3.クエストと精霊魔法
――演習場。
俺は午前中の魔法の勉強時間を独り、木に向かい弓の練習をしている。
小振りの弓になり、持ち運びや動きながら射るのが随分楽になった。
明日の狩りは、弓を使うのも良いかと思いに浸る。
狩りといえば、ビアンカのアドバイスの様に、俺の魔法を武器と併用するのは難しいであろう。
(何せ、まだ魔法を把握出来ていない……)
そんな事を考えていたら、ビアンカが現れた。
「遊びに来たっすよ!」
ビアンカは、ヒマワリのような笑みを浮かべ、尻尾を左右に振っている。
「その前に、教えて欲しいことがあるんだが……いいか?」
「何っすか?」
ビアンカは目を細め、俺を見つめた。
俺は昨日の夜に聞きたかったことを思い出している。
「キラーアントの巣を見に行きたいんだが、ビアンカは見たことあるか? それから、ゴブリンと親しくないか?」
「キラーアントは見たことあるっす。でも、巣はないっすね……それから、ゴブリンとは親しくはないっよ。前に縄張りに入って狩りをしたら、叱られたっす……」
ビアンカのヒマワリのような笑顔は萎れてしまった。
俺はその様子に気が咎めたが。
「他に頼む人がいないんだ。一度だけ、様子を見に行くだけでいいから、着いて来てくれないか?」
俺の意に反してビアンカの返事は躊躇いがない。
「いいっすよ! 何時に行くっすか?」
俺は拍子抜けしてしまいそうになったが、一番大事なことをお願いした。
「出来るだけ早く見たいが、それで他にもお願いがあって……アリーシャには内緒にしてくれないか……」
「今からでいいっすけど……どうしてアリーシャに内緒にしないといけないっすか?」
ビアンカは小首を傾げ見つめている。
「また叱られると嫌だから……」
俺は恥かしいと思いつつも口にしてしまった。
「分かったっす! 今から急いで行って、昼ご飯までに帰ってくるっすよ!」
ビアンカは再び大輪の笑みを浮かべ尻尾を左右に振ると、森に飛び込んだ。
俺も後に続いたが、暗い中を数日走っていたお陰で森の中はすっかり慣れている。
――ゴブリンの縄張り。
一時間程走りビアンカは速度を落としたが、今までで一番の遠出だ。
「もう、ゴブリンの縄張りの中っすよ。キラーアントの巣は、もう少し先だと思うっす。だけど、行ったことないから詳しくは知らないっすよ」
ビアンカは微笑を湛えながら教えてくれたが、ビアンカの余裕が覗える。
「勝手に縄張りに入って襲って来ないのか? 大丈夫なのか……」
俺は初めて入る多種族の縄張りに警戒して訊ねた……。
(俺はまだゴブリンを見たことがないのだ。慎重になってもおかしくはないだろう…)
「良く覚えてないけど……前に暴れたことがあるらしくて……近づいて来なくなったす」
後ろ姿で見えないが、ビアンカの笑顔が引き攣った気がする。
俺はどういう意味だろうと訝しさを覚えたが、少し離れた所から幾つかの視線を感じた。
「ビアンカ、気づいているか?」
俺が小声で伝えると、ビアンカは軽く頷く。
ゴブリンが数人こちらを覗っている様だったが、
「おーい! 出てきてくれないか! 村で頼まれてキラーアントの巣を見に来たんだ!」
俺は少し考えたが大声で用件を伝えた。
集落から依頼が来ているくらいだから、正直に言った方が安全な筈だ。
俺とビアンカは一応足を止めて警戒していたが、
「……何だよー! もう、脅かさないでくれよー!」
ゴブリンたちが出てきた。
初めてゴブリンを見たが、緑色の肌に小柄な体躯で想像していた通りである。
そんな彼らが苦笑いしている。
この世界のゴブリンは友好的らしい。
俺は疑問に思った……。
(でも、何で俺たちを怖がってたんだろう? そう言えばさっきビアンカが暴れたと言ってけど、喧嘩じゃないのか……)
俺は頭の中の疑問を掻き消し、もう一度言い直して話を進める。
「今日は駆除の前に取り敢えず、巣の様子を見せてくれないか?」
「分かった。見るだけならいいが、駆除の時は声を掛けてくれよ! キラーアントが襲ってくるかもしれないから、俺たちも準備がいるからな! 気をつけて行けよ!」
先程話し掛けてくれたゴブリンが返事をして立ち去る。
この世界のゴブリンたちは、本当に友好的だと思った。
――キラーアントの巣。
その後、俺とビアンカは数分間走り続け、開けた場所に出た。
俺たちの少し先には切り立った崖の様なのが見える。
岩肌が青っぽくて、幾つもの穴が見えたが、元は鉱山だったのだろうか。
幾つもの穴の周りには、キラーアントらしいアリが出たり入ったりしている。
離れた場所から見ているため大きさは良く分からなかったが、みんな羽があった。
(遠くに追い払えというのは、こういうことか? でも、これはまるで、黒いハチだぞ……)
俺は依頼内容に納得する。
それから、最強クラスの昆虫相手に自分の考えていた策が、あまりに稚拙だったと気づく。
「……無理だな。帰ろう、ビアンカ……」
俺は振り返り、途中まで言い掛け声を止めた――。
俺の後ろには、少女が立っていたのだ。
光彩脱目。
あまりの美しさに見惚れてしまった。
緑色の衣類を纏った少女は、俺と同じくらいの年齢だろうか。
輝く金色の髪が眩しく、長くしなやかな髪は、形の良さを窺わせるお尻の辺りで揺れている。
透き通る様な白い肌、人形のように整った顔立ちに碧い瞳。
俺はその姿にヘーベの姿をダブらせた。
しかし、すらりとした身体は、カトレアさんより低いが大人の体型だった……。
(本物の女神さま……)
そう言葉に出そうな感じである。
だが、その少女の耳は良く見ると、人間より先が長く尖っていた。
髪が風で揺れていた事と美しさに見惚れて、気づくのが若干遅れたのだ。
その少女は目の前の俺たちではなく、キラーアントがいる崖を見つめている。
そして、両手を真っ直ぐ伸ばし上に向けた。
俺は硬直状態を抜け出しビアンカに訊ねる。
「なー、ビアンカ、この人って……」
「ああ、気づかなかったすか? さっきから後ろにいたっすよ。ずっと会いたがってたっすよね?」
「へー……ところで、彼女は何をしてるんだ?」
俺はビアンカの言葉を軽く聞き流してしまったが、嫌な予感がしていた。
何故なら、彼女の周りが光輝いている。
というより、光が彼女に吸収されている様に見えたからだ。
何かとんでもない事をしようとしているのが、この世界に来て間もない俺にも分かる。
そんな光景が目の前で起こっていた。
「ああ、アウラが得意な精霊魔法っすね」
「……なあ、かなりヤバそうなんだが……大丈夫か?」
「うーん、何がヤバイか知らないけど、凄いっすよ」
「なー……凄いのは何となく分かるんだ……何で、そんなに落ち着いてるんだ? それから、彼女は何をしようとしてるんだ?」
「まあー、とにかく凄いっすよ。見れば分かるっす!」
俺は恐れ戦き、ビアンカに訊ねたつもりだったが。
能天気なビアンカには伝わらなかった。
そんな俺たちのやり取りの間にも輝きは増していく。
「ビアンカ、行くわよ!」
彼女は、何かに伝えるかの様に叫ぶ。
『風よ! 激しく! 渦巻き切り裂け!』
次の瞬間、目の前の崖を軽く覆いつくす程の竜巻が起こった。
高密度の風の塊は、キラーアントの巣に激しくぶつかる。
そして、崖の岩肌が削られていく。
キラーアントは無残に切り裂かれ、吹き飛ばされていった。
俺は目の前の光景に、カタカタと歯を鳴らし声が出ずに立ち尽くす。
彼女はそんな俺を気にも留めず。
『水よ! 降り注げ! もっと!』
また、何かに伝えるかの様に叫んだ。
雨が降ってきた――この辺りだけの様だが、崖の方は局所的な豪雨になっている。
脆くなった崖は、激しい雨に晒されて崩れていく。
キラーアントも崖から落ちたり、流されている。
俺は、この光景を先程と同じ様に眺めていた。
彼女は得意気な笑みを浮かべている。
段々調子が出てきたかのように……。
「最後はこれよ! カザマ良く見てなさい!」
『稲妻よ! 天より激しく舞い降りて!』
彼女が叫ぶと、激しい轟音が響き、幾度も目の前の崖に落雷した。
俺は、カオスを見たかの様に驚愕に震えていたが、
「あ、あのー……今、俺の名前を呼びませんでしたか?」
自分の名前を呼ばれ少しだけ正気に返り、やっと言葉が出た。
「呼んだわよ……カザマが夜中に練習していたのを見て、順番に手本を見せたわ」
エルフの美少女は、先程と同じ様に得意気な笑みを浮かべている。
(この子、何だかヘーベに似てるな……)
俺は声に出さずにそんな事を思いつつ、
「えっ!? 何でそのことを知ってるんだ……」
秘密で練習していた筈なのにと驚いた。
「あ、あなたが、そのー……アリーシャとベッドで……」
エルフの美少女は耳まで赤く染め、身体を捻らせながら口篭る。
「あはははははっ……! 昨日の夜もアリーシャの話を聞きにアウラが来てたっすよ」
ビアンカは笑いながら状況の説明をしてくれた。
「べ、別に疚しいことはないからな! ……ないからな!」
俺は何も疚しいことはないが、一応言い直す。
「ええ、昨日はそうだったみたいね……それで話が終わって帰ろうとしたら、カザマが魔法の練習をしてるのを見つけたの。昨日は面白い事はしてなかったけど、頑張っているみたいだったから、私が力になってあげたわ」
アウラは得意気な笑みを浮かべる。
そして、ヘーベの様に堂々と胸を張り、俺を見つめた。
この世界の凄い人は、このポーズが好きなのだろうか。
それに、今までの恥ずかしがり屋のキャラはどこへ行ったのだろう。
色々と突っ込みたくなったが、魔法で死を免れたキラーアントたちが、続々と巣穴から出てきた。
「おい、アウラ! あれはどうするんだよー! 生き残ったヤツらが出てきたぞ!」
「キャーっ!? ツバが飛んだわ! 残りは魔法で飛ばして、引っ越してしてもらうわ!」
『風よ! 大きく! 渦巻き吹き飛ばせ!』
アウラは一瞬俺に怯んだが、キラーアントたちを見つめると表情を引き締め、威勢良く魔法を放つ。
先程の詠唱とは少し違った。
今回の竜巻は、先程の高密度の風の塊ではなく。
その変わり巨大な竜巻は、空に届きそうな規模であった。
また、激しくぶつかり切り裂く風ではない。
崖全体を軽く覆いつくした風は、次々に周りのものを吹き飛ばしていく。
そして、東の方に向かって吹き抜けていった――。
「ふう……マナ切れよ。後は任せたわ……」
アウラは本当に力が抜けたかの様に息を吐いた。
そして、突然目の前から姿を消す。
「おい、アウラ!? アウラ! どこだ……」
俺はアウラの名前を呼びながら探したが気配がない。
俺は害意がないと上手く気配を感じられないと気づいた。




