ボーダーライン
私が外出時に倒れてしまった事はお父様の耳にも当然届いてしまって、お父様にはとても心配をされてしまった。
屋敷のみんなにも心配をかけてしまったので、今度は体調には気を付けて外出しなければと心に誓う。……いえ、その、ジークとのお出掛けに限定する訳じゃないけど!
「マリー、どうかした?」
「な、何でもないのよ」
お父様に気を使われたのか、暫くは無茶しないようにと念押しされて女神様へのお祈り以外、外出を許可して貰えなくなった。
代わりにジークが居間で私に構ってくれるというか、嬉々として側に居るというか。
それは良いのだけど……やっぱりジークと二人きりというのは、ちょっとまだ気恥ずかしさがある。
先日のお出掛けもそうだけど、隣にジークが居るというのは、嬉しい反面ちょっと身構えてしまうのだ。
ジークは、過度な接触はしてこないけど、寄り添おうとはしてくるから。今まであった距離を埋めよう、という努力の表れなのだろうけど、私の心臓がドキドキして仕方ないというか。
「……そろそろ慣れてくれないかな? デートした仲じゃないか」
「っ、だ、だって……その、ジークが」
「俺が?」
「……か、かっこ、いい、から」
何て恥ずかしい事を言ってるのか。
本人には言いたくなかったけど、こういうしかない。
ジークは、やっぱり格好良い。多分十人中八人くらいは振り返るし、残りの二人も好みではなかろうが綺麗だなと思うような整った顔立ちだ。
昔のあどけない顔から、精悍な顔立ちに。洒脱な雰囲気は嫌みがなくて、女性を魅了していきそうな程。
その癖笑うところは昔を感じさせて何というか、こう、胸がむずむずする。
私は昔からそんなに変わっていなくて、余計にジークの成長が際立つというか。
「……マリーは、そういう照れた顔を人に見せちゃ駄目だからな」
「こ、こんな事、ジークにしか言わないもの……」
そういう照れた顔、と言われても困るのだけど、こんな顔を人に見せるのも恥ずかしいから見せるつもりもない。……ジークにだって、じろじろ見られたくはないもの。
ジークが注意しつつ何だか顔を押さえて溜め息をつくから、そんなにひどい顔をしていたかしら、と私も自分の頬を押さえると、ジークが指の隙間から此方を覗くのが見える。
「……マリー、俺は今すぐ君に触れたい」
「ふ、触れたい……って、言われても」
「でも過度な接触は、マリーにもエリアス義父さんにも駄目って言われるし、あまりやり過ぎれば俺は子供になる。だから……取り敢えず、何処までが許されるのか、確かめても良いか?」
……制限がなければ何だか恥ずかしい事をされたのでは、と思ったものの、ジークの深刻そうな顔に指摘する気にはならなかった。
い、嫌じゃない、けど、なんというかそういう事は早いという私の中の常識が、警鐘を鳴らす。嫌とかじゃ、ないけども。
何処まで許されるかのボーダーラインを確かめる、くらいなら良いかなと頷くと、ジークはさも嬉しそうに破顔した。……一瞬犬の耳が見えてしまったのは気のせいだ。
「……マリー」
愛おしげに私の名前を呼ぶジークが、私を胸の中に誘う。
ぽす、とジークの腕に簡単に収まって。それだけ、私とジークには差が出た。
きっとこれは当たり前の事で、側でその成長を見てきたならば、此処までどきどきもしなかったのかもしれない。
けれど、私達には六年も間が空いてしまった。
子供だと思っていたジークが大人になってしまって、昔のジークと今のジークの差に、どうして良いのか分からない。ジークは、今も昔も、変わらずに私を想ってくれて……。
私が、ちゃんと応えられないから悪いのに。
ジークは私を包み込んでは、確かめるように背中に手を回す。
逞しい腕に包まれるのはやっぱり、恥ずかしくてみじろぎしてしまうのだけど……それすら、ジークには可愛がる材料にしてしまうらしくて、耳元で笑っている。
「抱擁は大丈夫、と。前もやったからそうだとは思ってたけど。……マリー、可愛い。顔真っ赤」
「そ、そんなの、ジークのせいよ……」
「そうか? 俺に意識してくれるなんて嬉しいよ。このまま、俺の事を愛してくれたら言う事はないんだが」
「っ、も、もうっ!」
からかうように言われて余計に頬か熱くなる。
私の羞恥の燃やし方をよく知っているジークは、言葉の一つで簡単に火を煽るのだ。
……というか、ジークってばたらしになりすぎて困るのだけど。私限定、みたいだけど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
ジークの腕の中でかっかと燃え上がっている私を、彼はやっぱり愛でるように眺めては「可愛いなあ」と更に油を注ぎ入れるので、ジークは性格が悪くなった気がするのよ。
恥ずかしくてぷるぷると体を揺らす私を暫くご満悦そうに眺めていたジークだけど、ふと、笑みの質を変える。
それは、艶が混じった、何処か蠱惑的な笑みで――ぞく、と背中が自然と震えた。
「……マリー、逃げないでくれよ?」
耳元で囁かれたのは低くて、とろりと甘い声。それが耳から入り込んで、勝手に動きが止まってしまう。
まるで麻酔みたいだ。
命令ではないのに、甘美な響きを伴って、私を支配する。
喘ぎそうになる程に心臓がうるさい私に、ジークはゆっくりと顔を近付けて――額に口付ける。
柔い感触は確かに訪れて、接触点から熱を広げていく。
きゅ、と瞳を閉じれば至近距離で笑う吐息。
それから、ゆっくりとジークの吐息が額から下りていき、今度は鼻の頭に唇が掠める。
閉じた瞼にも唇が落とされて、大袈裟に体を震わせると「くすぐったかった?」とわざとらしく問い掛けるから、抗議に胸を叩いてもびくともしない。
今度は頬に口付けを受けたけど、わざと音を立てられて無性に恥ずかしくてそっぽを向こうとすれば、ジークの掌にそれを遮られる。
後頭部にそっと掌を添えられているだけなのに、何故か抵抗を許さないような雰囲気で。
恐る恐る瞳を開けると、息が絡み合う距離で。
透き通りそうな翠の瞳は、ただただ愛おしげに私を見つめていた。
「……マリー」
囁きは、合図だったのかもしれない。
そっと、自然な動作で私の唇に唇を重ねようとして――ポンッ、と。
ワインのコルク栓を抜くような音を立てそうなように、光と共に子供になった。
一瞬にして仏頂面、というか不機嫌な表情になるジーク。
子供になってしまうとこんなに至近距離に居ても、そんなにどきどきしないので、私にとっては幸いだったりする。
「……やっぱり口にキスが駄目なのか……」
キスくらい良いだろうキスくらい、とぼやくジークは、やっぱり可愛らしさが強い。
抱き締めるというよりは抱き付く形になってしまったジークに苦笑。
「……これ、いつ戻るのかしら」
「時間が経てば戻るとは思うが……ああ、マリー」
「なに、」
どうしたの、と言おうとして、今度こそ唇が塞がれた。
柔らかい感触に、塞がれなくても絶句してしまう。
ぱち、と瞬きを繰り返す私を、ジークはゼロ距離で見つめてはちょっぴり得意気に瞳を細めた。
「子供の姿でキスは許されるんだな」
「も、もうっ! ジーク!?」
「昔はしていたから良いだろう」
唇を離してしれっと言ってのけるジークにわなわなと唇を震わせたものの、ジークは意に介した様子はない。
「子犬に噛まれたと思えば良いだろう? 君にとって、今の俺は子犬なんだろうから」
「……ジーク、根に持ってるよね?」
「どうせ子犬さ」
……どうやら、私が小さくて可愛いとか、昔小さなわんこみたいとか言ってた事に蟠りを持っていたらしい。
その、貶すつもりは一切なくて、年下だったジークはやっぱりあの頃は可愛い男の子だったし、異性というよりは仲の良いお友達で、……わんちゃんみたいな可愛さがあったから可愛がっていた、訳で。
「え、ええと……その、可愛いよ?」
「嬉しくない!」
「だって……えーと、ほら! 良い子良い子」
ジークが吠えたので宥める為にぎゅっと胸に抱えるように抱き締めると、途端に動きを止めるジーク。
もぞり、と顔を上げるジークは、落ち着いてきた私とは逆に真っ赤になっていた。
「……マリー、俺は男だぞ。……子供だけどさ」
「機嫌直して?」
「分かったよ、誤魔化されておく。……いや役得なんだけどさ」
最後の呟きは何だかもごもごと言いにくそうで、上手く聞き取れなかった。
ただ、拗ねているのは直ったらしい。
背中を撫でていたら、ジークのまあるい翠の瞳が何処か、焦燥にも似た感情を含ませて、私を見上げる。
「……マリー、言っておくけど、外面は子犬でも中身は狼だからな」
「えっ?」
「……今は子犬で居てあげるさ。女神の試練だからな」
わん、とわざとらしく鳴いてちょっぴり名残惜しげに体を離すジークは、不意に唇を吊り上げた。
「だから、乗り越えた後は覚悟して欲しいな?」
にや、と笑ったジークは、何処か幼げな容貌に色香を纏わせていて、不覚にもどきり。
心臓がまた暴れだすのだけど……ジークは、ただ中性的な笑みを浮かべては、私が少しずつ赤みを増していくのを機嫌よさげに眺めていた。
という訳で『忌み子でぼっちな王子様を手なずける方法』完結致しましたので此方を再開させていただきたいと思います。
都合上三月後半までは不定期になりますが、それからは定期的に更新できたらなと思いますので、応援して頂ければ幸いです!




