脱引きこもり大作戦
反射的にユキの体を自分から引き離すよりも先に、ユキは後ろにぴょんと飛んでベッドの脇に座り直した。
「な、なにして……」
「世恋ちゃん、免疫無さすぎだよね。ま、引きこもりだし仕方ないか」
あああほんとうにイライラする!さっきから言いたい放題!
こんなやつとやっていける気がしないよ……
「あ、そうそう。言い忘れてたけど、ボクの姿は依頼人にしか見えないよ」
「つまり、僕以外の人が見たとき、僕の部屋には僕だけがいるんだね」
「そ。あと、ボクは依頼人の意識が機能しているときにしか存在できないんだよねえ。世恋ちゃんが寝てる間は、ボクも休憩」
「え?」
なんだ、簡単なことじゃないか!
ひらめいたぞ!
名付けて『ずっと寝てよう作戦』だ!
「……ああ、まさかずっと寝てようなんて考えてないよね?成果が出せないと、成績が下がるんだよねえ。世恋ちゃん、わかってるでしょ?」
クッソー!
こいつ、また読心術使いやがって!
「……僕は、働くくらいなら、死んでしまいたいんだけどな」
「ふうん……それ、本心で言ってるわけ?」
「読心術使えるならわかるだろ!いちいちうるさいな!」
「読心術って言うほどのものでもないんだけどね。ボクはキミの意識そのものなんだから、大体の感情はリンクしてるけど」
「それなら僕が救えない人間だってことくらいわかるだろ!僕みたいなクズ、死んだほうがマシなんだ!」
「しー。声が大きいよ、世恋ちゃん」
「だってお前がっ……」
「……世恋ちゃん、今日はもう寝なよ。せっかく生活リズムが戻ってきてるんだしさあ。明日からがんばればいいよ」
「……っう、なんなんだよ……」
「大丈夫だよ、世恋ちゃん」
小さく嘔吐く僕の体をユキが抱き締めてくれた。
人って温かいんだ。
生きてるって、こんなに温かいんだ。
◇
◇
◇
朝だ。
僕の生活は夕方起き早朝寝から早寝早起きに戻ってきたみたい。
寝る前に泣いたせいか鼻が詰まって息がしずらい。
おまけに目が腫れて開けにくい……
ふと、右手で左手首を撫でる。
手首を横切るそれはまだ生々しくて、見るに堪えない。
昨日のあれは、夢だったのかな。
って、僕はなにを残念がっているんだ!
あんなやつ、いなくてせいせいするわ!
「ふうん、そんなこと言っていいと思ってるの?」
「うわあっ」
突然天井から人が落ちてきた。
落ちてきたというか……降臨した?
「だから、昨日言ったじゃん。キミの意識がはっきりしないうちは、ボクは姿を持たないって」
夢じゃなかった……
ユキはいつまでここにいるつもりなんだろう。
仮にだ。
仮に僕がバイトを始めたり、何か目指すものが見つかったら、ユキはいなくなるのかな。
「お、やる気出した?」
「別に、例えばの話だよ」
「だよねえ。いくら仕事とはいえ、さすがに依頼二日目に改心されちゃうと、ボクとしても微妙なんだよね」
ユキはいつも僕の目を覗き込むようにして話す。
でも今は違う。
窓の外を見つめたまま、呟くみたいに言った。
太陽光に照らされて、ユキの真っ白は顔はもはや発光の域に達してる。
「世恋ちゃん、良い天気だよ」
「……暑いだけじゃん」
「そう言わずにさ、散歩にでも行かない?」
「は、はあ?そんなの無理だし!絶対イヤ!」
「静かに。だってさあ、明日は土砂降りかもしれない。土砂降りどころか、太陽がなくなるかもしれないんだよ?」
「どうだっていいよそんなの……!」
「よくないんだよねえ。さ、着替えて顔洗ってきなよ。早起きしたと思ってるだろうけど、こっちの世界は現在九時半だよ」
ユキは顎を手でつまみながら僕の本棚の前でふらふらしてる。
どうやら本を物色してるみたい。
漫画の単行本を一冊取り出すと、僕がいつもしているみたいにベッドに寝転んで漫画を読み始めた。
とりあえず着替えよう。
僕は深い溜め息をついてクローゼットを開ける。
待てよ?
僕は毎日起きてからクローゼットを開けて、服を取り出したらベッドに座って着替える。
でも今日は違う。
ユキがいる!
いくら僕でも、彼氏(仮)の目の前でいきなり服を脱ぎ散らすほど節操のない人間じゃない。
……クローゼットの中で着替えようか。
そう考えた瞬間、漫画本越しにユキが言う。
「あ、別にボクにそういうのはないから。下心みたいなやつ」
「ユキがよくても僕が気にするんだよ!変態!」
「やれやれ、勝手にしなよ。自分を卑下するわりに、生意気だよねえ」
ムカつく!
でも、こんなことでいちいちムカついてたら僕の体が持たない。
冷静になろう。
狭苦しい中で汗だくになりながら着替えてクローゼットから這い出ると、ユキは漫画を枕の上に置いて僕を見た。
「……ふうん、頑張ってくれるみたいだね」
「別に、手に取ったのがこれだっただけだし」
僕はいつもTシャツを着てジャージかスウェットを履いていた。
今日は白地にブルーの水玉模様のブラウスに、少しほこりっぽいジーンズを履いた。
外に出るつもりなんてないけど、仮とはいえ彼氏の前でジャージなんて、かっこ悪いだろ。
「ふうん。世恋ちゃん、ちゃんと女の子なんだ」
「ぼ、僕はただ……っこの服がすぐそこにあったからであって!」
「ん、はいはい」
ユキにいいように扱われてるよね、これ。
でもさ、どうしてだろう。
楽しくて、心の中でポップコーンが飛び跳ねるみたいな、そんな気持ちになる。
ユキは僕に似てる。
いや、ユキは僕の意識の象徴だから、当たり前かもしれないけど……
似てるから、一緒にいても疲れない。
性格も見た目も違うけど、根本的な、もっと奥の部分が同じだから。
「世恋ちゃん、だんだんわかってきたみたいだね」
「……うん」
そうだ。
僕は劣等感の塊で、僕の体を作っている細胞すら劣等感なのではないかと思ってしまうような人間だ。
ほんとうは寂しくて、孤独に耐えられなくて、誰かに必要とされたい人間なんだ。
言ってほしかった。
僕のために向けられた言葉が欲しかった。
そう、ユキのように。
「それで、散歩には行くの?」
逃げるな。
僕はまだ、もう少しだけ。
惨めでもいい。
僕の隣を歩いてくれる人がいる。
「…………行く」
◆つづく◆