2.お礼…
――下宿六日目(異世界生活七日目)
就寝中、不意に誰かが部屋に入って来た気配がした。
またビアンカがこっそり俺に馬乗りになるのだろうと、目を閉じたままでいる。
だが、今日はなかなか上に乗ってこないので怪訝に思っていると、
「……よ、よ、よくも、あんな……ことを、言ってくれたわね……」
良く聞き取れないが、誰かが何かを呟いている。
それに、ビアンカではない。
慌てて目を開けようとしたが、股間に凄まじい衝撃が走り、
「うっ!? イッテ――っ!!」
激しい痛みで意識を奪われた。
「……何が、男の……現象よ! 誰が『ストーカー』ですって!」
頬に走る衝撃で意識が戻り、少しずつ声も聞こえ始める。
俺の上には、アウラが馬乗りになっていた。
何時もなら、何が起きているのかと慌てたり、飛び切りの美少女が……などと考えて嬉しい状況であろう。
だが、股間が焼ける様に痛くて、真っ直ぐ仰向けでいるのに耐えられない。
腰を屈めたいが、アウラが馬乗りになって動けない。
「何が男の生理現象よ! 誰がストーカーですって!」
アウラの叫びは止まらず、馬乗りになりながら俺の頬をビンタする手も止まらない。
「……ヒ、ヒィイイイイーっ! も、もう、ブタないで! 俺が悪かったから! も、もう、そのへんで! 助けてくれー!」
俺は拷問に耐え切れずに悲鳴を上げ、助けを求めた。
しかし、助けは現れず、また意識を失ってしまう――。
「……マ、カ……カ……マ、カザマ、起きるっすよ!」
気がつくと、ビアンカが馬乗りにならずにベッドの脇から声を掛けている。
「何やってるんすか!? 顔が丸く……ぷっ、あははははははははははっ……」
ビアンカは頬を膨らませると、俺の顔を見ながら大爆笑した。
「笑わないでくれ! い、急いで、ア、アリーシャを呼んでくれ!」
「わ、分かったっす……」
俺は自分の非常事態に思い切り笑ったビアンカを一言だけ叱り付ける。
そして、アリーシャの助けを求めた……。
(ビアンカのやつ、部屋を出る時も笑ってたな……)
「おはようございます。こんなに朝早くどうしたのですか!? ぷっ……あはっ、あははははははははははっ……」
「ア、アリーシャまで! ち、治癒魔法を! もう痛くて、早く!」
ビアンカと同じ様なリアクションをしたアリーシャを突っ込む余裕もなく、俺は痛みに耐えられずに叫んだ。
「わ、分かりました! ……『ヒール!』」
アリーシャのワンドから淡い光が灯った。
その柔らかな光は俺の身体を覆い、少しずつだが痛みが和らいでいくのを感じる。
「……た、助かったよ! ありがとう! ありがとう! アリーシャ! ……!」
俺は危機を乗り越えた安堵と喜び、アリーシャに対して感謝の気持ちが込み上げてしまう。
そして、泣きながらアリーシャに抱きついてしまった。
「も、もう、カザマ……!? もう大丈夫ですから! もう大丈夫ですから!」
アリーシャは突然俺に抱きつかれ驚いた様子だったが、俺を引き剥がさない。
「あっ!? あれあれー! 身体の調子が良くなったと思ったら、すっかり甘えん坊さんっすね」
ビアンカはニヤニヤしながら俺の顔を見つめている。
「はっ!? そ、その、悪かった! つい、感極まってしまった!」
俺は少しずつ落ち着きを取り戻すと、恥かしくなりアリーシャから離れた。
「でも、顔が、お、面白いくらいに腫れて!? そ、それから、その……こ!? 腰の辺りの腫れは、どうしたというのですか?」
アリーシャはまた途中で笑い掛けたが、何とか我慢したようだ。
俺の股間の事は言い難かったのか、戸惑い気味に場所をぼかした。
「い、いきなりで、何か分からなかったが……キ、キラーアントが俺に報復でも、しに来たのかな? ま、全く不意打ちで……油断したよ……」
「「はあーっ!?」」
ビアンカとアリーシャは、同時に驚きの声を上げる。
そして何を言ってるのだと言いたげに、俺を見つめた。
「窓は閉まっていたっすよ! どこから入って来たっすか?」
「い、いやー……どこから入ったんだろうな? 俺は、不意を衝かれたから……」
「アウラは来なかったっすか? 今日はアウラが、カザマを起こすと言ってたっす!」
「へ、へー……そ、そうなんだ? お、俺は気づかなったな……」
「あのー……カザマ。何か、嘘っぽいですよ……もしかして、アウラを庇ってるんじゃないですか?」
「そ、そういえば、昨日のアウラはいつもと違ってたっすね? アタシたちが、カザマから聞いた話をしたら、顔だけでなく耳まで赤くなって、プルプル震えて喋らなくなったす」
(お前らが昨日の夜、アウラに話したのか! 全く余計なことを……!? そう言えば、俺がアウラに話す様にと、冗談まじりに言ったんだったか……最近、調子に乗り過ぎたかもしれない……)
心の中で二人に突っ込みを入れたが、自業自得だと反省する。
「……そうか。それじゃ、アウラは、調子が悪くなって来れなくなったのかもしれないな……」
「そうでしょうか? 私には、カザマが嘘をついているとしか思えませんが……」
アリーシャは怪訝な表情を浮かべ追及したが、俺が頑なに違うというので、これ以上アウラを疑わなかった。
その後、二人は俺の部屋を出て行き、今日の狩りは休みとなる。
俺はエルフが怒ると、こんなに怖いとは知らなかった。
カトレアさんが可愛く感じる程に……。
だが、幾ら俺に責任があるとはいえ、アウラはやり過ぎた。
きっと、アリーシャとビアンカに知られたら、叱られて気不味くなるだろう。
折角アウラと友達になったのに、気不味くなって会えなくなると困る。
今回は、何もなかった事にしたかったのだ――。




