3.ヘーラクレスとの戦い
西のゲートから闘技場に現れた俺に対して、
「生きて帰れると思うなよ!」
「死ねー!」
「天罰を思い知れ!」
容赦のない野次が飛び交う。
俺に対しての悪印象は、アテナさまの盾に対するものだろうが。
アテナさまが許してくれたし、そもそも俺は悪くないのである。
だが、これだけ俺に対する野次が酷いと、みんなが俺のために声援を送り辛いのでは。
観客席を見渡すと、そんな俺の心配を余所に無人のブースの中から声が聞こえる。
「カ……極東の男、ここでも儲けるっす!」
微妙に俺の名前を言い掛け、ザグレスの闘技場と同じ様な声援にビアンカだと分かる。
そこが神さまのブースだと分かったが、神さまの力で姿を見えなくしているのだろう。
俺に対する声援はビアンカだけだが、四面楚歌の状態に心細く感じていた俺に少しだけ勇気が芽生える。
俺はゆっくり足を進め、ヘーラクレスの前で足を止めた。
「怖気づいて逃げ出すと思っていたぞ」
「年長者に対して、その口の聞き方は感心しないな。俺はお前が帰ってから、アテナさまの神殿に呼ばれて拝謁した。そこで、お前に勝つ約束をしたんだ」
俺はアウェイな不利の状況から、少しでも精神的優位に立とうとヘーラクレスを揺さぶるが。
「はあっ!? お前の様な不遜な者が、神殿に呼ばれる訳がないだろう! 我らの女神を冒涜するのも大概にしろ!」
ヘーラクレスは柳眉を吊り上げ声を荒げた。
観客席では俺とヘーラクレスの駆け引きの様子が窺えるが、大声援で声まで届いていないようだ。
俺は鼻で軽く笑って見せると、俺が見た事実を伝えた。
「ふっ、自分の女神を置いて、苦手なヘーラさまの前から逃げ出したお前には分からないか……。アテナさまの礼拝堂には、アテナさまの像が槍と盾を持っているだろう」
ヘーラクレスは俺の指摘を受け、顔を真っ赤にして身体を震わせる。
「ぶ、無礼だぞ! わ、私は逃げた訳ではない……それに、アテナさまの礼拝堂の中のことは、ヘーラさまかアレスさまから聞いたのであろう」
「本当の事を言われたのに、それが自分にとって不利なことだからと言い訳をし、事実から目を背けるのは感心しないな。それに格上の女神であるヘーラさまがアテナさまの礼拝堂に足を運ぶ訳がないだろう。アレスに到っては、最近まで敵対関係にあったんだ。神々の名前を不当に語り、嘘を言っているお前の方が無礼じゃないか。俺が後から付き添ってやるから一緒に謝るぞ」
俺は嘘をつくヘーラクレスを注意して、更に大人の余裕を見せるかの様にリップサービスを行った。
ヘーラクレスは奥歯をグッと噛んで相貌を歪めたまま、何も言わなくなる。
初めはニンジャらしく精神攻撃を仕掛けたつもりであったが、途中から年上らしくヘーラクレスを叱ってしまった。
同じ思春期の男子として素直になれないヘーラクレスに対して、温かい眼差しを向ける。
そこへ、係りの人らしい人が台車を引いて現れた。
台車がヘーラクレスの前に止まり訝しげに見つめていると、台車の中には数種類の武器が積まれており、その中からヘーラクレスが両刃斧を二本手に取る。
「おい、お前、そんなに得意な武器があるのか? それに、何でその武器を選んだんだ? 何だかお前の外見のイメージと合わないな。ペールセウスの様にいかにも騎士が好みそうな剣を使うと思っていたが」
「う、うるさい! お前の挑発には乗らないぞ! ペールセウス殿が、お前は卑怯な攻撃を当たり前の様に仕掛けてくると言っていた。どの程度のものかと思っていたが、まさかここまで腹立たしい男だとは……。お前には、私の武器の中で一番破壊力のある『ラブリュス』で、お前の武器を破壊した後で殺してやる」
俺の気遣いをヘーラクレスは見事に裏切ってくれたが、その原因がペールセウスにあると分かると、俺の堪忍袋の緒は切れた。
今まで散々無駄な犠牲を出さない様にと気を使ってきたが、力の差が分からないばかりか、子供であるヘーラクレスにまで俺の悪口、しかも嘘を吹き込んでいたのである。
(次に会った時は必ず報いを受けさせる……)
俺はヘーラクレスとの戦い前でありながら、ペールセウスに憤った。
『ドーン!』
ここで戦いの開始を告げる銅鑼が鳴り、俺は完全に不意を衝かれる。
ヘーラクレスが柳眉を吊り上げ激怒した状態のまま、俺に突進した。
「へっ!?」
俺は突然目の前に姿を現したヘーラクレスに驚き、素っ頓狂な声を上げる。
かろうじてヘーラクレスの斧を刀で受けたが、力なく闘技場の壁まで吹き飛ばされた。
『ドォォォォォォォ――ン!』
『オオオオオオオオオオオオオオオオ――!!』
ヘーラクレスの攻撃に観客は総立ちになり、吼える。
俺は壁に身体を叩きつけられたが、破廉恥魔法が起動し。
風の障壁とニンジャ服のフードとマスクが装備され、不意を衝かれたもののアレスの加護に守れダメージは小さい。
しかし、ヘーラクレスの力と素早さが想像以上であったとはいえ、大きな隙を見せたのは俺の心構えが原因である。
精神的優位に立つために揺さぶりを掛けた筈が、思わずお兄さんぶった態度を取ってしまったのが仇となった。
それに、ペールセウスの卑劣さにペースを狂わされてしまう。
(アレスに助けられたが、ニンジャが心を乱されるとは……)
俺は、闘技場中央付近で口端を吊り上げているヘーラクレスを睨みながら、ゆっくりと立ち上がる。
(ヘーラクレスのヤツ、俺に対しての対応がやけに攻撃的だが、今は俺を倒す絶好の機会だった筈……。中央から動かずに余裕あり気な様子だが、自分を強く見せたいと思っているのだろうか。それとも、俺に対して何かしらコンプレックスを抱いているのか……)
俺は吹き飛ばされたことで、逆に気持ちが落ち着きヘーラクレスの精神面を分析した。
破廉恥魔法をキャンセルさせると、ゆっくり中央付近に歩み寄りヘーラクレスの間合いに入る。
俺は右手に握った刀の刃先を力なくぶらつかせ、左手を挙げると自分の身体に向けて手招きした。
ヘーラクレスの柳眉が寄り、突進すると左右の腕から斧が振り下ろさせる。
俺は刀を両手で持つと、下段から刀を振り上げた。
甲高い金属が二回響き、目の前に火花が舞う。
俺の斬撃はほぼ同時に襲い掛かる二つの斧を受け止めた。
ヘーラクレスは自分の斧が受け止められたのが意外であったのか、双眸を見開く。
俺は歯を食い縛り、相貌を歪めながら口を開く。
「力はお前の方が上だと思う……だが、お前の攻撃は軽い。……何故だと思う?」
「減らず口を……また姑息な事でも考えているのだろう」
俺の事を卑怯者だと信じて止まないだろうヘーラクレスに、更に話を続ける。
「お前は誰かに戦いを教わらなかったのか? 今の攻撃を見てすぐに素人だと分かった。左右の武器を同時に振るって、力の入った一撃を放てる訳がないだろう」
「う、うるさい!」
俺の言葉に、今度は明らかに動揺した様に見えた。
ヘーラさまの話題をした時と同じ様な反応をしたのだ。
ヘーラクレスは後ろへ大きく跳び、間合いの外に移動する。
その表情から先程までの余裕は見られず、相貌が引き攣って見えた。
俺は先程と同じ様に右手に握った刀をぶらりとさせ、左手で手招きをする。
「ば、馬鹿にするなー!」
ヘーラクレスは両手の斧を胸の前に交差させる様に構えて突進した。
今度は右手の斧を大きく振り上げ、
「おおおおおおおおおお――!」
声を張り上げ右手の斧を振り下ろす。
野球の遠投をする様な大きな動作に、動きの素早さは然程関係ない。
俺は刀を両手で握ると下段の構えから下半身の力を使い、歯を食い縛ってヘーラクレスの斧を弾いた。
ヘーラクレスは右手の斧を上方に押され、身体が仰け反り、一瞬の硬直を起こす。
俺はこの隙を逃さない。
中段の構えから地面を力強く蹴り、一足飛びでヘーラクレスの右斜め前、懐まで一気に間合いを詰める。
刀の間合いにしては超至近距離になるが、重心を低くしたまま。
左手を離し、右手だけで持った刀でヘーラクレスの左斧を牽制するかの様に軽く押す。
それと同時に左手を引くが、ヘーラクレスは刀に押された勢いを無理な体勢から押し返そうと歯を食い縛る。
そこへ下半身から上半身へ綺麗に力を伝達させた俺の左コブシが、ヘーラクレスの右顎へと放たれた。
俺の渾身の左ストレートは前方に加重を掛けようとしたヘーラクレスをクリーンヒットさせ、先程のお返しとばかりに後方に吹き飛ばし、競技場の壁に激突させる。
『ドォォォォォォォ――ン!』
競技場の観客の大半はヘーラクレスの勝利を確信していたのだろう。
目の前で起きた状況を理解出来ないのか、先程までの大声援は消え去り、地面に横たわるヘーラクレスを呆然と見つめている。
「カ……極東の男、やったっす!」
姿が見えない無人のブースから声が響き、辺りが騒然とした。
俺はビアンカが大観衆を敵に回さないかと不安を抱くが。
『オオオオオオオオオオオオオオオオ――!!』
突然タイミングを計ったかの様に大声援が響き渡る。
俺は訝しげに観客席を見渡す。
「極東の男、顔が厳ついだけで貧相な格好だと思ったが、強いじゃないか!」
「極東の男、卑怯者で実力はたいしたことないと聞いていたが、やるじゃないか!」
「極東の男、大穴でお前に賭けて良かったぞ!」
あちこちから俺に対する言葉が飛び交うが、ヘーラクレスが言っていた事と似ていた。
俺は自分に対する悪印象は情報操作で意図的に行われたものであり、ペールセウスの仕業であると理解する。
(あのオヤジ! やってくれるじゃないか! 将軍として才能があると聞いていたが、国民に嘘の情報を流して洗脳したのか。アイツの方がよっぽど卑怯じゃないか……)
俺は観客の声援に答える様に左拳を高く突き上げたが、怒りを抑えるのに必死で顔を引き攣らせた。
そして、十秒に満たない僅かな時間で、ヘーラクレスが手足を動かし始めたのに気づく。
クリーンヒットをさせたが、顎を砕く手応えはなかった。
俺は静かにヘーラクレスを見つめる。
ヘーラクレスを覆っているライトアーマーがダメージを軽減させたのか、大きな外傷は見られない。
立ち上がろうと身体を起こそうするが、すぐに立てないのは俺のコブシによるダメージか、壁に後頭部をぶつけたせいで脳が揺れたのであろう。
美しい相貌を歪めて歯を食い縛り必死に立ち上がろうとする姿に、ヘーラクレスの気概を感じる。
観客席から俺への声援だけでなく、ヘーラクレスへの声援も再び起こった。
「立て! 立ってくれ!」
「ヘーラクレス、信じているぞ!」
単純な言葉が多く聞かれ、観客の純粋な気持ちが伝わってくる。
観客の声援に後押しされたのか、ヘーラクレスはふらつきながらも立ち上がった。
そして顔を横に振ったり、太股を叩いたりとダメージを気合いで振り払う仕草を見せる――




