
翌日、朝食を済ませると俺とアレスは酒場の店員に紹介してもらった商会の顔役の家を訪ねた。
俺とアレスは豪奢な部屋に通されて、相手が現れるのを待つ。
やがて、部屋の扉が開けられて目当ての人がやってきたが、俺は茫然と立ち尽くす。
商会の顔役というから、それなりに年を取った男の人だと思ったが、女の人である。
しかも、かなり綺麗な人で、おばさんと呼ぶには若い感じであった。
白い肌が青白くも見えて、高貴な身分ではないかと思われる。
そして、どの様に説明しようかと伺っていたが、あちらの方から話を進めてきて驚かされた。
「あなたは、東の方からやって来た、芸人という……語り手とも歌い手とも違う旅人だと聞きました」
「は、はい、今は相棒とコンビを組んで活動してます……でも、正確には『伝道師』と呼ばれていますが……」
俺が身体を震わせ怒りを堪えて頷いているのに、アレスは顔を背けて俺とは違った身体の震えを起こしており腹立たしい。
だが、紹介の顔役の人は話題を変えてきた。
「いえ、大丈夫です。初めは名前を聞いて戸惑いました。ですが、その厳つい風貌と謙虚な佇まいから確信しました。『極東の男』……異国の商人が、ここより遥かに東だろう国からやってきた英雄の話を私にしてくれました……」
商会の偉い人は、ボスアレスの街の人々の様な尊敬の眼差しで俺を見つめる。
「そうか……もう、あなたには隠せないようだ。俺は、あなたが言った通り極東の男と呼ばれている者です。でも、このことは内密に……」
俺が人差し指を立て「シー」と声を上げると、商会の偉い人は更に強く瞳を輝かせた。
「い、言い伝え通りの仕草です……あなたが、伝説の極東の男なのですね……」
「えっ!? そうですが……段々極東の男が凄くなってないですか?」
俺は、自分の仕草がここまで広がっていることに困惑しつつも、俺の扱いがどんどん人間離れした感じになり、声を震わせる。
アレスは、俺の困った顔を見て喜んでいるが、俺の都合の良い方向に話が進んだ。
商会の顔役の人は、予想よりも大物だったらしく国王に謁見出来る様に早馬を出してくれて、紹介状まで俺に持たせてくれた。
俺とアレスは、この後昼食まで誘われるが断って王都に向かう。
「――ねえ、君、相手が女の人で嬉しかったのかい? それに、珍しく慕われて嬉しかったかい? ボスアレスで生活すれば、こんな民衆ばかりだと思うのに、君も難儀だね。それに、昼食くらい一緒にしてあげても良かったんじゃないかな?」
「アレス、確かに珍しく行動に見合った評価をしてもらって嬉しかったです。いつもみんなのために苦渋の決断をしているのに、何故か卑怯者扱いですからね……。でも、こういうことは一度露見すると、あっという間に広まる恐れがあります。用心するのに越したことはないのです」
俺は久々に味わった良い余韻に耽りながらアレスに説明する。
「ねえ、君、船の上の仕返しのつもりかい。僕にお説教とは偉くなったね。流石は伝説の極東の男だね」
「ヒィイイイイ――!? アレス、何だか一瞬笑顔が冷ややかに見えましたよ。もしかして、怒っていますか?」
アレスは何も返事をしてくれなくて、逆にその行為が怖く感じた――。




