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六年ぶりの再会

 私ことマルグリット=ミュラーには、可愛い婚約者が居る。

 名をジークヴァルト=ローエンシュタイン。二歳年下の、伯爵家三男。彼は跡を継げないので、ミュラー伯爵家の一人娘である私と、婿として結婚してミュラーの家を継ぐ事になっている。


 そんな、私の婚約者のジークヴァルト……ジークは、とても可愛い。

 二歳年下であるというのも理由だけど、ジークは体があんまり強くなくてほっそりとした子で、お化粧をすれば女の子と見紛うくらいに端整な面立ちをした男の子だ。さらさらした金髪も、翠玉を思わせる翠の瞳も、真っ白な肌も、全部お人形さんみたいな愛らしさがあった。


 そんな子だったから、私も婚約者としてではなく、可愛い弟分として見ていた。遠い領地からやってきてくれる彼は、会えば笑顔で駆け寄って抱き付いて「マリー」と嬉しそうに愛称を呼ぶ。


 そんなジークが可愛らしくてついつい甘やかしたりしていたし、ずっと、金の毛並みの子犬みたいな存在に思ってしまっていた。

 ある事を切っ掛けにジークが領地で療養する事になり、私も会いに行けなくて文通だけで、ジークが十歳の頃から六年程会わないままでいても、きっとジークはあの愛らしい笑顔は変わらないんだろう。


 そんな風に思い続けるくらいには、私の中でジークの可愛さは不動たるものだった、のに。


「マリー」


 どうして、目の前の青年は切れ長の翠の瞳を細め、とても美しく凛とした、艶やかな笑みを浮かべて私を見るんだろう?





 始まりは、天気も良く穏やかな気候の日だった。


「マルグリット、来客があるから玄関に迎えに行ってくれないか」


 リビングで読書をしながら寛ぐ私に、お父様はやや弾んだ声でそう切り出した。


 良いところだったのに、とは思ったものの流石に本を読みながらは失礼だからと本から顔を上げ、字の羅列と追いかけっこを止める。そしてお父様の顔を見て、こてんと首を傾げるしかない。

 お父様はいつにも増して上機嫌そうな笑顔だった。


 ……こんなに上機嫌だと裏がありそうなのだけど。


 父は、私に甘い。

 溺愛されている自覚はあるし実際に亡くなったお母様の分まで愛情を注いでくれるし、決して私にとって悪い事はしない。

 それは分かっていたものの、どうも……ちょっぴり、いやかなり胡散臭すぎる笑顔に困惑を隠せなかった。


 言葉から察するに来客は待ち望んでいる人間だとは分かったけれど、相手が誰なのかちっとも予想がつかない上に何故自分に頼むのだろうか。

 残念な事に、私にはお父様が何を望み何を意図しているのかさっぱり分からないのだけど。


「お父様がお迎えした方が良いのでは?」


 お客様ならば、ミュラーの家長であるお父様が迎え入れるのが筋でしょう。

 けれどお父様は私の言葉に緩やかに首を横に振って「マルグリットが迎えるべきだ」と柔らかくも拒否権を与えない言葉を返した。


 何故私が? と余計に疑問が深まるけど、それが顔に出ていたらしくお父様はひっそりと苦笑しては焦げ茶色の髪を指で弄る。

 それは、お父様にとってに何か嬉しい事があった時の癖で、よく分からないけれど娘の私にも吉報であるみたい。……本当にどうしたのかな。


「何か良い事があったのですか?」

「実は、六年ぶりにジークヴァルトが此方にやって来るんだよ」

「ジークが!?」


 ジーク、という名を聞いた瞬間、堪らず声を上擦らせて立ち上がってしまった。その勢いは膝から本が落ちる程で、ばさりと本が音を立てたのに気付いて慌てて座り直して本を拾う。

 ……はしたないと怒られてしまいそうね。


 お父様は粗相を仕出かしてしまった私に微笑ましそうな眼差しを向けてくる。生暖かい眼差しを受けても、反論は出来ない。自分の慌てようも自覚しているもの。

 焦りと羞恥で頬がうっすらと熱を帯びてしまったけど、それだけ慌てる程に、お父様の言葉が多大な影響を及ぼしたという事の裏返しでもあった。


 ずっと会っていない、私の婚約者。


 昔あった、一つの出来事がきっかけでもう六年も会っていないものの、ジークと文通は欠かした事がない。

 便りではもう体は健康になったと書いてあったし、早くマリーに会いたいと零していたので再会を楽しみにしていたのだけど……まさか今その時が訪れたなんて……!


 それならば私が迎え入れるのが良いのは分かる、と得心してしまった。

 何せ六年ぶりの再会なのだから、婚約者が出迎えた方が良いに違いない。 ジークだって、私が出迎えた方が、喜んでくれる……よね?


「ジークが、イスヴァーレンに……」


 ミュラーが治めるこの地に、ジークが来る。


 お父様が何故私に出迎えさせたかったか。それは、六年ぶりのジークと二人きりにしてあげようという魂胆なのでしょう。

 お父様なりの気遣いを理解して、ついつい頬が赤らむと同時に緩んでしまった。


 親同士仲が良くてこの婚約が決まったし、お父様もジークの事をいたく気に入っている。私達自体仲が良いから円満な婚約となっていて、双方不満のない婚約、な筈。


 そんな婚約者達の久し振りの再会を果たすのだから、お父様も考えてくれたのでしょう。

 ……父親に気遣われるのは気恥ずかしいけど、今は素直に、その気遣いが嬉しい。だって、ジークと久し振りに会うんだもの。


「ジークはいつ頃屋敷に着くのですか?」

「そろそろだと思うが……」

「じゃあ玄関に行きますっ」


 最初は理由も分からなくて乗り気にはなれなかったけれど、理由を聞いてしまえば俄然出迎えに行かなければという気分になる。

 自分が出迎えたら、ジークはきっと金色の髪を揺らしてあの可愛い笑顔を浮かべてくれるに違いない。きっとそうだ。


 行かなくちゃ、とつい言葉に出してしまった私に、お父様は微笑ましそうに「出迎えに行きなさい」の一言。

 何だか生暖かい視線を感じるものの、今はそんな事些事で、頷きも早々に走る……のははしたないと叱られるから、早歩きでリビングを後にする。


 先程の本の中身なんて、もう頭からすっぽり抜けていた。


 頭にあるのは、昔見た子犬のような愛くるしい笑顔。いつもいつも後ろに付いてきて抱き付いていた、あの頃のジークの姿。


 今ジークは、確か……十六歳かな。

 流石に全くあのままでいるとは思っていないけど、二歳も年下で、それに元から小柄な体つきだったから、きっとあの可愛らしさのまま成長を遂げたのだと思う。


 想像のジークは相変わらずのあどけない笑顔を浮かべて私にくっついてくる。私はそれを受け止めて笑う。

 抱き締め返したら、きっとジークは嬉しそうに相好を崩して「マリー」と呼んでくれる、そう思うと顔が緩んでしまった。


 可愛い可愛い弟のような婚約者との再会に心躍らせながら玄関に辿り着くと、まるで機を図ったかのように鳴らされるノック音。

 このタイミングでの来客は、彼しか居ないだろう。それ以外なら、門の所で対応がある筈だもの。


 つまり、ドア一枚隔てた先に、ジークが居る。

 そう思うとつい口許が緩んでしまうものの、歳上の余裕を見せるべくきゅっと顔を引き締めて、扉を開いて……。


 そして、視界に飛び込んできたのは、自分より頭一つは背が高く、目を瞠るような美貌の青年だった。


 ……え?


「マリー」


 私の愛称を呼んだのは、思ったよりも低く、それでいて澄んだ声。

 ドアを開けた体勢のまま硬直するマリーに、青年はふわりと翠の瞳と口許に弧を描かせた。


 棒立ちになって視界に収めた姿は、綺麗の一言ではとても言い表せなかった。

 背後から陽光を受けて輝く金髪はとても眩く、金糸自体が輝いているようにすら見える。翠の瞳はあの頃のものと変わらないけれど、やや鋭利な印象を抱かせるようになっていた。


 思わず、瞳を細めてはまじまじと青年の姿を見詰めてしまう。


 ……待って待って、え、嘘でしょう?

 私が想像していたのは、自分と同じくらいの背丈で細身の少年。当然でしょう、だってジークは元から華奢って言えるくらいに細身だったし、童顔で可愛らしい顔立ちだったもの。


 けど、目の前に現れたのは、長身ながらも痩せぎすではなくしっかりと鍛えられた印象を服の上からでも与える、男らしい体格の青年。

 可愛らしさの強かった顔立ちはその愛らしさを失い、端整さはそのままに凛々しさと雄々しさを携えて帰って来た、のだ。


 目の前の青年は思い描くジークとはあまりにもかけ離れ過ぎて言葉を失うと、青年は陽だまりのような笑みを浮かべる。

 此処は変わらないと一瞬思ったものの、他が変わりすぎて、彼がジークなのか、分からなくなってしまった。


 え、待って。ジークは細くて、小柄で、幾ら健康になったとはいえ元はそんなに体が強くなかったのに。本当に、ジークなの?


 てっきり、細身の少年を、想像していたのに。

 今目の前に居るのは、何処をどう見ても、体を鍛えた立派な青年にしか、見えなくて……。


「マリーだよな。久し振り、元気そうで良かった」

「ジーク、ヴァルト……?」

「そうだよ、マリー。昔みたいにジークと呼んでくれたらありがたいんだが」


 思わず尋ねる形になってしまったけれど、ジークは咎めたりはせず、ただ嬉しそうにもう一度「マリーだ」と笑みと共に呟く。その笑顔は輝かんばかりで、漸くジークが帰ってきたのだと思うと思うと同時に、眩しさと気恥ずかしさが襲ってくる。


 想像図とかけ離れ過ぎて、どうして良いのか分からない。

 こんな格好良い男の人に成長してるとか思ってなかった……!


「……ええと……本当にジークなの?」

「そうだ。俺の事、忘れたのか?」

「じ、ジークはそんな大きくなかったし、逞しくもなかったし、自分の事俺って言わないわ!」


 そう、ジークは私よりも年下で小さくて細かったし、自分の事も俺じゃなくて僕と言っていた。その記憶が強い私にとって、俺発言は衝撃だし……その、こんな……立派な男性に育ってるとか、思う訳がないでしょう。


 六年という歳月は、こんなにも人を変えてしまうの?


 私達の一族が治めるイスヴァーレン地方、その守護神である女神に堪らず心の内で問い掛けてしまった。

 当然、正規の手続きを踏んでいない上に此処は聖殿でもない為、返事など返ってくる筈もない。それでも聞かずにはいられなかった。


「いつまでマリーは俺の事子供だと思ってるんだ……俺はもう成人したんだぞ」


 拗ねたように唇を尖らせる姿はちょっぴり幼さが見えたものの、それでも目の前のジークは、言葉通り大人にしか見えない。


 確かに成人してるけど……それでも変わりすぎじゃないかしら!? 何でこんなに、か、格好良くなってるの……!?


 昔の愛らしい面影は何処へやら、とちょっと喚きたくなった。


「そ、それはそうだけど……でも、あの可愛いジークが、こんな……」

「こんなって」

「小さくて可愛いジークが居ないっ」

「……マリーって少年趣味だったっけ……」

「そうじゃないけどっ」

「君の可愛いジークは此処に居るぞ」


 俺は君の目の前に居るよ、と軽やかに微笑んで私の手を取り、そっと自身の頬に触れさせる。


 掌に触れたのは、滑らかでいて、且つしっかり引き締まった肌の感触。

 よく見れば、ジークの肌も昔みたいな血管が透けそうな真っ白の肌ではなく、白いけど昔より色付いている。血色だって、良くなっていて。


 それは喜ばしい事だけど、昔のようなやわやわぷにぷにほっぺが、何処にもない事が一番ショックだった。


「か、硬い、ジーク硬い! ぷにぷにほっぺがない!」

「そりゃあ六年もあれば引き締まるからな? マリーは相変わらず柔らかくて可愛いな」


 陽だまりのような極上の笑顔を浮かべて、ジークはそのまま戸惑いを色濃くするしかない私の体を引き寄せて、随分と成長した逞しい胸板に私のほっぺを押し付ける。


 久方ぶりの婚約者に会った感激をそのままに抱擁を仕掛けるジーク。

 あっさり腕に収まってしまった私は改めて引き締まった体躯を実感して、今度こそ訳が分からなくなって「ひやぁぁぁぁ」とか細く悲鳴を上げてしまった。


「その悲鳴は凄く傷付くんだが……そんなに嫌か?」

「いっ、嫌とかじゃなくて、どうして抱き締めるのっ」

「どうしてって……昔はよくしていただろう。それに、婚約者だから再会の抱擁くらいあって然るべきだと思うんだが。久し振りのマリーに触れては駄目なのかな」

「だ、駄目じゃないけど、恥ずかしいわ……」

「恥じらうマリーも可愛いから大丈夫だ」


 論点がずれてる気がする! と内心で声高に叫ぶものの、それを口に出来る程余裕もない。今は、六年振りの再会が思わぬ胸の高鳴りを運んできた事に喘ぐしかなかった。


 弟だと思っていた可愛い婚約者は、立派な男となって私の目の前に現れたのだから。


「……ジークヴァルト、娘をあまりからかわないでやってくれ」


 ジークの熱烈な抱擁を受けてもう少しで湯気が出そうな程に顔に熱を溜めていた私。

 そんな私をご満悦そうに眺めていたジークだったけど、遅れて現れたお父様登場に表情の色を変える。


 最初はお父様の采配に感謝感激だったけど、今はちょっと、責めたい気分だわ。私が勝手に戸惑っているだけなのだけど……!


 ジークは名残惜しそうな顔はしていたもののさっと離れて、お父様に向き直り腰を折る。そんなジークの姿に解放された私は胸を押さえつつ、そこは変わっていないんだなとほっとした。


 何だかんだで礼儀正しい所は変わっていない。

 ……ただ、玄関でいきなり抱擁をしないで欲しかった。何処ならしても良いかと言われると困るし、顔がまた茹だってしまうけど。


「ああエリアス義父さん、改めまして、お久し振りです」

「随分と気が早い挨拶だな、まあ良いが……」


 しれっと自分の父を義父さんと読んだ事に絶句すると、ジークは固まったままの私を意味深に見遣る。


「マリーに話は通してますか?」

「いや、まだだ。これから事情を説明しようと思うんだが……」

「なら俺からしても?」

「それは構わないが」

「じゃあマリー、行こうか」

「え?」

「マリーの部屋」

「ええっ!?」


 何で私の部屋になるの!?

 今の会話でどうしてそうなったの、と視線で訴えると、ジークはくすりと笑んで。


「冗談だ。流石に正式に婚姻を結んでいないのに手出しする程節操なしでもない。それに、待つのは慣れてるから」

「えっ、あっ」

「君を見ている限りそうは見えないんだが……」

「マリーに会えて浮かれているんですよ。六年見ない間に、マリー凄く可愛くなってるから」

「……っ、私のジークはこんな女誑しじゃなかった……!」

「マリーだけだ」


 それはそうでしょう、ジークは私の婚約者で、領地で浮気するような男でもない。……のは分かっているけど、そういう問題ではなくて!


「何処でそんな態度を覚えてきたの……っ」


 こんな甘い言葉を吐く子でもなかった、と赤らんだ頬のまま唇を尖らせると「ねだってる?」と返されたので、意味を理解して私は更に頬を染めた。

 何でそういう事になるの、と零すと「俺がしたいからかな?」と返されて、押し黙るしかない。


 このままではそのまま唇を奪われると分かっていたので先んじて口を掌で塞ぐ。私は防衛で真面目にやっているのに、当のジークは愉快そうに喉を鳴らして笑うのだからやっていられないわ……っ。


 歳上だった自分がこうもやりくるめられるのは、複雑だわ。……可愛げがなくなっていると思うのは自分だけかな、と婚約者の変貌に危うく溜め息をつきそうになった。


 もう、と文句の一つでも零してやるべきか迷うと、見守っていたお父様の生暖かい眼差しが改めて突き刺さる。

 視線は優しいのにぐさりと感じるのは、人前で背中が痒くなるようなやり取りをしたという後ろめたさと恥ずかしさがあるからでしょう。


「いちゃつくのは良いが客間に移動しようか。……ジークヴァルト、そろそろ娘から離れなさい。これから機会はいつでもあるだろう」

「そうですね」

「……あの、どういう事ですか、お父様」

「それは俺から話すよ」


 ちゃんと説明するから、と朗らかな笑みで手を取られ、淀みない足取りで客間に向かうジークに、お父様は止める様子もない。


 昔はよく屋敷でも遊んでいたから勝手知ったるミュラー邸、というのは分かるがよく六年経っても覚えていたなと感心するのと、まるで我が家のような振る舞いに戸惑うしかなかった。


 そして、何故か嫌な……というのは失礼だけど、波乱の予感が胸を撫でるのも、感じる。

 陽光を思わせる金色の風がどう引っ掻き回していくのかを想像して、複雑な思いのままただ自身を握る硬い掌を握り返した。


 ……私、これからジークに振り回される気がする……。

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