5.初めての魔法
朝食が終わりアリーシャと一緒に食器の片付けをしている。
「なあ、魔法の勉強って、どんなことをするんだ?」
「ふぇっ!? ま、魔法の勉強!? わ、私の場合だと書庫で書物を読んだり、演習場で魔法の練習をしたり、カトレアさんに色々と教えてもらったりです……よ」
俺が漠然とした質問をしたせいか、アリーシャは素っ頓狂な声を上げ。
何か考え事でもしていたかの様に、しどろもどろした返事をした。
「へー……演習場まであるなんて本格的だな。先生は直接教えてくれないのか?」
「モーガン先生は色々と忙しいですし、賢者ですから……ほとんどカトレアさんだけですよ」
今度は普段通りの流暢な話し方だったが、アリーシャの話し方からモーガン先生は凄い人なのだと改めて感じる。
それから、カトレアという人も、それなりに凄い人なのかと思った。
「なあ、カトレアさんって、どんな人なんだ?」
「カトレアさんは、この辺りの領主の娘さんで、貴族ですよ。午前中は魔術の研究をされていて、その合間に私は魔法の指導を受けています。午後からは、この辺りの子供たちに読み書きや算術などを教えていますね。それから、すっごく美人で親切な人だけど……怒ると怖い方ですよ。詳しくはもうじき見えるから、実際に会ってみたら分かります」
アリーシャに色々と教えてもらい、カトレアという人に会うのが楽しみになった。
アリーシャの手伝いが終わり書庫に行こうかとも思ったが。
アリーシャからカトレアさんが来たら呼んでくれると言われたので、部屋でゴロゴロして過ごす。
しばらく天井を見ながら呆然としていたが、アリーシャから声が掛かった。
――書庫。
俺とアリーシャが一緒に書庫に入ると、思わず声を漏らしてしまいそうな程綺麗な女の人が、机に頬杖をつき脚を組んで椅子に座っていた。
その美女は、俺たちの姿に顔を動かさず、目線だけを動かしている。
その仕草も妖艶さを窺わせた。
「来たわね……私は、カトレア・オルコット。十八よ」
ゆっくりした口調で簡潔な挨拶は、大人の雰囲気を醸し出している。
カトレアさんは上品な薄い紫のワンピースを着ており、座っていても分かる程の美しい豊満な体型。
碧い瞳に少しウェーブが掛かった金色の髪が腰の辺りに達している。
そのくびれた腰からお尻までの美しいラインも伝わってくる。
(なるほど、モーガン先生の話題にも出て、アリーシャが美人と強調したのが分かった。ヘーベの神々しい美しさとも違うな。身体の色々なパーツが女性らしさを感じ……そう、色気を感じる! 妖艶な感じとは、こういうのを言うのだろう……)
俺は声には出さずに頷き、カトレアさんの容姿を評価する。
だが、そんな美女相手でも緊張することもなく。
「初めまして、カザママサヨシ、十五歳です。街の教会の方の紹介で、二日前に冒険者のニンジャになったのですが……遠くから来たので、この国の事や魔法のことが良く分からなくて勉強に来ました。どうか、よろしくお願いします」
俺は、これまで同様に無難に挨拶をした。
カトレアさんは姿勢を変えず、俺の様子を眺めていたが。
「変わった服を着ているけど……白くて艶のある肌をしているのね? 貴方は他の国の貴族の家系なのかしら?」
いきなり予想もしない勘違いをされ、どの様に返事をしようかと戸惑う。
隣で立っているアリーシャも興味あり気に俺を見つめている。
「遠くの国から来たので、少し事情があり、こういう服装をしています。貴族ではないですよ……ところで、俺もカトレアさんと呼んで良いですか?」
俺は無難に返答し、貴族のカトレアさんの呼び方について話をシフトさせた。
「ええ、いいわよ。それではお互いに挨拶も済ませたことですし、今日の予定を話すわ」
俺はカトレアさんの向かいに座り、アリーシャは俺の隣に座る。
書庫は午後から勉強に来る子供たちが座れるように、大きな机と椅子が八つあった。
ちなみに、外には書庫より規模の大きい青空教室があるらしい。
「それでは、アリーシャはいつも通り始めてもらえるかしら」
「はい、分かりました」
アリーシャはカトレアさんの言葉に気持ちの良い返事をすると、書庫の本を読み始める。
「貴方は……カザマでいいわね。魔法の勉強をしたいみたいだけど、私はニンジャという職業を知らないわ。ニンジャはどういう職業なのか……それから、カザマは魔法に対して、何を求めるのか教えてもらえないかしら?」
カトレアさんは俺の名前の確認をすると、尤もな質問をしてきた。
「ニンジャとは……様々な武器を使い、戦い方も様々です。直接的な戦闘以外に、国の偉い人を影で護衛したり、敵地に侵入しての諜報や破壊活動、某術や浸透戦術で敵を混乱させたりと色々なことをします。魔法ですが……『強い力を!』……それからニンジャの特性を活かせるものを求めます」
俺は詳しく説明するのが難しいので簡潔に答えた。
「随分、分かり難いのね? イマイチ理解出来ないけど分かったわ……」
カトレアさんは首を傾げ、何か考えている様だったが了承する。
「それでは、外の演習場に行ってみましょうか」
俺はカトレアさんが立ち上がるのに続く。
カトレアさんは立ち上がると、俺よりも若干背が低い程度だろうか。
俺の身長が一七三センチくらいだから、一七0センチくらいだろう。
立ち上がると美しい体型が際立って見えた。
だが、何なのだろうか……?
アリーシャと同じワンドの様な物の他に、革のロープみたいな物が腰に装備されている。
カトレアさんは俺の視線を気にすることなく、黒いローブを羽織り外に向かう。
俺もその後を続いたが、アリーシャも一緒について来た。
アリーシャは俺のことが気になっているみたいだが、自意識過剰ではないだろう。
――演習場。
俺とアリーシャはカトレアさんの後に続き演習場に来た。
演習場はモーガン先生の家から少し離れた空き地の様な所だが。
森に差し掛かった場所で、周囲に草木が生えてないのは不自然な感じだ。
カトレアさんは俺の方を見ると、
「モーガン先生から魔法について話を聞いたかしら?」
優雅な口調で訊ねてきた。
「はい、色々と詳しく教えてもらいました」
「そう……では、少し手本を見せるわね」
カトレアさんは俺に返事をすると、
向きを変えて、腰のワンドを左手で持ち正面に翳す。
「ガガガガガガガガ―っ!」
カトレアさんから離れた場所から音がした。
そして、地面から土が盛り上がり、背丈の倍くらいの大きさの壁が出来る。
(土魔法を使った簡易的な障壁だろうか? モーガン先生が説明してくれた様に単純なものなら詠唱とか無しで出来るのか?)
俺はその様なことを声に出さず呟いた。
「的を作ったから、次は燃やすわね……」
カトレアさんのワンドの前に火の玉が現れ、土壁に向かって飛ぶ。
「ボボボボボボーっ!」
火の玉は土壁を燃やした。
「もう一度やるわね……『ファイヤ』」
今度は小さく呟く様に魔法を言葉にしたが。
先程より、やや大きな火の玉が現れ土壁に向かって飛ぶ。
「ボっ! ボボボボボボボボーっ!」
先程より強い火が土壁を燃やした。
カトレアさんは、再び俺の顔を向ける。
「今の違いを分かったかしら?」
「はい、実際に言葉にした方が、威力が高くなりました」
俺は初めて魔法を見て、気分の高揚を抑えつつ答えた。
カトレアさんは俺の返事を確認すると。
「……そう。簡単な魔法とはいえ、言葉にした方がより精度が増すと言ったところかしら……それでは手本を見せたことですし、実際にやってもらおうかしら。ちなみに、あなたは魔法に『強い力を!』と言っていたけど、具体的にどんな種類の魔法を想像するのかしら?」
カトレアさんはゆっくりした口調でクール且つセクシーに解説すると、俺に新たな質問を投げ掛けた。
俺は少しだけ考えて、ヘーベに召還された時のことを思い出して答える。
「火、水、土、風……雷です!」
俺の返事を聞いたカトレアさんは、
「アナタって欲張りね……まず普通答えるのが一種類、もしくは二三種類なのだけど……」
初めて微笑を浮かべて見せる。
「カザマ、さっきのを順番にやって頂戴」
そして歯切れのよい口調で、俺に指示を出した。
――初めての魔法。
俺は若干の緊張を感じつつ、手首のブレスレッドに意識した。
風をイメージし左手を土壁に翳して、
『ウインド!』
と叫んだ。
「「キャアアアアアアアアアアアア――!?」」
突然カトレアさんとアリーシャの悲鳴が響いた。
(えっ!? なに……)
俺は左手を土壁に翳していたが、慌てて周囲を見渡す。
周囲には強風が下から上へと突き上げる様に舞い上がっている。
そして、カトレアさんとアリーシャのスカートが風で捲れ上がり。
カトレアさんの黒のパンツとアリーシャの水色のパンツが顕となった。
二人とも必死でスカートを押さえつけている。
だが、風が強くてパンツを隠せないでいた。
カトレアさんは柳眉を吊り上げ、俺を睨みつける。
「何よ、これっ!? 早く魔法を中止しなさい!!」
そして、これまでの印象が信じられないくらい険しい表情をして叫んだ。
アリーシャは喚きながらスカートを押さえ涙目になっている。
俺は嘗て見たことない絶景を眺め、少しの間何が起きたのか分からずにいた。
しかし、俺の魔法が、俺の身体の周りで発動していることに気づく。
慌てて周囲の風に意識して、魔法を『キャンセル』させ。
俺はドゲザした。
「ごめんなさい!!」
地べたに額をつけ渾身の謝罪をする。
だが、事態は俺の渾身のドゲザの謝罪では済まなかったようだ。
恐る恐る顔を上げると、アリーシャはスカートを押さえたまま力が抜けた様に座り込み、
「わああああああああああああ――!!」
大声を上げて泣き出してしまう。
カトレアさんは、ウェーブが掛かった髪が乱れ。
俯いたままプルプルと身体を震わせている。
「良い度胸してるわ。良い度胸してるわ……」
同じ言葉を繰り返したまま、腰の革で出来たロープの様なものを右手に持った。
「シュっ!」
空気を切る音がしたと思ったら、
「バチっ!」
と鈍い音がした。
「イッテーっ!!」
俺は反射的に声を上げる。
カトレアさんが手にしているロープの様なものは、ムチであった。
更に二度同じ音が鳴り響く。
「ヒ、ヒィイイイイー!! ゴメンナサイ!! わざとじゃないんです!!」
俺は必死に叫んだが、カトレアさんは何かに取り憑かれたかのように。
怖い表情が変わらない。
俺は咄嗟に左手をカトレアさんに向ける。
「えっ!?」
カトレアさんが、一瞬何かに反応した様に見えた。
そして、一瞬表情が変わったかに見えたが、再び怖い表情に戻る。
「私に向けて魔法を発動させるなんて……本当に良い度胸してるわ……」
カトレアさんが右手を振り被った。
「ヒィイイイイー! ……あれっ?」
俺は再び悲鳴を上げたが、何故かブタれない。
「今度は、何? 煙りで、良く見えないわね……」
俺からもカトレアさんの姿がぼやけて見えたが、無我夢中で土魔法を発動させたようだ。
しかし、どういう訳か、砂が俺の周囲を舞っている。
今度はキャンセルさせることなく自然に治まった。
カトレアさんは、俺を三度ムチで打って許してくれたのだろうか。
それとも時間が経過して、段々落ち着いてくれたのか首を傾げたが。
「今度は咄嗟に土魔法を発動したようね。二度目の魔法の行使で咄嗟に発動させるのは凄いと思うけど……でも、何か変ね? 土を分解する様に砂を発生させるだけでも、それなりに難しいし、中規模とはいえ周囲に拡散させるなんて……!? さっきの風魔法も目標に目掛けてではなく、カザマを中心に持続的に発動されていたわね? あなたは、何だか凄くバランスが悪い気がするわ……」
色々と考察しながら、初めの頃よりも少しキツメの口調で説明してくれた。
「俺も良く分かりませんが、初めの風魔法はイメージが少し曖昧だったかもしれません。『風』というイメージに拘り過ぎて、土壁を吹き飛ばす様なイメージが足りなかったのかもしれないです。さっきの砂ですが、申し訳ない気持ちや情けない気持ち。それから、痛いのは嫌だという気持ちから『隠れたい』と思ってしまいました。本当にごめんなさい」
俺は立ち上がり、再度カトレアさんとアリーシャに頭を下げて謝った――
「はー……初めて魔法を使った訳だし……失敗した場合は発動しないのが普通だけど……私も完全に油断していたわ。但し、ムチで叩いたことは謝らないわよ……分かるわよね?」
カトレアさんは溜息を吐くと、色々と振り返り言葉にしたが、取り合えず許してくれたみたいだ。
俺は背筋を伸ばして返事をする。
「はい、分かりました!」
その後、気が緩んだのか段々背中が痛くなってきた。
カトレアさんはその様子に気づいたのか、
「アリーシャ、いつまでも泣かないの! 事情は分かったでしょう? カザマに治癒魔法を掛けて頂戴!」
未だシクシクと泣いているアリーシャを励ます様に声を張った。
「……は、はい、分かり……ました」
アリーシャは取り合えず泣き止むと。
はっきりしない口調で返事をして、俺の背中に治癒魔法を掛けてくれた。
「アリーシャ、本当にごめんな……それから、ありがとな!」
アリーシャにお詫びとお礼を言ったが、アリーシャは頷くだけである。
俺は後から、しっかり謝ろうと思った――。
カトレアさんは少し間を取ってから、
「どうも気になるけど……一応、一通り見ておきたいわ。今度は少し離れて注意しているから、続きを見せてもらえるかしら?」
カトレアさんは元の歯切れのよい口調で俺に指示を出すと、アリーシャの手を引き距離を取った。
俺は二人の様子を見てから、火のイメージを浮かべ土壁を見つめる。
そして、左手を翳して叫んだ。
『ファイア!』
「「……あっ!?」」
カトレアさんとアリーシャが、今度も二人同時に声を上げたが。
「燃えてる……わね? 燃えてる……燃える男ね! あ、あはははははははは……」
カトレアさんが大爆笑した。
隣にいるアリーシャは俯いたまま、声を出さずに身体を震わせている。
俺は自分の身体の周りが燃えていることに、二人よりも一瞬遅れて気づく。
今度は失敗しない様にと、土壁に集中していたからだ。
(……熱くはないな? でも、どうしてだ……)
俺は自問自答した後、すぐに魔法をキャンセルさせた――。
カトレアさんは先程の事をすっかり忘れたかのように、ご機嫌だ。
「……なかなか面白いものを見させてもらったわ! 久々にこんなに笑ったわ」
アリーシャもカトレアさんの言葉に合わせて、首を上下に振り頷く。
「でも、折角だから、次も見たいわよね?」
カトレアさんは俺だけでなく、アリーシャの方も見ながら言った。
アリーシャは声を出さずに何度も頷いている。
「あのー、何だか嫌な予感がするので……」
俺は途中まで言い掛けたが、二人が瞳を輝かせているのを見て諦めた。
「それでは、次は水魔法をやりますね……」
俺は意識を集中して叫んだ。
『ウォーター!』
「ゴフゴフゴフっ……!?」
(苦しいー! た、助けてー!)
俺は声になっていない叫びを上げた。
「ゴホッゴホッゴホッ……!? はあー、はあー……助かった!」
カトレアさんが、俺の魔法を解除してくれたみたいであるが。
俺は自分の魔法で溺れてしまったみたいだ。
カトレアさんとアリーシャが俺の傍に駆けつけ、同時に声を掛け見つめている。
「「大丈夫!? ……」」
俺は少し落ち着いてから、涙目になりお礼を言った。
「大丈夫です! 助かりました! ありがとう!」
俺の様子を見て安心したのか、
「「……あ、あはっ……あはっ、あはははははははは……!」」
今度はカトレアさんだけでなく、アリーシャも一緒になって笑い出した。
俺は死にそうになった直後であるが、恥かしくて堪らず顔を歪める。
「はっ!?」
不意に演習場の隅の木陰に人の気配を感じた。
「そこで、隠れて笑っているヤツ! 出てきたらどうだ!」
俺はイラっとして大声で呼び掛けた。
「えっ!? ご、ごめんなさい……」
木陰から声が聞こえたが、すぐに気配がなくなった――。




