5.女神さまのお怒り
アルテミス様が、頭を下げ続けている俺に声を掛ける。
「今日の議題に上げようとした問題は、カザマのお陰で先に進みました。今回はこのくらいで良いと思いますが、アフロディーテに許可を得ているのです。他にも尋ねたいことはないのですか?」
俺は頭を上げろという意味もあるのだろうと察した。
「はい、それでは……先程ヘスティアさまが、ヘーベを見込んで国を託した様に言われましたが……どういう意味でしょうか?」
「へっ!? き、君は……僕の揚げ足を取るつもりかい! 仕方ないかな……。ここにいる神々は、僕とヘーベを除いて十二神と呼ばれているけど、僕も以前はその一柱だったんだ。それで、その席をディオニソスに譲ることになってね……その代わり、今のユベントゥスの国を、ヘーベに託すことを条件にしたんだ。ちなみに、ディオニソスはフランク王国の南西にある大国、ヒスパニア王国の庇護をすることになったけどね」
俺の素朴な疑問に、ヘスティアさまは返事に困りつつも説明してくれる。
俺が知っている歴史に似通っているが。
人間が知っては不味いのではないかと、不安を抱いた事はいうまでもない。
「な、なるほど……良く分かりました。ヘーラクレスの十二の試練も、十二柱の神さまにちなんでいるのでしょうか。それにしても、最近疑問に思ったのですが……俺の世界でも有名な神さまの名前が出てくるのに、ヘーベはそれ程有名ではなかった気がして……ヘスティアさまのお陰で、ヘーベが活躍出来る様になったのですね」
「「「はああああああああああああ――っ!?」」」
三柱の女神さまが驚きの声を上げて、
「この子、寄りにも寄って、言ってしまったわよ……」
アフロディーテさまが声を震わせながら呟いた。
「ど、どの口が言ったのかしら! 今日はあれ程大人しくする様に言ったのに……散々私に恥を掻かせて、嫌がらせのつもりかしら! ホッペを抓ったのが気に入らなかったのかしら? モミジ君と呼んだのが気に入らなかったのかしら? 言いたいことがあるなら、はっきりと言ってごらんなさい!」
俺はまたもヘーベに頬を引っ張られているが、
「ヒィイイイイイイイイ――っ!? ご、ごめんらさい……」
先程よりも更にヘーベの顔が近くにある。
普段なら喜んで鼻の下を伸ばすところだが。
本気で怒っているだろうヘーベが怖くて、目の前にある青い瞳も逸らし目を泳がせた。
「ねえ……怒る気持ちも分かるけど、はっきり言って身内同士のイザコザは後にして欲しいと思うよ。カザマの発言は不遜ではあるけど、事実!? ま、間違ってはいない訳だし……ヘスティアの話を聞いての感想だから……」
アレスが珍しく口篭り、遠慮している様な話し方をしているのは、明らかにヘーベを意識してのことだろう。
俺は大人しくじっと我慢して、ヘーベが機嫌を戻してくれるのを待った――
「……えー、コホン。ここまで神を怒らせる従者を初めて見たわ。ある意味称賛に値するかもしれないわね。他に知りたいことがあったら話して頂戴」
俺はアフロディーテさまに声を掛けてもらい、
「スミマセン……では、先程の話で……上位の女神さまがいると言われましたが、どこにいる、どの様な女神さまですか?」
先程の謝罪をしつつも恐る恐る尋ねた。
だが、誰からも返事が返ってこない。
俺は、またしても言ってはならない事を口走ってしまったのかと肝を冷やす。
そしてヘーベを見たが、先程赤くしていた顔が青褪めている。
「アレス、俺は聞いてはならないことを口にしてしまったのですか?」
「うーん……ヘーベや他の女神が口にするのは不味いから、僕が教えようかな。僕は消滅しても構わないし……」
珍しく弱気な口調のアレスを見た。
更に不安を抱いた俺は、先程から後ろにいるコテツとリヴァイを見たが。
コテツは興味がなさそうに寝そべっている。
リヴァイも、いつも通り偉そうに腕組みをして真っ直ぐにこちらを見つめていた。
俺はコテツとリヴァイの様子に安堵したが、万一のことを考えて返事を聞くのを止めようとする。
「やっぱり、遠慮して……」
しかし、俺の言葉を遮る様に、アレスが答えてしまう。
「うん、ヘーラという名前の女神だよ。ゼウスが十二神の父であり、ヘーラが十二神の母という存在だといえば分かり易いかな……二柱は庇護する国を持たず、オリンポスにいる筈だよ。それからヘーラはさっきから話題に出てるけど、結婚に関わりのある神で、極めて高い情報網を持っているよ」
ヘーベは青褪めた顔をしたまま俯いてしまう。
相変わらず他の女神さまたちからの声が聞こえてこない。
「な、何だか……ヘーラさまは、ヘーラクレスやヘーベと名前が似てますね……ぐ、偶然ですよね」
「ねえ、君……君ってヤツは、わざと言ってるのかな? 今の話は、僕も消滅する覚悟を決めて話したのだけど、君の話を聞いたらどうでも良くなったよ。さっき、女神の母親的存在って言ったけど、ヘーベの母親だからヘーベの場合……結婚に関しては、特にナーバスなんだよ。それからヘーラクレスは、父親がゼウスで母親が人間の半神だから、ヘーラから嫌われて、十二の試練を受ける様にと仕組まれたんだよ」
「はああああああああああ――っ!? な、何てことを教えてくれてんですか! それって、俺に罰が当たって、消させれるルート的なヤツじゃないですか」
アレスは背伸びをして俺の肩に手を乗せると、
「今更、何を驚いているんだい。ルートとか訳の分からないことを言っているけど、君は異世界から来たから大丈夫かもしれない。お互いに覚悟を決めようよ」
口元を引き攣らせ、励ましの言葉を掛けた。
俺もアレスにつられた様に、口元を引き攣らせて言葉を失くす――
ヘスティアさまがしばらくして口を開いたが。
「ねえ……さっきから僕は何も聞いてなかったけど、何か質問はないのかい? 何か、急に雰囲気が暗くなった気がするから、楽しい事とか面白い事とか尋ねてくれないかな?」
俺とアレスの会話を聞いていなかった事にするつもりらしい。
しかも、炉の女神さまだけに、明るい話題をご所望のようだ。
「で、では、最後にもうひとつだけ……素朴な質問にさせて頂きますね……ア、アフロディーテさまにお尋ねします。俺の世界ではお名前だけでなく、彫刻などのお姿も有名です。そして美の女神として、世界に知れ渡っています」
「あらっ!? 嬉しいわね……でも、突然、どうして改まった口調になったのかしら?」
「はい、本当に素朴な質問なんですが……」
「どうしたのかしら……まさか、ヘーベに日頃している様な、破廉恥な事でも……」
「はっ!? し、してませんよ! そうではなくて、美の女神さまなら……音楽ではなくて、芸術で有名なフランク王国の女神さまに……!? どうしてならなかったのかなと……」
俺の話を聞いていたアレスが首を左右に振り始めて、何かを言いたそうにしていたが遅かった。
既に大半を話し終えた後に気づいた俺は、久々にドゲザをする。
「ヒィイイイイイイイイ――っ!? ス、スミマセン! 知らなかったんです!」
「どうしたのかしら、突然……カザマは何も悪い事をしてないのに、謝る必要はないわよ。フランク王国は、芸術の神のアポロンが庇護しているの。私は決して羨ましくなんてないわよ。私は、私の国の民を愛しているから……一体、どうして私が気にしていると思ったのかしら? 今度、私の国に遊びに来て頂戴。盛大に持て成してあげるわ。カザマも私に会いたがっているみたいだし、ヘーベの様に久々に顕現してみようかしら……!? そうだわ! 新しくムチを用意しておくわね。普通のムチでカザマが喜んでくれるか心配だから、ヘパイストスに特注で作ってもらうことに――」
この後もアフロディーテさまの話は続き。
俺は涙を流しながらヘーベの足元にすがりついた。
女神さまたちの会談は終わったが、俺を賢者にするという話も保留とされる。
先程から神さまを怒らせてばかりの俺の賢さを疑われたからであった。
それでも『大魔導師』という肩書きと、『英雄の卵』を取り消され『勇者』という称号を賜る。
これまで何度も自分より圧倒的に強い相手と戦い、最後に女神を何度も起こらせた無謀とも取れる勇気を評価されたことであった。
勇者という響きは最高だが、不本意な評価である――
――異世界生活五ヶ月と十日目。
昨日の女神さまたちの会談が終わった後。
礼拝堂に正座させられて、懺悔の時よりも長時間ヘーベの説教を受けた。
一日経ったが、まだ怒っているのか口数が少ない。
俺は教会の中にある自分の部屋のベッドの上で、呆然と天井を眺めていた。
「ヘーベがまだ怒っているみたいですが、どうしたらいいでしょうか? それから、昨日聞いた話ですが、コテツとリヴァイは知っていたのですか?」
「おい、お前、そんな事を俺に聞くな。それにこの世界の神々の事など、俺に関係ないだろう。一応配慮はしているが、俺の邪魔をするようなら……」
「うむ、たまには面白い話題でも提供してくれないのか? 私もリヴァイと同じ様なことしか言えないぞ」
リヴァイはいつも通りの返事をしたが、最後の方は何だか恐ろしいことを考えている気がする。
コテツもリヴァイと同じ考えらしいが、もっと楽しいネタで会話する様に頼まれてしまい、顔を引き攣らせた。
突然、扉を叩く音が聞えてビアンカの声が響く。
「カザマ、遊びに来たっすよ!」
俺が扉を開けるといつも通り元気なビアンカの隣に、頬を薄っすらと染めたアリーシャが立っている。
「ビアンカと一緒に遊びに来てくれたのか? 折角だから、そろそろ買い物に行こうと思っていたし、一緒に行かないか?」
俺の誘いにふたりが頷き、買い物に行くことになった。
「カザマ、さっきから気になっていたのですが……ホッペが左側だけ、昨日より腫れが酷くなっていますよ」
「ああ……昨日みんなが村に戻ってから、礼拝堂でこの近くの神さまたちの会談があって、それに呼ばれてな……。失礼なことを言ったとヘーベが怒って、何度も頬を引っ張ってきたんだ。アリーシャの治癒魔法で、せめて昨日と同じくらいに出来ないか?」
アリーシャは俺の話を冗談だと思ったのか、首を傾げて治癒魔法を掛けてくれた。
「ダメです……私の魔法では治せないですね。女神さまの神聖な力でつけられた痕なので……!? アウラにお願いしたら治せるかもしれません」
「うーん……また馬鹿にされそうで嫌なんだけど……。街でモミジ君と噂されるだけでなくて、グラッドが留守にしているせいもあって、俺のことを破廉恥呼ばわりする奴らがいるんだよな……」
俺は買い物をしている間に考える。
だが結局、アリーシャとビアンカにお願いして、アウラを呼んでもらうことにした――。
夕食を済ませ部屋でくつろいでいると、
「カザマ、ビアンカとアリーシャに言われて来たわよ」
部屋の扉が叩かれてアウラの声が聞えたので、アウラを部屋に通した。
「てっきり明日、みんなで来てくれると思ったけど、早かったな」
「カザマが困っていると聞いたから……!? ぷふふふふ……」
アウラが俺を馬鹿にする様に笑いを堪えていたので、
「もう分かった……我慢しなくていいから笑えばいいだろう。それより治してくれないか……」
面倒なので、笑いたければ笑う様に言ったが。
「何だか、いつもと様子が違うわよ……そんなに痛いの?」
「いや、そうじゃなくて……ヘーベの機嫌が昨日から悪くて困ってるんだ……」
「ふーん……それなら早く謝って許してもらうといいわ!? 一応精霊たちにお願いしてみたけど……ダメだと思うわ。やっぱり謝って治してもらったら?」
俺はアウラの話を聞いて、その後二日掛けてヘーベに許してもらう――。
その頃には両頬の腫れが引いて、モミジ型の痕だけが残る。
それからビアンカは、毎日ではなかったが遊びに来てくれた。
アリーシャはアーラに気に入られたみたいで、ビアンカに乗り方を教わり毎日買い物のついでに遊びに来てくれた。
アリーシャは元々乗馬だけでなく、馬車を扱うことも出来たのでアーラに乗ることもすぐに覚えたようだ――。




