六年の隙間
取り敢えず、なのだけど……ジークは、キスしなければ今の所は幼児化する事はないという判断になった。時間経過で元に戻る、という事も。
キスの下りを実の父に説明するのは気恥ずかしかったものの、情報は共有しなければならない為、恥を忍んで包み隠さず話した。……流石に私の内心まで話す事はないけど、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。
てっきりお父様はキスをしようとした事に怒るかと思っていたのだけど、一頻り笑って「生殺しだな」とジークを励ますとも呆れたとも哀れむとも言えない、何とも言えない声で感想をぽつり。
だから生殺しとは何なの、とは聞きたかったものの、ジークも神妙な顔付きで「生殺しです」と答えたのでもう聞くのも疲れてしまった。
何処で通じあっているのだろう、二人は。
そんな訳で今の所はキスをしなければ何も起きる事はなさそうという事で、ジークは日常生活に戻っていた。
さも当たり前のように滞在するジークに、本当に婿に来るんだなと思い知らされてどきどきと、やっぱり不安はある。
けれど、ジークなら自分を大切にするだろうとは分かっているので、怖いとまでは思っていない。優しいし、思い遣りがあるし、基本は紳士的な人だって分かってたから。
まあキスしようとしてた事は、それはそれという事で。
……そんなジークだと分かっていても、どうしても恥ずかしさが強かった。
昔は結婚すると漠然と思っていて、気にした事もなかったのに。ジークと仲良く過ごしていくんだなって、ただそう思ってたのに。
離れ離れでいなければ、こう意識する事はなかったのかな……?
「ジークは、六年間向こうで何をしていたの?」
早く慣れなければ心臓に悪い。
なら、六年間の隙間を埋めていくしかない。離れていたから改めて性別の差を思い知らされたし、知らないジークの一面を見たからこそどきどきした。
手っ取り早いのが、ジークを知っていく事だと思うの。
そう考えた私は、ジークの部屋を訪ねていた。
訪問自体には驚いていたジークだったが、拒む事はない。ただ、ちょっぴり躊躇いがちな様子で、微妙に部屋に入れる事に抵抗を覚えていたみたい。
それでも最後は入れてくれる辺り、ジークも対話が必要なのだと思ってくれたのでしょう。
ジークの部屋は、ひとまず客室という事になっている。正式な部屋はまだ用意出来てない……というか、正式なものになると夫婦の寝室という事になるので、お父様も流石にそれは許さない。
なので同棲という状態ではあるもののお客様の部屋に居るジーク。そんな部屋の二人がけのソファに並んで座って、私は話を切り出す事にした。
流石に唐突かと思ったけど、ジークは気にした様子はなく「そうだな」と少し悩む素振りを見せる。
「最初はまず体を休めてたな。それから、徐々に鍛えていたかな」
「鍛えて……?」
「男らしくなろうと思ってたんだよ。俺、小さい頃は女と間違われるくらいに華奢で弱々しかっただろ」
「まあ、それはそうだけど。実際、ジークは可愛かったもの」
本人からすれば不名誉なんだろうけど、ジークは幼い頃は本当に愛らしい少年だった。ともすれば女児に見られる程に。……私よりも可愛いのだから、ちょっと不公平だったわ。
そんなジークを、歳上の私は猫可愛がりしていたのだけど、ジークにとってはやはり愉快なものではなかったのかもしれない。
仲良くするのは嬉しそうにしていたので、恐らく女の子のようだと思われる事が嫌だったのだと思う。
「体が弱かったから、俺はマリーを守れなかった。だから、鍛えようと思った」
「あれは……」
「それでも俺の為に外に連れ出してくれたんだろう。マリーは悪くないよ」
決して責める事はないジークに、歯噛みしてしまう。
そもそもの、ジークの療養の切っ掛けは、一つの事件からだった。外に二人で遊びに行った、あの日に起きた事件。
あの時の事は恐怖のせいか殆ど薄れて覚えていないものの、自分のせいでジークが怪我をしてしまったという事だけは強く覚えている。
どうしてあんな怪我を負ったのか、ジークは教えようとしない。それがもどかしい。
お父様に説明する際もマリーは悪くないの一点張りで、それ以上私に情報を与えようとはしなかった。
気付いたらジークが怪我していた事しか覚えていなくて、その前後があやふや。
ジークに説明されたお父様も知っているのだろうけど、口は割ろうとしない。どれだけお願いしても、教えてくれなかった。
「まあ、だから鍛えて強くなろうと思ってずっと鍛えてた。ほら、逞しくなっただろう?」
つい思考が過去に囚われようとしているのに気付いたのか、朗らかな笑みを浮かべて胸を張ってみせるジーク。
「……そうね、昔とは比べ物にならないわ」
「だろう?」
「昔はリボンもドレスも似合ったのに……」
「出来ればその記憶は抹消して欲しいんだが」
……それは勿体なくて出来ないというか。
ジークのあまりの華奢さに、今は亡きお母様と一緒にジークを飾り立てた事もある。とても似合っていたし、寧ろ女である自分より可愛いのではないかと軽い絶望を抱かせるくらいには可愛らしかった。
現在のジークは、体格的にとても似合いそうにない。もうジークは私より頭一つ分は身長も伸びたし、細身ながらも引き締まり逞しい体つきをしている。
この見掛けでドレスは……うん、流石にないわね。顔は綺麗なんだけど男の子の顔だし、体格からしてドレスはきつい。それでもある程度様になりそうなのが怖いけど。
ちょっと無理ね、と内心思っていると「似合って貰っても困る」と思考を見抜いたジークに突っ込まれてしまった。
「マリーの方がドレスもリボンも似合うだろう? 六年見ない間に、凄く可愛くなった。昔から可愛かったけどね」
「ジークは口説く事を覚えてきたのね……?」
「人聞きが悪くないか。素直な気持ちを露にしてるんだが」
「そういうのを惚れた欲目って言うのよ」
「惚れてても惚れてなくても可愛いって思うが。それに、万が一そうだったとしても、この気持ちは俺が抱いたものだから変わらない」
……そういう気障な台詞が言えるようになったのも六年間で変わった所だよね、とは思ったものの、指摘しても狼狽える事など有り得ないだろうから飲み込んでおく。
ジークが本気で思っているのは分かるので、頬が熱い。
「六年側に居られなかったのは残念だが、こうして会えたんだからまあ、良いかな」
「そ、それはそうだけど……口説く必要は」
「口説くというか本音だったんだが。マリーは褒められるの、慣れてないようで安心した」
「安心?」
「他の男に言い寄られてなくて良かった、って。六年も居なかったから、どうだったのか俺には分からないし」
初心なままで良かった、と喜んで良いのか叱れば良いのか分からない感想を寄越され、ちょっと唇が尖る。
別に、決して他の男の子に縁がなかった訳ではないけど、離れていても頭にはジークの存在があった。婚約者が居る身で他の男性と良い仲になるなど有り得ない。
そもそもお父様やジーク、オズワルド従兄さんくらいしか深く男性と接してこなかったから、苦手意識があるというのもあり、交友を深めるという事もなかった。
ジークは、私にとって特別。
けれどそれを言ってしまえばジークがべったりくっついて体で喜びを露にする為、内緒にしている。
随分大人びたとはいえ、二人きりの時のスキンシップや甘え方は変わってないのだと気付かされて、微笑ましさと胸の高鳴りを覚えてしまうのだ。
……わざとしてるのかもしれないけど。
「マリーは、六年間何をしていたんだ?」
ほんのり拗ねた仕草を見せると、笑うジーク。ジークも空白の六年が気になったのか、今度は此方がと質問に回る。
「そうね……これと言って何かしていた訳じゃないわ。お祈りして、お父様の仕事を手伝ったりしていたわ。本当は、ジークに会いに行きたかったのだけど」
しかし、それは叶わなかった。
私は、この領地から出る事を許されない。お父様の厳命でもあったのだけど、私自身も立場上出てはならないと思っていた。
私は女神様に祈りを捧げる存在であり、女神様の声を伝える代弁者でもある。その私がこの地を離れる訳にはいかない。祈りを欠かす事で守護を失うかもしれないと考えると、領地に留まるしかないのだ。
だからこそ、再開の喜びと驚きはひとしおだった。まさかジークがこんなに育っているなんて思う訳がないもの。
手紙だけでごめんなさい、と眉を下げるものの、ジークは気にした風でなく手を振って暗くなりかけた空気を吹き飛ばそうとしていた。
「いや、良いんだ、手紙嬉しかったし。それに、義父さんが許さなかっただろう」
「そうね、私もお祈りがあったし、こればかりは此処を離れる訳にはいかないし……」
「……俺を見てあの時の事を思い出されては困る、って事だったけどね」
「え?」
「いや、何でもないよ」
……何か、隠された気がする。
何を言ったかあまり聞き取れなかったものの、笑顔で何かを飲み込んだ、気がする。
それが自分に触れて欲しくない事だから内側に留めているのだろうが、少し、寂しい。昔は何でも相談してくれたのに、今はそうはいかない。……私も相談出来ない事があるから、お互い様だけど。
人は変わる、という言葉を改めて思い、何とも言えずにジークと同じように曖昧な笑みを浮かべる事にした。
「漸く、許可が下りて俺もこの地に戻ってくる事が出来たんだ。まだ街とか見てないし、久し振りだからマリーとお出掛けしたいな」
「そうね。今度、行きましょう」
小さなしこりのような疑問は残ったが、ジークが喋らないのなら仕方ない。無理強いして聞くのも趣味ではないし、此処は気にしない事にしよう。
ほんのり胸が軋んだ音がしたのは、きっと気のせい。ちょっとの隠し事で一々気にしていても仕方ないのだから。
……聞かなければならない、という漠然とした予感がしたけれど、それは飲み込んで、笑った。