いきなりの同棲に?
何故かジークに引っ張られる形で客間のソファに腰掛けた私は、そわそわしながらも隣に陣取っているジークを横目で窺ってみる。そして隣に腰掛けるジークは、見れば見る程成長したのだと思い知らされた。
騎士も斯くやという程に逞しく、それでいて武骨な雰囲気や姿ではない、洗練された体つきと所作が目につくのだ。
フロックコート越しにもしなやかでいて引き締まった体つきがあるのは分かった。……尤も、思い知らされたのは抱き締められたせいでもあるのだけど。
そんなジークは、有り体に言えば、非常に見目麗しく頼もしく育っていた。
……あの子犬っぷりが嘘みたい。私よりも小さくて、か弱くて、大人しかったあのジークは、何処に行ってしまったのだろう。
六年間で、こんなに変わるものなのかしら。
どうしてこんなにも、と溜め息をつきそうで慌てて押さえると、隣のジークは不思議そうに此方を見ていた。
窺うようなその眼差し表情、仕草は昔のままで、少しだけ安堵してしまう。
「それで、お話って何……?」
「マリー、君は俺の婚約者だな?」
「え、ええ、そうね」
「……なんでそこで複雑そうな顔をするんだ」
咎めるジークも複雑そうな顔をしているが、それは自分のせいなのでぐっと飲み込む。……嫌ではないと分かって欲しい、ただ、戸惑ってるだけ。
「だ、だって、私の知ってるジークは、もっと、可愛くて子犬みたいで……」
「いつまで俺を子供だと思っているんだ。もう子犬は卒業した」
「子犬のジークは可愛かったのに……」
綿毛のような柔らかい金髪にくりくりとした大粒の翠眼、それに加えて幻の尻尾を振らんばかりに私に引っ付いて過ごすジークは、少なくとも子犬そのものだった。
今や、逞しい大型犬になってしまったが。
子犬と称されたジークは複雑そうにしていたものの、声を荒げる事はなくあくまで紳士的な佇まいを崩さない。ただ、やや呆れたような顔はしたけれど。
「子犬は無理だが、君が望むなら幾らでも尻尾は振ろう。それより、話をして良いだろうか?」
「う、うん」
「今日此処を訪れたのは、久し振りにマリーに会って驚かせたかったのと……今日から俺も此処に住むからだ」
「……え?」
「だから、俺も此処に住む」
今、何て言っただろうか。聞き間違えでなければ、此処に住むって言った気がするのだけど。
「……ええと?」
「もう一回? 俺は、ミュラー邸で暮らす事になった」
嫌がる素振りを見せずにもう一度丁寧に説明してくれたジークに、絶句。
今日から、此処に住む。
今日から、ジークがこのミュラー邸に住む、という事で。
「……えええええ!?」
思わずすっとんきょうな声を上げて慌てて口許を押さえるが、開いた口が塞がらない。ジークが滞在ではなく住むなんて全く想像していなかった。
というか今日此処に来る事を直前で知らされたのに同棲なんて想像する筈がない!
「近い将来結婚するから問題ないだろう?」
「お、大有りだよ……!?」
婚約者様の平然とした顔が、この時ばかりは少し憎かった。
そりゃあ、私も滞在は快く受け入れるつもりであったし、互いの事も改めて知っていくつもりだった。時間があれば隙間もゆっくり埋めていける、そう思っていたのに。
それを、いきなり段階をすっとばかして同棲というステージに進むなんて想定外だったし、当然慌てもする。嫌だとは決して思わないが、幾らなんでも早すぎだとお父様に泣き付きたい気分で一杯だった。
というか何で同棲を承諾したのですかお父様!
頼みの綱のお父様は凪いだ瞳で、対照的な私とその婚約者の様子を見ているだけで。
「マルグリット、もう決定した事だしジークも荷物も持ってきているから。まあ、諦めてくれ」
「聞いてません!」
せめてもっと早く言ってくれれば心の準備も出来たのに、とお父様を恨みがましげに見るものの、こういう時のお父様は私にも譲らない。何だかんだ頑固なお父様は、平然と視線を流すだけ。
「今言ったかからね。マリーは嫌か?」
「い、嫌とかじゃなくて、何で……っ」
「将来の予行演習?」
悪戯っぽく囁いたジークの艶っぽさに自分の知らない顔ばかり見せられて、ただ頬を染めて襲い来る現実とあらぬ想像を頭から追い出す事に必死になるしかない。
そりゃあ、私だって子供ではないし夫婦のあれこれも頭に入っているの、わ。や、そういうのじゃないって分かっているのだけど、ジークがやけに色っぽくて、あらぬ方向に思考が飛んでしまう。
変な想像に頭を振って追い出しにかかっていると、ジークはひっそりと笑い、それからひらひらと手を振った。
「マリーが妄想逞しいのは構わないんだけど、主目的は色々と別にあるから。俺的にはマリーの側に居る事が主な目的だけど」
「妄想逞しいって……!」
「取り敢えず、俺は此処に住まわせて貰う事になった。悪いが決定事項だ」
マリーに拒否権はないよ、と念押しをされたが、言われなくてもそれくらいは分かっている。
お父様が決めているのだから逆らえる訳もないし、その別の目的の為にジークがやってきたのも事実だと何となく察していたので、本心から拒みはしない。
ただ、感情は理性とは別物で、これからの生活を想像すると、胸が高鳴りを越して早鐘のように打ち付け出す。
……ジークと、一緒に暮らす。つまり、毎日顔を合わせるって事、よね?
「……へ、部屋は、別よね……?」
「流石に未婚なのに男女一緒にはしない」
「マリーは一緒が良かったか?」
「いや!」
「……そこまで言われると傷付くぞ……」
きっぱりと意思を口にすると、思ったよりも強く響いてジークが分かりやすく眉を下げて瞳を揺らがせた。……その姿にしょぼくれた犬を連想してしまい、一気に罪悪感に襲われてしまう。
傷付けてしまった、とおろおろとジークを見て、凹んでしまった婚約者様の機嫌を元に戻そうと慌てて掌を握った。
「ぅ、ち、違うの、嫌いじゃないわ! ただ、その、節度ある交際にしなきゃ駄目でしょ? ジークの事が嫌いとかじゃ、ないの」
「じゃあ好き?」
「それは……」
す、好きとか今関係ないと思うのだけど! 嫌いじゃないけど、けど……!
とにかく一緒の部屋で寝泊まりは外聞とかも良くないから嫌なだけ、そう必死に訴えると、ジークはゆるりと微笑む。……その様子に猫かぶり、いや犬かぶりされたのだと気付いたけど、遅かった。
からかわれていたのだと気付くとまた頬がかっかとしてくるが、此処で負けてしまうとずっと負け続けになりそうな予感がしたので、何とか平常を装っておいた。
……昔より、強かになっているわ、確実に。
「誘導尋問には答えませんっ」
「ちぇ。……まあ、婚約してるからゆっくりでも良いが。また今度じっくり聞かせて貰うよ、お互いに知らない所とかも増えたしな」
「っ」
それでも上手なのはジークで、太陽のような美貌に月のような色気を漂わせるのだから、堪ったものでない。主にやられるのは、私なのだから。
「二人共、仲が良いのは良いけど、節度は守ってくれよ」
「当たり前です!」
また声を荒げてしまって今日はぷりぷりしてばかりだ、と内省するものの、ジークの顔を見ているとどうしても昔のジークばかり思い出してしまって現実のジークとの差異に戸惑ってしまう。
いっそ今日が初対面の方が狼狽えなかったに違いない。多分、見とれるくらいで済んだ筈だわ。
「じゃあ、今日から宜しくね、マリー」
そんな私の心境など知らないジークの、飛び切りの笑顔にノックアウトされて、言葉を失ってただ頷くしかなかった。