4.二柱の神さま
――教会。
俺は村でアリーシャと買い物を済ませた後、教会に行きエリカと交代する。
エリカがごねるかと思ったが、最近はずっと護衛兼留守番をしていたので、久々にみんなの所で泊まりだと喜んで出掛けて行った。
そして俺は、久々にヘーベとふたりだけの夕食を過ごしている。
「何だか、ヘーベとぶたりで食事をするのは久しぶりですね。初めて会った時のヘーベは、アリーシャよりも小さくて……まだ育ち盛りなのに、僅かな食事で大丈夫なのかと心配しました」
「そうね、久しぶりですね……でも、カザマは小さめの胸の方が好きな様ですから……私は元の姿に戻らなかった方が、良かったかもしれませんね」
俺の言葉のどこが気に入らなかったのか、ヘーベは表情を変えずサラリと意地悪なことを言い、俺は思わず口の中のものを噴き出しそうになった。
「どうしたんですか? 急に……久しぶりにふたりで夕食をしているのに、意地悪なことを言わないで下さい。何か勘違いしてるかもしれませんが……お、俺の好みでしたら、少し大きめくらいが好きです……!? セクハラではないですからね! ヘーベが勘違いしてるみたいだったから……」
「うふふふふ……大丈夫ですよ。私は理想的なのですね……。カザマ、前回のクエストの前に、ご褒美をあげると言いましたが覚えていますか? この前は頬に口付けする筈が、不意を突かれてしまいました……でも、カザマからしてくれたので嬉しかったです……」
久々のヘーベとの夕食を台無しにしたくないと思い、機嫌を直してもらおうとした。
だが、前回のご褒美のキスは事故だったのに、俺がヘーベの唇を奪った様な畏れ多いことを言われてしまう。
それにも関わらず、ヘーベは恥かしそうに嬉しかったとも口にした。
ヘーベから普通の女の子の様な気持ちを伝えられたのは、初めてである。
本来、女神さまがこの様な事を考え、ましてや人に伝えるとは夢にも思わなかった。
しかも、それが自分に対する事で茫然自失する。
しばらくして我に返った俺は、畏れ多い話題から逃れようと口を開く。
「――そういえば、帝国の王宮でアレスさまという神さまと話をしました。ヘーベの事も聞きましたよ。ヘーベは自分の事を教えてくれませんでしたから驚きました」
結局、何を話したら良いのか分からなくて、以前聞こうと思っていたアレスさまの件を話したが、ヘーベは急に整った相貌を顰めた。
「……今、何と言いましたか? 今、何と言いましたか……」
「ど、どうしたんですか? 急に、俺は何か悪い事を言いましたか? そんなに怖い顔をされては、綺麗なお顔が……」
ヘーベは突然怖い顔をして、カトレアさんのヒステリックモードの様に、同じ言葉を繰り返し始めた。
俺は、ヘーベが何故怒っているのか分からないまま、兎に角落ち着いてもらおうと声を掛ける。
「私では不満があるのでしょうか? 私の前で、他の神のことを語るとは大罪ですよ。普通の人たちならば、自分の不徳だと聞き流しますが……カザマは、私の従者ですよね?」
「へっ!? な、何言ってるんですか? 不満なんてないですよ。優しくて綺麗な女神さまに召還してもらい、嬉しく思っています。それに、ヘーベは毎日国の人たちのために無理をして、力を授けているとアレスさまが言ってました。俺はヘーベがそんなことをしてると知らなくて、びっくりして……」
俺はヘーベに問い詰められて、誤解だから正直に話せば分かってくれると思った。
ただ、途中で照れ臭くなり、頬を掻きながら口を濁らせてしまう。
ヘーベは俺の話を聞くと、美しい相貌を引き攣らせる。
「何ですって……今、何と言いましたか……」
「いえ、ヘーベが自分を犠牲にしてまで、過剰に神さまの力を行使して……その、神さまではなくなってしまうかもしれないと……」
俺は、不意に憧れの異性のプライベートを知ってしまった様な面映い思いを抱きつつ、緊張しながら答えた。
しかし、ヘーベは俺の話を聞くと、女神さまらしからぬ声にもならない悲鳴を上げる。
「ヒィイイイイイ――!? ど、どうしてそのことを……!? イヤアアアアアアアアアアアア――!」
そして席を離れ、俺に詰め寄り俺の胸倉を掴んで揺すったが、途中で我に返ったのか、悲鳴を上げると俺にビンタを浴びせた。
「へっ!? ど、どうしたんですか……」
俺は何故ヘーベが混乱して、しかも俺にビンタをしたのか理由が分からず、叩かれた頬を擦る――。
俺がまたも茫然自失していると、不意に誰とも分からない声が漏れる。
「……ああ、言ってしまったね。しばらくは、君に手を貸しつつ静観しているつもりだったのだけど……」
「「えっ!?」」
突然、俺の左手の冒険者クリスタルの横に張り付いていた宝石が光り出し、目の前に金髪碧眼の男の子が現れた。
その様子に俺だけでなく、ヘーベも驚いたのか一緒に声を上げる。
目の前の男の子はリヴァイやアルベルトよりも小さく、俺の理想の弟の姿をしている。
「だ、誰……」
俺が子供に向かって指をさし震えていると、
「いやだな……僕はアレスだよ。以前、ボスアレスで話したし……あれからずっと君と一緒にいて、たまに力を貸してあげたよ。――君がボスアレスで、僕のことを話してから信仰心が増えて、完全ではないけど顕現する力を回復させたんだ。一応礼を言っておくよ」
子供は笑顔で話し始め、自分がアレスさまだと名乗った。
アレスさまが簡単に経緯を説明してくれたが、ヘーベが震えている。
「カザマ、どういうことですか? 私は聞いていませんよ……」
「ヒィイイイイイイ――っ!? み、みんなの前で言えなかっただけです……。それに、こんなに怒るとは思わなくて……そんな怖い顔をしては、綺麗な顔が台無しですよ……」
ヘーベはまたも俺を問い詰めてきて、俺の返事を聞くと俺の胸倉を掴んで、今度は反対の頬にビンタを浴びせた。
(どうなってるんだ! 今度こそ俺は悪くないと思うが、また俺が悪いというのか? ヘーベの怒っている姿は、まるで浮気を見つけてヒステリックになっている女の人みたいじゃないか……)
「あはははははははは……君は面白いことを考えるね。僕もその通りだと思うよ。それに、ヘーベーがここまで感情を剥き出しにするなんて……僕もびっくりしたよ」
アレスさまは突然笑い出し、俺の肩を持つ様に話し出す。
アレスさまでも、こんなに取り乱した姿のヘーベを見て驚いたみたいだ。
ヘーベは奥歯を噛む様にアレスさまを睨むと、
「何ですって……そもそもあなたが勝手に、私の従者に手をつけたのが原因だと分かっているのかしら。拒絶しなかったカザマにも、責任があると思うけど……」
再び俺に視線を移す。
俺はヘーベの強い眼差しと言葉に、恐れ戦き身体を硬直させる。
「彼は純粋に君のことを思って、僕の言葉に耳を傾けたんだよ。もう少し自分の従者を信じてあげたらどうだい。それに君が彼のことを従者と呼ぶのは、周りや他の神々に対する……」
アレスさまが、俺を庇ってヘーベに弁明してくれた。
しかしヘーベは、アレスさまの話を途中で遮る様に、またも悲鳴を上げる。
「イヤアアアアアアアアアアアア――!? 分かったから、これ以上言わないで……」
「あはははははは……だから大丈夫だよ。僕は君の邪魔をするつもりもないし……純粋に、彼に興味を持っただけだよ。君は僕の関心や使命を知っているだろう」
「うううううううう……分かったわ。取り敢えず話を聞きましょうか。それから、私はヘーベと名乗っているから……」
ヘーベとアレスさまの神さま同士の話は、見た目は大人の姿のヘーベが立派に見える。
だが、子供の姿のアレスさまの方が、明らかに冷静で優勢に見えた。
(ヘーベは青春を司る女神さまだけに、実は熱い神さまだったんだな。それに子供の姿のアレスさまに言い負かされているなんて、何だか可愛らしいな……)
俺がヘーベに大人の笑みを浮かべ優しく見つめていると、またもヘーベは俺にビンタを浴びせる。
先程から珍しくコテツとリヴァイは黙って静観していた――
「――うーん……君はすぐに調子に乗ってしまう様だね。君の契約しているみんなが困っているみたいだから、これからは僕が罰を与えることにするよ。ヘーベは君に対して甘いからね……さて、話の続きをしよう。僕は戦いが好きな神なのだけど、以前の国は加護を与えていた国王が堕落して、終には僕に対する信仰心まで失くしてしまった。以前は同じ戦いの神のアテナを牽制するつもりだったけど、どうでも良くなったよ……でも、ヘーベは困るよね? 僕がいなくなると……国境は海だけだったけど、陸も繋がってしまったよ。君の国の王が動くと、他の神々も黙っていないだろうし……。今後も彼が中心になるのだろう? まだ、続きを話さないといけないかな」
アレスさまは恐ろしいことに、俺に罰を与えると言い。
簡単に経緯を説明し、今後の見通しを告げた。
ヘーベは取り乱していた表情から、いつもの佇まいに戻っている。
「アレス、あなたに渡せる領土は信仰者のあるボスアレスだけだし、この国は進んで戦争はしないわよ。それにカザマは私の……だけど、大丈夫なのかしら」
「ああ、僕は領土や国とか要らないよ。それからカザマに与える加護は、他の神々を刺激しない程度かな。その辺りのことは、コテツとリヴァイとも折り合いがついているよ。それにカザマを召還したのは、ヘーベなのだから当然だと思っているよ」
ヘーベとアレスさまは、俺には分かり難いことを話し合っていた。
コテツとリヴァイの名前も出て来たが、ふたりとも以前から知っていたのだろうか。
俺は首を傾げて見守っている。
「分かったわ。その条件なら了承しても良いわ。でも、欺こうとしたり、私と私の国の民に良からぬことをしようとしたら、破談にさせてもらうわ」
「うん、それでいいよ」
大人の美しい女神さまと子供の愛らしい姿の神さまが握手を交わす姿に、俺は感動して笑みを浮かべ頷いた。
そこへ、いきなり左手首から電流が流れる様な衝撃を受けて、痛みと驚きで声を上げる。
「!? イッテーっ!? な、何……」
アレスさまは俺が驚く姿を見ると、
「ああ、早速、意味もなく格好つけようとしたね。さっき罰が当たると言ったばかりなのに」
罰が当たったと酷いことを言い、可愛らしい顔を顰めた。
「「「……あはははははははははははは……」」」
その様子を見て、ヘーベだけでなくこれまで黙っていたコテツとリヴァイまで笑い出す。
俺は決まりの悪さに身体を震わせて耐えた――。
食事をほぼ終えていたが、今度は三にんで席に着く。
アレスさまは俺の隣に座ったが、ヘーベと向かい合う様に座っているのは俺なので、席を替わろうとしたが。
「ああ、気にしなくても良いよ。これから僕のことは、ヘーベと同じ様に気さくに『アレス』と呼んで欲しい。それに、今後は君の補佐的な立場で同行することにしたから……ただ、戦闘になっても、僕は宝石に戻ってサポート程度の役にしか立てないけどね」
俺はアレスさまの話を聞いたが、まだこの関係に落ち着かず、慎重に以前抱いた違和感について尋ねた。
「あのー……以前感じたのですが、俺の魔法が以前より広範囲に作用したり、ニンジャ服のフードやマスクが勝手に動いたのは……アレスさまの力ですか?」
「そんなに畏まらなくてもいいよ。君が望む幼い女の子の姿にもなれるのだけど……少なくなったとはいえ、僕の信者が知ったら大変だからね。それに僕はね、いつも戦いに巻き込まれて、自分よりも強い相手に倒れても倒れても立ち上がっていく君の姿に、ね……好きなんだよ! はあはあはあ……」
(な、何だ? この子はどうして俺が、そろそろ妹キャラが欲しいのが……!? アルベルトと会った時か……。それにしても、この神さまは戦いが好きなどではなく……ドエスな神さまじゃないのか……)
俺は隣に座っている神さまの本心が、カトレアさんと同種のものではないかと疑い始める。
そして、左手の宝石のトラップもそう解釈すると理解出来た。
「あのー……俺に対する評価ならたいしたことないですから、お手柔らかにお願いします。それよりも俺の魔法や衣類の変化は、アレスさまの力ですか?」
「えっ!? そんなに謙遜することもないけど、魔法や衣類の支援はたいしたことないよ。それに顔だけ治りが遅くなる様にしたけど、助かったでしょう? まあ、魔法に関しては……君の魔法は、本来単純に起動する筈が、何故か複雑になっているんだ。それを少し助けただけだし、衣類に関しては強い風が吹いたと言えば、言い訳になるくらいだし……」
俺はアレスさまから、顔の腫れだけ治りが遅かった理由を聞いて、益々ドエスな神さまだと首筋から汗を流す。
そして、以前から聞きたかったことをアレスさまから聞くと、ヘーベを見つめた。
(また、あなたの設定で、俺の魔法は余計な効果がついているのですか……)
俺がいつもの様に、声に出せない愚痴を心の中で呟いていると。
「違うよ。君は都合が悪くなると、よくヘーベのせいにしているみたいだね……。でも実のところ、君の存在が特殊過ぎて、単一の神の力では限界があるんだよ。前にも言ったけど、この世界の神は万能ではないんだよ」
俺はアレスさまに心の声を突っ込まれ驚愕したが、驚いたのは俺だけではなかった。
「はっ!? ア、アレス……カザマに、そんな危険なことを教えたのですか?」
ヘーベの戸惑う様子に、俺の心はそちらに傾き目を丸める。
「えっ!? それって禁忌だと聞いたけど、そんなに危ないことなんですか? コテツとリヴァイも知ってるみたいでしたが……」
俺は自分の魔法の不具合を、以前からヘーベの設定のせいだと思っていたが、そうではないらしい。
アレスさまは、この世界の神さまのことを以前と同じ様に説明した。
だが、俺にはコテツもリヴァイも知っている事が、どうして危険なのか分からない。
「まあ、この話はこの辺りで止めておこう。それより、ヘーベはカザマにご褒美の約束をしていたよね?」
アレスさまの言葉を聞くと、ヘーベは顔を赤くして頷いた――。
ヘーベは顔を赤く染めたままモジモジしていたが、しばらくして口を開いた。
「そ、そうね……カザマは何か望むものはあるのかしら? 勿論、以前と同じでも良いのよ。私は約束したことは守るから……」
ヘーベは顔を赤く染め、俯き気味に視線を上にして俺を見つめている。
こういう姿は照れている時のアウラに似ている気がした。
しかし、俺は返って軽々しく返事が出来なくなってしまう。
以前のご褒美の後は、事故であったにも関わらず、大問題になってしまったからだ。
(確かに、前回は大変な目に遭ったが、こんな機会は二度とないかもしれない……)
俺は何となく温泉でのんびりとしたいと思い、
「ボルーノの街で一緒に温泉とか……!? イッテーっ!」
ヘーベと混浴をと脳裏を過ぎると、左手首から電流が流れた。
「ヒ、ヒドイじゃないですか! ちょっと考えただけだし、まだ混浴だとか言ってませんよ! それにこの痛みは、何か違和感を覚えていたのですが、警察署にあるやつと同じ類のものではないですか?」
「おーっ、君はなかなか鋭いね! あれは嘗て、僕が拷問用に考案して、威力を落として普及したやつだね」
俺が怒って抗議しているのに、ドエスな神さまは嬉しそうに、嘘発見機について解説する。
俺はアレスさまに対して、ヘーベと同じ様に接することにした――。
俺がアレスに文句を言っていると、ヘーベが顔を赤くしたまま呟いている。
「カザマと一緒に温泉……」
「ああ、それはまだ止めておいた方がいいよ。ヘーベは知っていると思うし、カザマにもこの前話したよね。アテネが聞いたら激怒しそうだから、国内でも近場で目立たない場所の方がいいと思うよ」
俺はアレスの話を聞いて、ボスアレスの王宮での話を思い出す。
「あっ!? そんなことを言ってましたね……そうだ! ヘーベは街から出ないと言ってましたから……森でピクニックに行って、帰りに村で買い物でもするのは……!? い、幾ら何でも女神さまが、こんな庶民のデートみたいなの嫌ですよね?」
ヘーベが街から遠くへ行けないと聞いて、逆に俺はヘーベが街から出ていないことに気づいたのだ。
せめて近場で安全な場所をと思った俺は、自分が良く知っている森や村で素朴なデートをと考え、口にしてしまった。
「それくらいなら構いませんよ。私も村には興味がありましたし……カザマが、エスコートしてくれるのでしたら……」
ヘーベは顔を赤くしたまま、弱々しい声で答える。
俺は、女神さまという立場で遠慮しているのだろうと思ったが。
「うん、そのくらいならいいと思うよ」
「おい、アレス、お前がいると余計な手間が省けて楽だが、あまり図に乗るなよ。だが、俺もそのくらいなら手助けしてやってもいい……」
「うむ、アレスのお陰で余計なお守りが減って楽になった。私もその程度であれば反対はしない」
アレスだけでなくリヴァイとコテツも同意したが、ヘーベが街を出るのが何故そんなに大変なことなのか疑問を抱いた。
それからリヴァイとコテツが、俺の事を手の掛かる子供の様に言ったのがイラだったが我慢する――。




