表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

仇討ち人への道

 楓太は夏の日差しが照り付けるテントの中で目を覚ました。朝とはいえすでに暑い。汗に塗れたTシャツを脱ぐ。ペットボトルに残っていた水を飲み干す。一口飲むごとに胃袋が満たされていく感覚。だるさが取れていく。手元のペットボトルを見つめた。


「何やってんだろ? 俺」


 Tシャツを羽織ると這いずるようにテントからでる。舌打ちを一つするとテントをまとめる。荷物をまとめバックパックを担ぎ、汗に塗れたTシャツを持ち歩き始めた。ブルーシートや段ボールで二畳から三畳ほどに区切られた迷路のような道を進む。そこは河川敷に自然発生したホームレスたちの住宅街だった。


 仇討ちの刑に巻き込まれた翌朝、最寄りの駅に着くと自転車を分解して専用の袋に収納し電車を使って故郷に帰ってきた。家のドアには鍵がかけらている。チャイムを鳴らした。インターホン越しに母親が言う。


「誰なの? あなた」


 カメラが付いているインターホン越しに家出を詫びる。取りつく島もなく、玄関前で土下座した。しばらくするとドアが開けられた。許された、そう思って顔を上げるとどことなく自分と似ている気がする同世代の少年が立っていた。その少年曰く。


「ここの家の息子は俺なんですけど。これ以上、母親につきまとうなら警察呼びますよ。っていうか、警備員の人はもう呼びましたから。じゃあ」


そしてドアは閉ざされた。閉められると気付く。チェーンロックは外されていなかった。


「え?……」


 返す言葉がなくすごすごとその場を去る。物陰から玄関前の様子を覗き見ていた。しばらくすると警備会社の社名が入った車が玄関前に停められた。玄関先で警備員と話す母と先ほどの少年の姿を見た。間違いなく今まで一緒に暮らした母だ。その母が守るように少年の肩を抱いているのが目に入る。気が付いたときにはふらふらと自転車を漕ぎながらその場を立ち去っていた。


 そして、居場所を求めて数日。さまよううちにテントが立ち並ぶ大きな河川敷にたどり着いた。そこから最寄りの駅に向かい、バスに乗り、働いて、帰ってきてテントを拡げて眠る。そんな暮らしが始まってからさらに数週間が過ぎていた。


 大型商業施設の建設現場で働いていた。朝の六時にマイクロバスに乗り込み一時間ほどかけて到着する。昼の十五分を除き夜の九時まで土砂や瓦礫の山を指示された場所に猫車で運び続けていた。山のように土砂が積まれた猫車を押す。罵声におののきながら強引に方向転換をした。腰の筋肉がひきつれたように感じた。思わず手を離す。猫車が倒れた。罵声が飛んで来る。そのようにして一日を過ごす。

 

 作業現場への送迎バスには男達の汗と皮脂と土の匂いが染み込んでいた。初めて嗅いだ時はは吐き気を覚えた。今では違和感すら感じない。仕事が終わりバスに乗り込むときに賃金が各自に渡される。席につき財布にしまうとため息が漏れる。世間の相場よりだいぶ安い賃金でこき使われている。戸籍がないからだった。

 

 正規の仕事に雇われるには住所がいる。働いて金を溜めても部屋を借りるには戸籍がいる。未成年には親権者の同意がいる。全て失ったものだった。

 

 いつものように仕事が終わりバスの中でうたた寝をしていると飛び込んでくる声があった。


「あれやれよ。用心棒。近々仕事があるらしいじゃねえか」


「無茶言うな。すぐにぶっ殺されて終わりだろ?」


「でも戸籍がもらえるって話だろ?」


 この言葉に気色ばんだ。耳をそばだてる。


「今さらやり直せるかよ」


「そりゃそうだな。でもなんで戸籍なんてくれんのかね?」


「戸籍の無い奴が死んだら面倒だからじゃないか? あ、そうだ。この前ちょっと調べてもらったらさ。俺はもう死んだことになってたわ」


「俺たちゃ幽霊ってわけか。腹が減らなきゃそれでもいいけどな」


 男たちは笑った。


 犯罪者に身を落とすことと犯罪者を命を懸けて守ることを天秤に乗せた。席から立ち上がり男たちの前に立つ。男たちは二人とも白髪も髭も伸ばし放題。その顔は日焼けしてくつものしわが深く刻まれていた。細い手足をシートから投げ出している。率直に尋ねた。


「あの。用心棒について聞きたいんですけど」


 男たちは大きく口を開けて笑う。歯がほとんど見当たらなかった。用心棒をやることに決めた。家がないことには耐えられても虫歯に耐えられるとは思えなかった。


 仕事を休んで男たちに教わった通りに朝の早い時間にターミナル駅のロータリーに行ってみた。『急募! 用心棒』 そう書かれたプラカードを持つ男がいる。恰幅のいい禿頭の口髭を蓄えた中年だった。

声をかけると身分証を提示するように言われた。


 戸惑っていると野良犬でも追い払うかのように手を振られた。止むを得ず引き下がる。戸籍と大金が手に入るかもしれないという淡い期待が壊された。


 うなだれて引き返し始めると後ろから声をかけられた。先ほどの男が事務用の封筒を振っている。身に覚えがないこと伝えるために首を横に振る。気づかないのか男は封筒の中身を取り出した。


「住民票と保険証が入ってるぞ。駄目だよ。こんな大事なもの落としちゃ。これがあればできるよ。用心棒。もう出発するから車に乗っちゃって」


 男に言われるままにマイクロバスに乗り込む。楓太と男の他には誰もいない。しばらくすると何の知らせもなく発車した。数十分もすると車は都心の清潔な高層ビルの前に止まる。車を降りると男に紙袋を渡された。男はロビーにある受付カウンターに紙袋をもっていけばいい、と言うとあっさりと車に乗り込みどこかへ行ってしまった。


 ロビーでは数多くのスーツ姿の男女が鞄やスマートホンを手に歩き回っていた。その中の一角にあったビルの案内カウンターなかで椅子に座っている女に声をかける。薄い桃色の制服の茶色く髪を染めた厚化粧の若い女だった。不自然に長いまつ毛と違和感を覚える二重が目を引いた。


「くっさ!」


 女の第一声。鼻と口元を手で隠しながらそう言った。眉間には皺が寄っている。移動中に車内の窓が全て開け放たれたことを思い出す。どうしていいかわからずカウンターの上に紙袋を置いた。女は颯太を見ることもなく紙袋から封筒を取り出し住民票と保険証を取り出した。タブレット型の通信端末で取り出したものを撮影すると住民票の名前を読み上げる。返事をすると女はカウンターの中からクリアファイルを取り出して説明を始める。


「バスがあるからそれに乗って。地図もここにあるから。あと持ってきた紙袋に入っている服に着替えて。そこにトイレあるから」


 紙袋の中にはタオルと小袋に入ったシャンプーとえんじ色のジャージが入っていた。説明を続けている間女は鼻をつまんでいた。


 着替えてみるとジャージは大きすぎた。サイズの合わないジャージ姿。タオルを巻いた頭。すれ違うものがみな振り替える。顔には半笑いを浮かべていた。ロビーを横切り外に出てバスを見つけて乗り込んだ。茶封筒から資料を取り出し確認する。


 用心棒になるにあたってのスケジュールが書かれていた。一週間研修を行われることや研修期間は外部と連絡が取れないことなどの注意書きが書かれていた。一通り資料に目を通すと眠気に襲われ寝てしまった。研修場所に到着するまで他の者と話すことはなかった。


 用心棒になるにあたり個人情報保護の観点から仮名を名乗ることが許されていた。少し考えて立原颯太と名乗った。いざというとき仮名で呼ばれて反応できるか不安がある。年齢は言わない。用心棒になれるのは二十歳からだった。うっかり年齢を誤魔化していることを見抜かれないようにそうした。


 用心棒研修は地方のビジネスホテルで行われていた。午前はホテルの会議室でビデオを見させられ仇討ちに関する法令と武器類の取り扱いに関する注意事項を学んだ。午後はバスで市民体育館に移動して実技だった。日本刀や槍、バトルアックスなどに見たてた木製の模型を好きに選んで古タイヤに打ち込む。特に指導はなく自己流だった。出来るだけ離れたところから攻撃できる槍の模型を良く使った。他には怪我をしたときの応急処置や人体の構造の説明を受けた。


 参加者同士で一緒に練習をする者たちもいたがその輪には入らなかった。時々笑顔を漏らすその者たちの余裕に腹が立つ。ほかの参加者と会話らしい会話などないまま研修期間は瞬く間に過ぎた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ