6.島国の女王
――目を開くと。
俺はヘーラさまに会う前の宮殿の玉座の間にいた。
しかし、玉座の間は先程見た時とは違い、豪奢に飾られている。
更に玉座には、黒い髪をした美しい女性が座っていた。
突然の事でイマイチ状況が飲み込めないながら、ヘーラさまの依頼が思い浮かぶ。
俺はペールセウスと戦い、彼が装備している盾を破壊する。
盾を破壊することで、伝承のメドゥーサ討伐が出来なくなる。
そして、俺がメドゥーサを代わりに倒し、その功績をペールセウスに譲る。
当人たち以外は事実を知らず、ペールセウスがメドゥーサを倒したと世界に広まる。
この理屈は理解出来るが、本当にメドゥーサという怪物が存在するのだろうか。
存在しなくても、俺が倒したことにすれば良いのだが……。
目の前にいる女性は、蛇の髪どころから黒い髪が美しい普通の人間だ。
取り敢えず、情報収集をするために声を掛けた。
「あのー……突然でスミマセン。俺は東の砂漠より更に東から来た旅人ですが、あなたはメドゥーサさんですか? 俺はあなたを助ける様に依頼されて」
「キャアアアアアアアアアアアア――っ!? 狼藉者です! 誰かー!」
俺はいきなり目の前の女性に叫ばれ、一瞬戸惑ったが。
「ち、違います! 俺の話を聞いて下さい! 神さまのお告げがあり、あなたを助ける様に頼まれたのです! あなたは命を狙われているのですよ!」
声を張り上げ、目の前の女性を説得した。
目の前の女性の瞳が見開かれて、口を開けたまま動きが止まる。
俺は緊張で引き攣った笑顔を女性に向けた。
玉座の間の扉が勢い良く開く。
「女王さま、狼藉者とは……!? お前か! 何時の間に、侵入したのだ!」
二人の衛兵らしき男たちが部屋の中に飛び込み、俺を取り囲む。
俺は慌てて両手を挙げた。
「ち、違う! こ、この通り、俺に敵意はない! お前たちは怠けていた訳でないのだろう? それなら、俺はどうやってこの中に侵入したというんだ?」
俺の必死の説得が効いたのだろうか。
男たちは動きを止め、先程とは別の男が声を上げる。
「おっ!? お前、その格好は……」
「二人とも下がりなさい。この男は天に両手を掲げました……どうやらこの男の言っていることは、本当のようですね」
女王さまは突然態度を改め、俺の話を信じてくれた。
二人の衛兵は玉座の間から退出したが、俺はこの展開が腑に落ちない。
「あのー……俺の話を信じてくれたのは嬉しいのですが、どうして急に……」
「何を言うのです。あなたは先程、神に両手を掲げたではありませんか……まさか、神に対して嘘を……」
女王さまの双眸が細くなり、俺を見つめる眼光に力が込められる。
「ち、違います! 嘘は言っていません。それより念のため、名前を確認させて頂きたいのですが……」
俺は慌てて疑いを晴らすそうと話を合わせつつ、情報収集を進めた。
どうやらこの島は、この時代では国や宗教が違うようだ。
先程、日本の無抵抗の意思表示の動作をしたつもりが。
この国では宗教的な意味合いがあったのだろうか。
女王さまの相貌が緩むが、幾分緊張気味なのか小さな笑みが浮かぶ。
「私はこの国の女王……『メドゥーサ』です。神から使わされたという……あなたの名前を教えて頂けませんか?」
女王さまは予想通りメドゥーサと名乗ったが、色々と疑問が思い浮かぶ。
こんな小さな島で国とはどういう意味なのだろう。
だが、それよりも化け物の伝承はどうしたのだろう。
ペールセウスが偉業を広めるための誇張なのだろうか。
取り敢えず、俺はこの世界に存在してはいけない筈。
「……え、えーと……俺は、『極東の男』と呼ばれています」
再び女王さまの双眸が細くなる。
「……今、名前を名乗る前に間がありましたね? 何か、邪な事を……!? 嘘を吐いているのでは……」
俺は両手を顔の高さまで挙げ、両掌を女王さまに向け顔と一緒に振った。
「ち、違います。この周辺の国に来てから、女王さまの様な美しい黒髪を見なかったので、思わず見惚れてしまいました」
女王さまは首を傾げ、何やら考え込む様に語り出す。
「う、嘘ではないようですね。今も神に両手を掲げましたから……両手を左右に振るのは初めて見ましたが、東の方ではその様な仕来りがあるのでしょうか? 神に対する強い信仰を感じます。実に興味深い……それに、私に気があるみたいですが……一目惚れですか? 私を助けてくれると言っていましたし……」
そして、途中から頬を赤く染め勘違いをしてしまう。
俺はどの様に返事をしたら良いか分からず口元を引き攣らせた。
下手に身振り手振りをすると、以前のボスアレスの街の様に勘違いされる。
「そ、そういう訳では……!? お、俺の国は遠く離れているので、久々に自分と同じ髪の色の方を見て、懐かしく思ったのです」
何とか誤解を解こうと口を開き、咄嗟に思い付いたが。
エリカたちの髪を見慣れたせいか、懐かしく感じない。
「そうですか……奥ゆかしい方なのですね」
女王さまは赤く染まった頬を隠す様に、両手で顔を押さえた。
余計にややこしくなった気がするが、悪印象よりはマシであろう。
俺は諦めて、話を進める。
「あのー……お告げを伝えますね。アテネリシア王国のペールセウスという者が、あなたを亡き者にしようと襲ってくるそうです。何かの誤解なのでしょうが、命を狙われている事は確かです。本当はどこか別の国に避難して欲しいのですが……せめて俺が撃退するまで、身を隠して欲しいです」
やっと話を進められて、表情が引き締まった。
俺の真剣な表情に、女王さまは双眸を見開き動きを止める。
きっと自分の与り知らぬところで、理不尽な話が生じて不安や恐怖を感じ、今後が不安なのだろう。
女王さまは身体を震わし、潤んだ双眸を俺に向けた。
「分かりました……宮殿は、放棄します……極東の男が、私を守ってくれるのですね」
俺は妖艶な雰囲気を醸し出す瞳に、困惑しつつも答える。
「そ、そうですか……分かってくれて、ホッとしました。俺が必ずペールセウスを撃退します。しばらく集落の中に紛れるか、離れた土地で暮らして欲しいのですが……」
命を狙われているとはいえ、いきなり住み慣れた家から出て行く様に勧めるのは気が引けた。
女王さまは潤んだ瞳のまま笑みを溢すと、
「はい、私は極東の男と一緒に、集落で暮らすことにします」
とんでもない口走り、俺は呆然とうな垂れる――
――集落。
俺は集落の中でも大きな屋敷に泊められた。
小さな島国ながら兵士がいるが、その大半は非常時以外漁業や農業を営んでいる。
宮殿で俺を取り囲んだ近衛兵には、島の周辺を監視してもらう。
俺は女王さまと同じ部屋で警護をする様に頼まれたが、自分の国の掟と称し、常識を伝え合意を得た。
結婚前の若い男女が二人きりで部屋を共に出来ないと……。
俺は自分の部屋の粗野なベッドの上で天井を見上げ、今後の事を考える。
俺の力でペールセウスという世界的な大英雄を撃退出来るのか。
盾を破壊するように言われ、合理性は理解出来る。
しかし、それは俺の二つのスキルを見込んでの事だろう。
『スパティウムセクト』は空間を斬る技だが、細かな範囲設定は出来ない。
強力な技だが使うことは出来ないだろう。
『ディカムポジション』は刀身に触れたものを分子レベルで分解する技。
こちらは適した技かもしれないが、武器の負担が大きく多用出来ない上。
一度見たものは記憶出来るが、難しい分野のため知識が足りずに不安定だ。
そもそもペールセウスを相手に、そんなスキルを行使出来るのだろうか。
グラハムさんやヴラドの時は、完全に不意を衝いたのだ。
俺は良いイメージが思い浮かばず、
(アレス、メドゥーサさんと接触しましたが、ペールセウスは現れていません。彼が島に来るまでメドゥーサさんを集落の中の民家に隠しました。それでメドゥーサさんは、俺が知っている様な髪の毛が蛇だったり、目を見ると石にされる様な怪物ではなく、普通の人間でしたよ)
(ねえ、君、元気そうだね。僕は一緒についてあげられないから、手伝いは出来ないけど……それはそうでしょう。何かしらの呪いやキメラの様にされなければ、普通の人間の筈だよ。君の丈夫さだけは、過去に証明されているから期待しているよ。何度倒れても這い上がり、立ち上がる姿を……)
俺はアレスの笑顔を思い浮かべ、念話を切った。
(確か、アテナさまを怒らせて、呪いを受けた筈だ。だけど、この世界ではアテナさまに、そんな力はないのだろうか。色々と分からない事が多い……)
俺は声に出さず呟いていたが、これまでの経緯をリヴァイに報告をする……。
(リヴァイ、宮殿に侵入したのですが、中にいたのはメドゥーサではなく、ヘーベの母親のヘーラさまでした。それで、それに気づくと周りの風景がどこかの神殿に変わったのです。――今は、ヘーラさまに過去へと飛ばされて、ペールセウスと戦いアテナさまの盾を破壊し、メドゥーサ討伐を阻止する様に言われました。俺がメドゥーサを倒したことにして、メドゥーサ討伐の名誉だけをペールセウスに譲る様にと依頼されたのです)
(……おい、お前、どこにいるんだ? お前の気配を感じないぞ! それに何を言っているのか、さっぱり分からんぞ! 話が長いし、お前は相手が女だと調子に乗るから騙されているのだろう。取り敢えず、神の盾がどれ程の強度か分からんが……お前の武器も最強の一角のドラゴンの爪で出来ている。何とかなるだろう……短い付き合いだったが、アリーシャのことは任せておけ)
俺はまたもリヴァイにフラグになりそうな事を言われて念話を切った。
騙されているかはさて置き、俺の刀も特別であることを思い出す。
少しだけ未知への恐怖が消え、安堵する。
ヘーラさまが過去に転移させたのだから、明日にでも戦いになるだろう。
俺は顔の熱りと痛みが気になったが、そのまま眠りについた――。




