事情説明
取り敢えずお父様に相談した所、お父様の爆笑が返ってきた。
「まさか子供になるとは……」
「笑い事じゃないですお父様! ほら、ジークも拗ねちゃってますから!」
正しくはあまりに唐突な変化に笑うしかないといった様子なのだけど、それでも今のジークには突き刺さるものがある筈。というかかなり刺さっているようで項垂れては沈鬱な空気を背負っている。
幾らなんでも本気で凹んでいるジークを笑い飛ばす程豪胆でも無神経でもない為(お父様は前者)、ソファで膝を抱えているジークを宥めようと頭を撫でていた。
ジークは笑われた事が誠に遺憾であると態度で主張していて、不貞腐れたとありありと分かる顔。それがいとけなさを演出しており、庇護欲をますますそそっていたりする。こう、守ってあげたくなるというか?
「ジーク、大丈夫よ? 何とかして戻る方法を探すから、ね?」
「……マリーは俺が子供の方が楽しそうだな」
「そんな事ないわ。その、確かに昔のジークを見られたのは嬉しいけど」
「宥めるのにかこつけて俺を可愛がってないか」
「う」
「否定しないって事はそうだろ。……ああ、分かってるんだ。マリーが心配してない訳じゃない事くらい。ただ、俺は昔の自分に嫉妬するんだよ。昔の方がマリーは好きそうだし」
昔の俺がライバルとか笑えない、と不貞腐れるジークに、何とも言えなくてただそっと小さな背中を擦った。
ジークは昔の自分の方がが好きだ、と思っているけど、別にそういう訳ではない。ただ、慣れ親しんだのが小さい頃のジークの姿で、六年も会っていない為変わり果てた姿にまだ認識が追い付いていないだけ。
勿論小さいジークが好きなのは確かだけど、恋情と言うには随分と子供っぽくて、そして微笑ましさを感じさせるような好意。異性としてというには程遠い。
かといって大きくなったジークに恋をしているかと言えば悩ましく、これから好きという感情を強めていくつもりだった。……だって、いきなり、好きとかそういう事は、決められないし。
そんな段階での幼児化に、どうして良いやら戸惑うしかない。何というタイミング、というよりは女神様が図ったようにも思えるけども。
「ジークヴァルト。取り敢えず、戻る気配はないんだね?」
「……予兆があったら知らせてます。戻るかすら分かりませんし」
「マルグリット、クレメンティーネ様にもう一度お伺いしたか?」
「はい。でも声はもう聞こえなくて……」
「自分達で考えろ、か……」
はあ、と口から出た吐息は重い。
お父様的にも義息子になる筈の存在が子供になったなんて、笑えないだろう。いや、さっき笑っていたけど、あれは現実逃避に近かったし。
私としても、ジークが子供のままというのは色々と困る。主にジークの塞ぎ込みっぷりが。
「兎に角、私の方でも今までミュラーに婿入りする男児にこんな事が起こったか調べておこう」
「……お父様はこんな事にはならなかったのですよね?」
「ああ。何事もなく、というか普通に洗礼を受けただけだ。……だからこそ、驚いてるんだが」
「……俺に問題があったのでしょうか。そうじゃなきゃこんな事にはならないでしょう。婿入りするのは俺なんですから」
子供になってしまった事でかなり落ち込んでいるジークな声は、分かりやすく暗かった。
「……ああくそ。ちょっと部屋に戻ります、頭の中整理したいので」
「ジーク」
「暫く放っておいてくれ」
私の呼び止めにも緩く首を振るだけで応じないジークは、随分と小さくなった体を動かしてリビングを後にした。
お父様は、急に暗くなった雰囲気に愉快ではない顔を浮かべて嘆息を零す。苛立ちではなく、如何ともし難い、と顔が語るように。
「ジークもショックだろうな。折角逞しく成長したというのに、また逆戻りで。兎に角、今は原因究明を急ごう。マルグリットはどうしてああなったか予想はつくか?」
「いえ……。ただ『試練を乗り越えたなら、ミュラーに名を連ねる事を認めましょう。……過去に囚われず今を愛せたなら』
と仰ったので、それに関係があるのかと……」
女神が語る言葉全てに意味があると小さい頃から痛感している為、一字一句間違いなく女神の言葉を記憶している。
過去に囚われず今を愛せたなら、というのが試練の条件だとすれば、それはジークではなく私に問題があるように思えた。
ジークは自分に問題があったと責めているようだが、過去ばかりを思い出し今のジークに馴染めない私に問題があるのではないか。
「つまり、この場合はマルグリットにも理由はありそうだね。マルグリットが大人のジークヴァルトと向き合うべきなのではないだろうか。マルグリットはどうも昔のジークヴァルトの方に親しみを持っているようだし」
「そ、それは、六年間も会わずに居たら、今のより昔のジークの方が、慣れてるというか」
「それが駄目なんじゃないのか。ジークヴァルトは成長したんだ、それを認めてあげなさい」
「……分かってはいるのですが……」
頭では理解していても、どうも表情や態度が従ってくれない。
嫌いじゃない、嫌いじゃないのだけど、いきなり異性としてぐいぐい押されても、戸惑いが強い。個人的には寧ろ、普通に好みの正面真ん中を貫いてくるジークにときめきという名の動悸すら覚えているのだ。
その状態で表面だけでも平静を保つなど、無理に近い。好きだと言い切るにはまだ未発達な感情で、しかし確かに胸に息づく温もりに、私自身が振り回されているのだから。
もじもじ、と少し体を縮めて恥ずかしそうに瞳を伏せると、お父様は世話が焼けるな、という感想と共にやれやれと肩を竦めた。
「兎に角、ジークヴァルトに説明してきなさい。ジークヴァルトは外見は大人になったが、何だかんだ大人ぶって格好付けたがりなだけだし不安にもなる」
「お父様、ジークの事よく分かってらっしゃるのですね」
「同じ男だし気持ちは分からなくもないからな。……昔のジークヴァルトも、子供扱いされたくないって意地張ってたんだぞ」
「え」
あの頃のジークは、今のように押しが強かった訳でも自信に溢れていた訳でもない。どちらかと言えば気弱で、私の後をちょこちょこ付いてくるのが日常だった。
私も、ジークを可愛がるのが当たり前で。ジークも、私に構われるのは嬉しそうだった。
そんなジークが、子供扱いされたくないと意地を張っていた?
「ほら、様子見てきなさい」
「は、はい」
深く考える前にお父様に促され、自室に戻ったであろうジークを追い掛ける事にした。
考えれば、そうだったかもしれない。
ジークはいつも自分と過ごすのは嬉しそうにしていたが、時折拗ねたように膨れっ面している事もあった。そしてそれは大抵自分が歳上ぶってジークを弟分のように見ていた時だ。
思えば、あの頃からジークは、ジークに対する見方にちょっと不満を抱いていたのだろうか。
「……ジーク、良い?」
控え目に扉の側から声を掛けると「……何だよ」といつものジークにはない素っ気なさというか分かりやすく不貞腐れている声が返ってきた。
入っても良いかと問うと暫し躊躇ったらしいけど了承の返事が来たので、おずおずと入室する。
ジークは私を迎え入れたものの、複雑そうな顔をしていた。
「その、ごめんなさい」
「え?」
堪らず開口早々に謝ると、目を丸くするジーク。
「子供になったの、ジークは悪くないんだよ。多分、私のせいだと思うの」
「……どういう事だ?」
「あの時、過去に囚われず今を愛せたなら、って言われたでしょう? 多分だけど、私がちゃんとジークの今から目を逸らしていたから、だと思う」
やや躊躇いがちに告げると、ジークは驚きつつ真偽を問うように私を見上げる。
「ちゃんとジークの事、男の子だって受け止められなくて。ううん、受け止めたくなかった、のかな」
「受け止めたくなかった?」
「だ、だって、ジーク、凄く格好良く、なってたし……その、恥ずかしくて。認めたら、意識せざるを得ないでしょう?」
六年間の空白は、お互いに大きすぎた。
知らない間にジークは凛々しい青年へと変貌を遂げ、自分など簡単に包めるぐらいに大きく逞しくなった。
距離と空白期間が、年下の幼馴染みであるという認識を強固にしてしまい、実際会った時に大きなズレに。
詰まる所、昔と今のギャップに驚きと困惑でよそよそしくなってしまったのだと、思う。ジークが贔屓目抜きに美形に成長してしまった、というのが一番原因としては大きいのだけど。
ジークもジークで自分の見掛けを分かって近付いてきているし、その癖破壊力を見誤って私にいつも内心で悶えさせている。ちょっとは、手加減して欲しい。
甘い声で囁かれたら、逃げ腰になって当然だもの。
「今のジークと結婚とか、考えたら、恥ずかしくなって」
「つまり、俺にどきどきしたくなくて、目の前の俺から目を逸らしていたと」
「……うん」
「……マリーは、俺の事嫌いとか結婚したくないとか、そういう訳じゃないんだな?」
何を言い出すのだろうか。
羞恥と困惑こそあれど、自分は嫌だとは一言も言っていないのに。
「う、うん。その、ジークが良いよ……?」
「そうか。……それなら良いんだ」
安堵したように肩と顔から力を抜き柔らかく微笑んだジークに、子供のままの姿だというのにどきりと胸が疼くように鼓動が跳ねた。
幼い笑顔には一匙分、私の知らない何かが隠し味として入れられていて、不思議と胸の奥と顔に熱が集まった気がする。それが何かまでは分からなかったが、じわりと燃え広がる熱。
思わず胸をそっと押さえて息づく何かを確かめようとして……不意に、光。
びく、と体を縮めて突然の発光に目を細める。光は、ジークから放たれていた。
「……あ」
そして光が収まった時、何処か呆けたような声が口から零れ落ちた。
ジークもまた同じように声を出したのだけど、その声は上から降ってきた。
目の前のジークは、数時間前と同じ、青年のものへと戻っていた。
太陽の美貌を持った青年は、驚きに目を瞠りつつもほんのり満足げに口の端を吊り上げる。元の姿に戻ったジークは変わる前のコート姿で、思い出の姿は何処にもない。一人の男が立っているだけだ。
ただ、それが当たり前なのだと受け止められるくらいには、余裕は出来た。成長したジークなのだと、思えるくらいには。
「戻ったな。……マリーが受け入れてくれたから、かな?」
「わ、分からないわ」
「まあ良いさ。戻った事には変わりない」
これでちゃんと言う事が出来る、と朗らかに笑ったジークに、また胸が疼く。
好きだと断言するには未熟すぎて、でもただの幼馴染みというには膨れ上がった感情。相手が未来の夫という事が感情を余計に勢いづけているが、それでも抱いたものは紛れもなく私が感じたもの。
「マリー、俺は男だし、君を女性として愛している。まだ気持ちはこっちに向いてなかったとしても……それだけは、理解してくれないか」
「……は、はい」
どれだけ想われていたか、正確に把握など出来やしないけど、それでも六年間距離も時間も空けていて尚好きでいてくれるジークの意思に、混ざりものなどない事は分かる。
態度に言葉に眼差しに表情に行動、全てが『マリーが好き』という事を雄弁に語っていた。今更疑いようなどなかった。
だからこそその揺るぎない思いを拒まず、静かに頷くと、ジークはただ穏やかに笑って側に居た私を抱き締めて。
やはり、改めて思うのが、ジークの成長具合だ。頭一つは違うし、簡単に腕の中に収まる。頬が触れている胸板は引き締まっているし、抱き締めてくる腕は硬い。
目の前に立ち包み込む幼馴染みは男なのだと、身を以て理解させられる。
気恥ずかしくて、でも嫌だとはこれっぽっちも思わなくて、おずおずとジークの顔を見上げると、思ったよりも至近距離で端整な顔と出会う。
ゆるりと微笑んだジークの顔が近付いても、逃げようと考えが至らなかった。
唇が自分のものと重なろうとしたその時、ぽんっと何か抜けるような、音。
それが発光を伴ったものだと気付いたのは反射的に目を閉じてからで、そして抱擁の感触が消えた事に何だか無性に嫌な予感がした。というか、そうなのだろうと一つの想像が頭をよぎり、恐る恐る瞳を開けて……。
そして、唖然として目を落とさんばかりに開きわなわなと体を震わせるジークを、見下ろす事になった。
「……ええと、キスしようとしたら子供になる……のかしら?」
「何でだよ嫌がらせか!?」
変化の仮定を呟くと、悲鳴じみた抗議の声が上がった。
……ど、どうやら、女神の試練は終わってなくて、ジークには果てしなくもどかしい制限付きのものらしい事が発覚しました。