1.帰港と喧嘩
――異世界生活七ヶ月。
モミジ丸はクレタン島での追撃を振り切り、六日間掛けベネチアーノへ帰港した。
船が港に入ると、街の人たちが歓声を上げて迎える。
手が空いているクルーたちが街の人たちに手を振り答えた。
街の人たちの歓声が途中から変わる。
「極東の男がいるぞ!」
一人の男が目敏く俺を見つけ、声を上げた事により事態は急変した。
『おおおおおおおおおおおおおおおおおお――!!』
俺を一目見ようと人々が集まり、港がごった返しになり大声援が起こる。
クルーたちは人々の豹変振りに困惑した。
モミジ丸は無事に接舷したが、船長はこれからどうするか戸惑っている様子。
「艦長、俺がいると騒ぎになるから、アーラでヘーベルタニアの街まで帰ります。後の事は任せてもいいですか?」
「えっ!? もう騒ぎになってますよ! この状況で逃げるのですか? まあ、人々に分かる様に居なくなってもらった方が、事態は沈静化すると思いますが……それから、私は船長です」
艦長の話を聞き、頬を掻いて誤魔化したが、コテツとアレスの視線が突き刺さる。
それから艦長も、大分俺とのやり取りに慣れたのか突っ込みを入れる様になった。
俺はブリーフィングルームに移動し、みんなを集める。
――ブリーフィングルーム。
俺はみんなの顔を眺め、口を開く。
「今回の作戦を無事に終える事が出来た。みんなの活躍に感謝……!? イッテー!」
俺は左手を振りながら、アレスを睨む。
「ねえ、君、分かったから、そういう前置きはいいよ。早く話を進めて」
アレスは俺を無下に扱いつつも表情は嬉しそうである。
みんなも何か言いたそうであったが、アレスの言葉を聞き我慢しているようだ。
「本当は今日くらい、街で休んで帰ろうと思ったけど……俺のせいで……その、スマナイ。騒ぎになってしまったから、行きと同じ様にすぐに教会へ帰ろうと思う。みんなはどこかで寄り道して羽を伸ばしてもいいけど、教会への報告は一応みんなでしたいと思うんだ。みんなの力で依頼を果たしたから……」
俺はみんなに謝罪と今後の事を説明し、照れ臭くなり頬を掻いた。
顔の腫れはエリカに殴られた分は引いた様だが、未だに残ったままで微かに傷む。
「そうね……確かに、今回は私の活躍が一番だった訳だし、マー君だけ偉そうに報告とかあり得ないし、殊勝な心掛けだと思うわ」
「エリカ、まだ怒ってるのか? 確かに新しいスキルも覚えて活躍したみたいだけど……当初の予定では、エリカは二体を討伐する筈だったよな?」
得意気に頬を緩めるエリカに、若干苛立った俺が突っ込むと、エリカは柳眉を顰める。
「だって、顔が二つもある犬よ! あり得ないでしょう! それにゲーリュオンは腰の辺りから三つの身体が生えていて、変てこな騎馬みたいだったわ! 見た目で言えば……ゲーリュオンの方がキモかったけど、私が倒したのよ。しかも六剣流の使い手で、私の二刀流より格上だったわ……少なくともマー君よりは、強い筈よ」
エリカが誤魔化そうと俺の名前を出した事に益々苛立ち、話を蒸し返す。
「ほーっ……強敵だったのは分かったが、俺を引き合いに出さなくてもいいと思うが……それにオルトロスは結局、どうしたんだよ?」
エリカは俺に問い詰められ返す言葉がなかったのか、
「マ、マー君のくせに……」
顔を赤く染めて俺を睨み、またも俺の胸倉を掴んできた。
「自分の都合が悪くなると、お前はすぐに癇癪を起こすよな! それも俺に対してだけ! 俺が今まで、どれだけお前に振り回されてきたと思ってるんだ! もういい加減、こういうのは止めてくれよ……」
俺は我慢出来ずにこれまで何度も言い掛け、最後まで口にしなかった言葉を口にしてしまう。
しかも最後の一言は、願いを込める様に呟いた。
アウラとビアンカがエリカを止めようとしていたが、ふたりは戸惑い動きを止める。
エリカは俺の言葉が響いたのか、反省したかの様に俯く。
俺の胸倉を掴んだままだが、先程までの力はない。
簡単に振り払う事は出来るが、エリカの身体が小刻みに震え。
俯いている顔から滴が床に落ちた。
俺は反省している様なので、以後改めるなら許してやるつもりでいたが。
エリカは顔を上げ潤んだ瞳で俺を睨みつけ、
「……マー君の馬鹿!」
俺を怒鳴りつけると思い切り俺の顔面を殴り、部屋から飛び出した。
「カザマ、今のはカザマが悪いわ! 女の子にあんな酷い事を言うなんて!」
アウラは柳眉を吊り上げ俺を睨み、エリカを追い掛ける様に部屋から飛び出す。
俺は殴られた衝撃で片膝を床に着け、アウラの後ろ姿を見つめ呆然とした――
しばらくして、アリーシャが口を開く。
「カザマ、幼馴染で打ち解けた関係なのは分かりますが、暴言が過ぎたと思います。しかも、あんなに向きになって怒鳴られたら私も傷つきます。二人の関係に立ち入るつもりはありませんが……親しい間柄だからこそ、あの様な発言をしたのですよね? 他人に、あんな暴言は吐きませんよね? それなら、せめて自分の発言に対する謝罪は必要だと思いますよ」
既に殴られた衝撃はなくなっているが、アリーシャの話を膝を着いたまま呆然と聞いた。
初めて会ってから七ヶ月くらい経ち、成長期のアリーシャは以前と比べ身長も体型も大人になりつつある。
最近二人で話す機会が少なかったせいか、余計に成長の程を感じたが。
それ以外に、ヘーベとは違った高貴な風格と温かみを漂わせる。
リヴァイは当然の様にアリーシャの傍にいて、コテツとアレスも俺たちを見つめていた。
ここで、これまで大人しくしていたビアンカが口を開く。
「アタシには良く分からないっす。エリカは確かにオルトロスから背を向け、アタシに任せたっす。初めからそれを話せば良かったと思うっす。エリカが弱い自分を認めるのが嫌で、言い訳したのがきっかけっすよね? カザマだけを責めるのは可愛そうだと思うっすよ」
時折瞬きしながら当然の様に、ビアンカはこちらを見つめている。
俺とアリーシャは瞳を見開き、呆然とビアンカを見つめ返す。
「ビアンカ、お前って……本当に揺ぎないな。お前のそういうところは、何だか女の子なのに男らしくて好きだ……だけど、あまり俺ばかり庇わなくてもいいぞ。俺が仕出かしたのに偉そうな事を言うが、人は一人で生きている訳ではないだろう。互いを尊重したり、共感したりとか、そういう気持ちが大切じゃないかと……さっき、アリーシャはそういう事を遠回しに教えてくれたんだ。――でも俺は、いつもビアンカが俺の味方でいてくれて嬉しいよ。ありがとう……」
俺はビアンカに頭を下げた。
ビアンカはみるみる頬を赤く染めると顔を背けたが、尻尾は左右に揺れている。
アリーシャも笑みを浮かべ、ビアンカを見つめていた。
「……そ、それじゃ、エリカに謝ってくるかな……!? そう言えば、いつもなら電流が流れる場面だと思ったのですが、さっきはどうして?」
俺は扉に向かい掛けた足を止め、アレスに視線を向ける。
「ねえ、君、君は僕の事を何だと思っているんだい。不遜だと咎めたくなるよ。前にも言ったけど、格好をつけた訳ではなく、君が気持ちを込め男らしく発した言葉には反応しないよ」
アレスは相変わらず言葉とは裏腹に、笑みを浮かべたまま説明してくれたが。
確かに、以前も同じような事を言った……。
(普段は子供っぽくても、たまに神さまの威厳を感じるんだよな。ちなみに、ドエスのヘンタイではあるけど……!?)
「イッテー! スミマセン……」
俺の心は読まれ、余計な事でまたも電流を浴び、左手を振る。
「ねえ、君、余計な事は考えなくもいいから、早く行きなよ」
アレスは明らかに嬉しそうな笑みを浮かべている。
アリーシャとビアンカも先程までとは打って変わり、互いに顔を合わせ笑みを浮かべた――。
俺は船の中を移動し、エリカの部屋の扉を叩く。
「エリカ、ちょっと、話があるんだけど……」
「……何か用かしら」
扉が開き、エリカを追い掛けたアウラが返事をしたが、明らかに機嫌が悪そうだ。
「さっきは俺が悪かったと思って、謝りに来たんだ……」
俺はアウラがいることもあり、決まりが悪くて頬を掻いた。
「私、マー君がそうやって頬を掻く時、疚しい事があるって知ってるんだから……どうせ、またアリーシャに言われて来たんでしょう?」
「私もそう思うわ。カザマは何か企んでいたり、隠し事とかがある時、頬を掻くの」
「はっ!? い、いや、アウラもいるし……改まって謝るのが照れ臭くて……確かにアリーシャにも叱れたけど、ビアンカには別の事も言われたんだ」
俺はアウラの言葉は聞き流し、ややこしくなるのでビアンカの言葉は伏せることにする。
「……やっぱり、そうじゃない……もういいわ」
エリカは呟いたが、半分くらいは誤解しているようだ。
だが、この様子では、今何を言っても分かってもらえないだろう。
俺はそれでもしっかり謝っておくのは必要だろうと頭を下げるが、
「エリカ、さっきは悪かった」
無情にも返事はなく、扉は閉められた――
俺は、コテツにエリカとアウラを任せ岐路に着く。
アーラには俺とアレス、ルーナにはビアンカとアリーシャとリヴァイが乗っている。
一度臍を曲げたエリカは当分機嫌が直らないので、放置することにした。
俺たちは冬の寒い上空を無言で、ヘーベルタニアの街に向かっている。
船を飛び立つ時、極東の男に対する歓声が沸いたが耳に入らなかった――。




