1.戦後のボスアレス
半年程前、ボスアレスの街はアレスサンドリア帝国の首都であり、貧富の差が激しく治安の悪い街であった。
しかし、今はもうアレスサンドリア帝国という国はない。
帝国は滅び、ボスアレスの街はアテネリシア王国かオーストディーテ王国の領土になるところであったが、街の人々の希望からユベントゥス王国が保護したのだ。
それからユベントゥス王国は街の領主を新たに決め、派遣すると通達したが現在に至るまで誰も派遣されていない。
定期的に街の商会や地域の顔役である貴族が、街の運営について話し合いを行っているが、役所的な役割を果たしているギルド職員は話に立ち会っている程度。
街の運営は、街の人々によって行われている。
人々の間では領主不在を訝しく思われていたが、一向に姿を見せない領主に対して噂が流れていた。
街を救った英雄、極東の男である。
彼は影の英雄として活躍し多忙な日々を送っており、遠く離れた国でもその噂が流れていた。
極東の男が街の領主である期待や希望は、人々の間で瞬く間に広まったのである。
――異世界生活八ヶ月と十七日目。
ボスアレスの街は大いに賑わっている。
二十日程前に王都から街のギルドに通達があった。
街の英雄である極東の男とアテネリシア王国の英雄であるペールセウスとの決闘。
それが、街の闘技場で行われることになったのだ。
街の人たちが総出で準備に携わったのは言うまでもない。
今では極東の男の銅像は、軍神アレスの銅像と同じくらいに崇められている。
俺たちはそんな街に再び訪れているが、俺は恥かしがり屋のアウラよりも深くフードを被り顔を隠していた。
「カザマ、凄い人気ですね。それに良かったですね、アテネリシア王国で決闘にならなくて……」
アリーシャの冷ややかな視線を浴びて、得もいえぬ複雑な心境である。
「な、何か棘のある言い方だな……らしくないぞ。俺はあちらのホームでも、今ならクレアの時の様に罵声を浴びないだろうし……それに、この街の領主さまは、お前だろう。お前がほったらかしにしていたせいでも、あるんじゃないか?」
「私はほったらかしにしてはいません! ギルドに依頼して街の運営に関する話し合いの報告を受けています。今は街の人たちが一丸となって頑張っているので、敢えて関わらない様にしていたのです」
「そうなんだ……でも、自主性を重んじるのは分かるけど、挨拶くらいはしても良かったと思うぞ。今は街の復興に必死で目が向かないかもしれないけど、落ち着くと悪い事を企むヤツが出てくると思う。今も気づかないだけでいるかもしれないし、人は感情を持つ動物だと言われるけど、『七つの大罪』って言葉もあるだろう。自由を尊重しつつも、さり気なく不正に対する抑止力をチラつかせるのも、為政者として大切だと思うぞ」
アリーシャは俺の人気に絡んできた上、得意気に自分の胸の内を語ったつもりが、俺の言葉に反論出来ずに悔しかったのか、口元を引き攣らせる。
「……そ、そうかもしれませんね……ですが、心配無用です。この街には破廉恥ではありますが、影の英雄と呼ばれる強力な抑止力が存在します。実際に強力かは分かりませんが、人々の心の中で思われている事なので、それは絶大でしょう……ところで今、『七つの大罪』と言いましたが、どういう意味ですか?」
アリーシャは余程悔しかったのか意地悪な事を言い出して、今度は俺の顔が引き攣る。
話のタネのつもりで口にした言葉を突っ込まれ返答に困ってしまう。
これはこの世界にはない宗教的な意味合いを為す言葉であったのだ。
「そ、それはだな……俺の国と言うか、他の国から伝えられたことなんだ。人には感情があるだろう。喜び、怒り、哀しみ、楽しい、愛、憎、欲と七つの感情があるのは知ってるか?」
俺は一瞬言葉に詰まったが、ヘーベに初めて会った頃を懐かしく思いながら説明する。
「はい、具体的に何かまでは考えたことはありませんが、そのくらいだと思います……。カザマは色々と物知りですが、祖国では神官を目指していたのですか? エリカから引き篭もりと聞いたことがあったのですが、厳しい修行に耐えられなかったのですね。カザマは以外と繊細ですから、何となく腑に落ちました」
アリーシャは既に表情が穏やかになっており、優しい眼差しが俺の自尊心を刺激した。
「ぷふふふふ……カザマ、神官を目指していたのね。私たち程ではないけど、精霊たちから愛されている理由が分かったわ」
アウラが口を挟み、ここで頬を膨らませた理由が分からず腹が立つ。
だが、元々アウラはメルヘンで、何を考えているか良く分からないので聞き流す。
「俺は神官でなくて、前から言っているがニンジャの子孫だ。ニンジャについては何度も説明したから言わないぞ。それで、さっきの感情の続きだが、感情の中に良い感情と悪い感情があるよな。その悪い感情は七つに分類されるんだ……暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬と誰しも心当たりはあるだろう。人は何かの拍子に、そういった悪い感情に流されてしまうことがあるんだ。だから、俺は人がそういった感情に流されない様に抑止力が必要だと思ったんだよ」
俺の説明にアリーシャとアウラだけでなく、クレアまでも足を止めてしまう。
三にんとも瞬きもせずに俺を見つめているので、驚きの様子が伝わってくる。
「兄さん、普段からヘーベの折檻が厳しいと思っていましたが、人の身でありながら神に近づくための試練を受けていたのですね。それでも、私はここまで人間離れした方とは思いもしませんでした」
「私は少し違うと思うわ。北欧の人たちも言っていたの……カザマは遠くの国の神さまだと思うわ。日頃アレスやヘーベだけでなく、初めて会う女神さまに対する態度が、人間にしてはあまりに不遜だもの。神さま以外あり得ないわ」
クレアとアウラが声を上げ、俺は周りの視線も気になり返す言葉もなく戸惑う。
しかし、アリーシャが静かに口を開く。
「……なる程、流石は賢者さまですね。知識だけは凄いですよね……ですが、知識だけで実践までは出来ないみたいですね。いつも綺麗な女性を目にするとヘラヘラして、破廉恥なこともしてますよね。それにギャンブルはしないと言ったのに、闘技場では大層な大儲けをしたではありませんか。それから、この前とうとう私に対しても行いましたが、アウラには頻繁ですし、女神さまにまで癇癪を起こしてますよね。それにたまに格好をつけて痛い目に遭ってますが、傲慢かもしれませんね……おやっ!? 色欲、強欲、憤怒、傲慢に当て嵌まってますよね。そんな人が神さまの筈がないですよね」
「や、やかましい! そんな言い方はないんじゃないか! 俺は今までアリーシャは特別だと思って……!?」
俺はアリーシャのあまりの言い草にまたも向きになってしまうが、意識を失った――。




