1.モミジ丸の帰還
――異世界生活十ヶ月と二十四日目。
俺たちは海岸沿いから小舟でモミジ丸に乗り込み、久々にブリュンヒルデさんと合流した。
「ブリュンヒルデさん、久しぶりですね。モミジ丸と似た様なタイプの船が随伴しているみたいですが、もしかしてクロフネですか……」
モミジ丸の周囲には、モミジ丸と似た様な外観を持つ大小の船が艦隊行動を取っている。
ただ、モミジ丸とは違い、大型の船の煙突から黒煙が上がっていた。
本当は一番に乗りたかったが、色々と多忙な俺はクロフネに乗り換える暇がなかったのだ。
モミジ丸が俺の船だという周囲の認識が高く、最近出航機会の多いモミジ丸をクロフネに改造している時間もなかった。
「カザマ、久しぶりね。知らない女の子がいるみたいだけど、紹介して欲しいわ。どうせ、あなたが連れているくらいだから普通の女の子ではないのよね」
ブリュンヒルデさんは、俺とは別方向を見つめている。
俺の質問には答えないでシェルビーを見つめているが、アウラと同じで普通の人間より耳が細長いのでエルフであると分かる。
「ああ、リヴァイに何度か報告しましたが、彼女は土の精霊に関わりを持つ高位のエルフです。名前は『シェルビー・アダマント・ベヘモス』で、シェルビーと呼んであげて下さい。以前はアラビア半島に住んでいたそうですが、訳あってピラミッドの地下に軟禁されていたのを救出しました」
「シェルビーよ……ブリュンヒルデ? 難しい名前ね」
「私はブリュンヒルデだけど、田舎の娘には難しかったかしら……シェルビー」
ふたりは互いの距離を縮め自己紹介を行ったが、何故か格闘技のゴング前の様に睨み合って動かない。
「ふ、ふたりとも……初めて会ったのに、どうしていきなり好戦的なのかな? シェルビーは知らない所に行く上に、知らない人ばかりで不安なのは分かるけど……人見知りなら、アウラで慣れているから心配いらないぞ。ブリュンヒルデさんは、いつも大人っぽいのに何だか可笑しいですよ」
俺がふたりを仲裁すると、ふたりとも反省してくれたのか。
互いに顔を逸らして距離を取るが、アウラが顔を赤くして身体を震わせた。
「カザマ、ふたりが自己紹介しているのに、どうして私の名前が出てくるのかしら? しかも、私を侮辱するなんて、最近カザマは私の事を軽く見てないかしら」
「そ、そんな事はない。ビアンカと同じで気心の知れた仲間で頼りにしている。ただ、恥かしがり屋のくせに思い込みが激しくて、向きになると加減が分からなくなるのが心配かなと、冷や冷やするくらいかな」
俺の言葉に胸を張ったアウラであったが、途中から顔を顰めてまたも身体を震わせる。
ブリュンヒルデさんとシェルビーも先程の険悪な雰囲気がなくなり、ふたりとも頬を膨らませて笑いを堪えているようだ。
アウラが何か言おうとしているが、艦長が話し出すタイミングを計っていたかの様に口を開いた。
「カザマ、今回随伴した艦隊は、国王が運河の防衛拠点を建造する間、配備させたものです。私には詳しく分かりませんが……」
俺は艦長の話を聞いて、グラハムさんの手際の良さに感嘆する。
「なる程、流石に王さまは物事の機微が分かっている。スエズ運河を押さえる事の重要性を理解しているな。それに、アラビア半島側にはシェルビーたちの集落があるので、運河を要塞化するための工事もスムーズに行えるだろう。対岸のアフリカ側は低い位置にあるので、こちら側が圧倒的に有利だ」
「はあ、そういうものなのでしょうか……私には難しくて分かりませんが……」
艦長は半信半疑の様子であるが、他の船に指示を出し始める。
アウラは文句を言おうとしていたが、俺の話を聞いているうちにタイミングを逃したのか頬を赤らめたまま黙っていた。
シェルビーも自分の集落の事を口にされて首を傾げていたが、事前に後ろ盾となる国を用意すると言っていたので大丈夫だろう。
やがてモミジ丸はベネチアーノへ向けて出航したが、他の船はスエズ運河防衛のために残っている。
近い内に建設資材を満載した船がやってくるだろうが、後のことはシェルビーたちの集落の人たちとグラハムさんに任せることにした。
ユベントゥス王国はスエズ運河を手にした事で、これまで大西洋側に国を持つ諸国との貿易競争で遅れを取っていたが、有利に立つだろう。
――異世界生活十一ヶ月と四日目。
モミジ丸は十日かけてベネチアーノに帰港した。
いつも通りたくさんの人がモミジの旗を見つけて、モミジ丸の見物に来ている。
しかし、モミジ丸が俺の船として最後の航海になったとは、俺を含めて誰も知らなかった……。
俺たちは今回も艦長に後の事を任せて、グリフォンとペガサスで空から移動している。
久々にヘーベルタニアに向かっているが、五週間ぶりだ。
(ヘーベは変わりないだろうか? 俺に会えずに寂しがっていないだろうか? 最後に会った時は再契約してギクシャクしたけど、落ち着いただろうか……)
俺は心の中でヘーベの事を考えて呟いたが、最後に会った時の気まずさを思い出して顔を引き攣らせた。
俺の前に座っているアレスが振り向き笑顔を浮かべてイラッとする。
行きと違ってシェルビーが増えたので、ビアンカのルーナの後ろにはシェルビーが座り、ブリュンヒルデさんのペガサスの後ろにアウラが座っている。
以前まではアリーシャとクレアがいたが、一ヶ月以上留守にしてしまい、現在の状況が気になるところだ。
――ヘーベルタニアの街。
俺たちは厩舎にグリフォンとペガサスを預けて教会に向かった。
ベネチアーノの街でも落ち着きなくしていたシェルビーだが、大きな街を歩いて緊張しているのが伝わってくる。
初めて会った頃のアウラの様に、一番背が高い俺を盾にする様に抱きついているが、小振りながらも柔らかな膨らみを押し付けられ頬が緩む。
「カザマ、シェルビーに近づき過ぎだと思うわ。それにさっきから厳つい顔が、緩んで気持ち悪くなっているわよ」
「や、喧しい! 俺の顔が厳つくなったのは、アウラが俺の顔を殴ったからだろう。それに、アウラも初めて村や街に来た頃は、恥かしくて俺を盾にするようにしていただろう。自分が慣れたからといって、不慣れな者を蔑む様な発言は良くないぞ」
「うううううううう……」
アウラがまたも俺に絡んできたが、俺の言葉に返すことが出来ずに奥歯を噛んで睨み唸っているが、そんなに悔しかったのだろうかと思ってしまう。
俺たちは久々に教会に入った。
――礼拝堂。
俺の後に続いてみんなが礼拝堂に入ると、祭壇の前に自身と同じ姿をした女神像を背景にヘーベが立ち、祭壇の脇にはいつも通りグラッドとレベッカさんが立っている。
俺はいつも通りヘーベの前に足を進め膝を着けたが、シェルビーにはアウラが色々と教えているようだ。
初めは喧嘩になりそうであったが、同じ高位のエルフ同士だけあって誤解が解けると打ち解けるのも早い。
ブリュンヒルデさんはアレスの隣で立っているが、立場的にヘーベの前で膝を着けないのか落ち着きなくしている。
ヘーベはそんな様子を理解してか、見て見ぬ振りをして話し始めた。
「ああー、良く帰って来ましたね。我が従者カザマとお友達のみなさん! アナタたちの活躍は聞いていますよ……!? おやっ? 今回はどの女神にも会っていない筈ですが……誰かにお仕置きでも受けたのかしら? それとも最早腫れた顔が素顔なのかしら……」
『!? ぷふふふふふふ……』
みんなが一斉に頬を膨らませ、笑いを堪えたが声が漏れている。
ヘーベは最後に会った時の事をまだ根に持っているのか、いきなり俺の悪口をみんなの前で言い、場の空気を和ませた。
「ヘーベ、いきなり酷いじゃないですか! 俺がアウラに注意していたら、アウラが何か勘違いしたらしくて、いつもみたいに癇癪を起こしたんです。いつも俺ばかり酷い目に遭って、全く……」
俺は頬を膨らませ剥れてしまう。
ヘーベは、そんな俺からシェルビーに視線を向ける。
「……シェルビーでしたね。アウラと仲良くなったみたいで何よりです……シェルビーもアウラとは違った強力な精霊魔法を使えると聞いています。これからも私の従者のカザマを助けて下さいね。それから、私の従者が破廉恥なことをして申し訳ありません。後から叱っておきますので、これからも仲良くしてあげて下さいね」
ヘーベは微笑を湛えながら、初めてアウラに声を掛けた時と同じ様にシェルビーにも声を掛けた。
シェルビーも初めて女神さまに会って興奮したのか、
「は、はい。勿体無い言葉を掛けて頂き、感謝致します」
顔だけでなく耳まで赤くなり高い声で返事をして、アウラが初めてヘーベに会った時を思い出させる。
ちなみに、俺はまたも悪くないのに悪口を言われるが我慢した。
ヘーベは、シェルビーからみんなに顔を向ける。
「アウラ、ビアンカ、今回もあなたたちの活躍は聞いています。それから、また私の従者がふたりに迷惑を掛けたようですね……」
「はいっす。今回は船の移動が長くて退屈だったっす。それなのにカザマは、全然アタシと遊んでくれなかったっすよ……」
「はい、私も頑張っていたのに、カザマが私の悪口ばかり言ってました。カザマは精神年齢が低いので、幼い男の子が好きな女の子に意地悪するのと同じだと分かっています。それでも、最近段々と酷くなっています……」
ヘーベはビアンカとアウラの訴えを聞いて、柳眉を寄せて俺をひと睨みするが、コテツの方に顔を向けた。
「コテツ、最近はリヴァイがいないですが、私の従者を助けてくれて感謝します」
「うむ、いつも言っていることだが、貴様に礼を言われる筋合いはない……だが、確かにアレスがいるとはいえ、リヴァイがいないと些か面倒に感じる。貴様の従者は、面倒事を起こすことに長けていて、叱る者がいないと歯止めが利かなくなる」
「はあっ!? コテツ、何言ってるんですか? 俺は何も悪い事をしていませんよね? 襲ってきた敵の艦隊を倒しただけですし、灯台もまた攻撃されると厄介なので破壊しただけです。それに悪くないのに、不当な軟禁と労働を強いられていたシェルビーの集落のヒトたちを救ったのです。褒められることはあっても、非難されることはないと思います」
俺はコテツから批判された上、次第に俺の悪口が酷くなっている気がして、立ち上がり身振り手振りを加えて自分の正当性を訴えた。
みんなが呆然と俺を見つめていたが、ヘーベが祭壇の前から俺の方に足を進めて、いきなり俺の胸倉を掴んだ。
「ウーラヌスを相手に調子に乗って、少しは懲りたと思いましたが……。私に対する無礼な振る舞いは愚か、ベヘモスを召還して大地の形を変える様な真似までするとは……ああーっ、もう!」
ヘーベは美しい相貌を顰めて感情を顕にしたが、感極まったのか声を荒げると、手を振り被ってビンタを始め、往復で何度も続ける。
「ヒ、ヒィイイイイ――っ!? な、何で……スミマセン……もう、ぶたないで!」
俺は、何故ヘーベがこんなに怒っているか分からなかったが、助かりたい一心で声を上げた。
ヘーベは数十回ビンタを続けたが、いつも通り疲れたのか満足したのか俺の胸倉を離すと、俺を置き去りにしてみんなを連れて礼拝堂を後にする。
ひとりだけ残っていてくれたグラッドが、俺を気遣ってか近づいてきた。
「よう、相変わらずお前も大変だな……先に酒場で待ってるからな……」
グラッドは俺と目を合わせようとしなかったが、その気遣いが嬉しく感じる――。




