4.現実世界
ふと気づくとカーテンの端から光が漏れており、ゲーム画面を前に寝落ちしてしまったことに気づく。
俺は何か大事な事を忘れている気がするが、それが何なのか分からない。
こういう場合は大体夢を見て、夢の中の出来事を思い出せないのが大半である。
俺はすぐに考えるのを止めるが、自分の服装が不自然な事に気づき混乱した。
「はっ!? な、な、何だ、これ……」
訳の分からない紺色の服を着て、腰には皮で出来たポーチに棒手裏剣や細々した物が入っている。
部屋の中でゲームをしていた筈なのに、靴まで履いていたのだ。
更に棒手裏剣の他にもクナイを何本か所持しており、最も驚いたのが背中に日本刀を背負っている事であった。
恐る恐る日本刀を抜くと、その刀は何故か途中で折れている。
折れているのも不自然であるが、日本刀の柄の部分の形状があまりに独特であった。
爬虫類の蛇かトカゲを模した様な不思議な模様に肌触り、形も歪である。
(もしかして、俺は夢遊病なのか……)
俺がこの状況に対して、自身の事をこの様に分析したのは可笑しくはないであろう。
慌てても事態の解決にはならず、そもそも最近は学校にも通っていない。
俺は部屋から出て、最も頼りになる家族に相談することにした――。
まだ早朝なので、部屋にいるだろうと父親の部屋の前に立つ。
最近学校に行っていないが、多忙な父とは滅多に顔を合わせることがない。
他に家族は、独りっ子なので兄弟はなく。
母親は物心付く前からいないが、理由は不明。
離婚や他界した形跡もなく、問い質してもはぐらかされるので、最近は話題にもしない。
祖父母が離れに住んでいるが、食事を一緒にするだけだ。
学校に行っている振りをしているので、俺の事は気づかれていない筈。
それよりも自分でも分からない状況をどの様に説明しようかと思いつつ、扉を叩く。
「と、父さん、相談があるんだけど……」
「入りなさい」
恐る恐る声を掛けた俺に対して、父親の返事は即答だった。
俺は扉を開けて、父親の部屋に入る。
書斎の様な作りの部屋に足を踏み入れると、デスクを前にパソコンと向き合っている父の姿があった。
そして、やけに返事が速いと思ったら、父親は俺と同じ様にゲームをしていたのだ。
「父さん、今日も仕事だよね? 徹夜でゲームしてて大丈夫なの?」
「正義、父さんは子供じゃないぞ。もうそんなにタフじゃないから、三時間きっちり眠って、ついさっきゲームの続きを始めたところだ」
俺の父親は若い頃、俺よりも遥かに優れたオタクで、ゲームやアニメなど幅広く知られていたらしい。
今は第一線から退いたと聞いていたが、密かに楽しんでいるとは知らなかった。
そもそも公務員で多忙な仕事をしていると聞いているが、仕事が忙しいせいか帰宅しない日も多く、最近はまともに話した事がないので知らない事が多い。
もしかして、趣味が原因で母親がいなくなったのではと脳裏を過ぎる。
「……ああ、そうなんだ……!? いや、そうじゃなくて、相談があるんだけど」
「どうした? 珍しいな、正義が相談……!? エリカちゃんのことか?」
「違うよ! そうじゃなくて、ちょっとゲームを中断して、俺の方を見て欲しいんだけど……」
俺の父親である正純は温厚な性格で頭脳明晰なだけでなく、極めて高い身体能力を持ち、ここ数代の当主の中で最強と祖父から聞いたことがある。
しかし何かに熱中すると、周りが見えなくなるという欠点があった。
日常生活に影響しない範囲であり、周囲の人たちは欺かれている様だが、俺は騙されない。
何故ならエリカを許婚にする様に、積極的に進めたのが俺の父親であり、俺は幼少の頃から迷惑を被っていたからだ。
そんな俺の父親がキリの良い所だったのか、しばらくして俺の方を振り返った。
「……正義、コスプレ?」
「違うよ! 忍者の子孫が、こんなコスプレする訳ないでしょう! 朝、目が覚めたら、この格好をしてたんだよ! それで、何が何だか分からなくて……」
俺が身振り手振りで訴える姿に、父親も理解してくれたのか腕組みして頷く。
「……うん、なる程な……夢遊病みたいだな」
「違うよ! い、いや、そうかもしれないけど、もう少し真剣に考えてよ!」
「真剣に考えているつもりだけど、突然そんな事を言われても手掛かりが少な過ぎて、推理が出来ないな……何か、思い当たる事はないのか?」
俺は父親に訊ねられて、突っ込むのを止めて目を覚ましてからの事を思い出す。
「そういえば、目が覚めてから何か大事な事を忘れた様な気がするんだ……」
「そうか、正義……こういう場合は大体夢を見て、夢の中の出来事を思い出せないのが大半だぞ」
「違うよ! そんなの真っ先に自分で考えたよ! 父さんが考えそうな事は俺も考えるから、もう少し真面目に考えてよ!」
真剣に相談しているからであろうか。
最近はほとんど父親と話したことがなかったが、会話が弾む。
「いや、今のは一応の確認だから、そういう事なら忘れている事を思い出すことにしようか。運が良いことに、まだ時間が経ってないから、それ程難しくないと思う……」
俺の父はまるでゲームを楽しむかのように、嬉しそうに笑みを浮かべた。
――風間家の地下室。
俺は父親と一緒に地下室に入った。
ここには忍者である先祖の文献資料などの保管庫と数は少ないが宝物庫と儀式祭壇がある。
儀式祭壇では、一応途中の代から陰陽師の血筋も受け継いだが、俺は陰陽師に関わる事をほとんど教わった事がなくて、何に使われるかイマイチ分からない。
俺が知っている事は、子供の頃に召還の仕方を教わったが、本気で教えてくれたのか怪しいものである。
俺は父親に五芒星が描かれている陣に入る様に言われて、中に入り緊張を解きリラックスするために腰を下ろして座らされた。
「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」
「はっ!? 何、今の……」
俺が目を閉じてリラックスしていると、陰陽師っぽい言葉を父親が唱えて驚かされる。
「今のは、不動一字咒という……不動明王に挨拶するみたいな感じかな。それで、今の正義の状況を尋ねてみたのだけど……正義も覚えておいた方がいいぞ。一応、父さんは不動明王に縁があるから……」
父親は照れ臭そうであり誇らしげにも見えて、何だか似た様な姿が脳裏を過ぎりイラッとするが、それよりもこの状況を突っ込む方が先だろう。
「父さん! 俺、そんな事を教わったことないけど! どういう意味?」
「あれっ!? 言ってなかったか? 家宝ではないけど、父さんの宝物に刀があるだろう? 父さんしか使えない術が施されているけど、正義なら使えるかもしれないな」
「家宝? 宝物って……父さんが昔、友達から貰っていう模造刀の事だよね? それが何なのさ? それに、そんな模造刀を使えても意味ないでしょう?」
俺は宝物庫の中で、父親が大切に保管している二品の内の模造刀について突っ込んだ。
「いや、あれは模造刀じゃないぞ。父さん以外は使えない様に友達が封印してくれたんだ。銃刀法違反で捕まりたくないだろう? あれは倶利伽羅剣という不動明王が持っていたと言われる剣なんだ。別の場所にも納められているみたいだが、うちの蔵にあるのが本物で別の場所の方は模造刀の筈だ。父さんが正義と同じくらいの年の頃、実際に使った事があるかな……懐かしいな……」
父親はゲームのやり過ぎで可笑しくなったのか、訳の分からない事を言い出すと、更に虚空を見つめる様にしてぶつぶつと呟き出した。
「父さん……ゲームのやり過ぎ!? 疲れているんだね? もうそんな若くないし、夜更かしは控えた方がいいと思う」
「はっ!? ち、違う! 父さんを哀れむ様な目で見るな! 本当の事なんだ! 正義も多分、倶利伽羅剣を使えると思うんだ。だから、さっきの不動一字咒だけでなく、火界咒、慈救咒も、そろそろ覚えないとな……」
「俺が倶利伽羅剣を使えるの? ……覚えるも何も教えてくれれば、すぐに覚えられるのは父さんも知ってるでしょう? 問題はそこじゃなくて、使いこなせるかどうかだよね?」
俺はファンタジー要素満載の倶利伽羅剣を使えるかもという期待に心を躍らせてしまい、頬が緩む。
俺と同じで俺の父親も一度見聞きしたことを忘れない能力があるので、話は進む。
「それもそうだな……ところで正義。さっき、不自然な波動を感じたんだが……何か悪いモノに取り憑かれたりしてないよな?」
「はあーっ!? な、何をいきなり……不安になるでしょう……そ、それに、分からないから相談に来たんじゃないか」
父親の突拍子もない言葉に動揺させられて、思わず掴み掛かりそうになるが思い留まる。
だが、自分がどうして、そんな乱暴な行動を取ろうとしたのか分からない。
「うーん……やっぱり変だな……正義。何だか、人が変わったみたいに感情豊かになってるぞ。お前は父さんよりも忍びらしくて、自分を抑えられる才能があった筈だ……!? さては、エリカちゃんと進展して調子に乗って……」
「ち、違ーう! 父さん、冗談でも止めて欲しい! 父さんが知らない内に手を回したせいで、凄く大変な目に遭ってきたんだから」
「やっぱり、変だな……あんなに可愛くて、器量も良くて、賢くて、オマケに正義の事が好きだという許婚なんて、漫画やアニメじゃないとあり得ない設定だぞ」
俺の父親は凄い人なのだろうが、相変わらず何かに熱中すると周りが見えなくなるという欠点は健在である。
俺は先程から、心の奥底で沸き立つ苛立ちを抑えるかの様に身体を震わせていた。
「と、父さん、さっきも言ったけど、エリカの事はいいから真面目に答えてよ」
「ああ、大丈夫。取り敢えず父さんには手に負えないという事が分かったので、他の頼りになるヒトにお願いすることにする。すぐに出掛けるから準備をするように」
父親はエリカの話題を適当に聞き流し、儀式祭壇から俺を追い出すように移動すると、地下室から出て手際良く準備を始める。
俺はもう少しエリカの事をまともに取り合って欲しかったが……。
いい加減自分の可笑しな格好の理由を知りたくて、出来るだけ目立たない様に蒸し暑い季節にも関わらず、フード付きのコートを羽織った――。




