刻み込まれた痕
外出禁止令はまだ解けないので、必然と外に出られるのはクレメンティーネ様への祈りの時間だけになる。
ミュラー邸から少しした所にある聖殿、その周囲には結界があり私だけしか入れず、そもそも聖殿自体ミュラーの敷地内にある為、安全なのだ。
供を連れずとも安全、というよりは連れてきたところで外に待たせてしまうので、意味がないにも等しいというか。
そんな訳で一人で聖殿に行き祈りを済ませるのだけど、やはりクレメンティーネ様は呼び掛けに応じない。
元々女神様は人々を見守るけれど不必要には手を貸さず、試練を課したら後は見守るだけなのだ。答えが返ってくると期待しては駄目だもの。
やはり、私が今のジークを愛さなきゃ駄目なのかしら……と、とぼとぼ結界内――聖域から出た所で、ジークと鉢合わせた。
朝の稽古、なのだろう。
片手には、剣を手にしている。剣を扱えると本人も言っていたし、日頃から鍛えているとも言っていた。ジークが素振りをする事には何も疑問を感じなかった。
――そう、その行動だけ、なら。
「……マリー? どうしたんだ、固まって」
剣を一旦地面に置いて、タオルで汗を拭うジークは、上半身が露になっている。
朝日を浴びて金髪を煌めかせている姿に、視線が釘付けとなって。
……初めて、ジークの体を見た。
服越しにはあくまで逞しいけど細身という印象が窺えたのに、脱いでしまえばそれは違うのだと思い知らされる。
過度ではないものの、肌に陰影を作る筋肉。二の腕は私よりもずっと太いし、腹筋は綺麗に割れている。
鍛え上げた、というよりは美しくて、それこそ彫像にありそうな肉体美。画家が頼み込んででも描きたいと言われそうな、均整の取れた体つきで。
滴り落ちる汗が、やけに、艶かしい。
小さい頃のジークは細くてぷにぷにとしていて、とてもじゃないけど男の子には見えなかった。
けど……今のジークは、何処をどう見ても、男性にしか思えない。分かっていたけれど、あまりにも違いすぎる。
「祈りの帰りか、この調子だと。……さっきからどうしたんだ?」
火照った肌のままに近寄るジークからは、何というか色気が漂ってくる。ちょ、直視出来ない。
「あ、あの、ジーク、その……服を着てくれないかしら」
「……ああ、マリーには刺激が強かったかな。初心だもんな、マリーは」
「殿方の裸なんて見る機会がある訳ないでしょう! 大人の裸なんてジークが初めてよ!」
当たり前だけど、私は婚約者が居るから、他の殿方と親しくする事はほぼなかった。
そもそも、私は不必要に外には出なかったし、父様も誰か見張りを付けて外出させていたもの。友人も安全な人に制限される。
幾らジークが領地に居るからって、他の男性と懇ろになるなんてまず有り得ないし、そもそも婚約者が居るのにそんな、はしたない真似はしないもの。
ジークは私が真っ赤になりながらの言葉に満足げな表情だ。
「それは良かった。まあ慣れてくれないと、その内嫌でも見るようになるし……」
「ジーク!」
「分かった分かった。いじめすぎたな」
そりゃあ、いずれ結婚するけども! 今そういう事を考えるなんて!
そういうところ可愛げなくなった、と涙目で声を上げると、ジークもからかうのは止めてほんのりと苦笑。それから、私に配慮してかくるっと背を向けて、側に置いていたシャツを手に取る。
そこで、私は初めてジークの背中を見て……思わず、駆け寄る。
「マリー、どうしたんだ。俺の裸は目の毒じゃなかったのか」
「……これ、どうしたの……?」
そこで、ジークは気付いたらしい。微かにたじろぐ気配。
そっと手を伸ばすと、背中に刻まれた傷の痕が僅かに震える。
肩口から、肩甲骨を通り背の中頃伸びた傷。何か、刃物のような物で真っ直ぐに切れている、感じの痕。
大きく背に残されたそれはとっくの昔に塞がれているもので、でもありありと怪我の酷さを示している。
「これ、昔の傷……? でも、あれ、こんな酷かった、かしら……? あれ……?」
「――見掛けだけ派手に怪我しただけで、実際はマリーが心配する程でもなかったよ」
昔の事だよ、と笑ったジークは、何処かぎこちなくて。
「というか、俺の裸をじっと見てるけど、もう免疫ついたのか?」
ジークのからかうような声に慌てて離れて後ろを向くと、衣擦れの音。
シャツを一枚羽織ったジークが「もう良いよ」と言うまで、鍛練後のジークに負けず劣らずで火照った頬を押さえる事に必死になっていた。
……幾ら婚約者で上だけとはいえ、殿方の裸を見てしまった。その上、背中に触ってしまうなんて。
お父様に見られたら「節度を持って交際しなさい」と怒られてしまう事間違いなしだわ。
「……マリー、まだ恥ずかしがってるの?」
すっかり熱も放出されて落ち着いたらしいジークは、からかうような笑み。未だに恥ずかしさで目を逸らすしかない私に、やっぱり楽しげに喉を鳴らしている。
ジークは、恥ずかしくないのかしら。たとえば私が裸で迫ったら、慌てたりとか……いやしないけど。私が恥ずかしいし、はしたないもの。
「……ジークの、ばか」
「見たのはマリーだろう?」
「そ、そうだけど、私が通る所にわざわざ居なくても」
「此処が人が来なくて静かだし広いから丁度良いんだ。……ミュラーの敷地内だから問題ないだろう?」
「うっ。……せ、せめて、裸は止めて頂戴。目のやり場に困るもの」
「はいはい。次からはそうするよ」
これくらいで照れるなんて可愛いなあ、と付け足したジークを涙目で睨んだら睨んだで笑われるから、本当に可愛げがなくなったと思うの。
もう、とそっぽ向いた私をひとしきり笑ったジーク。
「俺としては、マリーの肌も見てみたいけどな」
「ジークっ!」
「マリーはきっと傷一つない肌だろう? さぞや綺麗だろうと……冗談だから怒らないでよ、流石に順序踏むから」
いやらしい事言わないで頂戴、と怒ろうにも、何だか何かを確認するように呟かれて、少しだけ固まる。
けどジークはにこりと笑って「将来の妻だから許してくれ」と宣うから、恥ずかしさやら何やらでジークの胸をぽこっと叩く。
ジークは笑って私を抱き締めようとするので、私はまた顔を真っ赤にしてされるがままになるのだった。




