5.女神の盾と決断
俺はその素晴らしい名言に、俺の国の言葉だろうという突っ込みを入れなかった。
世界はバランスを崩して、イレギュラーが起きていると教えてもらっている。
ボルーノのユカタとか、この世界には不思議なことがあった。
戦いの最中に気を乱してならない。
俺はこれまで同様に、ペールセウスに攻撃を与えつつ考えた。
(まさか個人としての力はそこそこで、指揮官として英雄になったとは……体力だけは常人離れしているが……)
ここで俺はこれまでと違い、刀を振り被る刀身に意識を高める。
そして、刀身に分子を分解する意識を載せた。
(ディカムポジション)
切っ先が加速し、刃が盾に触れる。
しかし、刀は盾に阻まれ、俺の身体が初めて硬直した。
「……はっ!?」
「!? 待っていたぞ! この時を……」
ペールセウスは吼え、剣を振るう。
俺は顔を歪め、剣から逃れようと脳裏を過ぎるも。
刀から右手を離し、右肘を後方に引き、逆にペールセウスに近づく。
ほぼゼロ距離まで接近し、俺は右肘を相手の顎に振り上げカウンターを浴びせた。
ペールセウスの剣は空を切り、そのまま力なく膝を着く。
『あーっ!?』
部屋の外の騎士から驚愕か、嗚咽にも似た声が漏れる。
俺は起死回生の一撃をニンジャとしての体術で与えたのだ。
右手を再び刀に運び、両手で刀を握ると。
「はあーっ!」
ペールセウスの振り終えた剣に斬りつけた。
『カ――ン……』
音もなく真っ二つに斬られた剣先部分は、室内に落ちて鳴り響く。
ペールセウスは震える身体を鼓舞するかの様に、折れた剣と盾を床に突き立てる。
そして、眦を吊り上げ立ち上がろうとした。
だが、俺は身体の自由が利かないだろうペールセウスの隙を衝く。
(ディカムポジション)
再び盾にスキルを浴びせるも刀は弾かれる。
ペールセウスは歯を食い縛り、俺のスキルによる斬撃を受け止めた。
(やはりこの盾は変だ。強力な素材を加工して作られた盾ではなく……もしかして、単一素材を削って作った盾なのでは……)
俺は再びの硬直の最中に、声には出さず呟いた。
しかし、このスキルが通じないと残るスキルでは、ペールセウスを殺してしまうかもしれない……。
俺が一瞬戸惑っていると、ペールセウスの膝が浮く。
体力だけでなく耐久力も高いのか、ペールセウスが立ち上がろうとしている。
ペールセウスの姿を目にして、小さく笑みを溢す。
俺は人を殺した事がある。
だが、それは敵が自分だけでなく、他の無力な人々を殺そうとしたため仕方なく行ったのだ。
出来れば人を殺したくない、その気持ちは変わらない。
しかし俺は、必死の形相で立ち向かって来ようとするペールセウスに対して、覚悟が足りないと気づかされる。
いつもは逆の立場であるが、その分危機感が足りなかったのか。
俺はグッと奥歯を噛み覚悟を決めると、左手を刀から離して力を抜く。
「はっ!? 今度はどういうつもりだ……」
ペールセウスの瞳が見開き、声が漏れる。
部屋の外からも同じ様なざわめきを感じた。
俺は左手に意識を集中する。
そして、盾に向かって掌を突き出す。
(ディカムポジション)
盾に触れると同時に、自分の左手にスキルを発動した。
『ジュ――!』
左掌が焼ける様に熱く、実際に焼けているのかもしれない。
「ああああああああああああああああ――!! イッテーっ!!」
堪らず悲鳴を上げたが、盾に接触したのは数秒だ。
盾から手を離すと、左手を振った。
自分で攻撃して自滅する様に痛がる俺に、ペールセウスの目と口が開き動きを止める。
「……はっ? お、お前は、何を……」
剣を破壊され困惑していることもあってか、俺を倒す絶好の機会を逃す。
「はあーっ!? な、何だ、これは? お、お前は、何をしたー! た、盾が……」
ペールセウスはアテナさまの盾を見ると驚愕して、身体を震わせ口篭る。
そして、再び力なく膝を着いた。
「おい、お前! 何をしたー! ペールセウスさま……」
部屋の外から叫び声が発せられる。
それから同じ様な叫びと、ペールセウスを労わる声が響く。
俺は盾の破壊を諦めたのだ。
体力だけでなく耐久力も高いペールセウスは、アテナさまの盾を離さないだろう。
先程と同様に素手の攻撃を連続で浴びせたら、不意に盾を手放すかもしれない。
盾を破壊出来ないなら、奪うという選択肢が頭を過ぎった。
だが、ペールセウスは、どこまでも追い掛けて来るであろう。
それに、ヘーラさまから依頼を受けているとはいえ、アテナさまから天罰を受けるかもしれない。
結局俺は、伝承通りであれば盾を鏡の代わりに使う事を思い出し、鏡の機能を失くせば良いと考えた。
ペールセウスから盾を奪う訳でなく、戦いの中で損傷を受けるのなら文句はあるまい。
幾ら女神さまの盾とはいえ、それが盾本来の用途である。
俺は自分の左手の周りにスキルを発動したのではなく。
自分自身の左掌表面に薄くスキルを発動させたのだ。
自分の左掌を分解して、皮膚を失うだけかもしれないと思ったが。
強くイメージした甲斐があってか、盾の表面の一部を俺の皮膚で加工させる事が出来た。
盾には、俺の左掌の跡がくっきりついている。
盾を鏡代わりに使うには視界が悪い、ペールセウスの戦意も消失していた。
ペールセウスを倒した訳ではないが、依頼は果たしたであろう。
顔を歪め、盾を見つめるペールセウスは動かない。
「……おい、戦いの最中に起きた事だ。盾なのだから、傷ついたり、汚れるのは当然だろう? お前が悪い訳ではないだろう? 運が悪かっただけだ……約束通り、俺が代わりにメドゥーサを倒してやる。ヘーラさまから他の国からの刺客と鉢合わせになった際、俺が倒せば、倒した名誉は譲っても構わないと言われている。メドゥーサは焼き殺す手筈になっているから、遺体は燃えて塵と化したと伝えろ」
俺はペールセウスを労わる言葉から、弁明の言葉を掛けた。
更に勝者としての名誉までも譲ると伝え、破格の条件を提案する。
ペールセウスは俺の声に反応し、こちらを見上げたが話を聞きながら身体を震わせた。
優しい言葉に感動したのであろう。
俺はアウラ程ではないが胸を張り、小さく笑みを溢した。
「……ば、馬鹿にするなー! 神から預かった盾なのだぞ! お前の汚い手跡をつけて返せるか! それに、自らの名誉を他者へ譲る間抜けがいる訳がないであろう!」
ペールセウスは余程怒りを覚えたのか、潤んだ瞳で俺を睨みつけている。
「はあっ!? 馬鹿とは何だ! 俺は事実を言ったまでだ! 形ある物が傷ついたり、壊れたりするのは仕方ないだろう? それに、俺もヘーラさまから言われたことを伝えたんだ。俺も初めは耳を疑ったが、この様な状況を見越して、お前に対して譲歩されたのではないか? これだけの口実があるんだ、咎められることはないだろう。それにお前は、俺に負けたんだ。約束通り引き上げろ」
俺は馬鹿にされて、幾分逆切れしてしまったが、更にペールセウスを問い質した。
ペールセウスは立ち上がると、俺から顔を背けたままゆっくり部屋の外へ向かう。
俺はペールセウスの後姿を見て、安堵したが。
「……覚えていろ……この屈辱、忘れぬぞ……」
ペールセウスの呟きを聞き、身震いした。
自尊心の高い者程、一度芽生えた恨みや嫉妬の類の感情は高い……。
(アテネリシア王国の俺に対する懸賞金って……)
俺は後々の事を考え、始末するべきかと脳裏を過ぎるが留まった。
今の俺は極東の男であり、カザママサヨシではない。
俺はヘーラさまの依頼を果たしただけだし、悪くない筈なのだ――。
ペールセウスが兵を連れて、船で帰還する様子を離れた場所から確認する。
そして森の中から隠れていた人々が姿を現した。
集落に歓声が沸く。
『おおおおおおおおおおおおおおおお――!』
「極東の男、ありがとう!」
歓声の後に、俺を湛える言葉が投げ掛けられる。
俺は左手の激痛を誤魔化す様に、頬を掻き僅かな痛みを感じながら屋敷へ向かった。
屋敷の玄関前には、女王であるメドゥーサが近衛兵を従える様に立っている。
「あーっ……極東の男。良くぞ、外敵を追い返してくれました……!? 手に酷い怪我を……」
「そ、そんな、たいした事はしてません。そもそも誤解から生じた事ですから……!? 一応、再び襲撃されない様に手を打ったつもりですが……念のため、今後も身を隠した方が良いでしょう」
熱い眼差しを向ける女王さまに、俺は頬を掻きながら返事と今後の事を話した。
女王さまは笑みを浮かべたまま頷く。
そして屋敷に入り、簡単な手当てを受ける――。
夜になると、集落は大いに盛り上がり祭りの様に盛り上がった。
男たちは酔っ払い、女たちは踊り、華やかな光景が広がる。
俺は女王さまの隣の席で賓客として扱われた。
ご馳走を食べるが強いお酒は飲めないので、酒場で飲んでいるビールを飲んでいる。
隣に座る女王さまが、不意に顔を近づけた。
「……今晩、暗くなったら私の部屋に来て下さい。お礼があります……」
俺の耳元で呟き、俺は返事が出来ずに頬を緩める――
祭りが終わり、部屋に戻った俺は迷っていた。
女王さまの誘いを受け、部屋に行くべきかと……。
気持ち良く酔っ払った俺はベッドの上に仰向けになり、腫れている顔に熱りを感じながら天井を見上げていた――
目を開けると何故か俺は立っていて、ふらついてしまう。
先程までベッドで横になっていた筈で……しかも酔っ払っていない。
戸惑い辺りを見渡すと、周囲の景色は変わっている。
俺の目の前にはヘーラさまが座っており、隣にはアレスが立っていた。
「はっ!? な、な、何ですか? いきなり違う世界に転移させて……俺がやっと落ち着いたと思ったら、元に戻されるしどうなって……!? イッテー!」
俺は思わずヘーラさまに文句を言ってしまったが、左手首から電流が流れる。
俺は左手を振りながら、左掌の痛みに顔を歪めた。
「アレス、確かにカザマは無礼ではありますが、私との約束は果たしました。この態度は個性だと思い諦めるとしましょう。それから、治療でしたね」
ヘーラさまの話を聞き、微妙な言葉に首を傾げる。
「……はっ!? 痛くない……」
俺は左掌の痛みが消え声を漏らす。
慌てて治療してもらった包帯を外したが、怪我は何事もなかったかのようになっている。
女神さまの力で治癒魔法を掛けてもらったのか、それとも元に戻ったのか驚愕した。
「……さて、カザマのことは良く分かりました……ですが、そろそろ戻った方が良さそうです。お礼は近い内に差し上げることにします。アレスも構いませんね」
「うん、僕は構わないよ。今回もカザマの活躍には楽しませてもらったしね」
ヘーラさまとアレスは、俺が困惑していることを良い事に勝手に話を進める。
「あなたの動きが察知され、アテネリシア王国から船が動いています。再会を楽しみにしていますよ……」
ヘーラさまは俺に微笑み、姿が消える瞬間にウインクしたような……。
俺はアレスと共に、元の廃墟と化した宮殿の玉座の間いた。
「はあっ!? また、景色が変わりましたよ」
「うん、ヘーラの間から転移したようだね」
相変わらずの笑みを湛えるアレスに対し、俺は突っ込みたいことが満載である。
ちなみに一番初めに知りたい事は、ヘーベは召還しか出来ない。
何故ヘーラさまは細かな転移が可能なのか、問い質したかった。
だが、それよりも優先度が高いことがある。
(リヴァイ、今、元の世界に戻り、宮殿にいます。そちらは変わりないですか? 出来れば、俺のお迎えを誰かに頼みたいのですが)
(おい、お前、今まで何してたんだ! あれから一週間経ったぞ! 何をしていたか知らないが、まめに連絡しないと心配するだろう! 子供みたいに、ふらふらと……!? 俺は心配してないぞ!)
俺はリヴァイの返信を聞き、言葉が出ずにアレスを見つめた。
アレスは自分に聞くなと言わんばかりに、微笑を湛えたまま両掌を顔の高さまで上げる。
(リヴァイ、スミマセン……ヘーラさまに過去に転移されて、俺にも詳しいことは分からないんです。兎も角、アウラに迎えをお願いします。俺はこれから宮殿を出るので、先に待ってますから)
俺はリヴァイとの念話を終えると、笑みを浮かべたままのアレスを連れ外に向かう。
宮殿の外に出ると、陽は高く真冬である事を考えると昼前後だと分かる。
俺はアレスに宝石に戻ってもらうと集落の中を走った。
途中で見覚えのある大きな屋敷を見掛け、速度を落とし敷地の中の様子を窺う。
丁度、玄関が開いた。
「行ってきまーす」
黒い髪を揺らし、弾んだ声が響く。
俺と同じくらいの歳の少女が俺とすれ違った。
玄関では母親らしい女性と見覚えのある男が、少女を見送り笑みを浮かべている。
俺はふと女性と目が合った。
男と女性は驚愕したかの様に瞳と口が開き、女性は口元を両手で覆っている。
俺は直ぐに察した。
先程すれ違った少女が二人の娘。
そして、玄関先にいる二人は女王さまと傍にいた近衛兵だと。
俺は目が合ってしまった事と戸惑いから、顔を隠す様に軽く頭を下げ走り去った。
あの後、女王さまは近衛兵と結婚し、庶民のメドゥーサさんとなったのだろう。
襲われる事なく幸せに過ごしているのが分かり、それで十分だと速度を上げる。
集落を抜け森を走り続け、やがて野営地である集合地点に到着した。




